しあわせの絵の具 【2021.05.09 Sunday 06:23】 |
使う言葉って、 その人を表すものだと思う。 何を大切にしているか、 伝わってしまうものだ。
とはいえ 言葉だけにとらわれて その人の本質を受け止められないのも 残念だとも思う。
映画「しあわせの絵の具」は お互い必然で同居を始めたことから 支えあう夫婦になっていく二人の物語。 画家モードとその夫という実在の人物の 物語をベースにしている。 家政婦として雇った重いリュウマチを 患う女性モードと暮らすうちに、 彼女には絵を描く力があることがわかる。 そのことをテーマに物語は進んでいく。
いろいろな視点からの感想を 書きたくなってしまう映画で、 たとえば 生い立ちや病気の有無で ひどい扱いを受けている二人なので そういう背景で厄介者扱いされる違和感だとか、 体調が思わしくなくても、 好きなことで生活を豊かにすることが できる素敵さだとか、 兄や叔母の仕打ちがひどく、 最近読んだ小説「家族じまい」と 関連づけちゃいたくなったり、 とにかくいろいろある中、 私が書きたいことは、
これは、 表面的な言葉にとらわれない 二人の物語なんだ!ってこと。
夫は 女性差別やモラハラとも 取られかねない暴言を吐く。 しかしモードは、 その夫の言葉の表面はスルーし、 もちろん鵜呑みにせず、 その奥にある彼自身の優しさを ちゃんと感じとっていた。
そして、 すごく素敵なのは、 言葉に反応するのではなく、 本質、 つまり彼の中にある優しさを 受け取っていくうちに、 彼の表現方法も変わっていくこと。
つついたところ(反応を示した部分)が 増えていく(強化されていく)ことが 自然に描かれていたのだ。
最初、彼は モードを、 「うちでは俺が一番、その次は犬、 次がにわとりで、 おまえはその次だ」なんて言う。 ひどい。 それは不当な批判だ! 言われる筋合いはない。 なのにモードはそこに引っ張られない。 その中で、自分のできることを していく。
ある日 モードがチキンスープを作ると、 「このチキンはどうしたんだ?」ときき、 絞めたことを伝えると 「おまえがやったのか?」と。 彼はおいしいとは言わない。 オレのためにありがとうとも 言わない。 でも、 おいしそうにスープを食べながら、 驚いたように 「おもえがやったのか?」という声に、 意図があふれでてきちゃっている感じ。 そして、モードは 言葉そのものより、 その意図を受け取る感じだ。
彼は、 車で送ってほしいと頼んでも、 「だめだ」と言いながら、 車のエンジンをかける。
夫が帰宅する度に、 家の中の壁は、 モードの可愛らしくってあざやかな絵が 増えていく。 彼は、 「こちら側はいいけど、 あちら側と、 俺の持ち物は やめてくれ」 と言う。 それは、絵を壁に描くことは OKだというお知らせなのだ。
モードが「網戸をつけて」と頼む、 彼は「そんなもの、必要ねえ」 とつっぱねる。 そこでモードは言い争いをしかけない。 そして、彼は仕事の合間に、 だまって帰宅し、 だまって網戸を取り付け、 だまって仕事に戻っていくのだ。
彼らは結婚することになり、 結婚した夜ダンスを踊る。 「今晩だけだぞ」と威張って言う。 その夫の靴のつま先に ちょこんと乗ったモードの足が 映るシーンは美しい。
そういう毎日の、 ささやかな出来事を 繰り返しながら、 夫は、お茶をいれるときは、 モードの分も入れるようになり、 妻がなくなる時には、 「俺にはおまえが必要なんだ」 と言う。
ここのところ、 SNSなどで発言しやすくなったこともあり、 言葉に対して、社会は厳しい。 もちろん、 「嫁」「奥様」「ご主人」など、 その言葉の背景を考えると、 違和感があり 私は使わない。
でも、 たとえば 「嫁」と妻を呼ぶ人がいたとしても、 その人が、 彼女の人格を否定し 自分の家の女性として扱っていいと 考えている人だとは、 このことだけでは思わない。
「言葉狩り」といわれるような 言動は、少しさみしいなあと思う。 もう少し寛容でいたいし、 またこの映画の夫婦のように、 奥のところでつながっている関係は、 豊かだなあと思う。
このことがこの映画の 主要なテーマではないんだけど、 なんか、 最近考えてたこととつながったので、 書いてみた。
amazon prime で、 見ることできま〜す。
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author : tanizawa-k
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