映画 | 今のところではありますが…
しあわせの絵の具

【2021.05.09 Sunday 06:23

使う言葉って、

その人を表すものだと思う。

何を大切にしているか、

伝わってしまうものだ。

 

とはいえ

言葉だけにとらわれて

その人の本質を受け止められないのも

残念だとも思う。

 

 

映画「しあわせの絵の具」

お互い必然で同居を始めたことから

支えあう夫婦になっていく二人の物語。

画家モードとその夫という実在の人物の

物語をベースにしている。

家政婦として雇った重いリュウマチを

患う女性モードと暮らすうちに、

彼女には絵を描く力があることがわかる。

そのことをテーマに物語は進んでいく。

 

いろいろな視点からの感想を

書きたくなってしまう映画で、

たとえば

生い立ちや病気の有無で

 ひどい扱いを受けている二人なので

 そういう背景で厄介者扱いされる違和感だとか、

体調が思わしくなくても、

 好きなことで生活を豊かにすることが

 できる素敵さだとか、

兄や叔母の仕打ちがひどく、

 最近読んだ小説「家族じまい」と

 関連づけちゃいたくなったり、

とにかくいろいろある中、

私が書きたいことは、

 

これは、

表面的な言葉にとらわれない

二人の物語なんだ!ってこと。

 

夫は

女性差別やモラハラとも

取られかねない暴言を吐く。

しかしモードは、

その夫の言葉の表面はスルーし、

もちろん鵜呑みにせず、

その奥にある彼自身の優しさを

ちゃんと感じとっていた。

 

そして、

すごく素敵なのは、

言葉に反応するのではなく、

本質、

つまり彼の中にある優しさを

受け取っていくうちに、

彼の表現方法も変わっていくこと。

 

つついたところ(反応を示した部分)が

増えていく(強化されていく)ことが

自然に描かれていたのだ。

 

 

 

最初、彼は

モードを、

「うちでは俺が一番、その次は犬、

 次がにわとりで、

 おまえはその次だ」なんて言う。

ひどい。

それは不当な批判だ!

言われる筋合いはない。

なのにモードはそこに引っ張られない。

その中で、自分のできることを

していく。

 

ある日

モードがチキンスープを作ると、

「このチキンはどうしたんだ?」ときき、

絞めたことを伝えると

「おまえがやったのか?」と。

彼はおいしいとは言わない。

オレのためにありがとうとも

言わない。

でも、

おいしそうにスープを食べながら、

驚いたように

「おもえがやったのか?」という声に、

意図があふれでてきちゃっている感じ。

そして、モードは

言葉そのものより、

その意図を受け取る感じだ。

 

彼は、

車で送ってほしいと頼んでも、

「だめだ」と言いながら、

車のエンジンをかける。

 

夫が帰宅する度に、

家の中の壁は、

モードの可愛らしくってあざやかな絵が

増えていく。

彼は、

「こちら側はいいけど、

 あちら側と、

 俺の持ち物は

 やめてくれ」

と言う。

それは、絵を壁に描くことは

OKだというお知らせなのだ。

 

モードが「網戸をつけて」と頼む、

彼は「そんなもの、必要ねえ」

とつっぱねる。

そこでモードは言い争いをしかけない。

そして、彼は仕事の合間に、

だまって帰宅し、

だまって網戸を取り付け、

だまって仕事に戻っていくのだ。

 

彼らは結婚することになり、

結婚した夜ダンスを踊る。

「今晩だけだぞ」と威張って言う。

その夫の靴のつま先に

ちょこんと乗ったモードの足が

映るシーンは美しい。

 

そういう毎日の、

ささやかな出来事を

繰り返しながら、

夫は、お茶をいれるときは、

モードの分も入れるようになり、

妻がなくなる時には、

「俺にはおまえが必要なんだ」

と言う。

 

 

 

ここのところ、

SNSなどで発言しやすくなったこともあり、

言葉に対して、社会は厳しい。

もちろん、

「嫁」「奥様」「ご主人」など、

その言葉の背景を考えると、

違和感があり

私は使わない。

 

でも、

たとえば

「嫁」と妻を呼ぶ人がいたとしても、

その人が、

彼女の人格を否定し

自分の家の女性として扱っていいと

考えている人だとは、

このことだけでは思わない。

 

「言葉狩り」といわれるような

言動は、少しさみしいなあと思う。

もう少し寛容でいたいし、

またこの映画の夫婦のように、

奥のところでつながっている関係は、

豊かだなあと思う。

 

 

このことがこの映画の

主要なテーマではないんだけど、

なんか、

最近考えてたこととつながったので、

書いてみた。

 

 

amazon prime で、

見ることできま〜す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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「みんなの学校」

【2015.05.31 Sunday 19:01
映画「みんなの学校」を見た。

大阪の住吉区にある大阪市立大空小学校は、
他所の地区から引っ越ししても、
この学校で学ばせたいと考える保護者の方も
いる学校。
授業中に外に飛び出してしまう子、
かっとなると友達に暴力をふるってしまう子、
他の学校の時には学校にいくことができなかった子、
家庭の事情を背景になかなか面倒をみてもらえない子、
いろいろな子が、一緒に学んでいる。

その大空小学校の一年間の記録。


校長先生の
職員への、子どもたちへの、保護者への
言葉かけが、
全部、勉強になる。

校長先生は、
人が、その人のペースで、
その人自身の良さを生かしながら、
その人自身ができることをして、
生きていく姿をみるのが
大好きなんだと思った。
そして、苦手なことや
できないことは、
支えてもらっていいってことを
体現してる。

この学校で6年を過ごすこと

自立・共生 を 体験すること

なんだと思う。


6年生の全員リレーの練習中に
校長先生が6年生に言った言葉の意味が、
私に突き刺さっている。

「このリレーは世界で一番むずかしいリレーや」
と校長先生は言う。
コース通りに走ることが苦手な子たちも何人もいる
6年生。走るのが得意な子も嫌いな子も、
とにかく全員でリレーを走る。
工夫なしに、そのまま走る練習をしている子ども
たちに校長先生は言う。

「みんな、これでは上手くいかないって
 気がついている。気がついているのに
 何もしないのはおかしい。
 自分の頭で考えて、どうしたらいいか
 考えて!
 これは世界で一番むずかしいリレーや」

子どもたちは考える。
コース通りに走るのが難しい子には
手を取って並走する子、
走るのが苦手な子から受けるバトンは、
ゾーンの一番端にする。


「気がついてるのに、
 何もしないのは、おかしい」
という言葉は、
そのまま、私にかけてもらった言葉だと
思う。


校長先生が、
初めて4年生を担任した男性の先生を
厳しく注意するシーンがある。
彼が、子どもを叱りとばした後でだ。
大声で怒ったあと何のフォローも
しなかったことを、
「あのあと、
 あの子が窓から飛び降りたら、
 どう責任とる?」
と訊く。
さらに、
「さっき大声で叱ったのは、
 考えてやったのか、
 それとも、感情をぶつけたのか、 
 どっちか?」
と。
彼は、情けない思いでいっぱいに
なりながらも正直に
「感情をぶつけた」
ことを告げ、
その後、先輩の先生方に、
・自分の弱さを認めていいこと
・助けを求めていいこと
・この学校ではチームで動くことを
教えてもらえるのだ。



校長先生が
職員や子どもたちに何かを指導したり、
指示を出したりする時に
必ずしていることがあって、
それは、その意図や目的を
言語化していることだ。

小6のカズキが、
横断歩道などでの見守をしてくれている
サポーターの大人に暴力をふるってしまい、
そのことをカズキ自身に謝罪しにいかせる時に、
もちろん、
暴力に対する謝罪は当たり前だけど、
「いい、カズキって子を、
 ちゃんと○○さんに理解してもらう
 ことが目的だからね」
と言って送り出す。

学調のやり方を先生たちに話す時も、
学調の意味を
ちゃんと言語化して伝える。


さらに、
どんな小さないざこざも、
ちゃんと「やり直し」ができるように、
両方の言い分をしっかりきいて、
そのいざこざに至る気持ちは
ちゃんと受け止める。
「くやしかったんや」
「腹立ったやろ」
と気持ちは受け止めて、
その上で
だからと言って、
相手のいやがることを言ったり
したりしたことに関しては、
ダメ出しする。

あ〜
理想、
モデルを
見せてもらった。


一緒に見た夫は、
「これ、学校の先生が
 見たらきついと
 思う人もいるだろうな」
と言っていた。

確かに、
これが可能なんだと思うと、
自分の足りなさが
突きつけられたようで、
学校関係者としては、
辛い。
そう思われる方も多いかも。

でも、
努力の方向がはっきりと見え、
やるべきことは明確になると思う。


私にとってみると、
やりたいと思っていたことや、
方法論は間違っていないことは
確認でき、

ただ、

気付いていながら
やろうとしてなかったという課題に

挑戦していきたい想いでいっぱいだ。


あ〜この学校には、
スクールカウンセラーは必要ないんだろうなあ。
そういう学校が理想だよなあ。



めちゃめちゃな文章だと思いますが、
興奮のまま書いてしまいました。
久々、泣きすぎて、
頭が痛くなった映画。







 
author : tanizawa-k
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マダム・イン・ニューヨーク

【2014.11.17 Monday 08:43
「マダム・イン・ニューヨーク」は
今、
TUTAYAさんで最新コーナーにある
インド映画。

家族の中で唯一英語を話せないシャシ。
そのことで引け目を感じている。
反抗期の娘などは
「ジャズダンス」という言葉の
「ジャズ」を上手に発音できない母親を
ばかにするし、
夫は彼女の料理をおいしそうに食べながら
「この料理のために、おまえと結婚した」
のようなことを言う。
そんな彼女が
親戚の結婚式の手伝いのため、
単身でニューヨークにいく。
ニューヨークでもカフェでランチひとつ
頼めない自分に落ち込み、
一念発起、「4週間で英語が
話せるようになる」という学校に
通うことにするのだ。

ここで出会ういろいろな出身地の人々と
学び合い、
特にフランス出身のシェフの男性との出会いから
少しずつ自信を回復していく物語。


以下めっちゃネタバレ含みます。
ご注意!!!

・・・・・・

めちゃくちゃ感動したシーンがあるのだけど、
それは、
英語のクラスの中で、
パキスタン出身の男性を
シャシがたしなめるシーン。

このクラスの先生はゲイで、
その前の週恋人にふられてしまって
落ち込んでいる。
そのことをおもしろおかしく話す彼に、
シャシが
ヒンドゥー語(シャシと彼しか分からない言葉)で
「人にはひとそれぞれ事情がある。
 自分にとって正しいことでも、
 相手にとっては違うし、
 相手にとって正しいことが、
 自分にとっては違うこともある。
 だから、そんなふうに
 おもしろがってしゃべることではない。
 そのあたりで、その話はやめましょう」
というようなことを言うシーンだ。
(ものすごくあいまいな記憶です)

彼にとっては
クラスの中を盛り上げようとする
ちょっとしたおしゃべりだったかもしれなくって、
それでも、
人として大切な部分を揶揄するような発言には、
ちゃんとノーと言えるって、
ほんとにかっこいい。

私自身、いろいろな場面で、
聞き捨てならないような人権に関する言葉を、
時々流してしまうことがある。
それは、差別に加担していることだと、
もう充分に分かっていても、
いろいろな理由をつけて、
たとえば、
この場の雰囲気を壊したくないとか、
この方との信頼関係がまだ弱いからとか、
とにかくいろんな理由をくっつけて、
流してしまうこともあるんだ。

それは、この場面でいえば、
「そうだね」っておもしろがりながら
聞いてるってことで、
客観的に考えてみると、
やっぱりそれは消極的であっても
加担に間違いないんだよな。


シャシは英語を学び始め、
どんどん話せるようになり、
自分自身も少しずつ自信をもてるようにも
なってくる。
特にフランス人シェフが想いを寄せてくれることは、
「お料理やお菓子を作ってさえいればいい」と
言わんばかりの夫とは違う。
一人の人として認めてもらっている感覚を
取り戻す。


さて物語も大詰め。
インドから家族たちもやってきて、
いよいよ結婚式だ。
お祝いの席でスピーチの番が廻ってきた。
夫が
英語ができないと思っている彼女をかばう気持ちで
「私が・・・」と席を立とうとするのを制して、
彼女が話し始める。

(これもまたあいまいな記憶ですが)
「結婚は素晴らしい。
 それは二人の人間の対等な関係の
 上になりたつもの。
 時々、二人は相手より自分が
 劣ってると感じる
 こともあるかもしれない。
 そんな時こそ、
 お互いが対等であることを
 感じ合う努力をしてほしい。
 あなたを助けるのは、
 他の誰でもない自分。
 まずはあなたがそれをしてほしい。

そう英語で話すシャシを
家族は最初、びっくりして見ている。
シャシはスピーチを続ける。

 仕事という世界で
 二人は忙しい思いをするかもしれない。
 でも、家族という世界ももってほしい。
 家族は決してあなたを決めつけない。
 家族は決してあなたがあなた自身を
 恥ずかしいと思うようにはさせない。
 家族はあなたの欠点を笑わないし、
 いつもあなたを愛し,尊敬してくれる。
 この結婚をお祝いします。おめでとう」

これを聞きながら
一時、
夫も娘もばつの悪い顔をするのは、
自分たちがしてきたことに罪悪感を
感じたからだと思う。
しかし、最後には、
シャシの知性や、堂々とした姿勢に
心からの拍手を送る。

私は、
結婚式のスピーチとして、
そして、同時にシャシの
英語学校の卒業のスピーチとしては
本当に素敵なスピーチだったと思うけど、

できたら、
その場を借りて家族に想いを伝えるのではなく、
直接夫や娘に
「実は英語が話せないことを
 ばかにされているように感じて、
 つらかった。
 お料理とお菓子づくりだけにしか能がない
 ように扱われることは、
 とても悲しかった」
と伝えられ、
その上で分かり合えたら、
もっと後味がよかったかなと思った。

ずっと前に、
毎日新聞の「仲畑さん選万能川柳」にあった、
「うるさいな 犬にむかって 妻にいう」
が思い出されて。


とはいえ、
「対等な関係」というキーワードを
軸にしたスピーチそのものは、
本当に素晴らしい。



さて私は、
妹家族の住むニューヨークに
久しぶりに行きたくなった。
シャシみたいに
ある程度の年齢になってから
自由な時間を思い切り使えるって
しかもそれがニューヨークって、
なんかいいなあ。


英語
コンプレックス
自信
加担
面と向かって話す
罪悪感
自由な時間
・・・
関心のある
いろいろな要素がつまった、
そして、
めちゃワクワクする映画だった。




 
author : tanizawa-k
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♪いい事ばかりはありゃしない♪

【2014.05.09 Friday 11:41
久々にRCサクセションの
♪いい事ばかりはありゃしない♪が
頭に浮かんだ。
一回浮かぶと支配されて、ヘビロテ。

頭の中で歌いながら、
ここのところ考えていたことをまとめておこうっと。

「違い」 ってことを考えてる。


①箱根の「ポーラ美術館」にモジリアニを
見に行った。約40年にわたり好きな画家、
モジリアニ。今回は知らなかった絵もあって、
満足。

モジリアニ展と同時に、美術を楽しむための
企画
をやっていて、
そのひとつに、
作品に「なづける」体験ができるコーナーが
あった。

↓この絵にタイトルをつけるとしたら?
(ポーラ美術館のホームページから)


私の前の方は「踊る女」とつけていた。
私も瞬間そう思ったが、
「同じのじゃやだ、違うのにしよう」と
「なびく紫」とした。(女性の服の色が紫だった)
作者古賀春江さんが付けていたタイトルは
《白い貝殻》。
私はそのタイトルを見てびっくり。
「え?貝殻って何?」と思ったんだ。
ちゃんと見ると、右の下に結構な大きさの
ものがある。
なんと、それが目に入っていなかった。

見たいものしか見てない私。
それを見たら他はスルーしてしまう私。
「なづける」ことで、
正解?のタイトルとの「違い」で
そのことに気がついた私。


②夫が本棚を作ってくれた。
私の父親とのあまりの違いに、
ほんと、びっくりする。
(父は電球も変えない、
 扇風機も組み立てられない人だった)

机の上に三段に積み重ねた本を、
高校生の男子に
「先生、俺、棚作ってあげようか」
と言ってもらったのは昨年12月。
「ありがと。でも自分でがんばってみるよ」
と言いながらまったく手をつけず、
本はたまっていくばかり。
当たり!の本ばかりで、読み終わっても
手元に置きたくて、
でももう積み重ねられなくて、
同じ部屋のテーブルを仮置き場にしていた。
お客様がみえると、その本を別の部屋に移動させ、
その場を凌ぐ生活をしていた。

夫に相談すると、
どの大きさの本を置きたいのか?
高さや幅はどれくらいのサイズがいいのか?
など質問をしてくれて、
さらにメジャーでばんばん計り、
ジャンボエンチョーで材料を買ってきて、
あっという間に作ってくれた。

私の父のぶきっちょっぷりも結構かわいかったけど、
いやあ、夫のこの感じもいいなあ。


③DVDをレンタル「42」を見た。
アフリカ系アメリカ人で最初の大リーガー、
ジャッキー・ロビンソンさんの実話を
ベースにしたもの。
彼をチームに迎えるGMが、彼に
腹が立つ思いをするかもしれないけど、
やりすごしてくれ!
のようなことを告げるシーンがある。
彼は
「それは、立ち向かう勇気を捨てろ
 ということですか?」
と質問する。
するとGMは言う。
「いや、やり返さない勇気を
 持ってほしい」

このことをある中学2年の男子と話していると、
彼は
「相手に対しては、やり返さない勇気は必要、
 でも、自分自身の問題に対しては
 立ち向かう勇気が必要だと思う」
と言う。(この話をオープンにする了解を
もらってます)
私「たとえば?」
彼「今までまったく勉強してこなかった『社会』。
 でもそれじゃやばいし、そのままにしといても
 解決しないから、やり始めた・・・みたいなこと」
私「ふーん、そりゃ、すごいね。
 その考えはどこからでてきたの?」
彼「アニメやマンガ」
私「どんな?」
彼「『俺の敵は俺』、これは『宇宙兄弟』
  『解こうとしなければ、答えはでない』
  これは『サマーウォーズ』」

うーん、なるほどなあ。やるなあ、彼!

相手との間の問題には、やり返さない勇気。
自分の中の問題には、立ち向かう勇気。


④映画「ネブラスカ」を見る。
100万ドルの賞金に当たったと信じ込む父と、
それがインチキだと知りながらも、父の夢に
寄り添う息子。賞金を受け取るために車で
旅に出る親子。途中立ち寄った父と母の故郷では、
知らなかった両親の過去がある。
特別大きな秘密がある訳もなく、すごい事件が
起こる訳でもない。でも、ごく普通に生きる人々の
日々の尊さを、しみじみと感じる映画。

(以下ネタバレ含む)
もちろん100万ドルはインチキだった。
でも、親子はお金以上のものを得る。
旅に出る前は父親と距離をおいていた息子が、
一緒に時間を過ごすことで、父親の思いを知ろうと
したり、父親の望みの叶えてあげたくなったり、
父親を元気づけたくなったり、父親を笑顔にしたく
なったりする、そういう通い合う心を持てたことだ。
100万ドルを手にしたらトラックを買おうと考えて
いた父親。それを息子は買ってあげる。そして、
運転席に座り、ハンドルをにぎり、満足顔の父親。

という映画を見た日の夕飯で、

私の夫は父親と運転について話し合わなければ
ならなかった。
義父から車を奪うことは、本当にせつないことだけど、
その日危ない出来事があったんだ。
夫は誠心誠意父に話しかけ、
彼は納得して「もう運転はしない」と言ってくれた。
不便になることについてや
代替案についても、ちょっとは話ができた。

「ネブラスカ」の息子も、
うちの夫も、
父親の人生を思ってのことだ。
父親の背景やプライドや優しさを思い、
老いと向き合う先輩としても、
大切に大切に考えていた。
そして「ネブラスカ」の息子も夫も、
自分も、もう十分にその途上にあることを
多分意識していたと思う。
その上での、車のプレゼントであり、
運転をしない約束だと思う。

あ〜せつなくって、いとしい。



♪いい事ばかりはありゃしない♪

なぜか頭の中でリフレインしてるけど、
そういえば、
RCサクセションには
♪すべてはALRIGHT♪
もあるなあと思う。

そんなことを考えてる週末。



 
author : tanizawa-k
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昔の映画が違って見えた。

【2014.03.06 Thursday 11:15
月曜、火曜とテレビで昔の映画を放送していて、
見た。
「追憶」と「クレイマー・クライマー」。

二本とも、若い頃に見たときと感じ方が違って、
自分でおもしろくなってしまった。

「追憶」は、
バーバラ・ストライザンド扮する
政治活動に熱中するケイティと、
ロバート・レッドフォード扮する
普通の大学生ハベル。
大学時代に出会った二人だけど、
正反対の生活をしている二人には
あまり接点がない。

スペインの国状に関して無関心な大学生に対する
ケイティの演説、
「私がこわいのは、傍観者だ」
に心動かされるものの、ハベルは
リッチな友達たちと飲んだり遊んだり
スポーツしたりして楽しむ日々。

そんな二人が第二次世界大戦中に
ニュ−ヨークで偶然出会い、戦後結婚する。
ハベルは作家、脚本家になり、
ハリウッドに移り住む。
ハベルを愛していて、
彼と共に生きるには
自分の信条を貫くことをあきらめるケイティ。
政治的な活動をしないことで
彼や彼の友達たちとの暮らしに
折り合いをつけてたが、
時代は変化していく。
ハリウッドで共産主義狩りが始まるのだ。

そうなると、
ケイティは自分の政治的信条を
押さえきれない。
子どもを身ごもっていたけれど、
二人は離婚をする。

何年かたち、ニューヨークの街中で、
偶然、二人は再会する。
チラシを配るケイティと
テレビの世界に入っていたハベル。
ハベルの隣には、
おだやかに微笑む再婚相手。

この映画を最初に見たのは、
多分、中学生の頃だと思う。

私はその頃、家の継承問題で悩んでいて、
自分のやりたいことと、
周りから押し付けられる価値観の狭間で
常に悩みを抱えていた。

だから、
自分を活かして生きることを選んだケイティを
自分のパートナーとして選ばなかったハベルに、
本当にがっかりした。

意見や主張などがあまり感じられない女性と再婚して、
その暮らしは穏やかだけど、
でも、何に対しても意見があったケイティを失ったことに、
ハベルには思い切り後悔してほしいって願ってた。
でも、どうやらそうではない、
なんとなく淡々としたラストシーンに、
やるせないような気持ちになったものだ。

私はケイティになりきって映画を見ていた。
その後、何度かこの映画を見ているが、
見るたびに、
やっぱりおもいっきりなりきって見ていて、
最後はいつも、
この女性のすばらしさを理解しないハベルに、
なんというか、
「狭い男だなあ」と考えることで、
自分を納得させていたと思う。

なんだけど、
今回、改めてゆっくり見て、
自分を押し殺していたのはケイティだけではなく、
本当は本を書くということに積極的ではなかった
ハベルが、
ケイティの期待に応えようとしていた姿、
つまり、折り合いをつけてたのは、
両方だったんだってことに、
ほんとに恥ずかしいんだけど、
初めて気がついた。
あまりにもケイティになりきり過ぎて、
見えてなかったんだと思う。

さらに、パートナーとして一生を暮らせなかったことに、
ケイティだけが残念な想いをもっていた訳ではなくって、
ハベルも、ケイティの自由な活動を支援できなかった自分に、
ちょっとした情けなさも持っていて、
でも、その一点だけはどうしても譲れない一点だったんだって
すごく分かった。


私は時々思い込む。
中学生の私は、
「周囲からの価値観の押しつけ」に、異常に反応し、
ソレ以外のところに目がいかなかったのだろう。
それ以後何度か見たけれど、
そういう映画として決めつけて見ていたから、
「思い込み」が働いてしまったんだろうな。


「クレイマー・クレイマー」も、
子どもを置いて出て行った母親が、
自分の都合で子どもを取り戻したいと
いうのはいかがなものか?
という映画だと思っていたが、
そんな善悪のストーリーでは全然なかった。
幼い頃の私は
「どっちが正義か」という価値観の
中にいたんだよなあ。

今見ると、
母親の苦しみも、すごくよく分かった。
彼女には彼女の背景があって、
子どもを残して家を出たときは、
そうせざるをえない結婚生活があった。
それまでのキャリアを捨てて、
夫が望む「妻」「母」を強いられることの
辛さ。

ただその辛さはすごく分かるけど、
もし、彼女にコミュニケーションの能力があって、
子どもを置いて出るという選択をするようになる前に、
少しずつ、夫の価値観も受け止めながら、
でも毅然と「私はこうしたい」という対話ができていれば、
どんなによかったかと思う。



本も映画もドラマも、
結局は自分の読みたいように読み、
見たいように見ている可能性がある。

主人公以外の人の事情や背景を描いているから、
少し広い視点でとらえられる本や映画でさえ、
私の場合、そうだったのだから、
自分の人生の中の出来事は、
結構な思い込みや考え過ぎや、決めつけがあるかもって、
分かっておきたいと思う。

私のように
そういう傾向が強かったから、
過去の出来事の検証を、
まあまあバランスがよくなってきた時点で、
やってみることをおすすめする。

もしかすると、すごく嫌な思い出の、
違う側面が見えてくるかも。
ただ、一人で検証するのも大変だから、
安心できる人と一緒だといいかも。







 
author : tanizawa-k
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「マリーゴールドホテルで会いましょう」「人生、ブラボー!」

【2013.08.20 Tuesday 17:43

「マリーゴールドホテルで会いましょう」
という映画の中で、
ホテルの支配人の男性が
「最後は大団円」
としょっちゅう口にする。
すべては丸く納まるというインドの諺として
紹介されているが、
私がコレを気に入ってしまったのは、
上手くいっていない時の、
この諺の使い方だ。

「最後は大団円のはずだから、
 今はまだ途中」

なんか、そう考えると、
よし、まだまだいけるか、大丈夫って気になる。

チームビルディングを学んだ時、
チームの成長の段階は4つと教わった。
形成期→混乱期→標準機→達成期。
上手くいかない状態は「混乱期」であるってことで、
それは、形成期から一歩進んだ証拠でもあるし、
また発達段階の途中でもあり、
その時だからやれること、
やった方がいいことがあることを
教えてもらった。

どんなに混乱していても、
まだ途中だし、
まだやることがあるって分かること、
これは、すごく素敵だと思う。



「人生、ブラボー!」は、
精子提供をした男性が、20年くらいたって、
彼の精子から533人の人が生まれていて、
そのうちの150人くらいから「父親に会いたい」と、
提訴されるという喜劇。

彼らが一致団結、協力して父親を探そうと
するところが、本当におもしろい。


弁護士から集団訴訟を起こした
一人一人のプロフィールをもらい、
ためらいながらも、
名乗らずに様子を見に行く主人公。

彼の精子は、
プロのサッカー選手になっていたり、
路上でギターを演奏していたり、
薬物依存から立ち直ろうとしていたり、
バーテンダーをバイトでやりながら、
役者をめざしていたり、
思い病を抱えていたりと、
いろいろな大人になっていた。

彼らの人生に名乗りはしないが関わることで、
それまでは自堕落で、なんとか楽してお金を
得ようと考えていた主人公が、
ちょっとずつ変わっていくところが素敵。

人間って、
自分のためだけだときかない踏ん張りが、
自分の大切な人たちのためだと、
なんだか、きかせてしまったりできるんだよなあ。

結局彼は、名乗ることを決める。
損得ではなしに、
そうした方が人として正しいという方を
選択できた後、
とってもすがすがしいし、
自信に満ちた表情だった。



お盆の休みに、
だらだらしながら見た映画。
両方ともおもしろかった。















author : tanizawa-k
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「天使の分け前」「ブルーノのしあわせガイド」

【2013.07.31 Wednesday 01:35
7月は2本映画を見ることができた。

1本は「天使の分け前」。イギリスの映画。
傷害事件を起こしたロビーは、なんとか収監は免れ、
社会奉仕300時間の刑を受ける。
彼には恋人がいて、子どもが生まれるが、
そのことを喜んでくれたのは、
社会奉仕の指導をするハリーだけだ。
ハリーは、とっておきのウイスキーをあけて
お祝いをしてくれる。
ロビーはその時始めてウイスキーを飲み、
それがきっかけでウイスキーに興味をもち、
図書館で本を借りて調べ始める。
ハリーは、そんなロビーの生きる道はこれかと思い、
醸造所に見学に連れていったりする。
そんな中、高価な幻のウイスキーの樽がみつかり、
それがオークションにかけられることを知り、
ロビーはその樽から4本分だけ盗んで、
新しい生活をするための資金にしょうと計画する。
計画は成功、残念ながら2本は割れてしまったが、
残りの一本を高価で売ることができ、
さらに醸造所での仕事もみつけ、恋人と子どもと
3人の生活を始められるようになるという映画。

社会の底辺から抜け出すのに、
盗みを働いたことをきっかけにするのが、
なんとなくひっかかるが、
それでも、ウイスキーなだけに、納得させられる部分がある。
ウイスキーは樽の中で長い年月の間に少し蒸発するという。
それを「天使の分け前」と呼ぶらしい。
ロビーのリスタートに、ちょっとだけ分け前が与えられた・・・
って考えようと思う。
ロビーは、カッとするとキレてしまい手を出してしまう傾向
があって、でも、ハリーという自分の味方を得たことと、
何としてでも守りたい家族ができたことで、
相当我慢強くなる。

そして、一本残した幻のワインを、
ハリーの家の居間のテーブルに、
感謝の言葉とともに置いておくロビー。



ハリーが、なんといっても素敵。
ハリーみたいに、信じてくれて、味方になってくれて、
守ってくれて、背中押してくれる人。
この映画は夫と見たが、
夫は、そういう人が欲しいというより、
そういう人になりたいって思ったようだった。
どちらかというと、私もそうだなあ。

これは私の想像なんだけど、
ハリーも、孤独でどうしようもない時が
あったに違いないと思う。
その時に、誰かが親身に味方になってくれた瞬間が
あったんだと思う。
そういう経験ってされた瞬間に、
そうされるとどんなに心強いか分かる。

私も何度かあるが、
一番最近は、今年の4月に、
昨年末からの困難とそれに伴い受けた批判の言葉を
仲間に話した時、
仲間が
「うちの大事な谷澤に何してくれる!」
と真剣に言ってくれたこと。
それがいつまでも温かく胸の中にあって、
種火みたいになってくれているんだ。

それ知ってしまうと、
そうすることが「人」を支えるってわかるから、
自分もできたらいいと、
なんか、思う。

その仲間のように、
ハリーのように。

ま、もう社会にお返ししていく
年齢ってこともあるしなあ。





もう1本は「ブルーノのしあわせガイド」。
イタリアの映画。

中年の男ブルーノは昔国語の教師をやっていたが、
離職し、今はゴーストライターと家庭教師で、
なんとか凌いでいる。
ある時、家庭教師をしている子の母親がたずねてきて、
家を長期間あけるので子どもをあずかってほしいと
頼まれる。しかも、驚くことに、その母親とは昔
関係があり、その子は自分の息子だった。
本当の父親だとは知らせずに、息子との2人暮らしを
始めるブルーノ。息子は成績は悪く、ふまじめだ。
ある時学校に呼び出され、このままだと卒業できないと
言い渡され、家で猛勉強をさせることにする。
しかしちっとも身を入れない息子。
厳しくするブルーノ。2人の関係はぎくしゃくし始める。
そんなある日、
ギャング風の男から盗みを働いた息子は追われる身となる。
ブルーノは彼を守ろうとするが、2人はみつかってしまい、
身を以てかばおうとしたブル−ノは殴られる。
しかし、そのギャング風の男は、なんとブルーノの昔の
教え子。他の教科は一切評価されなかったが、ブルーノ
だけは点を与えてくれたことから、その教科が好きになり、
今でも芸術に親しんでいることを告白する。
息子はブルーノを見直す。やるじゃん、オヤジ!なかんじ。
ちょうどいいタイミングで、めちゃくちゃ素敵な女性が
父親の寝室から出てきたりもする。
ブルーノを尊敬し始めた息子は、
以前とは勉強する態度がまったく変わる。

そういう映画。
これはもう、100%気持ちいい映画だった。

原題は「シャッラ」というローマの若者の言葉で、
「なんとかなるさ」とか「リラックス」とか
そういうような言葉らしい。
肩の力、ぬいていこうよ・・・な感じが
映画の隅々からしていて、とってもいい。

なんだけど、なんとかならないことも人生にはあって、
それは息子のピンチや落第という問題。
このピンチがあったからこそ、
2人は本当に近づくことができたんだけど、
実をいえば、ピンチが2人の関係を決定的に駄目にする
ことにもなりえた。
たとえば、ピンチの時にブルーノが息子を
本当に守ろうとしなければ、そうなったと思う。
落第を目の前にした息子をほおっておけば、
関係も悪くならならかったけど、
単なる共同生活者。

その2つの境目をブルーノは
「過去」の自分に助けられた。
熱心に教師として教えてきた日々があったからこそ、
息子の尊敬を得るこができたんだもん。
そこのところの展開が、
私としてはとっても好きなパタ−ンなんだなあ。

天使の分け前とはいえ「盗み」で解決するより、
自分の力(過去の力でも)で解決していく様子を
見たほうが、
やっぱ気持ちいいよなあ。

映画っていいなあ。
8月は
いっぱい
見れますように。


author : tanizawa-k
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誰のための介護?「愛、アムール」

【2013.05.23 Thursday 18:48
フランス映画「愛、アムール」を見た。

音楽家の夫婦。
妻の教え子のコンサートを楽しんだ翌朝、
妻は発症する。手術が失敗し、
左半身がいうことをきかなくなり、
車椅子の生活になる。
二度と入院はいやだと訴える妻の願いを聞き入れ、
夫は自宅での介護の生活に入る。

誇りを失わず、これまで通りのスタイルを貫く妻だけど、
失禁をしてしまった朝から、
妻の様子はどんどん悪化していく。

今、「悪化」と書きながら、
「悪化」なのか?と考えている。
加齢により、いろいろなことができなくなり、
時々はパニック、時々は訳のわからないことを
訴え続けるというのは、
「悪化」なのかどうか。

一人では何もできない赤ちゃんで生まれてきたヒトが、
いろいろできるようになり、
他者の世話ができたり、
他者に良い影響を与えるようになり、
それがだんだんと、
できなくなっていくことは、
「悪化」ではなくて、
「過程」ではないか。


私は映画を見ながら、ずっと義父と義母のことを
考えていた。

人一倍がんばりやだった義父は、
40代で起業した。
社員の方々やその家族の生活を守るため、
厳しい決断もあったし、
体力を超えた仕事をしてきた人だ。
その義父も86歳。
だんだんとできないことが増えてくる。

私は、
「できないことが増えてきた自分」
を受け入れ始めている義父を尊敬する。

多分、とっても歯がゆいと思う。
全部、自分でやってきた今までのことを
思うと、
時々は悔しさや情けなさみたいものも、
感じていると思う。
それでも、認め、受け入れ、今できることを
しようとしている義父。

発達心理学を調べると(私は全く詳しくないが)、
知能には流動性知能と結晶性知能とあり、
流動性は新しいことを学習したり、
作業の速度を要求される能力で、
子どもの頃をピークとして穏やかに衰えていく知能であり、
結晶性知能は、
これまで蓄積された経験と知識に結びつく能力で、
年老いて尚、伸び続ける可能性がある知能らしい。

この後者の方の知能を生涯発達させていくには、
日常生活の中で自分自身で選択する機会を
多く持つことなんだそうだ。


「愛、アムール」の妻は、
「自宅で過ごす」を始め、
「ご飯を途中でやめアルバムを見る」、
「今は水を飲みたくない」、
など、
ある程度選択を続ける。
それを夫は支える。


私も、義父の選択を応援したいと思う。
ただ、義母の介護の方法についても、
自分自身にどの程度支援を入れるかも、
ケアマネさんとの話し合いの席では、
「みんなのいいようにしてくれ」という感じがあり、
それが、すごくすごくせつない。


もちろん、
この映画の夫婦のように、
夫が看護士さんなどのケアを受けながらも
基本一人で奮闘していると、
それが妻の選択を守るためだとしても、
だんだんと孤独になり、
おいつめられていくと分かる。

それは分かっているけれど、
ケアプランの場で話し合われることが、
義父の選択を大切にするためというより、
家族の安心のためにような気がして、
私は落ち着かないんだ。

義父はヘルパーさんに入ってもらうことを、
以前から私と夫の前ではイヤがっていた。
「他人がいると、わずらわしい」と言っていた。
確かにヘルパーさんに昼間の服薬の世話などを
やってもらえたら、家族は安心だ。
でも、週に1〜2度昼食を取ることや
昼食後の薬を忘れることも含めて、
義父の人生のような気が、
私はしてる。
そういうことがあったとしても、
義父の選択する権利を守りたいって思うのは、
義父のカラダのことを考えていないってこと
なんだろうか?

クオリティ オブ ライフ って何?

あ〜難しい。


ケアマネさん始め、
会議に参加してくれた人全員が、
自分の方法や考え方で
義父のことを考えてる。

考え、迷いながら
やっていくしかないんだろうなあ。





映画を見ながら、
自分の家のことばかりを考えていたよ。















author : tanizawa-k
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「世界にひとつのプレイブック」

【2013.04.29 Monday 17:08
映画「世界にひとつのプレイブック」を観る。
評判通り。

精神科から退院してきたパットは、
元妻とよりを戻したくてたまらない。
元妻の浮気の現場で、相手を殴り倒してしまったパットは、
躁鬱を持っていたことで精神科に入院していたのだ。
今は、元妻や勤務場所には近づいては行けないという
罰を受けている。

そんな彼に友人の妹が近づいてくる。
彼女は夫を亡くした後、
勤務先の男性11人と関係を持ち、
それが原因で仕事を失っていた。
彼女自身も精神疾患をかかえている。

彼女はパットに興味を持ち、
元妻に固執しているパットに、
元妻との間に入るという条件で
出場したいと思ってたダンス大会のパートナー
に仕立て上げることができた。

2人はダンスの練習に没頭する。


この映画を見ていて、
ドラマセラピーの佐知先生に教えてもらったことを思い出す。
「アートセラピー、ミュージックセラピー、ドラマセラ
 ピー、ダンス・ムーブメントセラピー、表現アートセ
 ラピーなどの総称を
 クリエイティブ・アーツセラピーという。
 クリエイティブ・アーツセラピーでは、病理そのものに
 焦点を当てるとよりも、相手の中にある『健康になろ
 うとする力』を引き出すことを大切にしている」

精神疾患を抱えている2人は、
何かあると感情が爆発してしまい、
時間やところなどかまわずにキレてしまう。
そういう
疾患をもちながら、
2人でクリエイティブな作業に取り組む。
協力しあい、
からだを動かし、
感情を使い、
表現する。
練習を重ねるほど、
もっともっと上手に表現したいという思いが
強くなる。

もちろんパットはカウンセリグに通い、
薬を使いながら治療に努めているけれど、
このダンスに取り組むことが、
パットと彼女の、
健康になろうとする力を引き出していることは、
よく分かった。

多分、
からだも心もまんべんなく使うし、
自分も大切にし、
一緒に取り組む相手も尊重するし、
一人の人まるごと、
否応なく万遍なく使うのが、
いいのかなあ。


そんな中彼女はパットに言う。
「私は過去も含めて、自分が好き。
 あなたはそう言える?」と。

多分、そんな視点をパットはその時
初めてもったと思う。

他者と深く関わるということは、
そういうことが起こるんだなあ。
思ってもみない問いかけに、
たじろぎながらも、
自分を振り返るパット。


そして自分が、今愛しているのは、
元妻ではなくて、
目の前にいる彼女だって
だんだんと分かっていく。


私自身、
今精神疾患は持っていないけれど、
100%大満足な状態ではない。
特に年齢によるからだの変化の大きさに、
結構凹むことも多い。
そういう時に、
「だから、そういうことに
 慣れてから何かに取り組む」という考えより、
「今のこの状態で凹みながらも、何かをやる」
という考えが好き。

もちろん疾患の重大さによっては
しっかりと治したり癒したりすることが
優先的ってことはあると思う。

ただ、私自身は、
この2人みたいに、
「今の自分」で、今できることに取り組むってのが、
いいと思うんだ。





もう一本、
こちらはレンタルしてきた映画を見た。
フランス映画で「みんな一緒に暮らしたら」
という映画。
高齢のカップル二組と、高齢の男性一人の
5人の友だちたちが一緒に暮すストーリー。

私の友だちには、
うちを含め子どもがない夫婦も多いし、
シングルの友だちも多いから、
こんな暮らし方は、憧れだ。


映画の中では、
犬の散歩中にころんで救急車で運ばれ、
入院している友だちを見て、
こんなところに入れておけないと
連れ出したり、
心臓の発作で倒れた友人を子どもが
高齢者福祉施設に入所させたが、
見舞いに行った友人たちが、
やっぱりこんなところに友だちを
いさせられないと連れ出し、
そうやって一緒に住み出したのだ。

友だちとはいえ、
考え方も価値観も違う。
過去にはいろいろなことがあった。
持っている病気もそれぞれある。
認知症の症状も人によって違い、
できることの範囲も人によって違う。

でも、ルールなどは特別作らず、
少しずつ遠慮しながら、
少しずつ主張もしながら、
それでも、お互いを思いやって
一緒に生きていける家があるって、
とってもいいなあ。

つまりこの映画も、
問題解決型ではなくて、
問題と共にどう生きていくか、
問題をどう捕らえていくかを
大切にしている姿を表現している。


映画のラスト。
一組の方のカップルの妻が亡くなってしまう。
夫は認知症が進んでいる。
彼は妻の名前を呼び、妻を探している。
友人たちは、
そんな彼を笑いもせず、とがめたりも、
諭したりもせず、
彼女の名前を一緒に呼んで、一緒に探す。

そういうことが、
彼を安心させるし、
それがまた仲間たちの有り様を深めていくし、
映画を見てる者の心にも、
支え合うことの意味を知らせる。


両方とも、いい映画だったです。













author : tanizawa-k
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色彩を持たない・・・といっても映画です。

【2013.04.12 Friday 15:31
今日、運転中にTokyoFMのユーミン・コードを聴いた。
その中で、ユーミンが東京メトロの新しいキャンペーンに
曲を提供したと言っていた。そのキャンペーンのタイトルは
「Color your days 」。
東京メトロは9路線あって、9色に分かれてることにちなんでいるそう。
あなたの毎日を彩る東京メトロってことか。

Color、色。

本日村上春樹さんの
「色彩を持たない多崎つくると、
 彼の巡礼の年」が発売され、
行列を作って本を手に入れる方々のことを
ワイドショーで見た。
もちろん本は手に入れたが、
その前に
「カラー オブ ハート」という映画をレンタルして見たので、
その話。

昔の映画を見たのは、
尊敬する方から勧められたから。

いろいろ考える映画だった。

双子の高校生の兄妹デイビットとジェニファーは
ひょんなことからTVドラマ「プレザントビル」の中に
入ってしまう。
プレザントビルの街は、
何もかもが白黒で、毎日同じことが繰り返されている。
平穏で、何も摩擦がなく、人々は愉快そうに生きている。
双子の現実の世界では
父親と母親は離婚し、
母親は若い恋人と週末旅行に出ようとしているが、
父親が双子の世話を拒否していることでいらだっているし、
高校の授業では、
就職難や、地球温暖化など気がめいる話ばかりきかされるが、
プレザントビルには何の心配ごともない。
ある日、あまりの退屈さにジェニファーは、
バスケット部のキャプテンと「恋人達の湖畔」で
セックスしてしまう。
それを境に街が変わる。
負けなしだったバスケット部が負け、
真っ白だった本のページが物語で埋められ、
だんだんと「色」を持ち始めるのだ。
デイビットは、バイト先のハンバーガー屋さんの店長に
変化をもたらす。
彼は自分がしたことない、
たとえば店を一人っきりで店を閉店されることや、
一人でチーズバーガーを仕上げることに、
わくわくし始めるのだ。

人間もどんどん天然色で彩られる。
しかし、色づいていくのではない。
白黒で覆ったものがはがれて、
もともとの多種多様な色が表れたんだと
だんだんわかってくる。
そういう変化をもたらすのは、
どうやら、
今までの殻をやぶった時。(←と私には思えた)
殻を破るには、その前に強い感情が湧く。
多分、その時白黒がはがれ落ちる。(←と私には思えた)
街の若者たちは性的な体験をすることで色を持つが、
ジェニファーにとって性的な体験は従来通り。
しかし、今まで興味を示さなかった本を読むようになり、
もっともっと学びたいと思った時に色を持ち、
デイビットは恋人を守るために思わず男たちを攻撃した時に
色を持つ。

守旧派の人たちは、おもしろくない。
ついには条例を作る。
音楽に制限をかけ、使っていい色は白と黒とグレイ。
しかし、それを守らなかったデイビットと店長は
裁判にかけられる。

裁判でデイビットは言う。

「色を得ていくことは、とめられない。
 それは本人の意志ではとめられないんだ。
 心の奥から溢れ出る思いは
 誰にもとめられないんだ」
裁判官である町長は
「私にそんなものはない」と言う。
平静に冷静に対応しようとする彼に
デイビットはけしかける。
「本当はどうしたいの?
 このまま僕をほっておくと、
 若者たちは通りでいちゃつくし、
 家に返っても夕飯の準備はしてないし、
 そのうち女の人が外に働きにいって、
 男がお皿を洗うようになるよ」
すると、町長は
「そんなふうにはならない(怒)」と
顔を真っ赤にして怒る。
白黒だった彼が真っ赤になって怒るんだ。
彼も、感情を爆発させることで、
白黒がはがれるのだ。

感情を得ることで、
幸せとばかりにはいかなくなる。
裁判でさえ陽気にやろうとしていた守旧派の人たちは、
今までのことをそのままやっていることで昨日と同じ日常を
守れることを望んでいた。
変化しなければ、
未来に対する心配も、
ものすごい怒りも、
一人になってしまうかもしれない不安も、
あせりや悔しさや苦しさ、しんどさはない。
それでも、抑圧されていたものが一度はがれ落ちると、
もう元には戻れない。
昨日と違う何かを学ぶ喜びや、
愛する人と一緒にいる安心や、
物語や絵画から想像する楽しみや、
音楽にあわせてリズムをとる高揚感、
そういうものを知らなかった時には
戻れないのだ。

この映画の中の、
白黒の世界と色とりどりの世界の一番の違いは、
個人が個人として生きられるかどうかだと思う。

こうあるべきや、
こうあってはならないではなく、
個人が自分の今や明日を自分で選択していくこと。

個人が個人として大切にされる世界は、
誰かから大切にされる前に、
自分で自分のことが大切にできる世界だと思う。

そして感情というものはとっても個人的なものだから、
自分で自分のことを大切に扱う時の核になるものだと思う。

だからこの映画では、
感情を得た時に、
抑圧がはがれ落ちたのではないか。
私はそんなふうに感じた。


さて、明日はバスでの移動がある。
その間
「色彩を持たない多崎つくると、
 彼の巡礼の年」を読むぞ。



そして、尊敬する先輩と
この映画について語りあえる日が待ち遠しいな。














author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor