日常 | 今のところではありますが…
救い

【2017.10.23 Monday 10:02

日産の無資格検査の件が、

表に出てからも継続していたケースは、

複雑な背景があったと思うが、

その一つには

コミュニケーションの問題もあったようだ。

 

現場の声と管理職の認識のズレは、

コミュニケーションの量が

圧倒的に足りてないことを

示しているように思う。

 

 

 

瞬時に伝えることができるデジタルツールを

誰もが持っているのに、

大切なことが伝わらないのはなぜなんだろうか?

 

 

 

「Aという方法でやってください」

という指示が与えられてとしても、

Aという方法が、

現場にとっては無駄のように感じられたり、

現場ではより効率的な方法で行われていて、

それに慣れていて、

それが長年の当たり前であったり。

しかも、指示をした方が、

現場の人より若かったり、

経験が浅かったりしたら・・・

なんてこと考えると、

現場としては、

「上はあ〜は言ってるけど、

 まあ、いいんじゃない」

なんてこともあるかもしれないなあ。

 

その時に、

「その方法では、効率悪すぎます」とか

「今までこれでやってきて何も問題がないのに、

 なぜそうするんですか?」

など、

現場の中に湧いた声を

管理職に伝えることができたら、

何らかの手は打てたかもしれないな。

 

 

逆に、

現場の雰囲気を考えると、

とても改善点を伝えられないと

いう管理職もいるかもしれない。

 

強権的と思われたくない、

これまでの(表面上は)いい感じの関係を

壊したくない、

気持ち良く働いてもらいたい、

面倒な管理職と思われたくない・・・

いろいろな考え、感情を背景に、

「とりあえず言わないで様子みてみよう」という判断。

 

 

あるいは、

伝え方の問題もあったかも。

「自分はこのままでいいと思ってるんだけど、

 上が言えってことなんで、

 一応言っときますけど、

 これからはできたらAって方法で

 よろしくお願いします」的な。

 

そうした方がいいのか、

そうしなくてもいいのか、

よくわからない伝え方。

 

 

 

とはいえ、

言わなかった現場が悪いとか、

拾い上げられなかった管理職が悪いとか、

言える雰囲気作ってない現場が悪いとか、

適切に指導できない管理職が悪いとか、

何か一つに責任があるというほど、

単純ではないと思う。

 

そして、こういうことは、

いろいろな場で起きていることなんだろうな。

 

 

 

 

 

私自身も、

私自身の望みとは関係なく、

強い立場になってしまっている時と

弱い立場の時がある。

 

 

例えば雇用されている時や、

経験が浅い場の時があり、

そんな時には、

「反論したら、やっかいな人と思われるかも」とか、

「違う意見があったとしても、

 もう少し慣れてから」とか、

そんな考えが頭の中に浮かぶこともある。

発言するのに勇気がいる場合も多い。

 

立場や役割に違いがあったとしても

人としては対等だと理解していても、

評価される怖さや、

いい人でいたいという自分に課してるものがじゃまして、

「声に出すには勇気がいること」は多いものだ。

 

 

それに反して、

例えばこちらが依頼してる時や、

その場に集まった仲間の中では

一番キャリアが長いなんて時。

あるいは、

専門性を持って活動してる場

(カウンセラーとして、講師として)

というような場でも、

意に反してだし、それはまずいことなんだけど、

強い立場になってしまうことがある。

年齢も57歳となってくると、

そういうことも多くなったりする。

 

またそういう役割を担っている上で、

相手にとっては耳の痛いこと、

厳しい改善点や建設的な批判、

「次にはこうして欲しい」など

言わなくてはならないこともある。

 

 

これがキツイし、試される。

 

 

そういう時に、

問われるのは、

相手から

別の意見を言ってもらえるかどうか?

質問してもらえるかどうか?

なんだろうなあ。

 

これが難しいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

本当に難しいものだけど、

私の場合は、

2つの点で助かっている。

 

一つは

アサーティブ・ロゴセラピー・建設的な生き方など、

戻るところがあることだ。

感情の整理の仕方、

目標の立て方、

コミュニケーションの方法など、

帰る理論やスキルがあることが、

本当に本当に救い。

 

難しい場面には、

素手で太刀打ちできないもの。

 

 

それともう一つ、

私自身の「自信のなさ」が、

救い。

私は時々思い込むし、時々失敗する。

相手を誤解してることもあるし、

間違うこともある。

これって、情けないことなんだけど、

でも、

自分を過信してないことは、

私のコミュニケーション力の

大切な救いだと思う。

 

自分が間違っているかも・・・

自分の何かが足りてないかも・・・

あの素晴らしい人が、こういう言動をするのは、

深い背景があるのかも・・・

自分を過信してないことが、

時々、私をそこに立たせてくれるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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また始まる。

【2017.09.23 Saturday 06:06

5年ぶりに友人に会った。
彼女は昨年まで学校の先生をされていた。
確か7年前くらいか?

私がスクールカウンセラーとして活動する中学校に

彼女が赴任。

 

(なお、彼女の同意の上のアップです)


ある時、ある保護者との面談を終えて、
学年主任の彼女に報告、
「お父さんが相談にきてくださって、

 とっても熱心に相談していってくださった。

 教頭先生(男性)に入ってもらって、
 男性同士で話し合ってもらってもいいかもね」
 と言うと、
彼女は
「谷澤さん、大切な時には男性って思うんだ」
と言った。

自分の説明不足を恥じながら、
ジェンダーの問題にはとりわけ敏感な私は、

同時に、そこにひっかかってくれたことがうれしかった。
「『大切な場面は女性より男性』という意味で

 言ったのではないよ。

 でもそう受け取られるような話し方をした

 私がいけなかった。

 父親同士という立場で話しをしてもらうってのも、

 問題解決の助けになりそうという意味だよ」

というと、

「そうかあ」といってくれた。

そういう指摘をちゃんとしてくれた

彼女の姿勢が素敵で、

そういう幾つかのことから、

出会ってすぐに友達になったと思う。


そんな中、

「ソーシャルスキルを学年を通してトレーニングしたい」

という話になり、

一緒に企画し、

聴き方、

アサーティブな話し方、

ストレスマネージメント

と学年全体で、

あるいはクラスに入ってと、

年に3回授業を担当させてもらったこともある。

すごくいい経験だった。

 

発達障がいをを持つある男子生徒と

定期的に面談とSSTの時間を設けてくれて、

1年後には衝動的な行動がだいぶ少なくなり〜

なんてこともあった。
 
プライベートでも

一度ランチをし、

一度はイタリアンをいただきながら

ワインをいっぱい飲んだこともある。
 
もってるもの、

たとえば文房具だったり、

車だったりの趣味が似ていて、

選ぶ服や

考え方や価値観もかなりに近かったと思う。
 
彼女と、

ある時を境に連絡しあわなくなってしまった。

私はそのことがずっと心にひっかかっていた。

 
その彼女から「カフェレストランを開いた」

と連絡があったのが7月終わり。
「将来カフェをやりたい」と話してくれていた、

その夢をかなえたんだ!と嬉しくなった。
 


その彼女の店に、今日やっと伺うことができた。

コクのあるビーフストロガノフと、

まろやかな人参とくだもののラペをいただきながら、
近況を聞きあった後で、私は思い切っていった。
 
実はずっと謝りたかった。
あなたが子どもさんの怪我のことで、

私にメールをしてきてくれた時、
私は、あなたがどんなに子どもさんを愛していて、

大切に思っていて、

その子の怪我だから、

それも大きな怪我だったから、

どんなに不安で心配でたまらなかったかわかっていたのに、

多分、その時私自身も何かで忙しかったのか、
不安をちゃんと受け止めずに、

「しっかりしようよ」的なメールを返したと思う。
私は後で、

なんてひどいことをしたのかと心苦しくて、

謝りたかったけど、

なんとなくメールしないでいるうちに、

こんなに時間が経ってしまった。
 
すると、彼女は、

「そんなことあった?」と言ってくれ、
「私がメールをしなかったのは、
 何かでメールをした時に、

『今日は返事ができないけど、

 明日ならできるけど、それでいい?』

 という返事が返ってきて、

『これ以上谷澤さんに甘えたらダメだ』って思って、
『もう大丈夫だからいいよ』という返事をして、

 それから連絡しなくなってた・・・と思ってたよ。

 忙しい谷澤さんに迷惑かけたらダメだと思って」

 

え〜そうだったんだ・・・

お互い、びっくりした。

 

私たちの記憶をまとめてみると、

多分、私が彼女に

『今日は返事ができないけど、

 明日ならできるけど、それでいい?』

とメールしたのが、

お子さんの怪我の時だったのかもしれないな。

だとしたら、その方がもっとひどいな、谷澤。

それで、

『もう大丈夫だからいいよ』

という返事を彼女からもらって、

そのあと、

 「しっかりしようよ」的なメールを返したのかもしれない。


 

お互い、思い合っていたんだ。
合わない間、メールしない間、

お互い、心のどこかで思い合っていたんだな。

なんか、ありがたいなあと思った。

 

 

 
彼女の開いた店は、本当に居心地がよく、

結局2時間半も長居してしまった。
 


私はその後、定時制の高校で授業をした。
6月にも呼ばれて授業をしたが、

その時は、生徒さんたちの心に残る授業ができなかったと思う。

ずっと喋っている3人の生徒がいて、

私は「私の授業が面白くないから喋ってるんだ」

と落ち込みながら、

よし!と気合を入れれば入れるほどの空回り・・・

という情けない授業だった。
 
で、今回だ!


成功した・・・と思う。


みんなよく聞いてくれていたし、

(例の子たちも聞いてくれていた)

少しは爪痕残せたのでは?と手応えがあった。

もちろん準備も入念にしたが、
何よりも、

あの店で、

彼女と話し、

彼女が作ったお料理をいただき、

入れてくれたコーヒーを飲んで、

そして長年の胸のつかえが取れて、

体中が柔らかいもので

包まれていることが大きいと思った。
 
私は定時制で学ぶ子どもたちに、

生きてるっていいよ!って叫びたいような気持ちだった。

心がすれ違うこと、

誤解しちゃうこともある。

うまくいかないことや

間違ってしまうこともある。

それが人間ってものだよ。
でもね、

でも人はまた分かり合うこともできるよ。

間違いを認めるチャンスをつかまえることもできるんだ。

やり直せることもある。

また始めることもできる。

生きてると、そういう日もあるんだ。

生きてるって、悪いことばっかじゃない。

それには、とにかく、今を生きて、

それを繋いでいくことなんだよ。
 
そういう私の想いみたいなものが、

なんとなく伝わったのかもしれないな。

なんてたって、

そういう実感の中ににいたもの。
 
あの中学で、彼女と出会えてよかった。 

 

その友人が、いてくれてよかった。

 

なんと私たちは、同じ車種に乗っていた。

ふふふっ。

 

 


 
カフェレストランのオープン、本当に嬉しい。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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ヒューマノイドの保育士さん

【2017.07.18 Tuesday 09:23

 

先日、

夫と

「将来、ヒューマノイドに 

 保育士さんとか、

 幼児教育者は務まるか」

という話を

ちょっとだけした。

 

私は

「幼児期はやらせたくない派」。

 

でもその理由は、

自分でもモヤモヤしていて、

その時は上手く

言葉にまとめることは

できなかった。

 

で、

「寝る」とか

「漬け込む」ってすごいな!

って思うんだけど、

今になって、

「ヒューマノイドは

 効率的だからだ」

とまとまった。

 

 

幼児期に

「先生」は

身近な大人として、

人間ってものを感じさせてくれる存在だ。

 

その存在は

人間らしく、

不完全であってほしいと思う。

非合理で、

非効率で、

時々愚かな、

つまり人間であってほしいと思う。

 

 

人間は

感情を持ち、

時々はそれに巻き込まれ、

いやいやそれではダメだと自分を律したりする。

 

先生であっても

月曜はなんとなく気だるく、

でもそれに自分で気づいて背筋を伸ばしたりする、

そういう存在。

 

こちらが正解とわかっていても、

不正解の方の背景を思いやって

葛藤したりする。

 

言い間違いがあって謝ったり、

時間ギリギリで飛び込んできた髪の毛がはねてたり、

プライベートでのイライラを持ち込みそうになって

深く反省し、すご〜く頑張ったり、

 

自分を棚に上げて注意して、

子どもから「先生もやってるじゃ〜ん」なんて

指摘され苦笑いしたりする。

 

しかった後凹んでる子に、

活躍する場面を作ってあげたりすることもあるけど、

時々は落ち込むことに浸る時間も必要だとも

知っている。

 

今日のやるべきことはあったとしても、

ムダ話してるうちにそれが楽しくなってしまったり、

ゴールに向かって計画的に進めていくんだけど、

結局最後になって準備が追いついてなくって、

「さ、みんなでめちゃ協力するよ〜」

なんてことになったもある。

 

 

不完全であるってことも含めて

それが

人間として完全なんだと思う。

 

 

 

保育士さんや幼稚園教諭として、

見守らなくてはならないことや、

教えなければならないことを、

効率よくサービスするという、

以外のところで、

人の子どもは「人間」ってものを

自分自身に

染み込ませていくのではないだろうか?

こういうものなんだって。

それでいいって。

 

言葉での理解ではなく、

一緒にいることで、

こういうのが人間って

ものなんだって

わかっていく。

 

 

 

 

もちろん、

ヒューマノイドだったら

罵倒も暴力も

上から圧力かけて子どもをコントロールする

ってことも

(組み込まなければ)ありえない。

保育園や幼稚園、

小学校1〜2年の頃、

先生から受けた攻撃的な言葉や態度や

不当な批判が心の傷になってしまう場合もあるから、

「安全である」ってのはすごいこと。

 

だからこそ、

対子ども支援や教育をされてる方は、

努力やトレーニングをする必要が

あることは確かだ。

 

 

ただ、

そういう、

自分の不完全さや危うさを知っていて、

それでも改善に向かって努力を続ける人が

(でも時々怠けたりもする人が)

幼児期の子どものそばにいてほしいって

考える。

 

 

 

 

 

やらなくてはならないことが山積みな時、

ヒューマノイドは、

優先順位を判断し、

それに基づいて的確に仕事を仕上げていくと思う。

 

あ〜、

そして人間らしい私。

いろいろ後回しにしてる私。

ものすごく

言い訳じみたことを書いてる私。

でも、さすがに取り組むぞ〜〜〜〜〜!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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気分に引っ張られない

【2017.07.10 Monday 08:14

あ〜

なんか

うまくいかないなあ・・・

 

なんてこと、ある。

 

うまくいかないことが重なって、

気分もせいせいしない

なんてこと。

 

なんだけど、

とりあえず、

コーヒーいれて、

レポートの続きを書こう!っと。

 

 

 

・・・というように、

今日の、

今の気分がどうであっても、

気分のまま行動するのではなく、

今、やる必要があることをやれる

といい。

 

 

これは

CL「建設的な生き方」という考え方に

出会った時から私自身が意識していることだ。

意識はしているけど、

するべきことやした方がいいことを

選択しないことも、

もちろんある。

 

ただ選択することの方が

圧倒的に多くなって、

そうなって

本当に良かったと思うのは、

自分へのダメ出しが減ったことだと思う。

 

 

気分に引きずられて何もしないでいると、

気分が良くないだけでなく、

その上に「何もしてない自分」に

一層辛くなる。

 

 

だから、

4の5の言わずに、行動すればいいじゃん!

と思うが、

腰をあげるのが大変な時もあるのが

人間だ。

 

 

そういう時のために、

いろいろな人がいろいろな方法を編み出してる。

 

大きく分けると二つになると思う。

ゝな転換

⊇侏荵に対する

 視点を変えてみる

 

 

 ΑΑ

私の場合は、カル関係で

気分転換できることが多い。

カルはしつこいことを嫌うが、

なぜか私が凹んでいることは

わかるのか、

そんな時は抱っこされてくれたりもする。

 

無脂肪牛乳をいっぱい入れた

カフェオレを飲むこともする、

 

 

平井堅の♩ノンフィクション♩

玉置浩二♩Mr.lonely♩

ユニコーン♩エコー♩

で落ち着く。

 

顔を洗う。

 

大きく深呼吸。

 

着替える。

 

などが、最近の

私の「気分手当て法」だ。

 

 

 

 

今日主に書きたいのは

◆ΑΑ

視点を変える方法だ。

 

これもいろいろな方法があると思うが、

最近読んだ本では以下の方法が書かれていた。

 

 

「『かわいそうな私』エンジンに火がついて

 妄想が止まらなくなっている状態」

になったら

「一時停止ボタンを押そう。

 何の反応もせず、

 3日間ほおっておく。

 または3時間でもいい。

 3日間過ぎたら、好きなだけ

 『かわいそうな私』に

 なってかまわない。

 泣き叫んでもいいし、

 最悪の事態を妄想するのも

 いいだろう。

 それまでは、

 与えられた72時間を使って、

 その事態のいい面を5つ考える」

(「『感謝』で思考は現実になる」より)

 

 

「かわいそうな私」になってはいけない

のではなく、なってもいいけど、

直後はそうしないってのが、

なんか、いい。

 

直後は危険だもの。

 

「かわいそうな私」色のサングラスかけたら、

すべてがそう見えちゃうもの。

 

一旦、

(とにかく3時間は、

 それでもおさまらないなら3日間)

はそのサングラスは外して、

 

その出来事を

「ラッキーな私」色のサングラスを

かけて見るってことだ。

 

最悪の出来事でも

考えようによっては

良いことと考える事もできるのが人間だ。

 

このことをやっている人は

多いと思う。

 

例えば、

◆就職試験でA社から断られた・・・

ショック

「かわいそうな私」サングラスでは、

(もう、絶対に仕事なんか見つからないかも)

「ラッキーな私」サングラスでは、

(もっと他にきっと私の良さを

 認めてくれる仕事があるから

 こその今回だ!)

 

◆上司にみんなの前で批判をされた・・・

悔しい

「かわいそうな私」サングラスでは、

(これだけ恥をかかされた。

 皆はこれから私をできない人と

 扱うに決まってる)

「ラッキーな私」サングラスでは、

(これでもう、しっかり者の私イメージ

 から抜けだせた。のびのびやるぞ)

 

◆子どもがまったく言うこときかない・・・

がっかり

「かわいそうな私」サングラスでは、

(この子に一生振り回されて

 そんな私の苦労は誰も気がついて

 くれない)

「ラッキーな私」サングラスでは、

(この子が本音を出せたり、

 ありのままでいたりできる

 環境を作れてるなんて、

 ありがたい)

 

的な感じだろうか。

 

 

他にも、

最近藤井四段関係で知った

「ひふみんアイ」ってのは

応用できそうだ。

 

これは最近引退された棋士

加藤一二三九段の使う方法。

難しい局面で、行き詰まった時に、

席を立ち、相手側に回って

相手側の目線で将棋盤を見るのだそうだ。

 

「不思議なことに、同じ局面のはずなのに

 先手側から見た時と

 後手側から見た時では、

 局面の雰囲気や形勢が違って見えます。

 これで、より正確に局面の良し悪しや

 攻めるべきか守るべきかなどを

 判断することができ、

 読みも正確になるという効果

「将棋ワンストップニュース」より)

 

 

 

◆約束を破られた・・・悲しい

「ひふみんアイ」で視線を変えると、

 最近、その方は家族のことで

 めちゃくちゃ忙しそうだったから、

 やむにやまれぬ事情が

 あったのかもしれない。

 

 

◆後輩がちょっとしたミスを繰り返す

・・・カチンとくる

「ひふみんアイ」で視線を変えると、

 まだまだ不慣れな中で、

 自分なりに頑張ろうとしているけど、

 細部まで注意深くする余裕は

 ないんだろう。

 

 

 

的な感じ。

 

 

 

以上の方法は

ネガティブな気分の元の出来事そのもの

に対する視点を変える方法だ。

 

 

それ以外にも、

「あるもの探し」(谷澤命名)という方法がある。

出来事そのものから視点をはずし、

気分が凹むその出来事以外では

できていること、

支えてもらっていること、

持ってるもの、

やてきたことなどを数える方法だ。

 

・仕事がある

・待っててくれてる方がいる

・おふろ掃除をしてくれる家人

・スマホで、必要な情報を

 得ることができた

・散歩の最中

 いい具合に枯れ始めた

 紫陽花を見つけた

・新しい仕事に不安な時に

 相談に乗ってくれる先輩

・ツバメが旅立った後、

 今シーズン2代目のツバメが

 現在抱卵中

・一緒に話し合える仲間の存在

・セールで何買おうと、

 ネットでいろいろ見る時間

・・・などなど。

 

 

ただ、

「『感謝』で思考は現実になる」には、

もっと強力な方法が書かれていた。

 

「やらずにすんで感謝してること」

まで含めることを薦めているのだ。

 

やらずにすんでいることって考えると、

 

・今日も通勤の行き帰りに事故に 

 巻き込まれず、事故処理の時間を

 使わなくてすんだ

・車を使うので、

 目的地までの路線を調べたり、

 時刻表に合わせた行動をしない

 ですんだ

・カルがまったくトイレの失敗を

 しなくなってくれたおかげで

 始末をしなくてすんでいる

・家族のみんながとりあえず元気で

 いてくれているので、

 その面の心配はしないですんでる

・今日は家人が飲み会なので、

 残り物ですます。ご飯を作ったり 

 後かたづけをやらずにすんだ

 

やらずにすんでることは

見逃しがちだけど、

でも、

考えてみると当たり前じゃないよな。

 

この本の中には

「『何かが足りない』と思い込むと、

 すでに持っているものへの感謝の心が

 なくなってしまう」

とあるし、

「何もかもがうまくいかないときは、

 うまくいかないことを嘆くのではなく

 うまくいってることを見つけて、

 そこから前に進んでいく」

とある。

 

同感だ。

 

視点の変え方は、

まだまだ工夫ができそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

上記の対症療法も続けることで

気分に左右されなくなる可能性は

大いにあるが、

 

時々、

自分がいやな気分に落ち入りがち出来事を

カテゴライズしておくといいんだろうな。

 

そして、

解決に向かって動き出せると

とってもいいな。

 

カテゴラズのひとつに、

「断れない」「頼めない」「訊けない」

「相手に対して言いたいことをためた上、

 爆発してしまう」

「批判に弱い」

など、

コミュニケーション上のことがあったら、

ストレス要因を減らすためにも

コミュニケーションの技術を

身につけておくと良いと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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STOP! かけられるかどうか?

【2017.07.06 Thursday 11:08

感情を自己管理できるかどうかにかかっているのは、

最初の何秒かだと思う。

 

何か起こった時に、

衝動的に暴言が出てしまうか、

止めることができるか、

一瞬のことなんだよなあ。

 

その一瞬を捕まえることができずに、

思わぬ事態を招いてしまうのは、

子どもも大人も同じで、

大人の事例としては、

自分への批判に対して

「こんな人たち」呼ばわりしてしまうとか、

秘書さんに暴言暴力とか、

近々の事例を考えても

インパクトありすぎで

悲しくなる。

 

 

 

糸井重里著「抱きしめられたい。」の中に

 

「感情を起点にして

 なにか言ったりやったりしたところで、

 せいぜいが『溜飲が下がった』『すっきりしたぜ』

 『吠え面かかせてやった』『ああいい気持ちだ』といった

 かなりむなしい結果にしかなりません。

 『感情的になったら、まず止まれ』

 ではないでしょうか」

 

とあった。

 

その通りだと思う。

そして、その通りだと、

きっと誰もが思っているけど、

どう止めらたいいのか

知らない人も多いと思う。

 

 

事態を良くするも悪くするも、

ほんの何秒か。

 

ほんの何秒ってことは、

「反射的」ってことだ。

 

この反射的な振る舞いを

悪いものにしないために

日常で学んだりトレーニングしとくことは

めちゃ大切だ。

 

 

 

 

私がお勧めしたい

日常の中でのトレーニング法は、

「気づく」練習。

 

何に「気づく」練習をするのかというと、

「感情」に「気づく」練習だ。

 

 

私の場合だったら、

 

カルが食欲ない・・・心配

 

やらないとならないことを

  やってない・・・焦り

 

講演の最中、つまらなそうな

表情の方を見つけた

    ・・・悔しい

 

買ったばかりのTシャツに

コーヒーのシミついた

    ・・・悲しい

 

朝、足の調子が悪いような

 気がして走らなかった

    ・・・情けない

 

みたいなこと。

 

 

 

こういう、

自分が感じたものを

ちゃんと受け止める練習。

 

受け止めるとは、

自分の中に湧いている

モヤモヤしたものの正体に

頭の中で感情名をつけること。

 

 

 

これをする意味は

少なくとも

二つあると思う。

 

 

一つは、

「感情的になったら、まず止まれ」

の「まず止まれ」の前に

やっとかないとならないことは、

「感情的になっ」てる自分に

気づけること。

その練習になるという意味。

 

 

忙しい毎日の中で、

自分の悔しさや寂しさや不安などを

ちゃんと言葉で掴んでおくことなど、

後回しにしている人って多いと思う。

 

そうして溜まっていく思い。

 

溜まっていくだけではなく、

気づけなくなっていく可能性がある。

 

気づけないと、

「まず止まれ」ができない。

 

つまり、

ささやかな出来後からの

小さな感情だったとしても、

ちゃんと気づく練習しとこ!ってこと。

 

 

 

もう一つは、

怒りは二次感情。

最初に湧いた別の感情を押し込め続けることで、

怒りの感情が湧きやすくなってしまうので、

それを阻止しようという意味。

 

 

大人って、

不安とか、情けないとか、悲しいとか、

そういう感情を持つことを、

「弱い」とか「ダメ」って思ってる場合が多い。

 

 そうして頑張って生きてること、

 ほんと多いと思う。

 

そう思い込んでいると、

そういう感情が湧いた時に、

無意識に心の中に押し込めて、

本当は感じているのに

なかったことにすることもある。

 

でも溜まっていく。

 

どうにもならなくなると、

心の中がパンパンだから、

「強い」感情「怒り」に

すり替えて表したりするものなんだ。

 

 

 

 

 

 

「感情を起点」に行動すると、

まずいことになることが多い。

感情をないがしろにしたら、

もっとまずいことになることもある。

 

感情を適切に取り扱うこと。

そのスタートは、

気づくこと。

 

 

*アサーティブ・トレーニングでは、

 応用編で怒りの取り扱いを学べます。

 

 

 

 

 

・・・と隣を見ると、

カルがスヤスヤ寝ている。

なんか、やすらぐなあ。

 

そうだよ、バランスが大切だよ。

 

心地よい方の感情も、

ちゃんと言語化しておきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ふんぎり

【2017.06.24 Saturday 21:14

 

昨日公園で、

犬好きの小5の女子2人に再会した。

2人はいつも一緒にいるけど、

会話を聞いている限り、

めちゃ仲良しってわけではなさそうだ。

 

「○ちゃんは走るの、遅いよね」

「でも◇ちゃんは泳げないじゃん」

 

名前の漢字を質問すると、

わざとブラックな例で

私に教えてくれる。

一緒にいるその子を

ちょっとだけおとしめる的な

かわいらしいディスり。
 

よく小学生にあることで、

「家では一緒に遊ぶけど、

 学校に行くと距離をとっている問題」

やその反対がある。

 

彼女たちも、

もしかすると、それかも。

 

もしかすると、

お互いすごく好きなわけではないけど、

家の周りではお互いしか

同じくらいの年齢の女子が

いないので

一緒にいるのかもしれないな。

 

 

こりゃ、遊んでても

すっきりしないだろうな・・・

と考えながらも

ま、

こりゃこれで、

人生のトレーニングだよな

と思う。

 

 

私の幼い頃、

近所のお姉さんを取り合って、

周りの女子と競ったことは、

あれがあったからこそ、

そういうことのバカバカしさへの理解と、

ギスギスした関係の中に自分を置くことの

しんどさの経験ができ、

その後に足跡残してたと思う。

そして、そういう居心地の悪さの中にも

楽しいことや、

素敵なことや、

興味深いこともあることを、

身をもって体験したんだと思う。

 

だからあの2人は

あの2人にしかわからない

微妙なつながりの中で

大切なことをいろいろ学んでいるんだな。

 

 

 

 

先日は当番で、

朝6時から8時まで、

自治会の資源ごみ回収の見守りをした。

 

ビンは色別、

かんはアルミ缶とスチール缶とスプレー缶を分別し、

ペットボトルは洗って裸にして潰したものを

出してもらう。

ルールが守られ、スムースに回収できるよう、

当番は見守る。

 

当番で立っていると、

時々子どもが一人で出しに来たり、

親と一緒に出しにきたりした。

 

私は、

「おはよう。

 朝からお手伝い、すごいね」

などと挨拶するのだが、

その中で、

一人で出しにきた、

たぶん小学校5年か6年の男子の行為に

頭が下がった。

 

ビンや缶を、

そ〜っと、

回収の網や箱に入れるのだ。

なるべく音を立てないように、

そ〜っと丁寧に置く、

 

うちの自治会の回収場所は

集合住宅の広い駐車場の一角をお借りしてる。

 

朝6時から

缶を袋から思いっきり回収網に入れたりすると

結構な音がする。

がしゃん、カンカン・・・

と響く。

その集合住宅の方々にとっては、

うるさいんじゃないかな?

 

それを、その男の子は、

もってきた袋の中のアルミ缶を

一気にはあけず、

なるべく音がしないようにという

気遣い。

 

「優しいね」

と声をかけると

はにかむように笑い、

ビン類も、本当に丁寧に扱っていた。

 

 

 

 

先に書いた

面倒そうな人間関係の中で、

遊ぶ時でさえ

単純に楽しさだけではないところで、

心を成長させていく子ども。

 

後に書いた、

他者のことを思いやる行動を、

教わったのか、

自分で考えたのか、

とにかくできちゃう、

心を豊かにさせてる子ども。

 

 

そしてこの週末は、

中学生は中体連で

いろいろな体験をしてるんだろうな。

報われたり、

悔しかっり、

してるんだろうな。

 

 

 

 

私は時々、

講師として学校で子どもたちに何かを話す。

そして悩みを抱えている子どもの話も聞く。

それは一生懸命にやっているんだけど、

でも、何だか、今日は、

こんな感じで育っていく子どもに対して、

何かできるなんて思ってしまったら

思い上がりのような気がしてしょうがない。

 

ただただ、

頑張ってることに対して、

パチパチって拍手して、

失敗してそうな時は、

残念だったね、応援してるよ・・

そういうふうで

いいんじゃないかと思う。

 

育もうとか、

成長を促そうとかじゃなくって

自然に育っていく子どもの心を

心配しながら、ニコニコしながら

見てる感じがいいように思う。

 

 

 

 

同じく昨日の

カルの散歩の帰り、

前述とは違う公園で、

おばあさんが孫を見守っていた。

遊具の階段を登ると、

ブルーの滑り台と赤の滑り台を選べる。

ブルーの滑り台ばかり選ぶ孫に、

「赤の方もおりてみれば!」

とおばあさんが言った。

「いや」と彼はこたえる。

指図されたくないんだな。

今日はブルーがいいんだな。

私はくすって笑えてくる。

 

カルを見ておばあさんが

「ワンちゃんが見てるよ。

 挨拶して」

という。

彼は

「いや」

という。

そのうちおばあさんはスマホで

電話をし始めた。

私とカルは公園の水道でお水をもらったあと、

帰ろうとすると、

彼が

カルに向かって手を振っていた。

おばあさんは電話で話してる。

 

おばあさんが

あれこれ言いたくなる気持ちがわかる。

大人って、

いじらしいと思う。

 

でも、

ただただ

見守っていれば

大丈夫なんだよなあ。

 

 

 

子どもに何かを伝える講師の仕事に対して、

時々どうふんぎりつけたらいいのか

迷う。

ぶれちゃう。

 

ただ、絶対にこれが正解

っていうのは傲慢だと思うから、

迷いながら

ぶれながらいく。

 

 

 

 

 

くちなしが香った。

 

 

 

 

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1on1

【2017.06.16 Friday 08:31

以前、グーグルが大規模な調査をして、
結果を出しているチームに共通のものを導き出した。

それは「心理的安全」だった。

 

「心理的安全」ってどういうものかというと、
ある程度自分の弱みも出せること、

もちろん強みは出せること。

「助けて」「わからない」「相談したい」

が言いやすいこと、そんな状態だと想う。

 

じゃ、そういう組織にするために、

リーダーにできることは何だろう?

グーグルは1on1を導入していた。

 

グーグルのこの記事、おもしろかった


1on1とは1対1の面談。グーグルでは「上司が
部下の信念や価値観を引き出し、心理的安全を築いた
上で、本人を大きく飛躍させるための質問をする」
という。

 

個のパフォーマンスをあげることが

チームのパフォーマンスをあげることにつながる。

そのために、1on1が必要と考えたんだな。

 

グーグルの記事の中の
「日本人が、部下のための場づくりや

 心理的安全を築くのが下手だとは思いません。

『日本企業』が下手なのです」という文を読みながら、

私は
「日本企業だけではなく、

 学校もそういう部分もあるかも」と考えた。

これは私が

「相談の業務」についているからこその

考え方なのかもしれないけど。


ただ、何しろ日本の社会は

「集団」「家制度」がベースにあり、

「空気を読む」「同調」が求められる。

「集団の中でうまくやる」という価値観が

どうにもこうにも強固だ。

当然学校も

「集団を育てる」

「集団行動を通して学ぶ」など、

集団をキーワードにすることが多く、
「個人が弱音もはけたり、

 やる気も出せたりするクラス」よりは、

「団結」や「協力」を

目標に掲げたほうがいいことを、

生徒たちも知っている。

 

先生方が

「がんばって、

 みんなで一致団結して

 子どもの個性をのばそう(まじめ)」

と言えちゃうような雰囲気は、

ほんと困るけど、

まだまだあると想う。

 

で、何年か前、

「教頭報」的なものから原稿依頼をいただいたとき、

忙しい先生方に反感買っちゃうかな?と

恐々だったけど、

私は「個人面談を増やそう!」的な

提案を書いたりしたのだ。

しかも「学年初めにまずはすぐやろう!」

「その後も1学期に一回以上はやろう」と。

 

今、

発達のアンバランスをもつお子さん、

性別違和を持つお子さん、

あるいは貧困や相対的貧困の家庭の中で生きているお子さん、

不登校、別室登校のお子さんに対して、

先生方はすでに配慮をされ、

個別の成長支援をされている(されようとしている)。

 

ただ、普通にやっている子、

でももしかすると複雑な想いを抱えながら

登校し勉強している子、

つまりたくさんの子どもに対しては

案外、そのままなのはいかがなものかと考えたのだ。

 

大きな個性を持つ子だけではなく、

誰でもサポートされていい。

 

誰にとっても

「助けて」と言える力は必要で、

「他者の目が気になる」

「周りからの評価が大事」という

今の子どもたちが特に強く持つ感覚の中では、

集団の中で「助けてを求めていいんだよ」と

いくら優しく声をかけても、

無理な相談だと思う。

 

 

希望性じゃなく「全員必ず」にして、

学校の中でも

もっともっと個人面談が増えるといいと思う。

 

面談の中で、「大変なことを笑顔で語る子」

ってわかることができれば、

何かあったときに

「学校では楽しそうですよ」ではなく

「がんばって適応している子」

って見方ができるかもしれない。

どう勉強?なんて話をしたときの

表情や手のうごき、話し方のスピードで、

苦手の手がかりがあるかも。

 

グーグルに入社した優秀な方々だって、
自己内省はむずかしく、
1On1で、

「質の高い雑談」をしながら、

上司は部下の信念や価値観を知り、

目標設定とそれへのプロセスを伴走するのだ。

 

グーグルの理想的なリーダーは部下たちに
「Mymanager treats me as a person.」

(私の上司は私を一人の人間としてみてくれる)

と云われるそうだ。

 

 

学校でも導入したらどうかと思うが、

それには、

必ず、

今まで普通にやっていたけど、

現状や未来を見据えた時に必要ないものは

「やるべきこと」から削除した方がいいよな。

 

 

このインターネット上のグーグルの記事を読む前に、

私は「チーム」ということをよく考えていて、

その頃、それつながりで「ヤフーの1on1 」という本を購入。

ヤフーだけではなく複数の組織が1on1を導入している事例を

知り、

「ふっふっふ、時代が私においつてきたな」なんて

ほくそ笑んでいた私。ま、見当違いも甚だしい上に

「思いつく」と「実践する」「制度にする」の間には、

ものすごく大きな違いがあるのだよ。

 

そして、1on1で大切なのは、

上司、リーダー、先生、

つまり対応する側のコミュニケーション力。

 

これについて

「ヤフー」の本が詳しかった。面白かった。

 

次回、まとめてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

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避雷針スキル

【2017.06.13 Tuesday 09:02

誰かから

感情をぶつけられることって、

ある。

 

 

子どもに

「塾、間に合わないよ。

 早くご飯食べちゃって」

と言ったら、

「何でお母さん、いつも怒ってるわけ!」

って逆ギレされたり。

 

後輩に仕事の依頼したら

「それ、自分の仕事ですかね・」と

キレ気味に言ってきて、

びっくりしてる間に、

過去のことまで持ち出して

不満をタラタラ浴びせられたり。

 

 

生きてりゃ、こういうこと、

あるものだ。

 

 

 

そんな時どうしたらいいかのヒントは

2つある。

 

ひとつは「どう対処したらいいか」方法を知ること

(これはアサーティブトレーニング応用編の

 メインテーマのひとつ)

 

もうひとつは、

「客観的になるコツ」を知っておくこと

だと思う。

 

今回は後者を取り上げ、

それを「避雷針スキル」と呼ぶことにする。

 

避雷針とは

雷による被害を避けるために立てる金属の棒。

 

相手からぶつけられた感情によって

必要以上のダメージを受けないために、

知っておくと良いと思う。

 

相手のネガティブなエネルギーを受けて

す〜っと地面に流すような、

そんなイメージかな。

 

 

 

人間の中には、

他者に共感する力があって、

それは、誰かが困っている時に

助ける行動をする優しさの元に

なっていたりする。

また他者の話を聞き共感することは、

その方の心を整理する手伝いにもなり、

人としてすごく大切な力だと思うけど、

それは時々、

高じると同感になってしまったりして、

相手の怒りや不満や心配を自分ことのように

考えてしまうことにつながり、

日常生活に支障をきたしてしまっては、

誰のためにもならない。

 

その場で瞬間の対応で

すり抜けられたらそれに越したことないけど、

そうもいかない時もある。

 

そんな時、

避雷針スキルを

思い出してくれるといいな。

 

避雷針スキルとは、

相手がぶつけてきた感情を

特定することだ。

 

つまり、

「この方は、

 〜〜〜の件に関して

 これだけ怒りが湧くほど、

 心配なんだな」

などと捉えること。

 

 

怒りって感情は

面倒で、複雑なものだ。

 

怒りは二次感情とか未分化の感情とか

言われているが、

それは怒りの奥に違う感情があるからだ。

 

 

サッカーの試合で点が決められず、

迎えに行った車の中で、

シートをボコボコけっている息子に対して、

「何やってんの!

 次がんばればいいだけでしょ」

と口に出す前に、

頭の中で

「この子は、

 シュートを外したことが

 悔しいんだな」

と言葉にした方が、

巻き込まれない。

 

営業がうまくいかなかったことに

めちゃ激高してる上司に対しては、

「〜〜の仕事が本当に欲しかっただけに

 残念で仕方ないんだな」

と頭の中で言葉にしておく。

 

 

これは

不安の感情にも効く。

不安は伝染しやすいから、

共感してるうちに、

なんとなく自分まで

不安定になってしまいそうに

なることもあるだろう。

 

 

でも

相手の不安は相手のもの。

 

頭の中で、

「目の前のこの方は

 〜〜のことで不安に

 なっている」

と明確に言語化することで、

相手と自分は違う人間なんだと

確認することができるから、

巻き込まれにくくなるらしい。

 

 

 

感情的になっていて、

それをぶつけられた時、

丸ごと受け止めちゃうと、

大きすぎて、

細い避雷針を通って地面に流すことは

出来ない。

「〜〜のことで困ってるんだ」

「〜〜に対して情けない思いを

 してるんだな」

避雷針に通るくらいの細さに

特定する感じにできるといいな。

 

 

それには、

感情のこと、

特に、

感情名を

いろいろ知っておくといいんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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クリームソーダは働きもの

【2017.05.27 Saturday 19:02

私のfaceboookで流れてくる情報だと、

アメリカ大統領は今頃サンダース氏だったし、

原発の再稼働なんて絶対ないし、

前川前事務次官の行動には「いいね」、

み〜んなが村上春樹好きで、

犬猫好きで、

力を使うより対話を使う方が多数派のはずだ。

 

今、情報は

じゃんじゃん入ってくるように思えるが、

自分が選んでる、

自分が欲しい情報が

集まってきているだけ。

 

だから、私とは正反対の

考え方や価値観の方のところには、

原発は安全だし、

共謀罪は当たり前だし、

前川前事務次官は

人格的におかしいという情報が

集まっているんだと思う。

 

 

 

自戒を込めて、

危ないよなあ

と思う。

自分の考えが、

いちばん正しくて、

「みんな」もそう思ってる、

ってことを疑わないのは、

危険だ。

 

 

 

 

 

5月27日毎日新聞、

「武田砂鉄の気になるこの人」のゲストは

ライターのブレディみかこさん。

 

彼女はイギリスで保育士の資格を取り

保育士として働いたとのことだが、

その資格を取る背景に驚いた。

 

ブレアさんが首相の時代のこと。

外国人保育士を

大量採用する政策があって、

それは保育士不足解消とともに、

ダイバーシティ(多様性)政策を兼ねて

いたというのだ。だから、外国人。

一度社会に出た人が保育士になるための

講習を受けるのも、当時は無料で、

講習は、学期ごとに

障がい児教育、

学習能力と進み、

全てのテーマが

ダイバーシティーと

インクルージョンに

結びつけて論じられていたのだそうだ。

 

あ〜もうびっくりだ。

幼児期から、

多様性や共生を価値観に持つ大人に、

イギリスの子どもたちは保育を受けるんだなあ。

 

しかし、そうであったとしても

移民を排除しようという動き、

そして、

EUからの離脱かあ・・・。

難しいものだ。

 

 

 

自分好みの情報にまみれながら、

それでも

多様性を認めようとする考えは、

どうやったら育まれるのだろうか?

 

 

 

NHK朝の連ドラ「ひよっ子」で、

主人公のみね子と、

みね子の行方不明の父親を探してくれている警察官綿引の

別れのシーンがあった。

 

みね子は高卒後、地元奥茨城で家を手伝うつもりでいたが、

東京に出稼ぎ中の父親が行方不明になったことから、

家族のために東京に出てきて働いている。

そのことを恨むわけでもなんでもなく、

自分で選択して、ガンバってる。

警察官の綿引は、

茨城から出てきて東京で働いていたが、

父親が大怪我をしたことで、

茨城に帰ることになった。

 

喫茶店でクリームソーダを飲みながら

彼はみね子に言う。

 

「二人とも、似てる。

 親のことで、

 人生が変わってしまった。

 でも、よくないことばっかじゃないね」

 

みね子は最初から

親のせいで人生変わってしまった、

なんてこれっぽっちも思ってなかったけど、

でも、それでも、

改めて、

「どうしようもない出来事で、

 思った通りにいかないことがあったとしても、

 よくないことばかりではない」

という見方を言語化されたことは、

大きいと思う。

 

しかも綿引は

アイスが溶けたクリームソーダを

前に言うんだ。

 

「働きものだな、クリームソーダ。

 溶けてもまだ美味しい」

 

この二人は考え方も価値観も、

多分似ている。

なんだけど、

それでも、

こういう見方、考え方を得られることは、

すこーし、みね子を広げると思う。

 

 

 

コーヒー豆の焙煎に能力を発揮して、

販売店を始めた

アスペルガー症候群を持つ

岩野響さん(15歳)がネット上で話題だ。

5月26日の毎日新聞の夕刊にも記事が

出ていた。

中1から学校には行かず

家で食事作りを担当していたそうだ。

幼い時から鋭敏な味覚と臭覚を持っていた彼は。、

コーヒーに興味を持ち始め、

のめり込んでいったとのこと。

ただ、高校進学の選択も捨てきれずに

迷っていた時、

家族旅行でいったタイで船から水平線を眺め、

「世界ってこんなに広大なんだ。

 他の人と違う生き方もいいのかな」

と思えて、今に至ったとのこと。

 

引っ張りだしてくれるのは、

やっぱり

「他」なんだなあ。

 

 

自分の中でぐるぐるしているのではなく、

誰かと会ったり、

読んだり、見たり、

多様性に関する

「他」の影響は大きい。

 

 

 

 

 

そして、

最もすごい「他」は、

案外近くにいる。

 

嫌いな人、

苦手なこと、

理解できない考え、

違和感ある行為は、

自分の想像力を鍛えてくれるもの、

と言えそうだぞ。

 

好きになる必要はないけど、

観察して、

背景など考えてみるのも

よいのかも。

 

 

 

 

 

 

 

多様性の中を生きるには、

自分の知っていることは

偏ってるかもしれない

って理解しておくこと。

これがスタートラインなんだろう。

 

それから、

自分の考え方以外に

いろんな考え方があることをわかって、

想像したり、調べたり、

そうしてみたい。

 

で、向こうからやってきた

違和感ある「他」は、

チャンス!

と捉えることなんだよな。

 

 

 

岩野さんのお店のキャッチコピーは、

「ぼくができることから

 ぼくにしかできないことへ」。

「他」と出会いながら、

人間はそこに至れるんだよな。

 

 

 

「クリームソーダは働きもの」、

ひっかかったセリフという

「他」と出会って、

多様性について

こんなこと考えた。

 

 

そして私は苦手なパワポ作りに

取り組むのだ。

がむばるぞ〜!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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組織の一員として。

【2017.05.19 Friday 08:56

大好きな ちょんせいこさんが

GWに「ザ・チーム」という本を読んだという記事が

facebookにアップしてあって、

真似して読んだ。

せいこさんは

ホワイトボードミーティグなどの手法を使って、

組織をチームにしていくことや、

一人ひとりがファシリテーターになることが、

組織の持つ課題を解決することにつながるし、

個人のエンパワーメントにもつながると

考えているんだと思う。

 

やはりGWの1日、

「わたしは、ダニエルブレイク」という映画を見た。

心臓に病を患ったダニエルは、

医者から仕事を止められたので、

国からの援助を受けようとしたが、

複雑な制度のため支援を受けられないストーリー。

人間の尊厳の視点や、

あるべき福祉の姿という視点や、

ダニエルのスキルを活かした

ベンチャーは?という選択肢の視点など、

まとめておきたい感想はいろんな視点であったが、

私が最初に浮かんだ感想は、

「映画の中の行政の仕事が局所重視で、

 チームになってない」

という視点だった。

映画の中では仇役のような役所の方々だって、

自分の仕事に忠実だっただけで、

それでうまくいかない理由は、

仕事の評価が本来の目的とあってなかったから

なんだと思う。

仕事の現場にいれば、

しょっちゅう起きる「支援を受けたい人」との

トラブルで、

シズテムに問題があることを感じている人は、

複数いたと思う。でも、改善に動かない。

つまり、

大きな目的に向かって、

情報を共有しあい、

それぞれが助け合って、自分の責任で動く・・・

というチームとは、

かけ離れた仕組みだった。

 

 

最近、

「それがちょうどいい」

と言う言葉を教えてくれた

 (ネガティブなことがあった時、

  今の自分にちょうどいい出来事!と

  考えると自分にチャンスが生まれる)

長尾彰さんがfacebookで

「チームをつくりたい人へ」と題して

ファシリテーターのあるべき姿を73

あげてくれてた。

ふむふむと読みながら、

自分に足りない番号をチェックし、

おお、挑戦し続けないとなあ!と

少々慌てる。

 

同時に、

以前、彼がファシリテートしてくれた

チームビルディングの研修で学んだ、

チームが成長していくプロセスを

確認する。

そして、

今自分が属してるいろいろな組織を振り返り、

そのプロセスのどこにいるかを考える。

 

 

・・・と、

第一段階の「形成期」にある組織が

多いことに気づく。

第二段階の「混乱期」には、

個人の意見を主張し合うことで

ぶつかり合いも生まれる、

厳しい段階だけど、

チームが成熟していくには欠かせない段階。

 

そういうことになってない、

つまりは、

表面的な穏やかな会議のあとに

数人で何かを決めたり、

気になることがあっても

それを見なかったことにしたりするって現状は、

第二段階には進めてないってことだ・・・

と考えたりする。

 

 

 

5月16日の毎日新聞朝刊に、

千葉県の高校が20年に渡り、

不適切な授業と評価の方法をしていたことが

出てた。

びっくりした。

 

20年の間には、

きっと誰かが気づいていて、

まずい、やばいと思ったのではないか。

 

それでもそれを進言できない何かがあったか?

校長に伝えても動けない事情があったのか?

 

昨年度から改めたとのことだが、

それは職員内からの意見からだったのか?

それとも外からの圧力からだったのか?

 

どっちにしても、

大きな問題をほおっておけてしまったということは、

その学校は「チーム」ではなかったのだろうな。

 

いやいや、

この高校を、

そして、

「ダニエルブレイク」に出てきた役所の対応を

私には批判できない。

 

我が身として考えた時に、

会議の席で言わなかったこともあるし、

今現在、進言したくて、

言いよどんでることもある。

方法は知っているのに、

ファシリテートの動きを

選んでいない時もある。

 

他者をどうこう言ってる暇はないんだよな。

 

 

 

 

新しいプロジェクトを進めるにあたって

チームを作る・・・って場合以外は、

大概既存の組織が行き詰まった時に、

改革を必要とすると思う。

 

既存の組織には、組織自体に歴史がある。

そして属している方々にも

歴史がある。

組織としても個人としても、

今までのやり方の中で

成功体験があるかもしれないし、

何より慣れ親しんだ方法は使いやすい。

 

同僚へのパワハラ的な発言に心痛めたとしても、

その人の立場が上位でキャラが立ってる人だと

そのままにしてきた歴史。

 

会議では発言力がある方だけが発言し、

その方の意見で様々なことを決めてきた歴史。

 

それに納得いかないと、

日常的に不満を言い、

時々は手を抜くことで気持ちを収めてきた歴史。

 

何人かの人間的な魅力をベースにした

コミュニケーションに依存して

問題を解決してきた歴史。

 

「この組織のことは

 誰よりも自分が一番よく知っている。

 他の人にあ〜だこ〜だ言われたくない」

というリーダーが

本当に自分の全てをかけて、責任も負って、

引っ張ってき(てくれ)た歴史。

(そして、行き詰まった現在)

 

その歴史を受け入れつつも、

風通しの良い、

助け合いができる、

一人一人が問題を自分のこととして考え行動できる、

そんなチームにしていくには、

やはり、

強い意志と、

方法論は必要なんだろうな。

 

そのままにしていても、

第二段階には進まないし、

組織は成熟していかない。

 

 

私は、

これまで、

今属している様々な組織で、

プラスの動きをしないという方法で

加担してきたと思う。

 

確かに、

どの組織においてもリーダ的な立場ではないので、

やれることは限られてる。

ただ、組織に属する一人の人として、

ファシリでいることを決め、

やれることをやることはできたはずだ。

 

 

こう思った時に、

長尾さんに教えていただいた

「チームビルディング・ファシリテーション」で

それぞれの段階で

やった方がいいことが明確なのが嬉しいし、

あの時、研修を受けた自分に「えらかったじゃん」って

言いたい気持ち!!

 


 

木の芽時からこっち、

「チーム」を意識する波が

めちゃくちゃきてしまったので、

せっかくなので捉えることにして、

この記事を書きながら

改めて考えてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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谷澤 久美子
counselor