日常 | 今のところではありますが…
ちゃんとしてないところも、ま、いいか。

【2017.03.23 Thursday 08:48

いやあ、あるなあ。

ちゃんとしてないところ。

 

いちばん自分でコマっちゃうのは

注意力不足な時だ。

わかってるのに、

やっちまうことが多い。

 

「できてないなら、

 わかってないのと同じことだよ」

そう親によく言われた。

本当に、その通りだ。

 

結婚してからは夫に度々注意される。

「お風呂を出るときは、

 床をお水で流してから出てって

 何度も言ってるよね」・・・

なぜか、忘れてしまう。

 

最近言われなくなったけど、

以前はしょっちゅう

「ドライヤーの持つとこ、

 またヌルヌルしてたよ」

って注意を受けてた。

 

誤字脱字は多く、

メールを送信する前に

確認するチェック項目を用意しても、

なんだろ、

それを忘れてしまったりする。

 

それはダメなことだし、

迷惑おかけすることもあるし、

だから、どう書いていいかわからないんだけど、

でも、

もう、

そういう「ちゃんとしてないところ」に

いつまでも執着しないでいられるようになった。

 

そこは直した方がいいけど、

だからって、自分がダメじゃないって

思えるようになったと思う。

 

それは年齢のなせるものかもしれないし、

自己理解→自己受容

を進めてきたおまけかもしれない。

 

 

 

少し前に「自己信頼」について

学びあう機会を持った。

 

自己信頼を育むには、

大切なステップがある。

 

自分のことを信頼するには、

わかってないとできないから、

自己理解がスタートになる。

 

自己理解:

 ,修了々に、自分がどう考え、どう感じ

   どういう反応があり、どう行動したか

   をわかること

 ⊆分ってものの考えかたや情動、

   コミュニケーションの方法などなど、

   自分自身を理解していること

 

さらに、

 

自己受容:

 理解した自分に対して、

   批判せず、

   そのまま受け取ること

   受容することと、好きになることは違うので、

   自分のことが、それほど好きでなくても、

   また自分を肯定できなくても

   自己受容はできる。 

 

 

 

自己理解→自己受容が必要なステップだけど、

これは

それほど簡単なことじゃない。

 

頑張らなかった時に、

「頑張らない私なんて

 誰にも認めてもらえない」

としないで、

「今、頑張らなかったなあ」と

批判も肯定もしないで受け取るなんて、

そんな訓練してないから、最初は難しいかも。

 

小さなことを気にしてしまう時、

「こんな小さいことをいつまでも

 気にしてるなんて、本当自分が嫌になる」

としないで、

「私は◯◯が気になっている」と

ただただ受け取るって、

慣れてない方のほうが多いと思う。

 

ただ、これをやっていくと、

おまけのようについてくるものが

「自己信頼」で、

つまり

「自分をちょっとだけ信じられて、

 少し当てにできるような気持ち」で、

その中に

「不完全な自分でも、ま、いいか・・・

 と思える感じ」

も入るんだと思う。

 

大層な言葉で言ってしまうと、

「自分の不完全さを許す」

みたいなこと。

 

幼い頃から

注意され続け、

批判にさらされ続け、

何かできたとしても、

もっと良いものを求められ、

完璧、パーフェクトしか目指す価値を

見出せなかった背景があったりすると、

「自分の不完全さを許す」は、

ほんと、ハードル高いと思う。

 

でも、それを手に入れたかったら、

まず自己理解→自己受容からスタートしたら

いいんじゃないか。

 

自己理解→自己受容が

なぜそういうおまけを連れてくるかは、

多分、

自分を

「丸ごと大きなひとくくり」にしなくなることが

大きい理由だと思う。

 

「今日の、たった今の、自分の行為」とか、

「◯◯に対する自分の考え」とか、

自らを分けて考えられるようになるからだと思う。

 

分けて考えられると、

白も黒もグレーもあるし、

できてないこともできることも、

失敗も成功も、

悲しいも楽しいも、

得意も苦手も、

好きも嫌いも、

寛容なところもケチなところも、

ポジティブもネガティブも、

いろいろある自分が分かる。

 

 

 

ドラマ「カルテット」の中の、

グループの名前は

「ドーナツホール」。

 

リーダー格の別府さんは言った。

「僕はこのグループを

 ドーナツホールという名前にします。

 穴がなければ、ドーナツじゃない。

 僕は、ちゃんとしてないところもある

 みなさんが好きです」

 

 

 

私もちゃんとしてないところもある私でいく。

みんなが、

まずは自分を、

そして他者を、

ちゃんとしてないところもあるのが人って

認めあえたら、

ほんと、いいのになあ。

 

 

 

自分が自分をどう扱うかを基本として、

他者のことを扱うから、

まずは

自分のちゃんとしてないとこも、

ま、いいか くらいになれたら、

ほんと、いい。

 

 

 

 

 

 

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泣きながら食べる。

【2017.03.21 Tuesday 08:17

ドラマが終わっていくう。

 

今回 はまったのは「カルテット」だった。

唐あげにレモンかけるか問題や

作ってくれた人を目の前にボルシチ食べながら 

 餃子の話するのはいかがか問題を始めとする、

食卓のシーンは、

めっちゃ私好みだった。

それに、

サスペンスも、コミカルも、ロマンスも、

いろんな要素が入っていて面白かった。

 

あ〜今日で終わってしまう。

 

中でもとりわけ好きなシーンは、

憎しみを抱く父親の最期に

立ちあうかどうするか迷う友達を

支えようと食事を共にする

とんかつ屋さんのシーンだ。

 

そういう時に

とんかつを選択した脚本家の坂元さんが、

やっぱ好きだ。

そして、そんな時に

年上の友達が語る

「泣きながらご飯食べたことがある人は、

 生きていけます」

というセリフにグッときたのは

私だけじゃないと思う。

 

母が亡くなり、父が亡くなり、

家業廃業のためシャッターを閉め、

ボランティア活動でこっぴどく批判され、

そのたびごとに

泣きながら食べてきたことを思い出す。

 

ボランティア活動でこっぴどく批判されたのは、

まさに夕飯中にかかってきた電話でのこと。

酔っ払って怒鳴りまくる相手の声を聞きながら、

悔しくって悔しくって涙がポロポロ出た。

なんとか電話を終えたあと、

心配そうにしていた夫と

再び、

ご飯に戻った。

泣きながら食べた。

 

一番の思い出は、

仕事で失敗したくさんのダメだしをもらった後、

最寄りの駅まで迎えに来てくれた夫と入ったラーメン屋さんで、

「あなたは大丈夫だよ」と言ってくれた夫の言葉に、

ラーメンのスープにポトポト溶けてった涙の思い出だ。

それでも完食した。

 

途方に暮れて泣き、

悲しくて泣き、

寂しくて泣き、

悔しくて泣き、

ありがたくて泣いて、

同時に

食べてきたんだなあ。

 

 

泣きながら

食べる

って、

どんなに様々な感情でいっぱいであっても

生きることを選ぶってことだ。

 

これって究極

「折り合いつけられる」ってことなんだと思う。

 

そう、

そうやって

いやな出来事や

苦手な相手や、

複雑な感情と、

折り合いつけて、

生きていくのだ。

 

 

 

 

日曜に終わってしまった

「A LIFE」も

リアルタイムで観た。

田中泯さんがステキだった。

 

「俺にしかできねえ?

 そんなこと言ってるから半人前なんだよ。

 相手が誰だってどんな時だって

 ただひたすら準備する。

 心をその一点だけに集中させるんだよ。

 一途一心だ。

 それが職人ってもんだろう」

 

なんのかんの言ってないで、

やることやるだけだわ。

 

結果は、

今コントロールできないけど、

自分が今どう行動するかは

コントロールできるんだもん。

準備するだけだ。

 

それに

「私が」

「私が」の

時々我が強い私には、

刺さったセリフなんだよなあ。

 

 

こんな風に、

まだまだドラマに刺激をうける自分が

可愛くもある

年度末。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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意図

【2017.01.30 Monday 08:38

山の方の学校を車で訪問する機会があり、

仕事を終え、帰ろうとする時、

見送って下さった先生が、

「帰り道、気をつけてくださいね。

 凍ってる場所がある可能性がありますし」

と言ってくれた。

 

私は、

「ご心配ありがとうございます。

 でも今朝くる時は、凍った所はなかったんですよ。

 今日は少し気温も高いようでしたね」

というと、

 

先生は

「そうですか。

 ただ、気温が高くなると、

 今度は落石があるんですよ。

 霜柱に持ちあげられた小石が

 霜柱が溶けて、コロコロ落ちてきたりするんです。

 タイヤで踏んでしまうと大変ですから、

 気をつけてくださいね」

と言ってくれた。

 

なんか、このやりとりの時の

先生の表情がすっきりしていない感じが気になって、

頭の中をもやもやとさせながら

エンジンかけた。

 

ハッと気づく。

は〜やっちまったな、私・・・と思う。

 

凍ってる、凍ってないとか、

今日の気温がどうだとか、

落石があるないだとか、

そういうことではなくって、

 

先生は、

ただただ、

私に

気をつけて帰って欲しい

ってことを伝えたかったのだと思う。

 

だから、

「ご心配ありがとうございます。

 気をつけて帰ります」

でよかったのに、

私の中に時々出てくる、

「私はそのあたりしっかりやるから大丈夫。

 心配ご無用!虫」が、

お相手の意図をちゃんと捉えないんだよなあ。

 

 

 

意図に気づかされ、

刺さる感じになる時もある。

 

 

ある時、ある方と何かを話さないとならない場面があった。

しかし、その話に入る前に、

なんの脈略もないこと

(その日の午前中に見た写真展について

 そこで感じたこと)

私はとうとうと喋った。

 

するとその方は、

「あなたは、いろいろ積極的にインプットして、

 そこから学ぶ感性があって、

 本当素敵だね」

と言ってくれた。

 

その瞬間私は、

この話をここでしたのは、

この方に、

こういう評価をして欲しいからだったか、自分・・・と

下心という名の意図に気がついた。

あ〜自分でも無意識に、

評価されたい意図が動いたか・・・。

そしてそれは、私のどこかからか

知らず知らずに

にじみ出てしまったのだろう。

 

ああ、刺さる。

 

とはいえ、しなくてはならない話は

ちゃんとした。うん、それはした。

 

 

 

そんな風に、意図ってものを

考える機会が時々あった。

 

そんな中、

昨日はアサーティブジャパンの会員研修で、

「意図」について学んだ。

 

複雑な問題、

棚上げしといた問題を解決したいと

話し合おうとする時、

自分の側に、

相手をコントロールしたいという意図があると、

それは、

どんなにしっかりとスキルを使って

例えば伝える内容を整理し、

そして伝え方を工夫しても、

伝わってしまうのは

「あなたを私の思い通りにしたい」という「意図」で、

しかも、それが伝わってしまった場合、

だいたい相手は防衛的になる・・・

ということ。

 

あ〜そうだなあ。

本当にそうだなあ。

 

言葉の隅っこの方に、

「私は正しい、あなたが間違ってる」は

出ちゃうんだよなあ。

声の大きさや、ほんのちょっとの間に

「なんでわかってくれないの?

 わからないあなたが悪い」は

現れてしまう。

 

ただ、救いだったのは、

そういう「意図」を

どうしたら対等なところに持っていけるかの

考え方のプロセスがあり、

それを示してもらえたのが、

もう、

本当に、

滝に打たれたようだった。

すっきりした。

 

 

私はまた、

私の中に

今まで気がつかないようにしていた

「考え方の傾向」を知り、

「採用しがちな意図」が明確になり、

それは苦しいけど、

少しホッともした。

 

また道の先が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ランドセルの色、私は何色にしただろう?

【2017.01.20 Friday 10:23

大学生に授業をする機会を

いただくようになって、

4年くらい経つ。

 

どの学校の学生さんたちも、

本当に真面目な方ばかりで、

私語もなく、メモを取り、

話し合う時間は

ちゃんと議題に沿った事を話してくれる。

感想用紙には、

学んだことや考えたこと、気づいたことなど、

たくさん書いてくれてあり、

一人一人の中に、

表現したいことが

たくさんあることがわかる。

 

授業を真摯に受けてくれることが

ありがたいし、

もし彼らが

日常の中で、

自分のことを否定したくなってしまうような

出来事にあった時、

ちらっとでも思い出してくれたらいいな

と思う。

 

 

そんな中、

一つ気になることがある。

それは

授業スタート時の

反応が薄いこと。

 

ま、初対面で一回きりの授業者の私が

どんな奴だかわからないんだもの、

仕方ないといえば、仕方ない。

 

ホワイトボードの前に

立った時の私の雰囲気が、

緊張感があるのかもしれないから、

それが原因かも・・・とも思う。

確かに緊張はしてるし。

時々緊張は伝染するし。

 

 

とにかく

夏には

「暑いね」からはじめて、

「ポケモンGOやってる?」と聞いてみたけど、

膠着したように目も首も微動だにしない彼ら。

私が

「やってみたんだけど、

 この施設の周りはすごいね」というと、

安心したように、

笑顔になった。

 

評価、

つまり授業者である私がポケモンGOに対して

どういう評価をしているかわからないから、

表現できなかったのかもなあ

と反省し、

冬には、

そういう評価が気になるものではない題材、

「寒い?」的なことのみにしてみたって訳だけど、

どうしたらいいか戸惑っている感じだった。

きっと、

「ここは反応すべきところかどうか」

「みんなはどう反応するか」

「みんながしない中、一人だけ反応してしまったら、

 何か起こるかもしれないし」

的な、

いろいろな考えが動いたんだろうな、

なんて考えてみた。

 

そして、

いつもの癖で、

突っ込んで考える私・・・。

 

きっと、中学高校と

同調圧力の中、

頑張って生きてきて、

今もまだその中で

息してるじゃないかなあ。

 

どの授業でも、

時間が経つうちに、

リラックスした雰囲気にはなっていったけれど、

それでも

彼らの

「相手からどう思われるか」

を重要視するばかりに、

自己表現することに壁がある感じは、

彼らの生きづらさにつながっているように

思え、気になる。

 

 

彼らは小学校入学時、

まだランドセルは女子は赤、男子は黒の世代で

自分の好みの色を選択できる時代ではなかったらしいが、

衣替え時期は、

私たち世代のように「6月と10月」と決まってはおらず、

自分のタイミングだったようだ。

 

私たちが小学校中学校で受けてきた

先生によって一方的に教えてもらってた時代よりは、

「話し合う」なども取り入れた授業を

受けてきていると思う。

私たちの時のように

体操服は半袖半ズボンではなく、

自分の体調に丈を合わせて可だったと思う。

体験的な学習も増え、

例えば小学校の修学旅行では、

旅行先で故郷の説明をしたりする経験をしたり、

中学時代には

キャリア教育の一環で

職場体験なども経験していると思う。

 

昭和とは明らかに違う時代を

生きてきた彼ら。

 

もちろん「集団」の中で生きていくのだが、

同時に

「個」が大事にされ、

「個」を生かすということを意識した

学校生活は送ってきている。

 

それでも、

どう思われるか?

ここでの正解は何か?

それらに軸を置いたコミュニケーションが

身に染み付いているような彼ら。

 

他者と違うということを恐れ、

周りを伺いながら、

口元でちらっとつぶやくことさえも、

抵抗を感じているように見える彼ら。

 

「自分をどこまで出していいか分からない」

「どこまで合わせたらいいかわからない」

 

そんな彼らの心の中の声が、

聞こえるようだった。

 

なぜ、

そういうことになってしまっているんだろう?

 

 

 

 

 

ランドセルを例にとって考えてみよう。

 

今の子どもたちは、

イオンだったら24色の中から選べる。

それも「紫」だったら、

「スミレ」もあるし「パールラベンダー」もある。

「黒」だって

「ブラック」「メタリックブラック」

「ファイアースーパーブラック」

「オーシャンブラック」と4色もある。

そんな中から

「好きな色を選んでいいよ」と言われるのだ。

 

「なんで、女だからって、赤じゃないといけないの!」

と文句言ってた私とは、

めっちゃ違う。

 

私が今、

イオンで選んでよければ、

(小さな頃から紺とか緑とか黄色が好きだった)

「ダークバイオレット」を選んだと思う。

「いいじゃん。大事に使いなよ」と

親がすぐに言ってくれたら、すごく嬉しい。

反対に

「本当にその色でいいの。

 男子が選びそうな色だよ。

 5年生になっても6年生になっても

 使うんだよ」

なんて言われたら、

広告に出てる女子がしょってる色が

正解なんだと思ったと思う。

 

「子どもでもあっても人格がある」

「子どもにも失敗する権利がある」

ってことに

慣れてない大人もいっぱいいるから

仕方ない。

仕方ないけど、

切ないなあ。

 

 

 

 

私は

「あなたは長女だから

 家を継ぐ。他の選択肢などなし」

と育ててもらったからこそ、

「自分で選びたい」とか

「考えたことを言いたい」という

意欲が育ったのか。

昭和って

「幸せってこう」

「これが普通」的なものがあって、

めちゃ窮屈だったけど、

だからこその「パワー」が

育まれたかもしれない。

 

もちろん、決して

押し付けがいいとは思わない。

昭和に戻りたいとも

思わない。

 

ただ、

「個」を大事にしていいと

個人の選択や考える力を求めるなら、

それを受け止める側、

つまり、大人、養育者の

「受け止め方」こそ、

学んでいかないとならないこと

なんじゃないか。

 

 

もしかして

平成の

「自分の意見をを持とう、

 コミュニケーション能力を高めよう」

と育てられた人の中には、

「自分の意思で決めていいよ」と

保証されたのにもかかわらず、

考えや気持ちを口に出したら、

反対されたり、

叱られたり、

他の考えを勧められたりして、

「もの言えば、唇さみし」的経験をした人も

いるのかもしれないな。

 

 

「あなたの考えを言いなさい」

ただし、

「周りとも上手くやっていける程度の」

というダブルバインド。

 

個を大事にしよう。

しかも

空気も読みながら。

というダブルバインド。

 

 

その中で、

彼らは頑張って生きてきたのかもしれない。

と勝手に背景を考えて、

 

そして勝手に

愛しくて愛しくて

たまらなくなる私。

 

 

 

彼らが

安心して

考えや気持ちを口に出せる環境を作りたいなあ。

 

いやあ、それは大きな夢ですわ。

 

でもさ、

コミュニケーションをとっていくことは、

違いが明らかになってしまうことでもあるけど、

同時に、

繋がれる部分の発見や、

問題を解決していく方向性や、

第3の道を見つける可能性を引き出すことなんだって、

実感してもらえる瞬間を

なんとか、提供できないものだろうか。

 

 

関係は、

伝え合い、聴き合いの中で

育んでいくものだ。

 

そういう経験、

いっぱいしてほしいなあ。

させてあげたいなあ。不遜ですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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八方塞がりでも大丈夫!

【2017.01.08 Sunday 22:29

選択について学び合う勉強会

全3回の3回目を終えた。

 

過去、

なんとか乗り越えてきた出来事を

選択肢をテーマに振り返ったり、

これから起こりそうな出来事に対する

選択肢を考えたりした。

 

介護のことや

人間関係上の問題、

いろいろな責任を果たした後の

自分の生き方、

やりたいことと

やる必要があることの間の葛藤などなど、

参加してくださった方々が

自分に起こりそうなことの

問題解決を考えた。

 

問題解決に向かって

選択肢を立てることができた経験は、

多分、皆さんの自信になったのではないか。

また自分が立てがちな選択肢がわかり、

見逃しがちな選択肢も見つかったのではないか。

それは、やるかやらないかで行き詰まった時に、

自身を助けるのではないか。

 

この3回のプログラムは、

私の完全オリジナル。

信じて参加してくださった皆さんに感謝。

そして、学び「合う」ってことの

豊かさを、

めちゃくちゃ感じることができる

プログラムになったと思う。

 

 

オープンOKの感想をシェアします。

 

「いろんな人の話を聴くことで、

 掘り起こされる気づきがあって、

 脳みそがパカーンと開いていく

 ような感覚を味わいました。

 今日は同じ目的を持って集まった 

 仲間だから、安心して話せるし、

 共感してもらえて嬉しかったです。

 多分、日常生活で、

 うまくかみ合わないと感じている人とも、

 これぐらいじっくり話し合ったり、

 相手の背景を知る機会があったら

 『な〜んだ、そうだったのか!』と

 思えるのかもしれません。

 分かり合えないと感じている人に対しても、

 余白のある見方ができそうな

 気がしてきました。

 自分で選ぶということは、

 自己信頼を築いていく一歩だと

 思えました。

 『選ばない』と決めること、

 『放っておく』と決める

 選択肢もあると思うと、

 とても気が楽になりました」 S

 

「選択肢を考えるって

 苦しいことだけでなく、

 問題解決の可能性を広げる

 わくわく楽しいこと。

 一人で考えてもいいし、

 誰かに話して語りながら

 (選択肢を)増やすことができる。

 その相手との化学反応も

 リソースにしたい。

 今年どんな気分でいたいかなど、

 自分に問いかけることで、

 自分を知って、さらに選択肢を

 探しやすくできる。

 休みながら、

 自分で選ぶことを繰り返す、

 『わたしの人生』を

 歩んでいきたい」 K

 

「無いものねだりになる自分なので

 おそらくどんな選択をしても

 きっと後悔すると思う。

 でもそれは、裏を返せば、

 どんな選択をしても

 得るものがあるとも言える。

 選択肢があるということは、

 自分が大切にしてきたもの、

 したいものが、

 その分あるということだと思う。

 『人生』や『選択肢』の意味づけは

 人それぞれだと思ったけど、 

 それは、人には人の数だけ

 事情や背景があるんだと思う。

 それが分かって、

 優しくなれる気がする」四季

 

「自分の中には

 新しい一歩を踏み出したいという

 大切な思いがある。

 でも踏み出すことも不安もある。

 何かのきっかけがつかめたら・・・

 と思い参加しました。

 講師の話、ペアや全体での交流の中で、

 目立って響いてきたのは、

 『タイミング』と言う言葉です。

 選択は、伸ばしてもいい、やり直してもいい、

 今がその時というタイミングが来る、

 その時を待ってもいい。

 私は自分に今できることを考えながら

 実行しながら、その時を待とうと

 思いました。

 焦らず一歩一歩、時に『しない』という

 選択肢も織り交ぜながら

 歩いていこうと思います」 G

 

「自分の思っていること、考えていることを

 ワークの中でシェアすると

 その度に、新たな視点が見つかり、

 世界が広がっていく気がしました。

 自分一人で考えていると、

 どうしても枠から出られなくなるから、

 『学ぶ』ことは自分を自由にすることかな。

 この一年『選択すること』に思いを馳せ、

 今までより丁寧に暮らせた気がします。

 自分の残りの時間を(平均寿命から算出して)

 具体的に考えてみると、結構長いなと・・・。

 この先もう一踏ん張り何をしようかななんて

 気にも慣れました。

 またみんなからフィードバックをもらい、

 自分の考え方、言ったことなどが

 はからずも誰かの役に立っていたと知り、

 嬉しかったです」   もも

 

「毎日の中で、選択しない日というのは、

 1日たりともないんだなって

 思いました。

 大小の選択の積み重ねでできていて、

 決まっていることも正解もなく、

 『引き返す』も『一回休み』もありの、

 地図のようなスゴロクのような感じです。

 スゴロクはバクチ感があるので、

 やっぱり地図かな。

 今日まで生きてきた中で、

 特に後半は悩みと選択の連続

 でしたが、過ぎてみると、

 『大切なもの』も見つけてきました。

 ある日、娘が聞きました。

 娘『おかん、自分の大事な時間を

   割いてでも会いたい人、

   どれくらいいる?」

 私『うーん、○ちゃん(地元の親友)、

   ○○さん(パート先の仲良しさん)、

   あと、くみ(←谷澤のことです)関係

   の勉強会などでできた友達。。。』

 娘『ふう〜ん、意外にいるね。

   私、そんなにいない』

 夫『オレは全然いない』

 私『そいう人は、どのタイミングで

  やってくるかわからないよね〜』

 私はなかなか、幸せものだと思いました」

               C

 

参加くださった皆さん。

時々、

「おいとく」「逃げる」「決めない」

も使おうね。

自分にとって大切なことは

「『あきらめる』を選ばない」って

決めておこうね。

 

八方ふさがってたら、

穴ほりゃいいよ。

道具やエレルギーがなかったら、

今は「待つ」時なんだよ。

 

そして、もう面倒なことは、

選んでおいてしまうのも手だよ。

例えば、これは私の場合だけど、

「電話の営業は、どんな内容でも、

 なるべく早く切らせていただく」

とか。

 

そして、日々の中で、

時々、

「自分をめっちゃ大切にする」を

選択をしてください!

 

 

 

 

さて、ワークのひとつで、

平均寿命まであと何日か

計算することをしてみた。

で、

私の人生上、

月曜は

あと

1488回なのだ。

 

ちょっと愛しい。

 

 

⇧生まれた年からの100年カレンダーを買ってみた。

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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インスピレーション

【2017.01.04 Wednesday 10:04

幼い時に箱根駅伝を見て感動し、

陸上の選手になりたいと思う子もいれば、

アナウンサーになりたいと思う子もいるんだなあ。

先導する白バイを運転したい、

カメラマンになりたい、

陸連の、あの、復路のスタートの、

1秒2秒と数えて「ハイ、スタート」と

背中押す人になりたい、

いろいろいるだろうな。

大学の陸上部のマネージャーになりたい、

とくかく応援し続けたい・・・、

「〜〜になりたい」だけじゃなく、

いろいろな人に

いろいろな種類のインスピレーションを、

今年ももたらしたと思う。

 

箱根駅伝、最高!!!

 

私が今年最もインスピレーションを受けたのは、

往路の解説、

青学を卒業した神野さんの言葉だった。

瀬古さんが神野さんに

「(5区では)どこ見て走るの?」

と質問した時の答。

「10メートルくらい前を見て走ります。

 先を見ちゃうとずっと上りが続いてるので

 いやになっちゃうので」

 

「山の神」って言われた神野さんでも、

ずっと上りが続くことを、

いやって思うんだってことと、

それを言ってくれたことが

嬉しかった。

 

そして、

そのことを「いや」って思う自分を知っていることが

彼の強さを支えたんだと思う。

 

「どんな坂でも大丈夫」なんて

多分、過信だもん。

 

ボルト選手でも

追いかけられる夢みるって言ってたもん。

 

 

それと、今年は元早稲田の監督の

渡辺さんの解説がすごくいいと思った。

進化してる。

丁寧な下調べがあって、

各選手のコンディションをすぐに見極める。

山下りの6区の小野田選手の走りを

「それにしてもゆっくりすぎる」と評した方もいたが、

彼は、

「ゆっくり走っているように見えるけど、

 それは彼の下りの走り方で、

 スピードは出てる」

のような記録的には正解の解説してたし、

8区の下田選手が走り始めてすぐに、

「彼は調子が悪い時は顎を出して

 走るんですが、今日はそれがない。

 調子がいいと思いますよ」

と解説し、

結果的に彼は

区間記録にあと少しという走りを見せた。

解説者としてプロなんだから

当たり前かもしれないけど、

期待されたことができるように

取材、整理という準備して、

そして

期待を超える仕事をするカッコよさに

インスピレーションを受けちゃた。

 

 

で、今日の「スッキリ!」で

原監督が選んだ「MVP」にも

「そうきたか!」のインスピレーション。

それは一色選手だった。

3区で1位を安定させた秋山選手でもなく、

神野選手の後継のプレッシャーの中

走った貞永選手でもなく、

脱水症状がありながら

タスキをつないだ田村選手でもなく、

2区の一色選手。

「速さだけでなく、

 強さがある。

 そして、

 我々のターゲットを抑えたから」

と評価してた。

エースで、

すごい期待の中、

本人自身、多分、そこまで満足いく走りが

できてはいなかったと思う今回の一色選手。

彼は、

出雲駅伝優勝の際、

インタビューで涙を流したが、

その時どれほどの責任を自分に課して

走ってきたかがわかった。

その上の、箱根。

3連覇や3冠のプレッシャーの中、

青学を引っ張ってきた4年生の中で、

実力を発揮できた秋山選手や

最終ランナーで脚光を浴びた安藤選手ではなく、

一色選手をMVPに選んだ原監督。

多分、それは、今日からスタートする

新しいチームへのメッセージが

含まれているんだろうな。

結果は大事だけど、

結果は過程なくしてないってこと、

「監督は全部見てる」というメッセージは、

3年生にしっかり伝わったんじゃないだろうか。

これも、原監督のマネージメントの中の一つ。

なんか、腑に落ちたし、

スカっとしたし、

影響受けた。

 

その原監督の記事、

東洋経済の

青学・原監督「管理職の仕事は管理じゃない」

すっごくいい。

 

とはいえね、

来年の今日は、「スッキリ!」で

東洋大が見たいものだなあ。

なんか、ファンなんだよなあ。

 

 

さて、昨夜は、友達と食事した。

彼女たちと、駅伝の最中に流れた

サッポロのコマーシャル、

大人エレベーターの所さんがいい!

って話で盛り上がった。

 

箱根駅伝は、

毎年コマーシャルからも

インスピレーションを受ける。

 

「もう一度やり直すとしても、

 多分同じことを選ぶ」

「答えが見つからない時に

 『運命』って使うね」

というようなことを言ってた所さん。

 

そこにいた女性たちは、私を含め、

それぞれいろいろなことがあり、

それぞれ今も奮闘中で、

その私たちだからこそかな?

全員共感してた。

 

 

お正月に

いっぱいインスピレーションを受けて、

そして、

ま、

今年も、

一歩ずつ行こうって思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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畏れながら。

【2017.01.01 Sunday 13:04

 

2017年となりました。

おめでたい方にもそうでない方にも、

とにかく新しい年が、ひとまず明けました。

そして良いお天気でした

 

今年は喪中の我が家。

花も控えめに白の八重のチューリップ。

八重のチューリップは

開いてからが素敵。

もちろん

ピンと上を向く蕾もいいけれど、

花首がちょっとだけ垂れてきた、

ここからいよいよ

いいんですよねえ。

 

 

 

 

 

さて、私の仕事について。

 

昨年も、

年間通して

「コミュニケーション」について

講座を持ち、原稿を書き、講演をしました。

 

言葉がうまく通じない他者に

何かを伝えなくてはならない時、

私たちのコミュニケーション筋は

鍛えられます。

 

それはたとえば、

パートナーに今まで頼んでなかった家事を頼みたいとか、

我が子のスマホの使い方を、

何としても話し合いたいとか、

職場の後輩の自立のために

アドバイスしたいことがあったり、

昨年まで上司で退職後再雇用で同僚になった方に

仕事のやり方を合わせてもらうよう

伝えなくてはならなかったり、

友人が誘ってくれた旅行、

一旦はOKしたけれど直前になって断りたかったり、

シャンシャンで終わってきてた

PTAの会議で意見を言いたかったり・・・、

 

いろいろな場で、

いろいろな「伝えたいこと」があり、

多くの方が悩みながら、

筋力アップに励まれ、

そのサポートができたと思います。

 

それぞれの「伝えたいこと」には、

背景がありました。

 

愛しているからこそ、

照れくさかったり、

 

明日からもいい関係でいたいからこそ、

怖かったり、

 

大事だからこそ、

熱くなったり、

 

認めてほしいからこそ、

不安があったり、

 

信じているからこそ、

言わなくてもわかってほしい・・・、

 

単純ではないから口ごもったり、

時々は

理論的すぎたり、

大きな声すぎたり、

あるいは

ひとり会議の結果

胸の中にしまいこんでた

「伝えたいこと」たち。

 

 

講座や講演会に参加してくださった方々の

「伝えたいこと」

ひとつひとつ、愛しかったです。

 

自分がいて、

他者がいて、

その間にある「伝えたいこと」。

 

他者を思い通りに操ることはできないから、

自分から近づいていく。埋めていく。

工夫しながら、確認しながら、

努力していく。

 

そのサポート、

2017年もやっていきたいと思います。

 

 

 

 

もうひとつの仕事「相談」。

主宰している相談室と、

学校の中で、いろいろな方のお話を伺いました。

 

目の前にいる方が、

何とか少しでも楽になるよう、

そして、

ご自分で自身を楽にできるよう、

話を聴くのが私の仕事。

 

複雑に絡み合った出来事の中から、

その方が見えなくなっている価値を見出したり、

状況に関してどういう感情を抱いているかの言語化を

手伝ったり、

苦しい中でも何とか生活してきた力を確認したり、

問題解決に向かっていくその方を応援したり、

そうして、

今回の出来事を研ぎ石にして、

これからの人生を豊かなものにしていくこと。

 

今年もやっていく覚悟。

 

 

 

今年もやっていくんだけど、

やはり今年も、

私はきっと

不安になったり、心配になったり、

怖くなったり、

畏れ多くて身の置き所が無いような

そんな気持ちになることもあると思います。

 

 

そういう気持ちを

簡単に片付けないでいきたいな。

ネガティブな感情を、

すぐに落ちつかせたり、

早々に手放さないでいきたいと思う。

そういう気持ちを手荒く扱わないで、

時々は、じっくりゆっくり味わって、

それで、

たまにはすごく落ち込んだり、

めちゃくちゃ暗くなったりもいいと思う。

 

そういうのが私なんですよね。

 

 

 

2017年が始まりましたね。

良い年にしましょうね。

 

 

今年もよろしくお願いいたします。

 

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歯からのメッセージ

【2016.12.10 Saturday 09:16

容量を超えて頑張っていて、

超えてることを気がつかない時、

あるいは、ちょっと「あれ?」って

思ったとしても、

大したことないとごまかしている時、

 

「ちょっと待った!」

と突っ込み入れてくれるのは、

 

私の場合、「歯」だ。

 

歯が浮いたような気持ち悪い感じになったり、

歯茎が腫れたり、

歯が痛くなったりする。

 

人によっては胃腸にきたり、

目に来たり、

耳が聞こえにくくなったり、

めまいがあったり、

皮膚や息苦しさなど、

体の、

自分の中の弱目なところに

表れる場合は多いと思う。

 

そんな時には

そのしんどさの元から

離れる時間をもてたり、

ゆっくり休める時間をもちたいものだ。

 

そういうことは、

ストレスフルな時代を生きている

今の人にとっては

常識だと思う。

 

そうした方がいいことは

多くの人がわかってる。

 

それがいいんだけど、

わかっているけど、

 

ほんと、

そうなんだけど、

 

体(私の場合は歯)が教えてくれた

自分のしんどさを、

ちゃんと手当する時間が持てないほどの

時もある。

 

私の場合は、

11月初めからそういう日々だった。

 

歯が浮いてることに気がつきながら

気がつかないようにしていた11月中頃を過ぎ、

11月終わり頃、

「歯が浮いている」と、

とうとう私は自分で認めた。

 

「あ〜、私は今、

 歯が浮くほど、

 仕事のこと、

 いろいろ考えて 

 大変なんだな」

 

すると、

それだけでちょっとだけ浮き方が軽くなり、

さらに、

安心できる仲間に打ち明けた直後、

その日の朝まで恐る恐る使っていた右奥歯を

ランチ時にはガンガン使ってた。

 

 

 

心と体は繋がっていて、

影響しあっている。

そして、体も心も、

今の状態を、

それほどまでに、

ちゃんと受け止められたいんだと思う。

 

 

大丈夫じゃない時に、

元気なふりしてしまったり、

 

落ち込んでる時に

やる気見せちゃったり、

 

そうやって

繕うことができるのも、

すごく大事なことだから、

 

社会に対して、たとえそうしていたとしても、

 

せめて自分は自分自身の、

痛さや

嫌さや

気持ち悪さや

苦しさ、大変さを

わかっていたいと思う。

 

それがささやかなうちにわかれば、

私の「歯」だって、

浮くまで行かずに

済んだかもしれないな。

 

そして、浮いたまま、

それでも

「平気平気!」と突っ走っていたら、

 

体は

「こんだけのことが起こってるのに、

 まだ気がつかないか! 

 冗談じゃない!

 どこまでサイン出せば

 気がつくか、

 こうなりゃ勝負だ!」

的に、

あっちこっちに不調が出てくる場合も

あったかもしれないな。

 

 

自分の体と心とは

勝負するんじゃなく、

理解しあいたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この命をどう使う?

【2016.11.14 Monday 23:13

水曜日に

中3の女子二人との何気ない話の中で、

彼らに諭してもらった。

「先生、いいことしてたら、いいことあるよ」

こういうシンプルなことを

ばしっと言ってもらうことは、

なんと清々しいんだろうと思った。

本当そうだなあ。

ゴミは拾おう。

挨拶はしよう。

迷惑かけたら謝ろう。

欠礼はがきは、書かないと。

(ちなみに、この件、

 ブログに書いていいと、

 二人が許可してくれました)

 

学校の中では、何気ないことから

いい影響を貰うこともあるし、

時には

授業内容にものすごい感動を貰うこともある。

 

 

 

 

 

2015年3月に、

小学校3年生対象の

「誕生学」の授業を見て、

恥ずかしいくらいにボロボロ泣いた。

 

もう本当にめちゃくちゃボロボロで、

授業が終わった後、

3年生の何人かの子どもは、

「このおばちゃん、一体どうしちゃったの?」

というような顔で、私の方をじっと見てた。

 

その大人版の

講演会を企画した。

 

 

 

 

誕生学とは、

母親のお腹の中でどんなうふうに命が育まれ、

どんなふうに生まれてきたのかを、

教えてくれるプログラム。

 

母親の中で芽生えた命は、

芽生えた瞬間から、

自らの命の力をも使って育つ。

世の中に誕生する瞬間は

自分の力と母親の両方の呼応するような力が必要だ。

そして誕生した瞬間から、

他者の愛情もないと成長できない。

 

 

そのことを頭で理解しながら、

心の中にまで染み込ませてくれるような

プログラム。

 

 

この授業は、

子ども対象のプログラムだったが、

大人対象のものもあると知り、

企画したのが、

「誕生学・家庭で伝える命の話

 〜この命の使い方〜」

講師は

誕生学協会認定講師で

誕生学アドバイザーの

萩原奈津子氏。

小学校の先生で、

私がボロボロ泣いた授業をされた方だ。

 

 

 

 

何を今さら命の誕生のことを?

と考える方もいるかも。

 

ただ、自分の命の始まりを学ぶことは、

これからをどう生きていくかを考える時に

インスピレーションを与えてくれる。

 

さらに、

子どもに伝えにくい命の始まりについて、

どう伝えるかのヒントもある、

そんな講演会になる。

 

 

 

あの時私がボロボロ泣けたのは、

なんだか、生まれてきたことが、

ありがたくって・・・だった。

 

生まれてきたってことは、

私には生まれてくる力が

あったんだなって思え、

そして母親も私を生み出そうという

強い意志があったんだって、

めちゃ確認できた。

当たり前のようにして考えてもいなかったことを、

言葉にして伝えてもらってことで、

ものすごく確認できたのだ。

 

 


生きていると、
理不尽な目にあったり、
自分自身の足りないところばかり
考えてしまったり、
言われのない批判を浴びたり、
失敗に恥ずかしくって情けなくって、
自分のことがいやでいやで仕方なくなる日もある。

他者や社会をうらみたくなる日もあるし、
自分で自分に課したことに、
押しつぶされそうになることもある。

そんな時に、
この授業のことを思い出すと、
「生きてる意味があるのか」
というより、
「せっかく産まれてきたこの命の
 使い方を考えよう」
そう考えられるように思う。

そんなエネルギーで
からだが満たされると思う。


開催日は、

2017年2月4日(土)の午後、

お申し込みなどは、コチラ→

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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気ぜわしい。

【2016.10.18 Tuesday 19:22

暗くなるのが早くなって、

気ぜわしい。

 

そして

怒涛の10月を過ごしている。

講演や講座が多く、

毎日、

パワポで上映用の資料を作ってる感じだ。

ガンバ!私。

 

 

そんな中、素敵なことは起こる。

 

夕方のカルの散歩の時に、

いい光景に出会った。

薄暗くなった道で、

母親が小学校5年?6年?の男子に、

スケートボードを教えてもらってる。

 

「お母さん、そうじゃないよ。

 こうするんだよ」

とやって見せ、

母親が上手にできると

「そうそう」と褒める。

母親が転びそうになると、

支える。

 

そばを通る時、全く知らない方だったが、

「お子さん、教えるの、上手ですね」

と声をかけると、二人で笑ってた。

 

こういう時間がある親子って、いいなあ。

素敵だなあ。

 

 

 

親子のコミュニケーションについての講演では、

「ムダ話」というか、雑談というか、

そういう時間を持とう!

というようなことをしゃべってる。

生産的な話や、ためになる話

以外の会話が大切・・・

的なこと。

 

つまり、

「勉強」とか「宿題」とか、

「塾に行く行かない」

「サッカーやミニバスでのいろいろ」、

「高校どうするか問題」や

「スマホの使い方問題」、、、

そういう話じゃないこと。

 

「今日、先生のオヤジギャクが

 つまんなすぎで、逆にウけた」とか、

「ねえねえ、なんでゲームの実況、

 そんなに面白いの?」とか、

そんなようなこと話せた上での、

「高校のことなんだけどさ、

 見学行ってどうだた?」

があるといいと思う。

 

 

スケートボードの親子は、

きっと、

スケートボードがどうしたらうまくなるかも話すし、

友達のことも話し合えるし、

宿題や勉強のやり方についても

相談し合えるんじゃないだろうか。

 

 

 

 

そんな風な話を講演でする時に、

最も気をつけるのは、

参加された方が凹みすぎないこと。

「ムダ話など全然してなかった・・・

 私ってだめだ」と反省するのではなく、

「今までは、確かにムダ話してなかったな。

 帰ったらしてみるか!」

くらいの感じがいいなあと思う。

 

それが成功することもあるし、

そうでもない時もある。

 

 

 

今年6月に中学校区(中学一校小学校二校)で

呼んでくださった地区がある。

この時は理論編のような話をした。

そして10月に入ってから、

今度は各校で体験編をやった。

短い時間の中だったが、

「楽しかった」だけで終わらないように、

「超凹んだ」でもないようにと、

プログラムを作った。

 

感想の中に

・子どもにとって良くない言葉や態度ばかり

 とっていたことに気づかされました。

 「私はダメだな〜」と思うことなく、

 とても楽しく「じゃあこれからは気をつけよう」と

 前向きな気持ちになれました

・実は今、仕事が忙しく、子どものことをしっかり

 見てあげられずに「本当にこれでいいのか」と

 毎日不安、自信喪失していました。でも今日の

 話を聞いて「今の自分でいいんだ」と安心した

 自分がいます。今日も(子どもは)一人で

 待っています。帰ったらとびきりの笑顔で

 自信を持って接していきたいです・

・体験を取り入れていただき、大変楽しい中で

 自分の姿勢に気づかされました。

 自分をダメ人間と思うことが多いのですが、

 前を向き生きていきたいと思えました

などがあって、

ほっとした。

 

こんな時ばかりじゃないけど、

でも、こういう時もある。うふふ。

 

 

保護者が自分にダメ印ばかりつけるのは、

辛すぎるなあ。

完璧な人なんていないし、

完璧である必要もない。

保護者だって、

時々は自分の感情に振り回されることだってあるし、

子どもとぶつかりあうことだってある。

それがダメなんじゃなくって、

そういうこともあるけど、

それでもなお、

違う方法も知っとこう、やってみよう・・・

ってことだと思う。

 

 

 

「完璧な人なんていない」という一言。

子どもたちへの「心の健康」という授業で

話すのだが、

その時にシーンとなる。

今日も小学5〜6年生に話したが、

なんというか、

全員の全身が、

その瞬間、

私に集中したような感じだった。

続けて

「完璧じゃなくたっていい」

というと、

今度は、

「ホっ」という音が聞こえた気がした。

肩の力が抜けたんだよなあ。

 

みんなガンバっているんだなあ。

 

 

そういえばゲームの実況の件、

私には、なんで子どもたちが

 You Tubeで

他者がゲームをやってるのを見るのか、

全くわからなかった。

どこが面白いんだろう。

自分でやったらいいじゃん。

そう思ってた。

ある日テレビの中で、

外国の方が言ってた。

「テニスも見るし、

 サッカーも見ますよね。

 やった方が面白いのに・・・

 などと言いませんよね」

なるほど、そういうことかあ。

 

聞いてみないとわからないなあ。

わからないまま、批判だけするのは、

やっぱり良くない。

 

 

 

11月いっぱい怒涛は続く。

気ぜわしい中、

やること書き出して、

「今」に集中して、

そして

ぼちぼちやっていく。

 

 

 

 

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谷澤 久美子
counselor