日常 | 今のところではありますが…
メモる。

【2018.02.09 Friday 09:03

今年になって始めたことがある。

手書きの手帳に、

その日に体験した新しかったことや、

感動したことや、

疑問に思ったこと、

違和感感じたことなど、

1日1個メモるってこと。

 

今日、1月に書いたものを読んでいたら、

もう、

すっかりと、

そんなことあったかいな?位の勢いで

忘れていることがあってびっくり。

 

例えば、

「ドライブレコーダーが

 運転の癖を教えてくれて

 安全運転に!」というメモ。

なんじゃそれ?

としばらく脳の中を探すと、

 

そういえば、

「車に搭載するドライブレコーダーの役割」

についてのニュースを見て、

事故の証拠以外に、

そんな使い方があるんだ!と驚いたのだった。

 

確かニュースの中では

ある運送会社が、

各運転手とのフィードバックに使っている様子を

報じていた。

それぞれの運転を

ドライブレコーダーに

録画したものを一緒に見ながら、

なぜ事故が多かったか

これからどこを気をつければいいかを検討。

ある方は物損事故が多く、

マイナス評価を与えられていたが、

そのフィードバックを経て改善し、

社内の安全運転賞的なもので

表彰されていた。

 

そのニュースを見ながら、

日常の自分の振る舞い方を変えていくためには、

まず癖を知ることが大切なんだと、

それは運転技術も、

コミュニケーション技術も同じだと、

結びつけて考えたんだっけ。

 

 

また

講座開催の際、

仲間たちがめちゃくちゃ協力してくれたこと

がメモってある。

私のpcはデスクトップ。

会場にはpcがなく、

でもスライドを上映しながら講座を進めたい私。

「助けて〜!」と投げかけたメールに

みんなが応えてくれて、

その中からお借りできたpcで

なんとか講座を進められたこと。

貸してくれた方はもちろんだけど、

探してくれた方、

心配してくれた方、

いろんな方が一生懸命になってくれた。

あんなにお世話になったのに、

過去のことになってしまっていて、

こりゃダメだな、私。

 

 

つい最近メモったのは

ドラマ「anone」の中のセリフ。

大好きな坂元さん脚本のドラマは、

今回もすごい。

「生きるのは難しいです。

 思い残すこととか欲しいですよね

 思い残すことがあるって

 それが生きる意味なのかなって」という人に、

「生きなくたっていいじゃない

 暮らしましょうよ」

 

この

「生きなくたっていいじゃない

 暮らしましょうよ」

「生きる意味」とか

「なんのために生きるのか」

と考えがちな時に、

「ま、とにかく

 歯を磨くか」

と日常に戻してくれそうだと思ってメモった。

 

 

結構失敗もしたんだな。

会議で嫌味な言い方したことや、

「決めつけ」はあれほど嫌いなのに

 なぜかしてしまった日。

「調子に持ったんだ」と思う。

その日はめちゃ凹んでいるぞ。

 

幼い頃には色濃かった「調子にのる」を

多分抑えながらやってきたけど、

ここへきてのコレは、

ちょっと緩みがあるんだな。

 

ま、今となってみると、

たまには緩む日もね!

 

 

 

 

総合してみると、

「自分を大切にすること」と

「相手を大切にすること」の

バランスについて

めちゃ考えていた私の2018年1月。

フリースペースに書いている様々な記録から

葛藤の跡が見て取れる。

 

特に自分を観察しすぎないための方法を

言語化。今のところの考えだけど、

なかなか良いのではないか。

これは今までモヤモヤっと頭の中に

あったものが明確になったので、

これから

講座などを通じて

参加者の方々にお伝えできると思う。

 


それにしても

手書き!!!

小さい文字を書く筋肉を

使ってなかったと思い知らされる。

 

使ってない力は

衰えるものだし、

使い始めると復活する兆しがある。

 

鈍ってきた感受性みたいものを、

も一度鍛えてみよう。

 

ついでにとっくに諦めた記憶力、

この回復は見込めそうにないので、

補うためにも、メモだよな。

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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録画2本で自分を支えてみる。

【2018.01.31 Wednesday 18:21

講座を行ったり、

講演会講師の仕事で出かける前に、

ちょっとでも時間がある時は

録画してある「ひよっこ」を見る。

 

人の力を一層信じられて、

支えあうことが可能だと希望がわき、

コツコツやっていれば絶対うまくいくわけではないけど

でもコツコツやることの大切さを意識できる。

完璧な人なんかいないし、いなくていいし、

でも、弱音吐きながら 励ましあいながら

認め合いながら生きていくことができる・・・

そう信じるエネルギーを「ひよっこ」で注入。

 

その時間を持つことができて

今日は幸せだった。

 

今日は、

お父さんが奥茨城に帰ったあたりを見た。

田植えをしに支度をしている時、

お父さんはおじいさん(自分の親)に

「実っていい名前ですね」という

泣けるシーン。

 

そして

テレビ局に出前を届けに行った帰り

ヒデがみねこに

「まわりのためばかりでなく、

 自分がどうしたいか

 口に出してもいいのではないか」的な

アドバイスをするシーン。

 

 

録画を見てほのぼのした後

訪ねたのは、大学生への授業。

アサーティブトレーニングだから、

「自分がどうしたいか口に出す」

とはまさにビンゴ!なシーンだったなあ。

 

 

しかも、その

大学生たちが素晴らしかった。

 

適当にリラックスしてるし、

自分たちでペアになったり、

ペアを替えたりしてくれる。

 

彼らの理解は早く、

ワークもめちゃ楽しんでいた。

 

「手伝ってもらえるよう頼む」練習をし、

理論で整理したあと、

次は

「頼まれたことを断る」練習をした。

断る練習だから、その相手役は頼むわけだ。

すると、

最初にやった頼むためのスキルを、

すでに生かして実践していて、

「頼む役」をめっちゃ上手にやっている。

 

素晴らしい。

 

教育改革とか、

いろいろ叫ばれている今、

確かにAIの時代を生きていくためには

それも必要かもしれないが、

彼らの学び方を見ていたら、

今のままで十分だ!と思った。

 

今日会った大学生たちは

小中高と、

ちゃんと学び方を学んできてる!と思った。

 

黒板の前にたつ私を見てくれる

みんなのまなざしが

「より良くなりたい」

「知りたい」

「ちゃんと教えて」

って訴えている感じ。

 

蓮に構えてる子も、

ちら見してくるその目に、

ちゃんと聞いてる感がある。

 

これから彼らには

いろんなことが起こると思うけど、

その時どうしていったらいいか、

彼らは考え、

もちろん考えるための情報収集もし、

考えた中から選択し、行動を起こす!

と思ったよ、私は。

 

私は自分のやさぐれていた大学時代を思うと、

ただただ頭が下がったし、

小中高の先生方や、

彼らの学びの環境を守った家族など大人たちに、

お礼が言いたい気持ちになった。

 

 

 

 

 

帰宅後、

録画してある

NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」を見た。

もう何度めか。

 

2年前自閉症の東田直樹さんのドキュメンタリーを担当した

ディレクターが

再び彼の元を訪れる。

そして取材をする様子を中心に描かれている番組。

 

再び訪れたのは理由があり、

それはディレクター自身、

最初のドキュメンタリー制作後

ガンを発病。

ガンという病や命とどう向き合うか、

東田さんへの取材を通して考えようとしているのだ。

 

考えさせられる出来事や言葉はたくさんあるが、

見るたびに「今日はここ!」的な場面が違う。

今日の私には2つの出来事。

 

一つめは認知症を患っている祖母に会いに行って

質問した場面だ。

ホットケーキの素を混ぜるときに

卵を入れたかどうか忘れてしまったり、

やかんを火にかけたそばから

ガスの元栓を閉めてしまったり、

引き出しを開けて探し物をしてるのに、

そのうち何を探しているかわからなくなったり、

いろいろ心許なくなった祖母を見て、

一度めは混乱した東田さん。

二度めに訪ねた時には質問を用意していた。

 

「迷子になった子供を見かけたら

 どう声をかけますか?」という質問。

 

祖母は

「お母さんを一緒に探してあげるね」と答える。

 

我が意を得たりの東田さん。

できないことがいろいろ増えたけど、

おばあちゃんの優しさはそのままだ。

おばあちゃんは今でも、

誰かに座布団を進めたり、

お茶を入れてあげたり、

優しいのだ。

 

この、

おばあちゃんの優しさをはっきりさせるための

「迷子になった子供を見かけたら

 どう声をかけますか?」という質問を

用意していたのが見事で、

そこを引き出したいと考えた東田さんの

温かい心にジーンとなる。

 

 

もう一つは、

定番のぐっとくる場面。

 

ディレクターが番組の最後に質問する

「僕が前を向いて人生を生きるために

 大切なことを教えてほしい」

 

するとしばらく考えた東田さんは

文字盤を示しながら声に出して言う。

 

「どんな困難を抱えていても、

 人は幸せを見つけることができる

 おわり」

 

 

うんうん、私もそ思う。

それでも人生にイエス!なんだよな。

 

 

 

昨年年末から

仕事が立て込んだ。

年始は4日休んだが、

そこから連続仕事だった。

今日の仕事は2時間だけで、

久しぶりにリラックスする時間を持てた。

 

忙しく仕事するのも私は嫌いじゃない。

でもリラックスできるのもなかなかいいな。

 

 

さ、明日から2月。

2月もなかなかハードではある。

 

 

そんな私を気遣ってか

家人が買ってきた

興津のたい焼き!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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じれったさと共に。

【2018.01.06 Saturday 09:38

人の

表情や言動や態度や

とにかく

その人がその時

表していることは、

何らかの背景がある。

 

私としてはなかなか良い提案をしたつもりが、

その途端の曇った表情の裏には、

もしかするとその方は、

過去にそれに近いことをして

失敗したのかもしれないし、

ひどく傷ついたのかもしれない。

それが、すごく辛い体験になっているのかも

しれないんだ。

 

会議の席で

急に早口になり、

急にトーンが強くなったのは、

どうしてもそれを通したい

複雑で避けられない何かが

あの方にはあったのかもしれない。

 

力になりたくて

何かできることはないかと訊いた時、

それでも下を向いておし黙る姿には、

「まだあなたには言えない」のか、

「あなたを信用していない」のか、

「助けてといいたくない」のか、

「何を言ったらいいのかわからない」のか、

その方の頭の中でぐるぐるしている思いは、

すごく大切なものだ。

 

昨日仕事先で、

インスタントではなく、

わざわざドリップコーヒーを

いれてもらった。

3人でひと仕事終えて、

振り返っている時間だった。

大したことはできなかったが、

そんな私を労ってくれてる気持ちが

そのコーヒーをいれてくれている姿、

差し出してくれた動きから、

しっとりと伝わってきて、

帰宅途中の車の中で

泣けてきた。

 

みんなと一緒の場所で

ひとり静かに仕事をしている人もいれば、

ひとりだけの場所を見つけて、

SNSでいろんな人と関わりながら仕事している人もいる。

たぶん、

それを選ぶ理由がある。背景がある。

 

 

うちのカルの、

棚の下に座って、

じっと私と目があうのを待つ理由は

「おやつくれ」で、

テレビの横のカゴの中を鼻でつついて

こっちをチラチラ見る理由は

「私と遊べ」

言葉で言えない彼女の思いを

推し量ろうとする私。

 

言葉を使う人の

言葉を使いながらも

表せない思いを

掴み取ろうとせよ、私。

 

 

毎年箱根駅伝のサッポロのCMは楽しみだが、

今年の

「僕には止まれない理由がある」もぐっときた。

怪我をし、走れない仲間が給水係をやってくれている。

彼の分もと思うと止まれない。

幼い時から叱咤激励してくれた父親。

夏の暑さの中で指導をしてくれたコーチ。

彼らの自分にかけてくれた言葉や時間や思いを考えると

止まるわけにはいかない・・・というCM。

今年は駒大の駅伝キャップテンの選手が

相当苦しそうになってから10キロ以上走った。

彼は止まらなかった。

國學院大学は2〜3秒の差でたすきを繋げなかったが、

それでも、そこであきらめない。

それには、CMのような、

CM以上の、

様々な背景があるんだろう。

 

 

 

若い頃、東京で暮らしていて、

帰省する時は

古い服を着て帰った。

今考えると、本当に情けない娘だったが、

親に、

「新しい服を買ってもらいたい」

と要求しないで、

それでも買ってもらうための

行為だった。

親はそんな作戦に気づきながら、

乗ってくれた。

 

コミュニケーションをテーマとした文章の中に、

「昨年12月は2回大阪出張があって」

と書きながら

あれ?この文は直接必要ないのに

なぜ書いているのだろう?と

自分に問いかけると、

「忙しさアピール」があった。

ついさっきのことだ。

削除した。

 

時々SNSにあげる読んだ本の写真も、

忘備録のつもりだけど、

どこかで「読書してるぞアピール」が

あったかもしれないなあ。

でへへへ。小っ恥ずかしいなあ。

 

 

私の行為、行動、態度、表情、言葉に、

無意識で、

時々意識して、

そこに込めるメッセージがあるように、

人があらわしてることには理由がある

と考えよう。

 

自分にとって不都合なこと、

納得できないことの時こそ、

相手には相手の思い、感情、考え、経験があり、

そういう背景の上だと

自覚をしよう。

 

そして、それはどんなに考えても、

正確にはわからない、

だからこそじれったいもので、

でも、推し量ることは

大切なことだと理解していよう。

 

さらに

それと同時に、

深読みは危険ということも知っておこう。

 

推し量った方がいいことと、

深読みしない方がいいこと、

そのジャッジをしながら、

バランスとっていこう。

 

そんなふうにやっていこう。

 

 

さて、2018年がスタートしました。

今年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分を見くびってました。

【2017.12.19 Tuesday 10:10

週に2〜3回、朝走っている。

5〜6年になると思う。

その間、一回10kmまで走る時期もあったが、

ここのところは7kmくらいで落ち着いている。

2年くらい前に、走りながら

「これからどんどんダメになっていくんだろうな」

と体力などの衰えを急激に感じた時があった。

それから

だらだらとした長い坂は時々歩いたりして、

しのぎながらランしてきた。

現状維持できたら儲けもの、

それが無理でも、

落ち方を緩やかにさせよう!

くらいの感じでそれでも続けてきた。

 

10月くらいだったか、

アサーティブの仲間が

スクワットに挑戦しているのをSNSを通じて知った。

「30daychallenge」というアプリを使っていた。

どうやら初日は50回。少しずつ回数を増やしていって

30日後には250回に挑戦するというもの。

彼女たちに遅れること10日くらい。

私も始めてみた。

 

最初は、

終えるとよろよろした。

30日後に250回できるなんて、

とてもじゃないけど思えなかった。

 

そんな時に出てくる私の考え方の癖。

「なんで始めちゃったんだろう」・・・。

分析して物事を複雑にしてしまいそうになる、

この癖とはもう長いから、

付き合い方はわかってる。

そう考える自分をそのまま認めて、

とにかく、それでも行動することだ!

 

〜な感じでゆっくりスタートしたのだが、

5日目くらいから、変化が起こった。

朝のランの「坂」が

ちょっとだけ楽になってきたのだ。

 

嬉しかった。

 

実は、

私は、

もう二度と、

成長している自分っていうか、

昨日より良くなっている自分を

感じることなんかないんだろうな、

と勝手に判断してしまっていた。

体力だけでなく、

仕事も体力に重ねてそう判断してたかも。

でも、少なくとも体力は

そんなことはなかった。

このままゆっくりと下っていくんだろうな

と思っていたが、

それは自分を見くびっていたんだと思った。

 

 

このアプリが私にあっていたのは、

時々休みがあること。

休みがなくても、

勝手に休んでいたと思うが、

それだとちょっとした挫折感がある。

でも今日のところに「REST」とあると、

「ちっ、やろうと思ってたのに・・・」

なんてつぶやけたりして

堂々と休める。

 

で、結局30日後、私は250回、

スクワットができたのだ。

もちろん連続はきつく、

50回やってひと息を5回だったが、

でも、okでしょ。

 

そしてそれはランにも良い影響を与えてくれて、

タイムが縮み、

何よりも、

自分の体の軽さが実感できて嬉しいのだ。

(⇩記念にとっておいた!)

 

 

 

では仕事ではどうか?

これは自分では分からない。

ただ、

振り返ってみれば、

新しいプログラムにチャレンジし、

その質は、昨年のスタート時よりは

上がったと思う。

そして来年は新しい資格にチャレンジするために、

研修会に参加する予定を入れた。

 

自分のことを簡単に

諦めたらダメだよな。

見くびってたら、

自分の中の

もう一人の自分に

「おいおい、私をなめたらいかんよ」

とアドバイスしてもらわないとな。

 

 

 

 

 

以前私は、

自分の限界を感じて、

「成長することだけが良いことではない」

と考えることにしていた。

 

今も、その時とは別の意味でそう考える。

 

どうにもならない状況を

ただただしのぐことも立派なことだし、

どんどん悪くなる状況に流れを任せなければ

繋げていけない時もあり、

それをやりすごすことだって、

すごいことだ。

 

で今は、そのもう一方にある、

「自分の中の知識、考えの中でやっていて

 うまくいかなかったら、

 外のアイディアを試してみよう。

 解決の糸口があるかも。

 それは成長に結びついちゃうかも」

という考え方の比重をあげたいと思うんだ。

 

 

 

さらに

やっぱり

「継続」ってのが

大事なんだと思う。

 

いくら自分の外のアイディアを取り入れても、

2〜3日で結論を出してしまっては、

新しい力にはならないんだよな。

無意識は「現状維持」を望んでいると

昔、誰かの本で読んだ。

今までの考え方、

今までの体力、

今までの表現方法など、

慣れ親しんだものを変えるには、

ある程度の期間が必要だ。

 

 

これを読んでいる方の中に、

今もし

あまりにもうまくいっていなくて、

どうしても愚痴がついて出てくるなんて方がいたら、

愚痴も言うけど、

良かったことも書き留めることを

30日続けてみたりしたらどうかな。

 

片付けてない箇所が気になりながら、

とりあえずほっておいてある方がいたら、

面倒だなと思いながらも、

「1日1個、いらない書類を処分する」を

30日続けてみたりしていたらいかがか。

 

そんなことにチャレンジすることで

変わる何かはあるかも。

 

 

 

そして私の次のチャレンジはプランク。

今のところ30日後の

「5分」なんて絶対無理に決まってると思いながら

やっている。

(⇩ 1分、なんとか)

 

 

 


 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

さて、

ここのところ出張も多く、

移動で本が結構読めました。

その中での超おすすめは

「さよなら、田中さん」

中学2年生の鈴木るりかさんが

書いた小説です。

 

主人公の母親が言うんです。

 

 死にたくなったら

 とりあえず

 飯を食え

 そしてその一食分だけ生きてみろ

 そうして一食一食と

 命をつないでみろ

 

 そしてその食べ物をくれる人に

 感謝しなくちゃいけない

 作ってくれた人とか、食材を買う

 お金を稼いでくれた人とかだ

 

 

あああ、思い出しても泣けるう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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救い

【2017.10.23 Monday 10:02

日産の無資格検査の件が、

表に出てからも継続していたケースは、

複雑な背景があったと思うが、

その一つには

コミュニケーションの問題もあったようだ。

 

現場の声と管理職の認識のズレは、

コミュニケーションの量が

圧倒的に足りてないことを

示しているように思う。

 

 

 

瞬時に伝えることができるデジタルツールを

誰もが持っているのに、

大切なことが伝わらないのはなぜなんだろうか?

 

 

 

「Aという方法でやってください」

という指示が与えられてとしても、

Aという方法が、

現場にとっては無駄のように感じられたり、

現場ではより効率的な方法で行われていて、

それに慣れていて、

それが長年の当たり前であったり。

しかも、指示をした方が、

現場の人より若かったり、

経験が浅かったりしたら・・・

なんてこと考えると、

現場としては、

「上はあ〜は言ってるけど、

 まあ、いいんじゃない」

なんてこともあるかもしれないなあ。

 

その時に、

「その方法では、効率悪すぎます」とか

「今までこれでやってきて何も問題がないのに、

 なぜそうするんですか?」

など、

現場の中に湧いた声を

管理職に伝えることができたら、

何らかの手は打てたかもしれないな。

 

 

逆に、

現場の雰囲気を考えると、

とても改善点を伝えられないと

いう管理職もいるかもしれない。

 

強権的と思われたくない、

これまでの(表面上は)いい感じの関係を

壊したくない、

気持ち良く働いてもらいたい、

面倒な管理職と思われたくない・・・

いろいろな考え、感情を背景に、

「とりあえず言わないで様子みてみよう」という判断。

 

 

あるいは、

伝え方の問題もあったかも。

「自分はこのままでいいと思ってるんだけど、

 上が言えってことなんで、

 一応言っときますけど、

 これからはできたらAって方法で

 よろしくお願いします」的な。

 

そうした方がいいのか、

そうしなくてもいいのか、

よくわからない伝え方。

 

 

 

とはいえ、

言わなかった現場が悪いとか、

拾い上げられなかった管理職が悪いとか、

言える雰囲気作ってない現場が悪いとか、

適切に指導できない管理職が悪いとか、

何か一つに責任があるというほど、

単純ではないと思う。

 

そして、こういうことは、

いろいろな場で起きていることなんだろうな。

 

 

 

 

 

私自身も、

私自身の望みとは関係なく、

強い立場になってしまっている時と

弱い立場の時がある。

 

 

例えば雇用されている時や、

経験が浅い場の時があり、

そんな時には、

「反論したら、やっかいな人と思われるかも」とか、

「違う意見があったとしても、

 もう少し慣れてから」とか、

そんな考えが頭の中に浮かぶこともある。

発言するのに勇気がいる場合も多い。

 

立場や役割に違いがあったとしても

人としては対等だと理解していても、

評価される怖さや、

いい人でいたいという自分に課してるものがじゃまして、

「声に出すには勇気がいること」は多いものだ。

 

 

それに反して、

例えばこちらが依頼してる時や、

その場に集まった仲間の中では

一番キャリアが長いなんて時。

あるいは、

専門性を持って活動してる場

(カウンセラーとして、講師として)

というような場でも、

意に反してだし、それはまずいことなんだけど、

強い立場になってしまうことがある。

年齢も57歳となってくると、

そういうことも多くなったりする。

 

またそういう役割を担っている上で、

相手にとっては耳の痛いこと、

厳しい改善点や建設的な批判、

「次にはこうして欲しい」など

言わなくてはならないこともある。

 

 

これがキツイし、試される。

 

 

そういう時に、

問われるのは、

相手から

別の意見を言ってもらえるかどうか?

質問してもらえるかどうか?

なんだろうなあ。

 

これが難しいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

本当に難しいものだけど、

私の場合は、

2つの点で助かっている。

 

一つは

アサーティブ・ロゴセラピー・建設的な生き方など、

戻るところがあることだ。

感情の整理の仕方、

目標の立て方、

コミュニケーションの方法など、

帰る理論やスキルがあることが、

本当に本当に救い。

 

難しい場面には、

素手で太刀打ちできないもの。

 

 

それともう一つ、

私自身の「自信のなさ」が、

救い。

私は時々思い込むし、時々失敗する。

相手を誤解してることもあるし、

間違うこともある。

これって、情けないことなんだけど、

でも、

自分を過信してないことは、

私のコミュニケーション力の

大切な救いだと思う。

 

自分が間違っているかも・・・

自分の何かが足りてないかも・・・

あの素晴らしい人が、こういう言動をするのは、

深い背景があるのかも・・・

自分を過信してないことが、

時々、私をそこに立たせてくれるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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また始まる。

【2017.09.23 Saturday 06:06

5年ぶりに友人に会った。
彼女は昨年まで学校の先生をされていた。
確か7年前くらいか?

私がスクールカウンセラーとして活動する中学校に

彼女が赴任。

 

(なお、彼女の同意の上のアップです)


ある時、ある保護者との面談を終えて、
学年主任の彼女に報告、
「お父さんが相談にきてくださって、

 とっても熱心に相談していってくださった。

 教頭先生(男性)に入ってもらって、
 男性同士で話し合ってもらってもいいかもね」
 と言うと、
彼女は
「谷澤さん、大切な時には男性って思うんだ」
と言った。

自分の説明不足を恥じながら、
ジェンダーの問題にはとりわけ敏感な私は、

同時に、そこにひっかかってくれたことがうれしかった。
「『大切な場面は女性より男性』という意味で

 言ったのではないよ。

 でもそう受け取られるような話し方をした

 私がいけなかった。

 父親同士という立場で話しをしてもらうってのも、

 問題解決の助けになりそうという意味だよ」

というと、

「そうかあ」といってくれた。

そういう指摘をちゃんとしてくれた

彼女の姿勢が素敵で、

そういう幾つかのことから、

出会ってすぐに友達になったと思う。


そんな中、

「ソーシャルスキルを学年を通してトレーニングしたい」

という話になり、

一緒に企画し、

聴き方、

アサーティブな話し方、

ストレスマネージメント

と学年全体で、

あるいはクラスに入ってと、

年に3回授業を担当させてもらったこともある。

すごくいい経験だった。

 

発達障がいをを持つある男子生徒と

定期的に面談とSSTの時間を設けてくれて、

1年後には衝動的な行動がだいぶ少なくなり〜

なんてこともあった。
 
プライベートでも

一度ランチをし、

一度はイタリアンをいただきながら

ワインをいっぱい飲んだこともある。
 
もってるもの、

たとえば文房具だったり、

車だったりの趣味が似ていて、

選ぶ服や

考え方や価値観もかなりに近かったと思う。
 
彼女と、

ある時を境に連絡しあわなくなってしまった。

私はそのことがずっと心にひっかかっていた。

 
その彼女から「カフェレストランを開いた」

と連絡があったのが7月終わり。
「将来カフェをやりたい」と話してくれていた、

その夢をかなえたんだ!と嬉しくなった。
 


その彼女の店に、今日やっと伺うことができた。

コクのあるビーフストロガノフと、

まろやかな人参とくだもののラペをいただきながら、
近況を聞きあった後で、私は思い切っていった。
 
実はずっと謝りたかった。
あなたが子どもさんの怪我のことで、

私にメールをしてきてくれた時、
私は、あなたがどんなに子どもさんを愛していて、

大切に思っていて、

その子の怪我だから、

それも大きな怪我だったから、

どんなに不安で心配でたまらなかったかわかっていたのに、

多分、その時私自身も何かで忙しかったのか、
不安をちゃんと受け止めずに、

「しっかりしようよ」的なメールを返したと思う。
私は後で、

なんてひどいことをしたのかと心苦しくて、

謝りたかったけど、

なんとなくメールしないでいるうちに、

こんなに時間が経ってしまった。
 
すると、彼女は、

「そんなことあった?」と言ってくれ、
「私がメールをしなかったのは、
 何かでメールをした時に、

『今日は返事ができないけど、

 明日ならできるけど、それでいい?』

 という返事が返ってきて、

『これ以上谷澤さんに甘えたらダメだ』って思って、
『もう大丈夫だからいいよ』という返事をして、

 それから連絡しなくなってた・・・と思ってたよ。

 忙しい谷澤さんに迷惑かけたらダメだと思って」

 

え〜そうだったんだ・・・

お互い、びっくりした。

 

私たちの記憶をまとめてみると、

多分、私が彼女に

『今日は返事ができないけど、

 明日ならできるけど、それでいい?』

とメールしたのが、

お子さんの怪我の時だったのかもしれないな。

だとしたら、その方がもっとひどいな、谷澤。

それで、

『もう大丈夫だからいいよ』

という返事を彼女からもらって、

そのあと、

 「しっかりしようよ」的なメールを返したのかもしれない。


 

お互い、思い合っていたんだ。
合わない間、メールしない間、

お互い、心のどこかで思い合っていたんだな。

なんか、ありがたいなあと思った。

 

 

 
彼女の開いた店は、本当に居心地がよく、

結局2時間半も長居してしまった。
 


私はその後、定時制の高校で授業をした。
6月にも呼ばれて授業をしたが、

その時は、生徒さんたちの心に残る授業ができなかったと思う。

ずっと喋っている3人の生徒がいて、

私は「私の授業が面白くないから喋ってるんだ」

と落ち込みながら、

よし!と気合を入れれば入れるほどの空回り・・・

という情けない授業だった。
 
で、今回だ!


成功した・・・と思う。


みんなよく聞いてくれていたし、

(例の子たちも聞いてくれていた)

少しは爪痕残せたのでは?と手応えがあった。

もちろん準備も入念にしたが、
何よりも、

あの店で、

彼女と話し、

彼女が作ったお料理をいただき、

入れてくれたコーヒーを飲んで、

そして長年の胸のつかえが取れて、

体中が柔らかいもので

包まれていることが大きいと思った。
 
私は定時制で学ぶ子どもたちに、

生きてるっていいよ!って叫びたいような気持ちだった。

心がすれ違うこと、

誤解しちゃうこともある。

うまくいかないことや

間違ってしまうこともある。

それが人間ってものだよ。
でもね、

でも人はまた分かり合うこともできるよ。

間違いを認めるチャンスをつかまえることもできるんだ。

やり直せることもある。

また始めることもできる。

生きてると、そういう日もあるんだ。

生きてるって、悪いことばっかじゃない。

それには、とにかく、今を生きて、

それを繋いでいくことなんだよ。
 
そういう私の想いみたいなものが、

なんとなく伝わったのかもしれないな。

なんてたって、

そういう実感の中ににいたもの。
 
あの中学で、彼女と出会えてよかった。 

 

その友人が、いてくれてよかった。

 

なんと私たちは、同じ車種に乗っていた。

ふふふっ。

 

 


 
カフェレストランのオープン、本当に嬉しい。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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ヒューマノイドの保育士さん

【2017.07.18 Tuesday 09:23

 

先日、

夫と

「将来、ヒューマノイドに 

 保育士さんとか、

 幼児教育者は務まるか」

という話を

ちょっとだけした。

 

私は

「幼児期はやらせたくない派」。

 

でもその理由は、

自分でもモヤモヤしていて、

その時は上手く

言葉にまとめることは

できなかった。

 

で、

「寝る」とか

「漬け込む」ってすごいな!

って思うんだけど、

今になって、

「ヒューマノイドは

 効率的だからだ」

とまとまった。

 

 

幼児期に

「先生」は

身近な大人として、

人間ってものを感じさせてくれる存在だ。

 

その存在は

人間らしく、

不完全であってほしいと思う。

非合理で、

非効率で、

時々愚かな、

つまり人間であってほしいと思う。

 

 

人間は

感情を持ち、

時々はそれに巻き込まれ、

いやいやそれではダメだと自分を律したりする。

 

先生であっても

月曜はなんとなく気だるく、

でもそれに自分で気づいて背筋を伸ばしたりする、

そういう存在。

 

こちらが正解とわかっていても、

不正解の方の背景を思いやって

葛藤したりする。

 

言い間違いがあって謝ったり、

時間ギリギリで飛び込んできた髪の毛がはねてたり、

プライベートでのイライラを持ち込みそうになって

深く反省し、すご〜く頑張ったり、

 

自分を棚に上げて注意して、

子どもから「先生もやってるじゃ〜ん」なんて

指摘され苦笑いしたりする。

 

しかった後凹んでる子に、

活躍する場面を作ってあげたりすることもあるけど、

時々は落ち込むことに浸る時間も必要だとも

知っている。

 

今日のやるべきことはあったとしても、

ムダ話してるうちにそれが楽しくなってしまったり、

ゴールに向かって計画的に進めていくんだけど、

結局最後になって準備が追いついてなくって、

「さ、みんなでめちゃ協力するよ〜」

なんてことになったもある。

 

 

不完全であるってことも含めて

それが

人間として完全なんだと思う。

 

 

 

保育士さんや幼稚園教諭として、

見守らなくてはならないことや、

教えなければならないことを、

効率よくサービスするという、

以外のところで、

人の子どもは「人間」ってものを

自分自身に

染み込ませていくのではないだろうか?

こういうものなんだって。

それでいいって。

 

言葉での理解ではなく、

一緒にいることで、

こういうのが人間って

ものなんだって

わかっていく。

 

 

 

 

もちろん、

ヒューマノイドだったら

罵倒も暴力も

上から圧力かけて子どもをコントロールする

ってことも

(組み込まなければ)ありえない。

保育園や幼稚園、

小学校1〜2年の頃、

先生から受けた攻撃的な言葉や態度や

不当な批判が心の傷になってしまう場合もあるから、

「安全である」ってのはすごいこと。

 

だからこそ、

対子ども支援や教育をされてる方は、

努力やトレーニングをする必要が

あることは確かだ。

 

 

ただ、

そういう、

自分の不完全さや危うさを知っていて、

それでも改善に向かって努力を続ける人が

(でも時々怠けたりもする人が)

幼児期の子どものそばにいてほしいって

考える。

 

 

 

 

 

やらなくてはならないことが山積みな時、

ヒューマノイドは、

優先順位を判断し、

それに基づいて的確に仕事を仕上げていくと思う。

 

あ〜、

そして人間らしい私。

いろいろ後回しにしてる私。

ものすごく

言い訳じみたことを書いてる私。

でも、さすがに取り組むぞ〜〜〜〜〜!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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気分に引っ張られない

【2017.07.10 Monday 08:14

あ〜

なんか

うまくいかないなあ・・・

 

なんてこと、ある。

 

うまくいかないことが重なって、

気分もせいせいしない

なんてこと。

 

なんだけど、

とりあえず、

コーヒーいれて、

レポートの続きを書こう!っと。

 

 

 

・・・というように、

今日の、

今の気分がどうであっても、

気分のまま行動するのではなく、

今、やる必要があることをやれる

といい。

 

 

これは

CL「建設的な生き方」という考え方に

出会った時から私自身が意識していることだ。

意識はしているけど、

するべきことやした方がいいことを

選択しないことも、

もちろんある。

 

ただ選択することの方が

圧倒的に多くなって、

そうなって

本当に良かったと思うのは、

自分へのダメ出しが減ったことだと思う。

 

 

気分に引きずられて何もしないでいると、

気分が良くないだけでなく、

その上に「何もしてない自分」に

一層辛くなる。

 

 

だから、

4の5の言わずに、行動すればいいじゃん!

と思うが、

腰をあげるのが大変な時もあるのが

人間だ。

 

 

そういう時のために、

いろいろな人がいろいろな方法を編み出してる。

 

大きく分けると二つになると思う。

ゝな転換

⊇侏荵に対する

 視点を変えてみる

 

 

 ΑΑ

私の場合は、カル関係で

気分転換できることが多い。

カルはしつこいことを嫌うが、

なぜか私が凹んでいることは

わかるのか、

そんな時は抱っこされてくれたりもする。

 

無脂肪牛乳をいっぱい入れた

カフェオレを飲むこともする、

 

 

平井堅の♩ノンフィクション♩

玉置浩二♩Mr.lonely♩

ユニコーン♩エコー♩

で落ち着く。

 

顔を洗う。

 

大きく深呼吸。

 

着替える。

 

などが、最近の

私の「気分手当て法」だ。

 

 

 

 

今日主に書きたいのは

◆ΑΑ

視点を変える方法だ。

 

これもいろいろな方法があると思うが、

最近読んだ本では以下の方法が書かれていた。

 

 

「『かわいそうな私』エンジンに火がついて

 妄想が止まらなくなっている状態」

になったら

「一時停止ボタンを押そう。

 何の反応もせず、

 3日間ほおっておく。

 または3時間でもいい。

 3日間過ぎたら、好きなだけ

 『かわいそうな私』に

 なってかまわない。

 泣き叫んでもいいし、

 最悪の事態を妄想するのも

 いいだろう。

 それまでは、

 与えられた72時間を使って、

 その事態のいい面を5つ考える」

(「『感謝』で思考は現実になる」より)

 

 

「かわいそうな私」になってはいけない

のではなく、なってもいいけど、

直後はそうしないってのが、

なんか、いい。

 

直後は危険だもの。

 

「かわいそうな私」色のサングラスかけたら、

すべてがそう見えちゃうもの。

 

一旦、

(とにかく3時間は、

 それでもおさまらないなら3日間)

はそのサングラスは外して、

 

その出来事を

「ラッキーな私」色のサングラスを

かけて見るってことだ。

 

最悪の出来事でも

考えようによっては

良いことと考える事もできるのが人間だ。

 

このことをやっている人は

多いと思う。

 

例えば、

◆就職試験でA社から断られた・・・

ショック

「かわいそうな私」サングラスでは、

(もう、絶対に仕事なんか見つからないかも)

「ラッキーな私」サングラスでは、

(もっと他にきっと私の良さを

 認めてくれる仕事があるから

 こその今回だ!)

 

◆上司にみんなの前で批判をされた・・・

悔しい

「かわいそうな私」サングラスでは、

(これだけ恥をかかされた。

 皆はこれから私をできない人と

 扱うに決まってる)

「ラッキーな私」サングラスでは、

(これでもう、しっかり者の私イメージ

 から抜けだせた。のびのびやるぞ)

 

◆子どもがまったく言うこときかない・・・

がっかり

「かわいそうな私」サングラスでは、

(この子に一生振り回されて

 そんな私の苦労は誰も気がついて

 くれない)

「ラッキーな私」サングラスでは、

(この子が本音を出せたり、

 ありのままでいたりできる

 環境を作れてるなんて、

 ありがたい)

 

的な感じだろうか。

 

 

他にも、

最近藤井四段関係で知った

「ひふみんアイ」ってのは

応用できそうだ。

 

これは最近引退された棋士

加藤一二三九段の使う方法。

難しい局面で、行き詰まった時に、

席を立ち、相手側に回って

相手側の目線で将棋盤を見るのだそうだ。

 

「不思議なことに、同じ局面のはずなのに

 先手側から見た時と

 後手側から見た時では、

 局面の雰囲気や形勢が違って見えます。

 これで、より正確に局面の良し悪しや

 攻めるべきか守るべきかなどを

 判断することができ、

 読みも正確になるという効果

「将棋ワンストップニュース」より)

 

 

 

◆約束を破られた・・・悲しい

「ひふみんアイ」で視線を変えると、

 最近、その方は家族のことで

 めちゃくちゃ忙しそうだったから、

 やむにやまれぬ事情が

 あったのかもしれない。

 

 

◆後輩がちょっとしたミスを繰り返す

・・・カチンとくる

「ひふみんアイ」で視線を変えると、

 まだまだ不慣れな中で、

 自分なりに頑張ろうとしているけど、

 細部まで注意深くする余裕は

 ないんだろう。

 

 

 

的な感じ。

 

 

 

以上の方法は

ネガティブな気分の元の出来事そのもの

に対する視点を変える方法だ。

 

 

それ以外にも、

「あるもの探し」(谷澤命名)という方法がある。

出来事そのものから視点をはずし、

気分が凹むその出来事以外では

できていること、

支えてもらっていること、

持ってるもの、

やてきたことなどを数える方法だ。

 

・仕事がある

・待っててくれてる方がいる

・おふろ掃除をしてくれる家人

・スマホで、必要な情報を

 得ることができた

・散歩の最中

 いい具合に枯れ始めた

 紫陽花を見つけた

・新しい仕事に不安な時に

 相談に乗ってくれる先輩

・ツバメが旅立った後、

 今シーズン2代目のツバメが

 現在抱卵中

・一緒に話し合える仲間の存在

・セールで何買おうと、

 ネットでいろいろ見る時間

・・・などなど。

 

 

ただ、

「『感謝』で思考は現実になる」には、

もっと強力な方法が書かれていた。

 

「やらずにすんで感謝してること」

まで含めることを薦めているのだ。

 

やらずにすんでいることって考えると、

 

・今日も通勤の行き帰りに事故に 

 巻き込まれず、事故処理の時間を

 使わなくてすんだ

・車を使うので、

 目的地までの路線を調べたり、

 時刻表に合わせた行動をしない

 ですんだ

・カルがまったくトイレの失敗を

 しなくなってくれたおかげで

 始末をしなくてすんでいる

・家族のみんながとりあえず元気で

 いてくれているので、

 その面の心配はしないですんでる

・今日は家人が飲み会なので、

 残り物ですます。ご飯を作ったり 

 後かたづけをやらずにすんだ

 

やらずにすんでることは

見逃しがちだけど、

でも、

考えてみると当たり前じゃないよな。

 

この本の中には

「『何かが足りない』と思い込むと、

 すでに持っているものへの感謝の心が

 なくなってしまう」

とあるし、

「何もかもがうまくいかないときは、

 うまくいかないことを嘆くのではなく

 うまくいってることを見つけて、

 そこから前に進んでいく」

とある。

 

同感だ。

 

視点の変え方は、

まだまだ工夫ができそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

上記の対症療法も続けることで

気分に左右されなくなる可能性は

大いにあるが、

 

時々、

自分がいやな気分に落ち入りがち出来事を

カテゴライズしておくといいんだろうな。

 

そして、

解決に向かって動き出せると

とってもいいな。

 

カテゴラズのひとつに、

「断れない」「頼めない」「訊けない」

「相手に対して言いたいことをためた上、

 爆発してしまう」

「批判に弱い」

など、

コミュニケーション上のことがあったら、

ストレス要因を減らすためにも

コミュニケーションの技術を

身につけておくと良いと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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STOP! かけられるかどうか?

【2017.07.06 Thursday 11:08

感情を自己管理できるかどうかにかかっているのは、

最初の何秒かだと思う。

 

何か起こった時に、

衝動的に暴言が出てしまうか、

止めることができるか、

一瞬のことなんだよなあ。

 

その一瞬を捕まえることができずに、

思わぬ事態を招いてしまうのは、

子どもも大人も同じで、

大人の事例としては、

自分への批判に対して

「こんな人たち」呼ばわりしてしまうとか、

秘書さんに暴言暴力とか、

近々の事例を考えても

インパクトありすぎで

悲しくなる。

 

 

 

糸井重里著「抱きしめられたい。」の中に

 

「感情を起点にして

 なにか言ったりやったりしたところで、

 せいぜいが『溜飲が下がった』『すっきりしたぜ』

 『吠え面かかせてやった』『ああいい気持ちだ』といった

 かなりむなしい結果にしかなりません。

 『感情的になったら、まず止まれ』

 ではないでしょうか」

 

とあった。

 

その通りだと思う。

そして、その通りだと、

きっと誰もが思っているけど、

どう止めらたいいのか

知らない人も多いと思う。

 

 

事態を良くするも悪くするも、

ほんの何秒か。

 

ほんの何秒ってことは、

「反射的」ってことだ。

 

この反射的な振る舞いを

悪いものにしないために

日常で学んだりトレーニングしとくことは

めちゃ大切だ。

 

 

 

 

私がお勧めしたい

日常の中でのトレーニング法は、

「気づく」練習。

 

何に「気づく」練習をするのかというと、

「感情」に「気づく」練習だ。

 

 

私の場合だったら、

 

カルが食欲ない・・・心配

 

やらないとならないことを

  やってない・・・焦り

 

講演の最中、つまらなそうな

表情の方を見つけた

    ・・・悔しい

 

買ったばかりのTシャツに

コーヒーのシミついた

    ・・・悲しい

 

朝、足の調子が悪いような

 気がして走らなかった

    ・・・情けない

 

みたいなこと。

 

 

 

こういう、

自分が感じたものを

ちゃんと受け止める練習。

 

受け止めるとは、

自分の中に湧いている

モヤモヤしたものの正体に

頭の中で感情名をつけること。

 

 

 

これをする意味は

少なくとも

二つあると思う。

 

 

一つは、

「感情的になったら、まず止まれ」

の「まず止まれ」の前に

やっとかないとならないことは、

「感情的になっ」てる自分に

気づけること。

その練習になるという意味。

 

 

忙しい毎日の中で、

自分の悔しさや寂しさや不安などを

ちゃんと言葉で掴んでおくことなど、

後回しにしている人って多いと思う。

 

そうして溜まっていく思い。

 

溜まっていくだけではなく、

気づけなくなっていく可能性がある。

 

気づけないと、

「まず止まれ」ができない。

 

つまり、

ささやかな出来後からの

小さな感情だったとしても、

ちゃんと気づく練習しとこ!ってこと。

 

 

 

もう一つは、

怒りは二次感情。

最初に湧いた別の感情を押し込め続けることで、

怒りの感情が湧きやすくなってしまうので、

それを阻止しようという意味。

 

 

大人って、

不安とか、情けないとか、悲しいとか、

そういう感情を持つことを、

「弱い」とか「ダメ」って思ってる場合が多い。

 

 そうして頑張って生きてること、

 ほんと多いと思う。

 

そう思い込んでいると、

そういう感情が湧いた時に、

無意識に心の中に押し込めて、

本当は感じているのに

なかったことにすることもある。

 

でも溜まっていく。

 

どうにもならなくなると、

心の中がパンパンだから、

「強い」感情「怒り」に

すり替えて表したりするものなんだ。

 

 

 

 

 

 

「感情を起点」に行動すると、

まずいことになることが多い。

感情をないがしろにしたら、

もっとまずいことになることもある。

 

感情を適切に取り扱うこと。

そのスタートは、

気づくこと。

 

 

*アサーティブ・トレーニングでは、

 応用編で怒りの取り扱いを学べます。

 

 

 

 

 

・・・と隣を見ると、

カルがスヤスヤ寝ている。

なんか、やすらぐなあ。

 

そうだよ、バランスが大切だよ。

 

心地よい方の感情も、

ちゃんと言語化しておきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ふんぎり

【2017.06.24 Saturday 21:14

 

昨日公園で、

犬好きの小5の女子2人に再会した。

2人はいつも一緒にいるけど、

会話を聞いている限り、

めちゃ仲良しってわけではなさそうだ。

 

「○ちゃんは走るの、遅いよね」

「でも◇ちゃんは泳げないじゃん」

 

名前の漢字を質問すると、

わざとブラックな例で

私に教えてくれる。

一緒にいるその子を

ちょっとだけおとしめる的な

かわいらしいディスり。
 

よく小学生にあることで、

「家では一緒に遊ぶけど、

 学校に行くと距離をとっている問題」

やその反対がある。

 

彼女たちも、

もしかすると、それかも。

 

もしかすると、

お互いすごく好きなわけではないけど、

家の周りではお互いしか

同じくらいの年齢の女子が

いないので

一緒にいるのかもしれないな。

 

 

こりゃ、遊んでても

すっきりしないだろうな・・・

と考えながらも

ま、

こりゃこれで、

人生のトレーニングだよな

と思う。

 

 

私の幼い頃、

近所のお姉さんを取り合って、

周りの女子と競ったことは、

あれがあったからこそ、

そういうことのバカバカしさへの理解と、

ギスギスした関係の中に自分を置くことの

しんどさの経験ができ、

その後に足跡残してたと思う。

そして、そういう居心地の悪さの中にも

楽しいことや、

素敵なことや、

興味深いこともあることを、

身をもって体験したんだと思う。

 

だからあの2人は

あの2人にしかわからない

微妙なつながりの中で

大切なことをいろいろ学んでいるんだな。

 

 

 

 

先日は当番で、

朝6時から8時まで、

自治会の資源ごみ回収の見守りをした。

 

ビンは色別、

かんはアルミ缶とスチール缶とスプレー缶を分別し、

ペットボトルは洗って裸にして潰したものを

出してもらう。

ルールが守られ、スムースに回収できるよう、

当番は見守る。

 

当番で立っていると、

時々子どもが一人で出しに来たり、

親と一緒に出しにきたりした。

 

私は、

「おはよう。

 朝からお手伝い、すごいね」

などと挨拶するのだが、

その中で、

一人で出しにきた、

たぶん小学校5年か6年の男子の行為に

頭が下がった。

 

ビンや缶を、

そ〜っと、

回収の網や箱に入れるのだ。

なるべく音を立てないように、

そ〜っと丁寧に置く、

 

うちの自治会の回収場所は

集合住宅の広い駐車場の一角をお借りしてる。

 

朝6時から

缶を袋から思いっきり回収網に入れたりすると

結構な音がする。

がしゃん、カンカン・・・

と響く。

その集合住宅の方々にとっては、

うるさいんじゃないかな?

 

それを、その男の子は、

もってきた袋の中のアルミ缶を

一気にはあけず、

なるべく音がしないようにという

気遣い。

 

「優しいね」

と声をかけると

はにかむように笑い、

ビン類も、本当に丁寧に扱っていた。

 

 

 

 

先に書いた

面倒そうな人間関係の中で、

遊ぶ時でさえ

単純に楽しさだけではないところで、

心を成長させていく子ども。

 

後に書いた、

他者のことを思いやる行動を、

教わったのか、

自分で考えたのか、

とにかくできちゃう、

心を豊かにさせてる子ども。

 

 

そしてこの週末は、

中学生は中体連で

いろいろな体験をしてるんだろうな。

報われたり、

悔しかっり、

してるんだろうな。

 

 

 

 

私は時々、

講師として学校で子どもたちに何かを話す。

そして悩みを抱えている子どもの話も聞く。

それは一生懸命にやっているんだけど、

でも、何だか、今日は、

こんな感じで育っていく子どもに対して、

何かできるなんて思ってしまったら

思い上がりのような気がしてしょうがない。

 

ただただ、

頑張ってることに対して、

パチパチって拍手して、

失敗してそうな時は、

残念だったね、応援してるよ・・

そういうふうで

いいんじゃないかと思う。

 

育もうとか、

成長を促そうとかじゃなくって

自然に育っていく子どもの心を

心配しながら、ニコニコしながら

見てる感じがいいように思う。

 

 

 

 

同じく昨日の

カルの散歩の帰り、

前述とは違う公園で、

おばあさんが孫を見守っていた。

遊具の階段を登ると、

ブルーの滑り台と赤の滑り台を選べる。

ブルーの滑り台ばかり選ぶ孫に、

「赤の方もおりてみれば!」

とおばあさんが言った。

「いや」と彼はこたえる。

指図されたくないんだな。

今日はブルーがいいんだな。

私はくすって笑えてくる。

 

カルを見ておばあさんが

「ワンちゃんが見てるよ。

 挨拶して」

という。

彼は

「いや」

という。

そのうちおばあさんはスマホで

電話をし始めた。

私とカルは公園の水道でお水をもらったあと、

帰ろうとすると、

彼が

カルに向かって手を振っていた。

おばあさんは電話で話してる。

 

おばあさんが

あれこれ言いたくなる気持ちがわかる。

大人って、

いじらしいと思う。

 

でも、

ただただ

見守っていれば

大丈夫なんだよなあ。

 

 

 

子どもに何かを伝える講師の仕事に対して、

時々どうふんぎりつけたらいいのか

迷う。

ぶれちゃう。

 

ただ、絶対にこれが正解

っていうのは傲慢だと思うから、

迷いながら

ぶれながらいく。

 

 

 

 

 

くちなしが香った。

 

 

 

 

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谷澤 久美子
counselor