日常 | 今のところではありますが…
庭の木の枝にみかん

【2020.02.17 Monday 08:55

土曜の夕方、

カルクラの散歩を、

いつもより早い時間にできた。

 

あるお宅の庭の木の枝に

みかんが刺してあった。

それを見た瞬間に

義母との思い出が

頭の中にうわあ〜っと広がる。

義母も

みかんを半分に切って、

庭の木の枝に刺し

鳥たちに振舞っていた。

 

キレイな鳴き声を聞かせてくれると、

私が

「お義母さんのみかんのおかげだね」

と言う。

彼女はほほ笑む。

義母との暮らしの中では、

そんなこともあった。

 

 

 

2013年の夏。

義母がグループホームに入って

2か月経ち、

やっと会いに行くことが解禁された。

 

久しぶりに会えた時、

「お義母さん。

 週刊文春と新潮、

 定期購読する?」

と聞くと、(それまでよく読んでいた)

「いいわ、いらない。

 そういうの読んで、

 楽しいとか、面白いとか

 そういうこと感じてしまうと、

 寂しいも感じてしまうから」

と言った。

 

 

それから

何度か訪ねた、

その何度目かのこと。

 

 

私はみかんの話をした。
「みかんがある間は
 春先まで
 お義母さんは鳥たちに
 おすそ分けしてたね」
と言うと、
「そんなこともあったね」
と答えてくれて、
その後、
言ったのだ。
「最近、生きていることがうすいの」
「ひとつひとつのことを
 立ち止まって考えてしまうと、
 いろいろ引きずり出して
 考えてしまいそうだから、
 あまり考えないようにしているの」
と言うのだ。
「新聞とか週刊誌とかも読まないし、
 TVも見ない。
 ここにいる人たちと、
 すごく関係を濃くするような話も
 しないのよ」
と言う。
「腹を立てたりすることとか、
 苦しいとか思うこともないの。
 そういことがないのよ。
 うすいの」
と言う。
それを話してくれている時、
義母は淡々としていて、
「うすい」という言葉、
そのものを表現しているようだった。

 

 

 

腹がたつとか、苦しいとか、
ネガティブなことを感じ始めてしまったら、
特に「さみしさ」みたいものを
感じ始めてしまったら
どうにもならなくなるから、
義母の命が脳にストップをかけて、
感情に制限をかけているんだと
その時私は考えてた。
義母のグループホーム入所は、
最初は少し唐突だったけど、
その後、義父、姉夫婦、夫と
話し合って納得して進めたことだ。
納得したとはいえ、
私はとてもとても申し訳なくって、
この話を淡々とする彼女を
見てられないような気持ちになった。
ただ、
「アパシー」(無気力・無感情)
というものを
身をもって教えてくれている
この彼女の言葉を
しっかりと聞かなくては!と聞き、
車に戻った後、
すぐにメモをしたのだ。

 
命は、
時々
こういうことをする。
人間は
その環境で生き延びるために
ものすごい
適応能力を発揮する。
ずっと長いこと、
私は、
義母の防衛本能が、
「アパシー」を招いたと考えていたけれど、
土曜日、
近所のお宅の庭の木の枝のみかんを見た途端に、
「そうだ!あれは意思だったんだ」
と7年も経って、
やっと確認したんだ。
グループホームでの生活の中で、
さみしさを感じないかわりに、
喜びも幸せも、
自分に感じさせなかった義母。
自然にそうなってしまったのではなくって、
「感じさせない」ことを
自らの意思で選んだ義母。
そして、私に
「なぜここに入れたか!」とか
「早く家に戻してほしい」とか、
一度も言わなかった義母。
今朝、
私は彼女の真似をして、
庭の枝にみかんを置き、
改めて、
彼女の覚悟が
厳かで
勇ましくって
潔くて
高邁だと思った。
そんな風にできるのかな?私は。
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褒めるということ。

【2020.02.10 Monday 09:05

素敵だな!いいな!と思った時に、

それをすぐに口に出したいと思う。

とはいえ、

それもなかなか難しい。

 

褒めることが難しいのは、

一つは、

褒め言葉が

まっすぐに届くかどうかという

難しさと、

もう一つは

誰かを褒めることで、

その場の他者に与える影響を考えるからだ。

 

まっすぐに届くかどうかが難しい

ということについては、

日本教職員組合が編集している

月刊「JTU」に以前書いたことが

あるので、

それを最後に紹介しようと思う。

(一ヶ月後であれば

 シェアOKと説明を受けているので

 大丈夫)

 

 

で、ここでは、

その場にいる他者への影響のことを

考えてみたい。

 

小さい頃、

兄弟姉妹が褒められると、

いやな気持ちになった経験はないだろうか?

私は妹が褒められると、

ちょっと凹んだりした思い出がある。

妹と私はまったく違っていて、

私が真面目、妹はひょうきんだった。

何かの集まりの時など、

「この子は面白いねえ」

などと妹は褒められる。

すると

別に自分が叱られているわけでもないし、

自分に対して「妹のようになりなさい」と

 暗に言われているわけでもないのに、

なんとなく落ち着かなくなったものだ。

 

私も自分の良さをアピールしないと!

というような考えになったことを

思い出す。

 

そして、きっと妹も、

私の「コツコツっぷり」を褒められている時、

同じような思いをしていたと思う。

 

 

 

また、こんな思い出もある。

ある宿泊を伴う研修に参加した時のことだ。

多分15年くらい前のこと。

最後のセレモニーで動画が流された。

1泊2日の間に

スタッフが撮影した

いろいろなスナップ写真をつなげて

一本の動画にしたもの。

私はいつ自分が出てくるか、

楽しみに見ていた。

・・・出てこなかった。

研修自体はとても有意義なものだったけど

何だかその瞬間ちょっと気持ちが冷めた。

その時受けた研修は、

1泊2日の間の様々なプログラムが

今もいろいろな場面で役立っているけれど、

それは

その最後の「写ってなかったこと」も含めてだと、

今は思う。

 

 

先週土曜日、

あるところで

私は1時間半の講演を行った。

講演の前に30分ほど主催者側の会があり、

それにも参加させてもらった。

その中で研修旅行の成果発表を

二人の方が行った。

お二人の発表は、

それぞれとっても勉強になる内容と

 発表の仕方だった。

いろいろ勉強になったが、

お一人一点だけに絞ると、

お一人目はパワポの作り方が

 ユニバーサルデザインでわかりやすく、

お二人目は研修先の国と日本の、

 教員の環境についての違いを明確に

 伝えてくれたのが素晴らしかった。

その二つのステキな点は、

ちょうどその時の私の講演に

親和性が高かったので

話に取り入れようと考えた。

で、瞬間迷った。

というのは、

お一人めの話を取り入れる時間は

話のめちゃ前半部分。

もう一人の方の話は、

最後になる。

「その約1時間半くらいの間、

 もう一人の方は

 嫌な思いをされないか?」

と考えたからだ。

しかし、結局、実行。

その決め手は、

最後に取り上げさせていただく方が

自己信頼感が高い方だ

と考えたからだった。

(というか、

 お一人めの方も

 同じようにお見受けした)

もちろん、

確認したわけではない。

(判断の決め手は

 お二人とも、

 ご自分の考えや気持ち、

 ネガティブなことも含めて

 口にされていたこと。

 自己開示の力は、

 自己信頼と関係する)

 

それらのことを、

頭の中でぐるぐるっと考えた上で実行し、

講演終了後、

お二人に簡単に挨拶し、

その後

帰りの車の中で考えた。

 

あの15年くらい前の研修の主催者の方も、

全て折り込み済みだったのではないかと。

全員をカヴァーできるわけではないけど、

たとえ写ってない方がいたとしても、

その方々は、

他者からの評価だけで

自分のことを決めつけるほど、

自己信頼感は薄くないのではないかと

考えたのかもしれないな。

 

言ってみれば、

主催者は、

「参加者の自分を信頼する気持ち」を

信じてたのかもしれない。

 

〜なんて、

私の考える癖が始まって、

帰りの車の中

一人盛り上がりだ。

 

 

 

 

 

さて、「JTU」6月号7月号のご紹介↓

 

 

 

 

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もっと複雑なグレイで。

【2020.01.01 Wednesday 17:22

年が明けました。

 

 

年を重ねるって、

「明けましておめでとうございます」と、

なんとなく

言いにくくなるということですねえ。

「おめでとう」って言ってる場合じゃない方も

たくさんいるって、

わかっているからですねえ。

 

そういうことわかった上で、

それでも

「おめでとう」と挨拶を交わしてきた先人や、

今交わし合っている方々を、いいな!と思う。

 

 

あっけらかんと言えるのもいいし、

言わなくても、いい。

そして、

あっけらかんを装って言うのも、いい。

 

 

「あっけらかんを装う」の

「装う」は「フリをする」ということだ。

 

 

 

 

年末に書類の整理をしていて、

友人と交わした25年くらい前のFAXが

でてきた。

病気を患った彼女へ

お見舞いのFAXを送ったものと、

彼女からの返事の

両方を取っておいてあったのだ。

 

「強いふりをしていたら

 本当に強くなっていた」

 

と彼女は書いてあり、

病気の診断と治療と手術とその後を

気丈にすごしている様子が書かれていた。

 

私は返事に

「すごいと思う。

 たださ、

 ず〜っと強くなくてもいいよ。

 時々強くて、時々弱くて、

 それでいいと思うよ〜」

なんて書いている。

 

その頃は「ふり」をすることに

ちょっとした抵抗感があったんだなあ。

 

良い子のふりしてやってきた私だけど、

心の中は意地汚いって

自分でちゃんとわかってしまって、

自分との関係、

他者との関係の

うまくいかないことの根本に

「ふり」があると、

考えていたんだよな。

 

いっぱいいっぱいなのに

大丈夫なふり

わからないのに

知ってるふり・・・

そういうことに嫌気がさしていて、

極端に敏感だった時期。

 

今は、

時々は

平気なふりも必要だし、

時々はちゃんと

それはイヤだというのもありと思う。

 

年を重ねるということは、

「時々はそれもありかも」と

考えられることなのかもなあ。

 

 

 

 

「それもありかも」の反対は

「すべき・すべきじゃない」

という考え方だと思う。

 

今現在、

「すべき・すべきじゃない」という

考え方を採用している方々は、

背景があってのことだと思うから、

それがいいと思う。

 

ただ、

「すべき」と「すべきじゃない」の間には、

いろいろな選択肢があって、

それはそれでありだと考えてみるのも

またいいと思う。

 

「学校は行くべき」

でもないし、

かといって

「絶対に無理はすべきではない」

でもない。

行けたら行けたでいいし、

行けない時は、

その時できることを考えよう

くらいがいいのではないか?

 

「自己肯定感がないとダメ」

というよりは、

あったらいいけど、

絶対的なものでもないしね・・・、

くらいがいいのかな。

 

ストレスを感じた時に

コーピングを活用するのはいい。

おふろにゆっくり浸かったり、

誰かに話しを聞いてもらったり。

ただ、ストレスの元に挑むのも

いいよなあ。

努力したり、

話し合いをこちらから依頼したりと。

 

ぼ〜っとする時間は無駄

ってよりは、

ぼ〜っとする時間もあったり、
シャキッと行動することもあり、

「ぼ〜っ」から「シャキ」までの

いろいろな選択肢が、

あればあるほど豊かなことなのではないか。

 

「働く」もよし。

「働かない」もあり。

ただ「働かざる者食うべからず」という

メッセージの中成長してきた私にとっては、

「働かない」もありという考え方は、

なかなか受け入れられなかった。

 

とはいえ

AIがディープラーニングで

どんどんと仕事ができるように

なっていくこれから、

全員に働く場は

いき渡らなくなっていくらしい。

 

そういう情報の中、

「働く」と「働かない」の間の選択肢も、

想像力を使ってもっておきたいと

思う。

 

また、

「働きアリの法則」は参考になる。

 (以下wikipediaより)まとめ。

 

 北海道大学の長谷川英祐氏の

 研究により、

 働きアリのうち、

 よく働く2割のアリが

 8割の食料を集めてくると

 わかったそうだ。
 しかも、よく働くアリのうち、

 本当に働いているのは全体の8割で、

 残りの2割のアリはサボっているとのこと。

 

 働くアリと働かないアリの差は「腰の重さ」、

 専門的に言うと「反応閾値」(はんのういきち)

 によ流んだそうだ。

 アリの前に仕事が現れた時、

 まず最も閾値の低い(腰の軽い)

 アリが働き始め、

 次の仕事が現れた時には

 次に閾値の低いアリが働く、

 という形で、

 仕事の分担がなされている。

 仕事が増えたり、

 最初から働いていたアリが

 疲れて休むなどして

 仕事が回ってくると、

 それまで仕事をしていなかった

 反応閾値の高い(腰の重い)アリが

 代わりに働きだす。
 疲労が存在する以上、

 一見サボっているようにみえる

 アリの存在が、

 コロニーの存続に

 大きな役割を果たしている。

 仮に全てアリが同じ反応閾値だと、

 すべてのアリが同時に働き始め、

 短期的には仕事の能率が上がるが、

 結果として全てのアリが

 同時に疲れて休むため、

 長期的には仕事が滞って

 コロニーが存続できなくなることが

 コンピュータシミュレーションの

 結果から確認されている。

 閾値によっては

 一生ほとんど働かない結果となる

 アリもいるが、

 そのようなアリがいる

 一見非効率なシステムが

 コロニーの存続には必要だという」

 

なんとまあ!面白い。

 

もし全員で働いてしまって、
留守のコロニーに敵が襲来したら
打撃は大きいし、
もっといい食料が見つかったとしても、
全員で一直線に前に見つけた食料のために
働いていたら、
もったいないことになるんだそうだ。

つまり、働かないことにも意味がある。

 

なんてことをそのまま、
「だから人間の組織も・・・」と短絡的に
考えるのもどうかと思うけど、
「働く」「働かない」の間にも、
相当多彩なグレイがありそうな気もする。

 

 

白と黒の間に

無数にある

グレイ。

 

いろいろなグレイを

見つけたいなあ。

 

私に関わってくださる方々の、

多彩なグレイも見つけたい。

 

(関係ないけど、

 タートルもグレイが好きだわ)

 

 

 

面白いなあ、

ゆるーい捉え方。

 

そんな今年にしたいなあ。

今年はついに還暦イヤー。

いろんなグレイを楽しむぞ。

 

 

 

昨年中は大変お世話になりました。

今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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不寛容の背景

【2019.12.20 Friday 08:59

10月の終わりに見た

フジテレビの「ボクらの時代」のことが

ずっと頭にひっかかってる。

 

キンコンと又吉さんの鼎談の中での言葉が

ずっとぐるぐるとしているんだ。

 

西野さん「知らないとか、理解できないの先に

     嫌いがある(時代)」

又吉さん「共感できる と 好き が一緒になってる」

 

今、そんなことになっているのは、

なんとなくわかるけれど、

なんか、

残念だなあ。

 

そこには対話がないように思う。

 

 

もちろん

「好き」とか「嫌い」という感情も、

大切な感情だ。

 

「好き」は関わりを促進する感情。

脳が、

「そのコトやそのモノ、その人に

関わっていると、

あなたは気持ちいいんだよ」と

いうことを教えてくれる感情だ。

 

 

「嫌い」は、脳が

そのコトやモノや人と、

近づきすぎて痛い目に遭わないように

自分を守るための感情。

(実際、私も

 はずきルーペのCMから

 自分を守るために、

 即チャンネル変える)

そのコトやモノや人と

適切な距離を取らせるために

自分に送ってくれている

メッセージのようなものだろうか。

 

とすると、

西野さんの発言によると、

「知らない」とか

「理解できない」

コトやモノと人とは、

対話がなくなってしまう・・・。

遠ざけることになるわけだから。

 

 

 

 

このことを

ちょっと考えたくなった。

 

そのために、

自分にとって衝撃的だった、

つまり

「それまで考えもしなかったことや考え方」

に対しての

自分の反応を振り返ってみる。

 

 

古い記憶の方からいうと、

1997年の、

確か終戦記念日に放送された

「筑紫哲也のニュース23」の中で、

17歳の少年が発言した

「なぜ人を殺してはいけないのですか?」

という問いだ。

 

この日は戦争について、

東京と沖縄(という記憶だが、あやふや)の

17歳の男女が語り合うもので

その途中に出てきた言葉。

この問いにコメンテーターの方も凍りついたが、

私も夫も、言葉が出なかった。

しばらくして

夫が、

「パンドラの箱を開けちゃった

 って感じだな」

のようなことを言い、

私も同感だった。

 

そこに疑問を持つことに

ショックでビックリして、

当時すでに36〜7歳だった自分が

この問いに

まっすぐには答えられないことが

情けなかった。

 

その時の自分のことを思い出すと、

自分にとっては

「人間として生きていくことの前提」

のようなことに疑問を持つ

その17歳の背景が知りたいと

考えたと思う。

 

そして、その問いの自分なりの答えを

見つけないと・・・と思ったものだ。

 

当時、

このコトは大きな話題で、

確か社会学者や哲学者も

このことをテーマにした本を書いていたし、

高校の小論文のテーマとしても

取り上げた学校があり、

関わっていた子どもから

相談を受けた記憶もある。

 

 

 

 

 

2つ目は、

湾岸戦争。

 

その頃私は

祖父が入院してた高齢者対象の病院に

仕事の行き帰りに寄っていた。

玄関入って、すぐのロビーにテレビがあって、

その画面に

夜の空と、

その中で時々光る赤く早い光が映っていて、

そんな風に戦争の始まりの実況中継を見ることに

なるとは!と衝撃だった。

 

あの時は、

イランやイラクなど中東のことや

中東とアメリカとの関係も

あまりにもわからなすぎた。

わからなすぎて、

始めてしまったブッシュに対しての何かの

激しい感情というよりは、

困ったことになったなあという

ぼんやりとしたネガティブな感情。

 

確か9・11の時も

この時と同じような

落ち着かないような心持ちになり、

それは

戦争やテロを起こした人や考え方やグループを

「嫌い」というものとは

私自身は違ったと思う。

 

ただ、なぜこういう事が起こっているのか

知りたいとは思った。

 

 

 

3つ目は

東日本大震災での

 原子力発電所の事故と

 その後の原子力発電に対しての行政。

 

私は3月12〜13日が仕事で、

名古屋にいた。

2日間仕事に集中して13日の夜に

静岡に戻り

ニュースに映った街や畑を飲みこんでいく

津波の映像に驚いた。

東京の公共交通機関で帰宅できない方々

が延々と歩く様子も、

こういうことが起こるんだ!と

目が覚めた感じだった。

そしてそこから

原子力発電所の事故の様子が

刻々と報告される画面やインターネットから

離れられなかった。

 

確かに

浜岡の原子力発電所に

反対する署名活動では

何度も署名はしてきた。

しかし、

では自分の暮らしはどうだったか?

最終処分場のことも、

誰かに任せ、

自分事とはせずに棚上げし、

なんとかなるような気になって、

電気を使い続けていることが

突きつけられた感じだった。

 

それと同時に、

一旦事故が起きてしまうと、

手がつけられない事態となり、

どうなってしまってるかも把握できず、

コントール不能になる原子力の怖さ。

 

私が理解できないのは、

あれだけのことが起こってなお、

原子力発電所を再開しようと

されている方々の考えだ。

 

それは「嫌い」なんだろうか。

 

うーむ。

難しい。

 

もし、再開を望む人々と

会うことになったとしたら、

「嫌い」と距離を置くより、

私は議論を選ぶと思う。

ただ、

そう考える背景を理解したいというより、

多分、

「考えを改めさせたい」と

説得したいがための議論だろうな。

 

それは「嫌い」とは

少し違うと思う。

 

 

 

 

4つ目が

津久井やまゆり園の事件だ。

植松被告の

「障害者は不幸を作ることしかできません」

という言葉。

 

私はもちろんそう考えていないし、

その考えには心の底から反対だけど、

世の中に、そう考える人がいることは

知っている。

 

5年くらい前に

若い頃毎日一緒に過ごした友人と

そのパートナーと一緒に食事した時、

彼が、

確か乙武さんに対して、

まだ彼の不倫事件が公になる前だったけど、

「障害者は生きている資格がない」的な

発言をした。

私と友人と彼の3人は

若い頃の一時期同じ会社に属していて、

毎日のようによく飲んだ仲間だ。

その間、一度もそういう話はしなかった。

あの頃は、もっともっと世俗的なことで

忙しかったんだな。

私は

自分の知人の中に、

そういう考えの人がいることが

ただただ衝撃で、

彼がいつからそういう考えになったのか、

なぜそう考えるに至ったか、

まったく質問できなかったことが、

今となるとめちゃ悔やまれる。

 

ただ、そのことがあったので、

植松被告の考えは、

「とうとう、表に出てしまった」

というやばい感。

 

全く理解できないし、

理解したいとも思えないけれど、

その前の

性別違和を持つ方に対しての

「生産性がない」発言などとともに、

背景は知りたいと思う。

 

そういう考えに至るには、

そう考えざるをえないような

何かがあったのではないか?

 

 

そして直近では、

元農水事務次官の父親による

息子殺人事件を擁護する考えは、

私には受け入れられない。

 

それでも、

「だから擁護する人たちが『嫌い』」

というのとはちょっと違う。

 

行政の中の様々な書類を

 破棄させた考え方も、

同意なしの性行為を正当化しようとして

 いる記者やその取り巻きの人も、

理解はできない。

 

書いていて

やっとやっとたどり着いた。

 

はずきルーぺのCMに関しては、

単純に「嫌い」で、

あのCMを一生懸命作っている方が

いることもわかるけど、

私は「ノー」!!!

なんだけど、

 

そのほか、

ずらずら書いてきたことは

「嫌い」で片付けられない、

「怒り」があるんだな。

 

 

 

 

そこにあるのは、

「嫌い」というより、

「怒り」なんだな。

私の中には「怒り」があるんだな。

 

 

自分の中にある「怒り」の正体を

私はちゃんと見たいから、

知りたいんだろうな。

 

 

 

知らないで「嫌い」としてしまい、

瞬間的にシャッター下ろしてしまうことは

もったいないことがあると私は思う。

 

理解できない・知らない 

だから嫌い 以上!

という循環ではなく、

だからまずは知ってみよう

できたら理解しようとしてみよう

があって、

その先に

やっぱ

自分には理解できない、

距離起こう・・・

だとしたら、

ちょっと安心。

 

 

 

 

そういう時代とか、

そういう社会とか、

それを情けなく思ったり、

批判するってよりは、

まずは自分からだと

ほんと思う。

 

 

 

 

 

 

ハイタッチ!のカルクラ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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継続もできるし。

【2019.12.06 Friday 09:15

手帳に体重を書き始めたのが

2月6日だった。

その日、夫が注文していた

TANITA 体重計が届き、

私の誕生日と身長を入力してくれた。

 

彼は

面と向かっては言わなかったが、

膝を悪くして走らなくなった

私の体型や体のことを、

心配してくれたのかもしれない。

 

とにかく、

久しぶりに体重計に乗り、

驚いたのなんのって、

思っていた体重より3キロオーバー

してた。

 

体重を毎日手帳につけるだけで、

やっぱり人間、

目の当たりにすると

やばい感は増すんだろう、

ちょっとは減ったり・・・

という中で、

このままではあまり変わらないと

5月6日から

脂肪燃焼ダイエットスープってのを

始めた。

 

玉ねぎ3個

ピーマン1個

セロリ1本

キャベツ半分

を刻み

ホールトマトの缶詰を1缶入れて

チキンスープ一1個、

水ひたひた

 

その日から、

だいたい週に5日は

これがご飯代わりで、

あとおかず。

 

ちなみに昼は、

私は学校の給食をいただいているので、

結構なカロリーを摂取してると思う。

 

約7か月経ったところで、

2月の時点より

3キロマイナスというわけ。

 

 

確かに

せっかち癖のある私だけど、

これだな!と思えると、

ある程度は続く・・・って特徴もある。

 

 

 

6月12日から

ぬか漬け生活も続けてる。

FB上の記事で、

友人二人が

「わたしのぬか床」という商品で

ぬか漬けを始めてるという記事をみて、

過去に何度か挑戦して続かなかったけど、

これならいけるかも・・・と

取り寄せた。

これがめちゃいい。

 

きゅうり 

なす

大根

人参

セロリ

小カブ

山芋

 

など、ほぼ毎日漬けて食べて、

約6か月だ。

 

農産物の直売所などに行って、

赤い大根など、

珍しい野菜を買うのも

「漬けてみよう!」と

楽しみの一つになった。

 

 

続けられるものだな。

 

 

そして手書きの手帳も

今年は順調に続けられた。

 

人間、やっぱ、だんだん工夫するもので、

メモの仕方が変わってきた。

これはアサーティブのレクチャーで生かせるな

というエピソードに出会うと、

「基礎・頼む」とか「応用・怒り」など

「管理職・ハラスメント」など、

見出しをつけるようになって便利だし、

もはやto doリストは、

不注意気味な私の最後の砦。

間際になって慌てないよう、

見通しを持っておく大切な習慣だ。

 

また、これだけやってきたものね!と

ダメダメなときに

「自己信頼」を持ち上げるネタにも使える

おまけがついてきた。

 

また、「手書き」が功を奏したのかどうか、

ホワイトボードに書く文字が

少しだけ読みやすくなっている気もするぞ。

 

来年は赤い手帳にした。

これとともに

還暦のビフォー ジャスト アフター

を行くのだ。

なんかワクワクだなあ。

 

「継続」する時の私の鉄則は

「怠けても全く大丈夫」という考え。

何日か、あるいは場合によっては何ヶ月か

やらなくても、

また始めると長い目で見るとやってることになるもんね。

そんな感じで、これからもいくもんね。

 

 

 

さて、継続していることの一つ。

「アサーティブカフェin静岡」

12月21日(土)に開催。

終了後、懇親会も開催します。

今年の「やっちまった」も、

来年の「希望」も、

語り合えるといいです。

久しぶりの方も大丈夫!

安心して参加くださいね。

 

 

 

 

 

そして今日

クラが無事2歳を迎えた。

クラが我が家に参加してくれて、

本当によかった。

カルがいい奴!って再確認できた。

クラのやんちゃぶりに

ずいぶん助けられた。

ピアスを飲み込まれちゃった思い出も、

夏の一番好きなジャケットをひっかかれた思い出も、

すべてが、

なくてはならないことだった。

これからも

やんちゃなままで

どうか、よろしく!だなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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ちょっとはマシに。

【2019.09.06 Friday 09:54

9月4日に、

矢沢永吉が新しいアルバムを出した。

(14日に70歳になるという!!!)

 

 

私は、

彼がキャロルを解散して

一人になったあたりからのファン。

♪I LOVE YOU,OK?♪

に夢中になり、

「成りあがり」にはまって、

構成・編集をした糸井重里も

そこで知って、それからずっと好き。

 

彼がプロモーション含め、

6月くらいから

いろんな媒体に出ていて、

例えば

「ほぼ日」や音楽番組や、

新しいアルバムを作る過程の

ドキュメンタリーも放送された。

 

それらの中で、いろいろ語っているんだけど、

すごいなって思ったのが、

「全部自分でやってる」ってこと。

 

「歌うためには、

 いろんなものが必要になる。
 それを自分以外の人に全部任せて、
 誰かのいいようにされることは

 イヤだったんだね。
 だから、自分の中に全部取り込んでいく。
 自分の目で見て、

 自分で感じられるようにする」

 

それで、ホイットニー・ヒューストンのことを

めちゃ残念がってるんだ。

「でも、ぼくはね、
 あのすごい歌を聞いて、

 悔しかったんだよ。
 こんなすごい人が
 なんて終わり方したんだ。

 と思ったんです。
 だから、ホイットニーに
 『歌手も、やってます』

 っていう感覚があったらさ。
 もっと長く、

 いい歌をうたえたと思う」

 

 

NHKのドキュメンタリーでは

横浜時代や、

オーストラリアで35億横領された話や、

今も一人でロスに来て、

 スタジオ借りる手配や

 ミュージシャンに「もっと柔かい音で」などと

 要望出すなんてこと、

 すべて自分でやって・・・とか、

過去の名言なんかも紹介してくれていて、
 自分の子どもたちには
 「お前たちには 敵がいる。
  苦労したことがないことだ」
 と言ってる話は、
 初めて聞いた時以上に、

 刺さった。

 

 

そんなこんなの話の合間に、

彼は言ったんだ。

 

「それで、

 『矢沢永吉』に

 なりました」

 

って。

 

 

「矢沢永吉」を

まるで

普通名詞みたいに、

言ってた。

 

あ〜すごいなあ、

人間は、

そうやって自分って人を

自分で作っていけるんだなあと、

感動してしまった。

 

 

「じぶん」って

「なるもの」なんだなあ。

 

 

 

 

糸井重里著

「ぼくの好きなコロッケ」の中に

 

「こんなことになったら、

 『じぶん』はどうするんだろう?

 こういうことが起こったら、

 どう立ち回るんだろう?

 『じぶん』というものは、

 わからない。

 わからないなりに思うのは、

 『とっさ』に心の奥が見えたときに、

 多少でも、『ああよかった』という行動が

 取れたらいいだろうなあと、

 その程度のことですかね。

 

 とっさの『じぶん』が、

 じぶんの育てた

 『じぶん』だよな」

 

という文章がある。

 

 

「とっさ」のじぶんが

ちょっとでもマシなように

「じぶん」を育てていくには、

どうしたらいいんだろうなあ。

 

 

ちょっとは成長してるかもしれないけど、

そして

8月19日に年齢は

59歳になったけど、

やっぱり、

全然ダメなことしてしまう自分を振り返る。

 

 

夏の間の講演で、

ある一定の方に喜んでもらうために発した言葉が、

もしかしたら誰かを傷つけていたかも・・・

と今ごろになって考えたり。

 

講師として呼んでくださった、

その担当の方とのやりとりで

不快な思いをさせたかも・・・

と落ち込んだり。

 

プライベートでは、

ずっと夫に朝のカルクラの散歩を

してもらっていて、

彼が眠そうなのに気づいていながら、

そのままにしてる自分を

情けなく思ったり。

 

せっかくもらったアドバイスを、

「そういうこともありますね」と

かるく受けてしまって、

あれは掘ればきっとプラスの何かが

あったんだろうなあと、

もったいなく思ったり。

 

あ〜

まだまだこうで、

きっとこれはずっと続くんだろうな。

 

いつになったら、

これで、まあまあ完成!って

「それで、

 『谷澤久美子』

 になりました」

ってつぶやける日が来るんだろうなあ。

 

保証はないけど、

こうやって、

後悔したり、

考え込んだりする一瞬一瞬が、

「『とっさ』の『じぶん』」を

マシにしてく

って思うしかないか・・・。

 

 

 

 

そして私は

知ってしまっているんだ。

「自分」「自分」ってなっている時は、

過剰に自分を観察してる時って。

そういう時間も必要だけど、

しばらくそれに浸ったら、

誰かのために

何かのために

行動することを選択する・・・

そのバランスが大切なんだよな。

 

 

これはロゴセラピーの考え方。

 

この夏、勝田先生は言ってくれた。

「いくら頑張ってもできない苦しみ。

 愛されなかった悲しみ。

 理不尽な出来事による絶望感。

 人の本当の温かみは、

 不完全であるってことによる」

と。

 

 

うんうん。

永ちゃんや糸井さんや勝田先生を

一つにまとめて、

 

いろいろあるけど

 

明日から続く仕事の準備に

 

私はこれから入るのだ!

 

 

きっと

選択の

一つ一つが、

「とっさ」の自分に

つながるのさ。

 

 

 

 

 

 

どうなる?我が家の鉢植えレモン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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一点のシミ

【2019.08.16 Friday 13:32

真っ白い壁を前にして立つ。

そこに一点のシミ(例えば5センチくらいの)が

あるとする。

壁のめっちゃ近くまでいき、

そのシミを目の前に、

シミだけに集中して、

そのシミだけを見ると、

目の前は真っ黒だ。

 

なんだけど、

2〜3歩下がって壁を眺めると、

白い壁のシミは

単なる一点の

ちっちゃなシミに過ぎない。

ほとんどが白いスペースだ。

 

 

〜なように、

日常の中で、

問題はいろいろ起きるけれど、

どうしたら、

その問題だけにとらわれず、

自分の毎日を真っ暗闇にすることもなく、

生活できるのだろう。

 

 

 

昨日は、

帰省した友達を含めた4人でランチした。

還暦前後の4人は、

それぞれ、

最近になって資格を取ったり、

新しい仕事についたり、

充実した趣味を持っていたりする。

この年齢になれば、

いろいろな問題はあるけれど、

問題はありながらも、

問題だけにとらわれずに

ちゃんと生活をしている人たちで、

約4時間おしゃべりして、

私はすっかり

活を入れてもらった感じだ。

 

逆に問題がなければ、

みんな、

こんな風にはしっかりと

自分の毎日を送れてないのかもしれない、

とさえ思うほど。

 

 

 

そんなようなことを言ってる人がいる。

 

平成を代表する経営者、

稲盛和夫氏は

「困難は愛が形を変えたもの」と言われたと

PRESIDENTOnlineの記事にあった。

「人生にはいろいろな困難がつきものです。

 それを嘆くのではなく、

 『自分を成長させるために神様が与えてくれた、

 神様の愛が変形したものなのだ』と考える」

のだそうだ。

 

「神様の愛が変形したもの」とは

さすがに

そこまでは

私には思えないけれど、

それでも、

「困難があってもそれにとらわれずに生きる力」も、

筋肉と同じように、

使わないと衰えるのではないか?

 

ランチした友達は、

なんというか、

一層力強く、

一層暖かく、

一層尊敬する人なんだけど、

問題を力にする筋肉が、

ますますついているのかもなあ。

 

その力があるってことは、

壁のシミ以外の

真っ白な部分を

ちゃんと見てるってことだ。

 

 

 

有森裕子さんの、

小出監督が亡くなった時の

コメント。

彼女は

故障して落ち込んだ時、

監督の言葉に救われたと

インタビューに答えてた。

「『物事に意味がないものはない。

 どんなことが起きても、

 せっかく(故障したのだから)と

 (プラスに)思え』といわれて

 故障に立ち向かえた。

 監督からの一番の言葉だった」

 

「なんで(この時期に怪我しちゃったんだ)?」

と考えるのではなく、

「せっかく」って考えること、

これを素直に受け入れた有森さんが

さすが一流のアスリートで

すごいなって思う。

 

 

卑近な例で言うと〜〜〜

 

我が家では洗濯機が壊れてしまって、

新しいものを購入したのだけど、

配達してもらえる日が限られていて、

その日は本当は用事があったけれど、

洗濯機が使えないのはとても困るので、

用事の方の変更をお願いし、

1日家にいることにした。

 

「もう〜、なんで!(怒)」

なんだけど、

「せっかく家に居られるから」

と考えると、

こりゃ、ちょっと儲かった気分にもなる。

 

あまりにも小さい例で恥ずかしいけど、

そんな感じに使ったらいいんだろうなあ。

 

 

 

先日読んだ

「スタンフォード式最高のリーダーリップ」

という本の中には、

日本の伝統技術「金継ぎ」の話が出てきた。

 

(金継ぎ(きんつぎ)は、

 割れや欠け、ヒビなどの陶磁器の破損部分を

 漆によって接着し、

 金などの金属粉で装飾して仕上げる

 修復技法である。

 金繕い(きんつくろい)とも言う。Wikipedia)

 

破損部分、つまり問題を

逆に価値に変えてしまう方法。

 

先の本の中では

「人生でいくつか傷ついても、

 傷を隠すのではなく、

 『自分の大切な部分』にできる」

と書かれている。

 

そんな風に

自分の失敗も弱さも問題も、

金継ぎのような力強い美しさにできると

考えることができたら

すばらしいなあ。

 

 

 

NHKラジオの「すっぴん」で

麒麟の川島さんは、こんな話を紹介してくれた。

ある時、相方の田村さんが、

もう何百回となくやっている漫才の途中で、

セリフが飛んでしまい

間が10秒空いてしまったのだそうだ。

その場はそれをネタにして笑いをとったんだそうだ。

楽屋に戻って、

田村さんに理由を聞くと、

「一番前の席の子の食べてたお菓子が

 気になった」とのこと。

 

私が驚いたのはここから先。

 

川島さんは

「20年コンビ組んで、

 まだまだ田村の知らない一面が

 あるなあと思った」

と言ったのだ。

 

この田村さんの失敗を、

「緊張感ないな!もっとちゃんとやれよ」

と怒るのでも責めるのでもなく、

「田村さんを知る材料」として捉えたって、

参ったな!と思った。

 

 

 

Facebookでフォローしてる

さとなおさんは

ある時、

「Always look on the bright side of life」

というモンディ・パイソンの大ヒット曲を

紹介してくれてた。


「『おい、人生の明るい面を探してみろよ』

 と教えてくれるのだ。

 いま、悩んでいるんだろう?
 そういうときは、ブライト・サイドを探して、

 そこを見るようにすればいいんだよ、って」

と。

 

 

 

何かのテレビ番組に

武田鉄矢さんが出ていた。

中継先で91歳の男性が

「自分は4つのことを大切にしてる」

と言い、

ふむふむと聞いてる武田さん。

取材してる方が

「4つとはなんですか?」と質問すると、

これまた残念なことに、

3つしか出てこなかった。

あちゃ〜な場面だ。

するとそこで

武田鉄矢さんは言ったのだ。

「一つくらい忘れた方が

 いいんですよ。

 明日思い出すかもしれないと、

 生きる気力につながるから」

いやあ、

恐れ入ったフォロー。

 

 

 

 

一点のシミの

目の前に近づいて、

そのシミだけしか目に入らなくなってしまうことも、

人間だからあると思う。

そうせざるを得ない時が、

人にはあるかもしれないなあ。

シミを見ればみるほど、

じわじわと広がっていき、

それが記憶に残ってしまう場合もある。

 

 

「あふれでたのはやさしさだった」

という本は、

奈良少年刑務所で行われていた、

作家・寮美千子の「物語の教室」についての

ノンフィクション。

この夏一番涙なみだ・・・の本だった。

 

「絵本を読み、演じる。
 詩を作り、声を掛け合う。
 それだけのことで、

 凶悪な犯罪を犯し、

 世間とコミュニケーションを

 取れなかった少年たちが、

 身を守るためにつけていた

 『心の鎧』を脱ぎ始める」

とamazon。

 

寮氏に「物語の教室」を依頼した

統括はその理由を、

「『彼らの物語を書き換えてあげたかった』

 という。

 苦しみに満ちた悲惨な記憶のなかにも、

 きっと美しい記憶、愛された経験が

 あるはずだと。

 ほんのかけらのような小さな記憶でもいい、

 そこに光を当て、

 『愛された経験』を取り戻すことで、

 『悲しみを悲しみとして受け止める感性』や

 『人間らしい気持ち』を取り戻してほしい。

 そうすればすべてを怒りに変えて、

 犯罪に向かわなくてもすむようになる

 はずだ」と。

 

 

寮氏やスタッフの先生たちは、

多分「もの言えば唇さみし」の経験しか

してこなかった少年たちに、

安心安全の場を作った。

 

「正解を言わないといけない」という

不安や恐怖もない。

「言いたくない」と言うことで、

「よくそう言ってくれたね、

 あなたは言わなくていいという選択肢を、

 この場に与えてくれたんだよ」と

受け入れてもらえる

そういう場。

 

そういう場で、

ほぐされていく心。

 

過去の

シミ以外の思い出を

言葉にしだす少年たち。

 

そのことで今現在の

ありようが変化していく

少年たち。

 

あ〜素敵だなあ。

 

 

 

そうやって、

問題や困難があったとしても、

それを分析することだけに集中するのではなく、

それを解決することだけにこだわったりするのでもなく、

問題や困難があったとしても、

日常の生活をやっていける力を

つけていかれることが、すごい。

 

 

 

 

 

シミだけしか目に入らない

そういう時があっても仕方ないけれど、

 

人間って、

それでもなお、

いろいろな考え方ができるんだ。

いろんな方法がとれる。

 

そういうことも可能なんだ。

 

 

そして、

シミしか目に入ってない方の

そばに寄り添って、

そっとサポートすること・・・。

 

白い壁の、

シミ以外に視点を持っていくことを

支えること。

 

あ〜

難しいなあ。

でも、やれるといいなあって思う。

 

 

 

4人で集まるのは、

盆正月の年2回。

元気でいないと!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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深読みと、浅返し。

【2019.07.03 Wednesday 09:30

少し前、

いつもの勤務曜日ではない日に

ある学校に行く。

 

すると

A先生が

「あれ?谷澤先生、

 今日いらしたんですね」

とめちゃ笑顔で言ってくださる。

 

たぶんA先生は

深い意味はなく、

単純に、

今日も来てくれたんだ!的な感じだったと思う。

 

なのに私ったら

「今日まで来てしまって

 すみません」

などと言ってしまい、

そのあと、激しく恥じる。

 

コミュ二ケーションの講師が

なんぼのもんじゃい!と

自分ツッコミ。

 

そのあとのA先生の対応が素敵で、

ちゃんと

「そんなつもりじゃないですよ」

と言ってくれた。

私も「ですよねえ」と言い、

お互い笑う。

 

助けられたな、A先生の対応に。

ありがたい。

 

私は時々、

こういうコミュニケーションをする時が

あるんだな。

やっかいだぜ、自分。

 

いい加減に、

この反省点(伸びしろ)は

もうさすがに伸ばしたいので、

こういうコミュニケーションに名前をつける。

「浅返し」と命名。

 

定義は

「その場のノリで、

 浮かんだことをパッと返してしまい、

 結果的に相手にイヤな思いをさせてしまう

 コミュニケーション」

 

名前がつくと、はっきりするなあ。

なんか、

気をつけられそうな気がする。

 

ま、これまでだって

たま〜にですし、

あとは意識ですな。

 

 

 

で、

私は、

深読みもする。

 

以前、

子育て中の方と一緒に仕事をしている時のことだ。

その方は子どものお迎えがあり、

打ち合わせをしていると

途中で帰宅しなくてはならない時があった。

私としてはその方が何の遠慮もなく

子どもを迎えにいって欲しい思いで、

ある時、

「今まで、聞いてなくってごめんなさいね。

 何時までに出ると間に合いますか?」

と質問した。

その時、ちょっとした間があって

「○時○分です」

と答えてくれたと思う。

 

で、始まった、

私の深読みが。

そのちょっとした間を根拠に

深読み始めたわけだ。

 

私の言い方が、

責めてる感じで嫌な思いをさせたのではないか?

私は子供がないから、

子育てをしながら仕事をしている方の

大変さやしんどさを、
分かりたいと思いながらも、

ほんとのところで、

どこか理解が表面的なんではないだろうか。

その方は仕事に対してめちゃ頑張っている方で、

なのに私の浅慮な言い方で、

ご自分の仕事の仕方に葛藤を抱えられたら、

そんな必要まったくないのに

それは、まずい。

 

で、そのあと、

その思いをそのまま伝え、

時間を聞いた真意は「協力したい」という

思いなんだ・・・

と伝えたら、

逆に

そこまで考えてもいなかったと

ビックリされたりした。

「間」は、

急にその質問が飛んできたので、

一瞬、話変わった?と思っただけの

ことだったらしい。

 

 

なんか、

きっと中日の与田監督も

「『お前』は教育的にどうよ」を

深読みされちゃって、

忖度されたんだろうなあ。

 

 

 

 

深読みは、

リフレーミングすると、

「いろいろな視点で考えられる」

なんだけど、

しすぎると、

イタイな。

 

浅返しは、

リフレーミングすると、

「すぐに反応できる」

かもしれないけど、

相手に

イヤな思いをさせてしまう。

 

 

ただ、両方とも、

万が一したとしても、

そのあと、対処できる。

前述の深読み問題で

自分の考えを正確に伝えようと

努力したように。

今回の浅返しは、

お相手の対応でうまくまとまったけど、

そうでなかったら、

自分から

「いやあ、なんか、私、

 いやみな言い方しましたね。

 恥ずかしい」

とか、自分の心の実況中継できる。

 

 

できたら、

深読みも

浅返しも

気をつけよう。

 

でもしちゃっても、

とりかえそう!

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

*さて、

そろそろ、

二回目のロゴセラピー勉強会に参加される方は、

お申し込みくださいね。

待ってま〜す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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寄り添ってもらってるんですなあ。

【2019.05.27 Monday 17:05

土日と大阪で講座を務めました。

1日目のランチあと、

歯ブラシの忘れものがあったので、

スタッフの一人が

「忘れ物です」と書いて受付に

置いといてくれました。

しかし、持ち主が出てこないので、

2日目のランチの後の歯磨きの時に

困るだろうと思い、

ホワイトボードに

「歯ブラシの忘れものがあります。

 お心あたりがある方は、

 スタッフまでお声かけください」

と書きました。

 

そしたら、

なんと、

忘れたのは

私でした。

 

歯磨きしようと思ったらなかった。

 

恥ずかしかった。

 

恥ずかしかったけど、

みんなが大爆笑してくれました。

なんか、助かったのでした。

 

 

 

今日は自宅で「ロゴセラピーを学ぶ会」。

5名の方とともに学び合いました。

 

少人数ならではのしっとりとして、

素敵な時間。

私の体験の話を聞いていただき、

その際、若い時に

私の目の前に立ちはだかった壁の話をし、

今までは

その壁を自分が頑張って乗り越えてきたと

思っていたけれど、

ま確かにそれもあったかもしれないけど、

その時に、

ただただ何も言わず見守ってくれてた人々が

いたことに気がついた話をしました。

今さら?とも思うけれど、

「自分が頑張ったからという

 傲慢な考えをしていたこと」に

気がつけてよかった。

 

 

また今日のように

何人か集まっていただいて

学び合いができるのは、

我が家に長机や折りたたみ椅子があるからで、

それは義母が華道を自宅で教えていたからで、

彼女が残してくれたものを

そのまま使えるからです。

亡くなってからも、

私の活動にそっと

応援してくれているよう。

 

 

で、その「ロゴセラピーを学ぶ会」、

熱も入って、

ホワイトボードに

思いっきり書いたりしながら進めると、

何とマジック、

「油性」でした。

 

皆さんが帰られた後、

「自分のバカ!おっちょこちょい」

とつぶやきながら

青の油性の上を

ホワイトボード用のマジックで

なぞりました。

 

30分かかりました。

 

本当にやらかしてばかりですが

こんな自分にも

慣れてきました。

 

可愛くも思えてきています。

もう、何かやらかさないと、

気が抜けるくらいな感じかも。

 

やらかす自分を

自分が寄り添っているんだと

思うことにしました。

 

 

 

先週の金曜は

島田市でペアレントサポーターの

活動をされている方々への

「寄り添い方」の講座の2回目。

 

私のしくじり話満載で、

お役に立ったのかどうか。

ただ、

受講生の方がご自宅からバラと花瓶を持って

きてくださった。

 

 

なんかさ、思ったわけです。

いろいろな寄り添い方を

していただいてるんですなあ。

 

失敗を大笑いしてもらったり、

選択を黙って見守ってもらったり、

助けになるものを残してくれたり、

会場を華やかにしてくれたり、

いろいろ寄り添いの仕方を

してもらっての

今日なんですなあ。

 

 

 

先週5月21日に、

3月30日に開催したアサーティブカフェの

フィードバックシートが一枚、届きました。

 

2か月くらいたってしまったら、

人間、ま、出してないけどいいか・・・

とか考えるものじゃないですか。

そう考えて出さないという選択も、

全くある!と思う中、

出してくださった。

 

しかも、シェアOKで、ありがたい。

「初めてのカフェに参加して、

 気付けば2か月経ってしまいました。

 昨年12月に基礎編を受講し、

 アサーティブで

 前向きに自分を変えていこう!と、

 ひよっ子な私。

 今回カフェで出会った皆さんは、

 もう何年もアサーティブと

 関わってこられたベテランさんが

 多かったです。

 そこでとても衝撃を受けました。

 自然と漂う落ち着きと穏やかさ。

 言葉では言い表しにくいのですが、

 全然ガツガツした感じがなく、

 すーっと引き込まれてしまうような

 魅力をもつ方々の集まりでした。

 他人を受け入れる懐の広さ。

 自分の感情にしっかりと向き合える姿勢。

 アサーティブが勝手に

 毛穴から吹き出てくる〜!

 そんな風に私もなりたいなと思える、

 本当に素敵な時間、

 そして新たな学びの時間でした。

 この素敵な出会いと気づきに感謝しながら

 自分のペースで

 ステップアップしていけたらと思います」

 

お互いの出来事に、

お互いの苦労に、

お互いの頑張りに、

お互いのくじけそうな心に、

アサーティブカフェは

寄り添い合える場に、

育っていたんだなあ。

 

こういう場を作れたなんて、

なんてありがたいことなんでしょう。

 

 

やらかしちゃうことも多い私だけど、

誰かに寄り添い、

寄り添ってもらいながら、

これからもちょっとずつ進んでいくのです。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

<谷澤相談室>これからの講座など。

全て静岡市内。

 

●アサーティブトレーニング応用編

 6月15日・16日

 静岡市内

*一度受講された方で

 もう一度受けたいという方!

 受講料をお値引きいたします。

 連絡ください。

 

●ロゴセラピーを学ぶ会

 7月28日 午後

 

●アサーティブトレーニング紹介講座 

 8月3日 午前中

 

●アサーティブカフェ

 8月3日 午後

 

●アサーティブトレーニング基礎編

 8月25日26日 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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「本音」への態度

【2019.05.21 Tuesday 06:09

先輩に

「最近、アイディアにキレがないよね」

と言われたとしよう。

そんな時に、

「私のために言ってくれてるんだから、

 感謝しないと」

と思えたら素敵だ。

 

手一杯な状況の中、

上司から責任の重い仕事を任されたとしよう。

「厳しい状況だけど、

 これもチャンス!」

と捉えることができたら、

とてもいい。

 

前向きに考えるのは、

とってもとっても素敵なことだと思う。

 

ただ危惧もある。

 

本当に素直に、心からそう思えれば

それもいいと思うけど、

その出来事が起こった時から、

そう思えるまでの間に、

「本音」があったとしたら

その「本音」を自覚できるといいなあ。

 

 

「最近、全く企画をあげてない先輩に

 そんなこと言われる筋合いはない」

とか

「この状態で、それ?

 仕事量見てから指示してよ」

などという「本音」があるのに、

そのことに無自覚に

ポジティブな考えで上書きすると、

うまくいかないことも多いと思う。

 

ま、何回かはそれでやれるだろう。

 

でも、「本音」に無自覚が続き、

自覚しなかった「本音」がたまっていくと、

それは体や心に毒だ。

ためると、

よどんだり、

変質する。

ちょっとしたことにも

イライラしたり、

くよくよしたり

するようになったりするもの。

 

 

 

じゃ、どうしたらいいのか?

 

自分の「本音」を一旦は認めよう!

とおすすめしたい。

 

例えば、

「最近、全く企画をあげてない先輩に
 そんなこと言われる筋合いはない。

 悔しい」

とか、

「この状態で、それ?
 仕事量見てから指示してよ。

 めっちゃしんどい」

とか、

「本音」の中に湧いてる感情まで

しっかりと認識することだ。

 

この一手間を通りたいのだ。

その次だったら、

ポジティブシンキング、

すごくいいと思う。

 

「本音」を自覚した上に、

ポジティブに考えられたら、

幾つかの選択肢から、

自分の明日にとってプラスになることを

選んで行動できるんじゃないか。

 

 

ただ、

一般的には

「本音」は悪いものというイメージがある。

隠しといた方が無難だと、

なんとなく学習しながら成長するものだ。

 

(他者にわざわざ言うこともないけど、

 自分にまで隠してしまったら、

 そのままの自分を粗末に扱ってることに

 なってしまう)

 

そして

「本音」にどういう態度で接することが

心の健康に良いのかを

学ばないまま大人になる。

ピンチはチャンス!

とか

われ以外みな師

とか

言い聞かせて

毎日を暮らすのは、

ホント辛いよ。

 

 


大切なことは、

自分自身の「本音」に対して

誠実であること。

 

「本音」への態度を知り、

日々の出来事の中で

実践すること。

 

 

 

この重要性を伝える機会をいただいてる。

 

今週火曜は20代〜30代の男性の組織で

話した。

明日はボランティアで保護者を支援する方々に

お話する。

 

なんか、このことに関して、

私はめっちゃ力が入ってしまうんだなあ。

 

 

 

 

 

 

「居るのは辛いよ」、、、これまた良き本。

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor