日常 | 今のところではありますが…
飛んでった10月。

【2018.10.29 Monday 08:04

10月も終わる。

ほんと、いろいろあって、

10月は

飛んでった感じだ。

 

 

<エピソード1>

12日の金曜日夕方、

磐田市の小学校での講演を終え帰宅すると、

いつものようにカルとクラが

私の帰宅を喜んでか、ほっといた不満爆発か、

とにかく飛びついてきて、

とくにクラは私の顔の辺りを舐めまくった。

その瞬間、

ヤバっと思う。

 

耳を触るとピアスがない。

 

後ろのキャッチは残っているが、

大切なゴールデンパール、

結納の少し前に母が買ってくれた

リングとネックレスとピアスがセットになったもの、

いわば形見と言っていい

ピアスのゴールデンパールの部分がない。

 

え〜〜〜〜!まじですか!

と叫びながら、

その辺りをめちゃ探す。

 

一応、

車に戻って、車からの経路をたどりながら探す。

 

が、ない。

 

小学校の体育館で

ジャケットをぬいだ時かもとか、

いろいろ考えながらも、

クラが飛びついてきた時の

ヤバっと思った、

あの感触で、

心のどこかでクラの仕業を考えてた。

 

夫帰宅後一緒に探してもらうが、

ない。

 

夫はネットで調べて

犬が飲みこんでしまった場合を調べる。

 

ピアスの針の部分で

大きなことになるかも・・・情報に、

とにかく朝一で病院へ!ということに。

 

 

はい、ありました。クラの体の中に。

 

 

胃のあたりは過ぎているので、

大丈夫という見立てに

ひとまず安心。

あとは翌日の排泄物に注意せよとのこと。

 

 

で、出てきました。↓下

 

がーん、一回り小さくなっている。

 

パールはカルシウムで、

クラの胃酸?によって

消化されてしまったらしい。

 

しかし、このピアスは不死身だ。

どんなになくしても

必ず戻ってくる。

 

 

 

<エピソード2>

京都に出張した時に

仕事の前にパンを買ってしまった。

しかも気になっていたパン屋さん2件まわり、

しかも、バケットやらカンパニューやら

がさばる物を結構な量買ってしまい、

さすがに講師がこれ持って会場に行くのはどうかと考え、

風呂敷屋さんに入った。

 

風呂敷を袋みたいにする使い方を習っていると、

4人の欧米系の私くらいの年齢の女性たちが

「自分にもやれせてくれ」

「自分の選んだ物でやってみてくれ」

など大賑わい。

6枚売れていた。

 

貢献してしまった。

 

 

 

<エピソード3>

静岡県東部の小学校で講演をした後、

急いで戻り、

カルクラの散歩をし、

翌日朝早くからの仕事で前泊するため移動をしようと

新幹線のホームについた途端に、

山陽新幹線の駅で事故があり、

その影響で東海道新幹線も当分動かないという情報が。

 

えええ〜!!!どうするんだ、私。

 

ホームにのぞみが滑り込んできて、

そのまま動かず。

 

スマホの充電は切れそうで、

情報も得られない。

 

「感情だだ漏れ注意報」を

発令しそうだったが、

そこは

冷静に考えて、

「明日朝一番の新幹線で行くと

 会場準備に10分ほど遅れそうだが、

 講座の開始時間には必ず間に合う」と確信。

仕事の関係者に連絡をし、

一旦家に帰ることにした。

 

その間、

静岡駅には、

切符払い戻しの長い列ができていて、

私も判断するまでに時間がかかったので

20分ほど並んだ。

その間、私は心から感動していて、

誰一人、見苦しい行動を

している人がいなかったからだ。

駅員さんに詰め寄る人もいないし、

やけになってるそぶりの人もいない、

何人かのグループの方々も

大きな声で文句を言っているわけでもないし、

待合室の充電のところは、譲り合って使ってる。

 

なんか、すごい。

すごい、みんな。

 

 

 

<エピソード4>

10月は小学生や中学生、

また大人向けにも、

講演講座の講師を務める機会が多かった。

 

ある時、

小学校5年生に授業をしたあと、

その場で、子ども達が授業の感想を書いてくれた。

「心の健康」がテーマの授業。

 

 ネガティブな方の感情もダメな感情じゃないよ。

 どんな感情もあなたの大切な感情だよ。

 ただ、行動は選ぼう。

 自分を生かす方向の選択ができるといいね。

 とはいえ、ネガティブな感情を

 心の中に溜め込んでしまうと、

 時々苦しくなってしまうから、

 マネージメメントも大事だよ。

 そのひとつが相談。

 友だちに相談しても、もやもやしてたら

 大人に相談するのもいいよ。

 (もちろん子どもにわかる言葉で)

 

子ども達が床に置いた感想用紙に向かって

真剣に鉛筆を動かす様子に、

なんだか涙。

私の話を聞いて、

こんなに真剣に何かを書いてくれてる!!!

 

この小学校の5年生には毎年この時期、

もう7年も

ほぼ同じ話をしている。

そのあと、保護者の方にも授業の意味や、

家庭での子どもとの接し方について話す。

 

すると、

一人の保護者の方から、

「今5年生の子の姉が二人いて、

 二人ともこの授業を受けている。

 長女の方が高2で、

 この授業を受けて心理に興味を持ち、

 今大学の心理の学部を目指して勉強している」

と教えてもらった。

 

わたしゃ、

ありがたくって。

ありがたくって。

 

 

 

<エピソード5>

義母の納骨も行った。

 

この間毎日、

祭壇へお膳をお供えした。

「お精進で」と葬儀会社の方には

言われていたが、

そこは、すみません、

私たちと同じもの。

バケットとチーズと生ハムの日もあれば、

おでんの日も、

焼きそばの日もあった。

夫は木曜ごとに塔婆を表にする。

 

お膳をお供えするたびに

義母とはいっぱい語り合った。

 

今まで思い出さなかったことも

思いだした。

 

例えば食べ残しのこと。

義父母と夫と私で食事をしている時、

その時は私の作った

コロッケかなんかだったと思うが、

それが大きかったんだと思う。

義母は1個食べ、

2個目を半分食べて、

「食べられなくなっちゃった」と

大皿に戻した。

正直、私は、心の中で、

「大皿に戻さないで〜」と思った。

それを夫がすっと手を伸ばして取り、

普通に食べたのだ。

 

お膳を供え、お線香をあげながら、

「食べ残しを食べるまでには、

 親子にならなかったね」

まだそこにあった

骨壷に話しかける。

 

納骨が終わり、

位牌が仏壇の中に入った。

 

こうやって一つ一つ喪の作業を

積んでいく。

 

 

 

<エピソード6>

妹と妹の子が

年末年始に帰ってくることになった。

 

ここからは

そのことで忙しくなるんだと思う。

 

嬉しくって

幸せな

忙しさだ。

 

 

 

 

平成最後の秋は、

そんなこんなで

深まっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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蚊と。

【2018.09.16 Sunday 22:32

14日の朝5時、広島のホテルで目が覚めた。

朝早くからの研修講師の仕事のため、

前泊していた。

 

夫から

夜中にラインが入っていて

「母が亡くなりました」

とあった。

 

びっくりして、

心臓はばくばくして、

頭は固まり、

すぐに夫と連絡を取った。

 

 

夕方16時半までの

1日研修の講師の仕事はやり遂げた。

義母は(一昨年亡くなった義父も)、

私の仕事を応援してくれていて、

特に彼女は

私の仕事の話を聞きたがってくれたものだ。

私は、この日の報告も、

帰宅したらめいっぱいできるように、

すべての瞬間を心に焼き付けるよう

集中することができた。

 

 

義母は5年前から

グループホームで暮らしていた。

私と夫は月に一度会いに行っていたが、

ここ2年ほどは、私のことはわからなかった。

ここのところは夫のことも

わかったり、わからなかったり。

食事もあまり取れなくなっていて、

うつらうつらしていることが多かったから、

覚悟はしていた。

 

14日金曜の夜10時、

帰宅すると、

穏やかな顔で彼女は横たわっていた。

 

91歳。

 

すべてのエレルギーを

使いきるようにして

義母は逝ってしまった。

 

 

義母と初めて会ったのは、

夫と結婚する前、

夫の祖母のお通夜だった。

笑顔が柔らかい、

優しい印象。

 

夫と結納をすませ、

その2週間後に私の母親が脳梗塞で倒れ入院。

夜、仕事を終えて見舞いに来てくれた夫は、

「うちの母親から預かってきた」

と私に靴下をくれた。

ピンクの靴下だった。

病院で泊まり込んでいる私の足が

冷えないようにと考えてくれたんだと思う。

 

 

母が亡くなった後、

義母の前で

病院への恨みや、

自分のいたらなさを、

わあわあ声をあげて

泣きながら話して、

目は腫れたが、

全部吐き出せスッキリしたことも

しっかり覚えている。

 

 

そうして

夫と結婚し、

彼女と家族になって、

会えば会うほど、

彼女はいろいろな面を見せてくれた。

 

 

びっくりしたのは、

義父母、夫の姉夫婦と私たちで

家でお寿司の出前をとっていただいた時だった。

彼女は真っ先に

「いくらいただきます」

とお皿にとった。

 

私は

「男が先。特に嫁、母親は最後」

的な家で育っていたから、

びっくりして、

そしてすごくすごく嬉しかった。

 

ケーキも和菓子も、

真っ先に彼女が選び、

最後の一つも

「いい?」ってみんなに聞いて

みんなは

「どうぞ」と言い

にっこりして食べた。

 

私は、このことが、

なんか自慢で、

「うちのお義母さんね」

と友達に話していたと思う。

 

 

 

ず〜っと前のある時、

二人でバス旅行に参加した。

何か勉強もかねているような、

そんな感じのバス旅行。

浜松方面に向かって走りながら

その勉強会の先生が

「セイタカアワダチ草は、

 いつの間にか日本に入ってきて、

 今ではそこら中に根を生やしてしまった」

のような説明をしてくれた。

それからも しばらくバスに乗り、

目的地に着いた時、

先生が、

「何か気がつくことありますか?」

と参加者に問いかけた。

すると

彼女は手を上げ

「ここにはセイタカアワダチ草が

 生えてません」

と言ったのだ。

私はその時のことを

今でも時々思い出す。

目の前にあるもののことを見ることは簡単でも、

ないもののことを思うのは、

それほど易しいことじゃない。

先生も

「よく気がつかれました」

と褒めてくれていた。

そういう義母だった。

 

 

年をとって、

デイサービスにお世話になるようになってから、

よくデイサービスに行く行かないでもめた。

行かせたい私と、

行きたくない彼女。

その時すでに

コミュニケーションの講師をしていた私は、

彼女とのやりとりは、

本当に本当に訓練になった。

もちろん、それはコミュニケーションの

問題だけではない。

彼女は元々年寄りっぽいことが嫌いで、

杖も絶対につかなかったから、

デイサービスでお年寄りの中にいることが

きっと嫌だったんだと思う。

 

おしゃれが好きで、

アクセサリーは絶対につけていた。

月に一度医者への通院の時、

出かける時になって

「くみちゃん、大変」

と。

何事かと思ったら

「ネックレスしてない」

と言った時は

本当可愛くてたまらなかった。

 

 

グループホームに入所して、

最初の2か月は

会いに行くことを禁止された。

久しぶりに会いに行った時、

「お義母さん。

 週刊文春と新潮、

 定期購読する?」

と聞くと、(それまでよく読んでいた)

「いいわ、いらない。

 そういうの読んで、

 楽しいとか、面白いとか

 そういうこと感じてしまうと、

 寂しいも感じてしまうから」

と言った。

2か月の間、

いろいろ考え、

どう自分を納得させようか、

あれやこれや思い悩んで、

その間、

なんとか楽にいるために、

いろいろ工夫したんだと思う。

ネガティブな方の感情を麻痺させるには

ポジティブな方の感情も

持たせない方がいいと、

自分を抑えこんだんだなあ。

その時のことを考えると

とってもとっても切なくなる。

 

 

 

 

昨日の夜、

お通夜やお葬式に流す動画のための

写真を選び、

棺に入れるものを探している時に、

また新しい彼女の姿を知った。

 

彼女がこれほど俳句をやっていたとは

知らなかったのだ。

 

「亡き母に 似て来し嫁と 栗を剥く」

 

「『お母さん』と 悩み抱えて 嫁(こ)の来る」

 

私のことを詠んでくれているものがあって、

涙が止まらなくなった。

 

 

そして、詠んでくれていて

本当によかった!と思ったのが、

「孫自慢 輪の外ひとり 残り蚊と」

 

紙切れに書かれてた。

 

いつか推敲しようと思ってたのかな?と

想像できる

紙切れにメモった感じのものが

いっぱい入った箱の中に、

ひっそりとあった。

 

義母は、

たったの一度も

「孫の顔が見たい」と言わなかった。

「子ども、まだ」とも、

「不妊治療進んでる?」とも、

とにかく

子どもに関すること、

ほんのちょっとも、

全く、

全然、

私に言わなかった。

 

そのことで

私がちょっとでも引け目を感じないよう

細心の注意を払ってくれていたと思う。

 

でも、孫がいないことで

さみしさを感じたことは

絶対にあったと思う。

だからこの句を詠んで

ほんのすこ〜し表現して、

ほんのすこ〜し

胸の中を、

もしも落ち着かせることが

できたとしたなら、

よかったなあと思うんだ。

 

そして、なんだか、その「蚊」に

そんな時のお義母さんと一緒にいてくれて

ありがとう!と言いたい気持ちだ。

 

 

 

お義母さんという人は、

本当に面白い人だった。

 

魅力的だった。

 

インスパイアされた。

 

お義母さんを通して、

私はいっぱい考えた。

 

いっぱい想像した。

そうさせてくれる人だった。

 

 

夫と結婚したら、

彼女がもれなくついてきた。

夫の母親が彼女で

本当によかった。

出会えてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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リーダー

【2018.09.12 Wednesday 07:28

大坂なおみ選手がUSオープンで優勝し、

そのことは、

いろいろな視点でSNS上で話題になった。

 

そんな中、

テレビ番組の中で

彼女は松岡修造さんのインタビューを

受けていた。

質問のひとつ、

「窮地に陥った時

 どんな言葉を自分にかけていた?」(あやふや)

に対して

彼女が言ったのが

 

「You can do it」

 

これが、

私としては面白かった。

 

自分に言い聞かす

「I can do it」ではなく、

もう一人の自分から呼びかけるような

「You can do it」なんだなあ〜と、

 

勤務校の英語の先生や、

アメリカに住む妹に尋ねると、

私がそこに興味を持つこと自体に驚いていて、

 

「そういう時には

 『You can do it』

 が普通」

 

って教えてもらって、

 

ってことは、

英語のその感覚っていいなあと思ったんだ。

 

 

以前読んだ

田口ランディさんの本

「ありがとうがエンドレス」

(著者が一人暮らしを始める娘に

 送った言葉集)の中に、

 

「いま私って怠慢?
 はっとした瞬間に、
 どこからか元気な自分が現れて、
 がんばれ、
 もうちょっとだから、
 いまやっとこうよ
 って言ってくれる。
 その人が自分を育てるリーダー。
 一人暮らしをすると、
 その人と仲良くなれるよ」

 

という一節があった。

 

 

冷静になろう。

感情に巻き込まれずに

客観的に考えてみよう。

誰かがいないとダメではなく、

一人であったとしてもなんとかしていく、

つまり、「自分で考える」って

自分の中で

Aにしようか、

イヤイヤBのがいいかもと

話し合うこと。

一人暮らしをすると

その人と仲良くなるってのは、

アドバイスしてくれたり、

小言を言ってくれる人がいなくなるから、

「こういう時、どうしたらいいんだっけ?」

「もう一人の自分」

と話し合うことが

多くなるってこと。

 

田口ランディさんは

そういうことを

メッセージしたかったって思う。

 

 

それで

英語圏では、

普通にその感覚を

使っているとしたら、

とってもいいなって思ったんだ。

(そんな感覚もないほど

 無意識だったとしても)

 

 

 

 

ちなみに、

「You can do it」

を無意識に使っていたとしても、

その後のインタビューで、

「どこからか現れる元気な自分」が

大坂さんの中にいたことがわかった。

 

試合中、

セリーナ選手にも彼女の事情があるから、

審判に主張をせねばならない時間があり、

同時に、彼女の応援者たちが騒然とする場面で、

彼女は

それらに背を向け

壁の方を見ていたそうだ。

 

松岡さんは

「なぜ、背を向けていたの?」と質問した。

 

その時の答は

「私には手に負えないと思ったから 

 (そっちを)見ないで、

 次のプレイのことに集中していた」

と答えたんだ。

 

 

「手に負えない」って

自覚できるところが

本当にすごい。

 

それを、観客性にいる

コーチから指示されたのではなく、

自分の中のリーダーと決めたのが、

本当に素敵。

 

自分の感情に巻き込まれないで、

ちゃんと俯瞰して自分を見ていると思う。

 

 

 

大坂なおみ選手には

彼女を支えるチームの中に

ご家族や、コーチに加え

自分自身

(どこからか現れる元気な自分

 =リーダー)

もちゃんと入ってる。

 

 

 

 

 

人間だから、

いろいろな欲求がある。

またいろいろな感情も持つ。

 

緊張したり

怒りが湧いたり、

心配でたまらなくなったり、

めんどうだったり

恥ずかしかったり

辛すぎたり。

 

そんな時に、

 

リーダーが出てきて、

 

時々慰めをささやき、

時々励まし、

時々罵倒し、

時々共感し、

時々鼓舞する。

 

自分自身に対して。

 

 

 

そういうリーダーを

自分の中に持ち、

そのリーダーが

できるだけ的確な呼びかけを

自分にしてくれるように育てる

ってことが、

より良く成長していく

ってことなんだろうなあ。

 

 

 

私「もうちょっと食べたい」

リーダー「体重計に乗ってる自分を思ってみよ」

 

私「そうじ、めんどくさっ」

リーダー「本当にそれでいいの?」

 

私「仕事があるけど、とりあえず

  ネットで楽天に・・・

リーダー「締め切りまで あと1時間、

     いつやるの!」

 

 

58歳になっても、

まだまだ

リーダーに出てきてもらわないと

えらいことになる私だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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撃沈

【2018.09.10 Monday 08:44

昨日、私の仕事にとっては大きな試験があり、

受験をした。

解答速報と照らし合わせてみたが、

多分、ダメだったと思う。

 

昨晩は開放感!というよりは、

情けなさと悔しさでぐちゃぐちゃ。

 

自分のダメさを呪ったり、

「模試と全然違うやん」と問題のせいにしたり、

「やっぱ甘かったわ。ナメてたわ」と凹んだり、

「正解はそうでも、現場でそれは無理だよ」と

事例問題に文句いったり、

頭の中はいったりきたりで忙しかった。

 

 

落ち着いてる状態で解けば、

「なんでこれ選んだか?(笑)」的な苦笑な解答や

最後の最後まで迷って変えちゃったら、

前の方が正解だったという解答や、

不注意すぎるポカミスもある。

 

あ”〜ぐやじい。

 

悔しいけど、

これが実力なんだよなあ。

 

 

一晩たって、

今朝、カルクラの散歩を終え、

真っ青に広がった空を仰ぐと、

「また、1日が始まったな」

と思った。

 

 

そして仕事。

集中できることがあるって、

ありがたいことだ。

後悔や凹みに浸っている時間がなく、

切り替えることができた。

 

 

 

 

それで負け惜しみ?ついでに、

今回の経験でのいろいろを

まとめておこうかと思う。

 

 

受験を前にした9月4日。

交通事故を起こしてしまった。

「起こした」ってのは、

納得いかない言い方で、

私としてはぶつけられた印象。

 

信号が変わり、直進の車がなかったので

右折し、追い越し車線に入った直後に

左の後ろのタイアのあたりを、

駐車場から出てきて走行車線に入った車に

ぶつけられたのだ。

 

お相手は、すごく謝ってくれた。

駐車場から出ようとすると、

左折してきた車があったので、

待とうとしたら譲ってくれて、

思わず焦って

大きく回ってしまったということだった。

 

この日は台風の影響で仕事が早く終わったので、

「よーし勉強だ!」と張り切っていたところに

これ。

縁起悪!って思いながらも、

そうやって物事を

複雑にしてしまいそうになる自分を戒め、

 

ま、人間、

誰でもミスするから仕方ないかと、

淡々と事故処理を進めた。

 

しかし、

翌日、保険会社から

お相手が

過失割合を「2:8」と主張していると聞き、

混乱。

 

確かに私も動いていたわけだから、

「1」は仕方ない。

でも「2」はどうよ!

 

・・・とそのことに怒りと、

「あんなに謝ってくれてたのに、なぜ?」

という悲しみのようなもので、

そっちにひっぱられそうになる自分を

めちゃくちゃ自覚しながら

勉強をした。

 

 

いささか付け焼刃だけど、

10日間くらいは、

仕事から帰り、家事を終えた後、

夜中1時半くらいまで勉強した。

大学受験の時より集中はできてたかも

とさえ思う。

記憶力はめちゃ落ちたけど、

年齢を重ねることで

ついてくる力もあるものだ!

などと考えたりした。

 

 

・・・というように、

今回、

「受験」をテーマに、

勉強中〜試験会場で〜試験後と、

自分を、

めちゃモニタリングした。

これが結構おもしろくなっちゃう。

忘備録として書いておく。

 

 

 

 

試験会場で、

朝、

何と、

トイレで、

受験票を

床に

落とした。

 

「落とす」って何事?だ。

 

「うわっ、よりにもよって

 受験票落とすって、

 前触れですか?

 暗示ですか?

 何かしましたか?私」

と頭の中でつぶやきながら、

またまた複雑にしようとする自分を制し、

 

「重力重力」と言い聞かせ、

受験番号の席に着く。

 

 

すると、尊敬するスクールカウンセラーの方々が

同じ教室に3人いらっしゃる。

この方々と同じ資格に

チャレンジしようとしているのか・・・と思うと、

感慨&武者ぶるい&手の平に汗。

 

同時に、

合格発表はオープンってきいてるから、

私が落ちるのバレちゃうじゃん。

同じ教室でトライできるのはありがたいけど

恥ずかしいぞ・・・

と考える。

 

 

係の方からの説明や注意事項などが終わり、

試験開始時刻まで15分くらい、

そのまま、

何もせず、

じっとスタートの合図を待つ時間があった。

 

高まる緊張で手が震えてくるのを、

「あ〜私、緊張してるなあ。

 そりゃそうだよ。

 それだけ大切な試験だもん。

 ただ、このまま手が震えてると

 マークシート、

 はみ出しちゃってもいけないし、

 呼吸法をやってみよう」

と。

 

まずは、息を口をすぼめてゆっくり吐いて、

鼻から吸う。

3回繰り返し、息を吸いながら

体に力をこめる。肩を思いっきり上にあげ、

口をすぼめてゆっくり吐きながら

力を徐々に抜いていく。

集中を高める呼吸法だ。

すると、

す〜っと震えが止まった。

 

効く、効く。

よし、中三生へ受験前に授業をする機会があったら、

これは紹介必須だ。

 

 

 

頭の中に

受験に協力してくれた人々の顔が

浮かんでくる。

励ましあった仲間の顔も、

私のことを信じて

相談をしてくれる方々の顔も浮かぶ。

去年受験しようかどうしようか迷ってた時期、

ある小学校の5年生の授業に行き、

彼らが音楽発表会で緊張しながらベストを尽くそうと

頑張っている姿に背中を押してもらったことを思い出す。

そのあと、

私よりずっと年上の方が受験するって聞き、

そのことも力になった。

受験する資格の認定のために、

骨を折ってくださった教育委員会の方・・・。

 

考えてみれば、事故にはあったけど、

車をかすっただけで、

体調には何の影響もない程度に

ぶつけてくれた事故のお相手にも、

『ありがとう!」という気持ちがわいてきた。

 

夫は、

夜遅くまで勉強している私を

おそらく寝かしておいてくれようとして、

カルクラの朝の散歩を

毎日、

何の不機嫌さも現さずに担当してくれた。

 

 

 

係の方から

「始めてください」

と指示があった時は

温かい気持ちでいっぱいで、

ちょっと泣きそうで、

しかしすぐに、

問題に集中できた。

 

 

午前2時間のテストを終え、

ランチをとりながら、

自分モニタリング。

午後のために確認しときたい箇所があるのに、

午前の問題の中で、

正解かどうか気になる答にこだわってしまう私。

 

今は過去を振り返ってる時じゃない!と

自分にツッコミを入れるけど、

落ち着かない。

結局調べて、

「残り10分です」

と示された後で直した3問が

どうやら成功とわかりホッ。

しかし、ダメな部分も

それ以上に見つかってしまい、

これ以上こうしていると

もっと落ち着かなくなると判断。

ストップし、

午後のための

確認作業に入る。

 

 

午後2時間を終え、

午後は、全くもって手応えなし。

会場から駅に向かう途中、

今度は情けなさで泣きそうだ。

 

どうしよう、

どうしよう、

どうしよう。

 

がっくりしながら新幹線に乗ると、

受験関係の本しか持ってないことに気づく。

なんてことだ!

終わったら、

あれほど小説読んでやろうと思ってたのに。

終わった瞬間を、

あれほど待ち焦がれてたのに。

ご褒美の本を、

すでに4冊準備してたのに!!!

 

仕方ないので、

自己採点を始めてしまい、

一層落ち込む。

 

 

それが私の昨日。

 

はあ〜、だ。

ため息だ。

 

 

 

ただね、

今、改めて考えると、

受験には(多分)失敗したけれど、

得たものもあったさ。

 

それは、

学ぶことが楽しかったこと。

 

体験的に学ぶ楽しさは知っていたけど、

机に向かって勉強することの楽しさについては

びっくりだ。

 

わからないことがわかっていく時の

繋がっていく感覚は、

すごくワクワクするってこと。

 

そして

勉強したことと実践がいったりきたりして、

ストンと腑に落ちる感覚が

何にもまして得難いってこと。

 

さらに、

時間を忘れるくらい

勉強に集中することが、

まだまだ自分にもできるんだ!

ってわかったこと。

 

それは嬉しかったなあ。

 

考えてみると

エキサイティングな挑戦だったなあ。

 

これで受かってれば言うことないけど、

ま、

今日のところは、

受けただけでよし

ってことにしておいてやろう。

 

 

撃沈しても、

ただでは済まさない

これが年齢力かもな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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拮抗!

【2018.08.20 Monday 08:45

6月の終わりに、

銀杏の木に実がなっているのを

見つけて本当にびっくりした。

平成最後の夏は、

奇妙なスタート。

 

そして、7月からの猛暑。

西日本のあの豪雨。

(今もまだ不自由な生活をされている方を

 思うと、どう表現していいかわかりません。)

 

旧盆の頃にもツバメは飛び、

ここ亜熱帯?と思うような、

突然の雨とその後の青空。

 

 

私といえば、

ひざ痛から始まり、

喉にきた夏風邪、

腰痛(⇦今ここ)という

とほほ・・・な日々だ。

 

レントゲンを撮ってもらうと、

微妙に背骨が曲がっていて、

それに伴っていろいろなところに影響が

出ているらしい。

 

ドクターの無常な一言

「年齢的なものですね」

 

ですよねえ。

 

8月19日で58歳となりました。

 

ここにきての膝腰痛は、

「そろそろ、

 この人に自分の使い方を

 考えさせないと!」

という命からのお知らせかもしれないな。

 

うんうん、

大事にしないとなあ。

 

 

・・・

なんだけど、

そんなに簡単にはいかないのが、

私。

命からのお知らせを

素直に承服はできないのだ。

 

 

 

 

 

 

発達心理学者のE・H・エリクソンの

心理社会的発達理論ってのがある。

この理論は、

人の一生を8つの発達段階に分け、

それぞれの段階での課題と危機を明確にしている。

で、

課題をクリアしていけば単純にそれでいいと

言っているわけでも、

危機が一方的に悪いとしているわけでもなく、

課題と危機、

せめぎあいながら、

経験を積みかさねていくことが大切としている、

 

8つの発達段階は⇩(課題⇆危機)
乳児期(0歳〜1歳6ヶ月頃)

  :基本的信頼感⇆不信感
幼児前期(1歳6ヶ月頃〜4歳)

  :自律性⇆恥・羞恥心
幼児後期(4歳〜6歳)

  :積極性(自発性)⇆罪悪感
児童期・学齢期(6歳〜12歳)

  :勤勉性⇆劣等感
青年期(12歳〜22歳)

  :同一性(アイデンティティ)⇆同一性の拡散
成人期(就職して結婚するまでの時期)

  :親密性⇆孤立
壮年期(子供を産み育てる時期。〜65歳)

  :世代性⇆停滞性
老年期(子育てを終え、退職する時期〜):

  自己統合(統合性)⇆絶望

 

これでいくと

私は、壮年期。

65歳くらいからスタートする

老年期へ移行しつつある

発達段階にいるってことになる。

 

ここでの課題は「世代性」。

「世代性」とは、

次の世代を支えていくものを生み、育み、

その将来に対して積極的に関心を持つということ。


今までは、

自分自身が

仕事でも問題解決でも、

主流になってばんばんやってきたけれども、

その中で培ってきた経験や知識や技術などを

次世代や後輩に伝えていくこと。

そのことが、自分を活性化することにもなる。

 

この時期の危機は「停滞性」。

次世代に伝えていく中で、

「自分が自分が」と譲らなかったり、

自分のやり方に頑固にこだわったり、

つまりは自分のことしか考えられなくなることで

「停滞」に陥ってしまう。

 

ま、そんなような時期らしい。

 

 

 

「世代性」と「停滞性」を

拮抗させ、

つまりは、

少しずつ後進に道を譲り、

でも、

ここだけは譲れないなんていう頑なさもあり、

そうしていくことそのものが

経験として自分の中に溜まってきて、

「老年期」に入っていけるというワケだ。

 

 

って理論を

もう一度確認して、

なんか、

自分にハッパかけたくなった。

 

 

 

せめぎ合え!

拮抗上等!自分、と。

 

 

自分の体の使い方も、

仕事の収め方も、

今まで中心的にやってきたいろいろなことも、

あっさりとは諦めないで行く。

 

 

もがきながら行く。

 

時々みっともないこともする。

 

あちこち故障しながらでいい。

 

言葉が出て来なくなったりしてるけど、

だからこそ、

その場で工夫できてる。

 

覚えもまったくどうしようもないけど、

ウィキればいいじゃん。

 

あれとこれを結びつけるスピードは、

確かに昔とは違う。

そんなこと、わかりながら、

やっていく。

 

 

階段を下りる時あれだけ痛かった膝が、

今はなんともなく、

のどがやられてかすれてた声が

普通に戻っているし、

きっと腰痛も

なんとかなる。

この楽観性は、

昔以上に切れ味あり。

 

 

「今までのやり方では

 もううまくいかないよ!」

という

命からのメッセージは、

ちゃんと受け取った。

 

 

でも、

時々それに反抗して、

無理する、

無茶する、

頑張っちゃおう。

 

そしていつか

やっぱもうここまでだな

なんて考えながら、

フェイドアウトしていきたいなあ。

 

 

 

 

そんなこんなで

夏が行きます。

 

おでんのCM,

流れてきたし、

おせちの予約も始まった。

 

 

この夏は、

奇妙なことが多かった。

これが普通になっていく

始まりなのかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

親友からの贈り物!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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ギリギリ癖

【2018.08.02 Thursday 21:00

今日のこと、

午後からの講演に備えて

午前10時に家を出ることに決めていた。

パワポで作ったデータは

すでに先様に送ってあって、

昨日のうちに

スライドの説明の言葉も

まとめてある。

朝、それを印刷すれば完璧!

フフフっ、余裕じゃんと印刷し始めてすぐ、

黒のインクがなくなった。

 

しかも黒だけストックなし。

 

うちのプリンターは

「インクないから交換」サインが出ると、

何しても動かない。

一旦取り出して振ってみたり、

あっためてみたりしても、

ダメ。

当たり前か・・・。

 

 

あ〜一週間くらい前に、

インク、買っとかないとなあと

思ったのになあ。

なんであの時、買わないかな?自分。

出たな、私のギリギリ癖。

まだ何とかなるでしょ、

と大好きなOAナガシマの前を通ったのに

素通りしたんだ。

 

 

こんな時ありがたいのがイオンで、

9時オープンを待って買って、

事なきを得た。

 

それにしても

何なんだろう?私のギリギリ癖。

 

以前、

山間地の小学校に授業させてもらいに行った時、

ガソリンがギリで、

山の中に入ってから、

相当恐る恐るでヒヤヒヤしながら、

走った。

なるべくエネルギーを消費しないように、

ラジオを消し、

エアコン消し、

なんというか、気分はそ〜っと走る感じ。

本当、怖かった。

それを子どもたちに、

「私って、本当、

 そういうとこ、ダメなんです」

的に話すと、

次にいった時、

「あっ、ガソリンがギリギリの先生だ!」

覚えててくれた。

〜なんて、自慢にならない。

 

あ〜思い出した。

その前に、本当にガス欠もあった。

結婚したばかりの頃で、

日曜の朝、

祖父の入院先に食事の介護に

行った帰りだった。

道の真ん中で止まってしまって、

通りがかりの車にえらい迷惑をかけた。

しかし、

休みで家にいた夫に助けに来てもらって、

なんとかなったんだっけ。

 

今までなんとかなってきたのは、

ラッキーなだけだよなあ。

 

 

 

 

そんなわけで

とにかく、

ギリギリまで粘ってしまう。

 

スリルを楽しんでいるのか?

ー違うな。

 

全部使い切りたいのか?

ーそれも違う。

 

 

昨日アップした脳の回路の話でいうと、

「準備しておいたほうがいいと

 気づきながらも、ギリギリまでしない」

回路ができてしまってるのか?

それはあるかもしれない。

 

ってことは、

それに逆らって、

違う回路を作らないとならない。

いつまでたってもこんなんじゃ、

いつかきっと痛い目にあうと思う。

 

 

 

脳の回路って、たとえれば、

道のないところに道を作るような

そんなイメージなんだと思う。

 

よく公園で、

道じゃないんだけど、

そこが駅への近道だったりして、

多くの人が通ったりすると、

草が踏み固められて

道になっちゃってたりするところがある。

そんな感じなんだろうな。

 

他に近道が出来て、

人が通らなくなると、

いつの間にか草がぼうぼうになる。

 

 

いつも同じようなことをすると、

最初は

「よし、ここはギリまで待とう」

と選択してしていたことも、

そのうちそれが自然になる。

道ができちゃう。

 

違う行動をすることは

抵抗感があるけれど、

自覚して、意識して

違う選択をし続けないと、

新しい道はできないんだよなあ。

 

 

今日の講演の内容は、

子どもたちの

レジリエンスの力を育むには、

大人はどうしたらよいかというテーマ。

学区の3小学と1中学合同の会で、

各校の保健室の先生が企画してくれた。

 

腹が立ったから、暴力ふるうとか、

負けたから、練習しないとか、

失敗したから、あきらめるとか、

恥ずかしいから、やらないとか、

不安だから、黙っておくとか、

 

それを、

「それでも、建設的な行動をする」

という方向に、

大人が対話でサポートする方法を

お伝えした。

 

もわっとするような炎天の中、

多くの保護者の方が先生方が

集まってくれて、

そんな中で、

 

結局

私がお伝えしたことは、

子どもが

脳の回路を更新し、

その回路を継続してもらうために

大人はどうしたらいいか

ってことだ。

 

 

それなのに、

私がこんなんじゃ、ダメだな。

こんなギリ癖もかわいいけれど、

ここらで

逆らっときますか!

 

ってわけで、

なんとなく思っとくではなく、

こうやって言葉にしとくってのは、

ギリギリ癖が出てきた時に、

おっ、いいのか?自分・・・

と自覚できるのが

きっといいんだと思う。

 

 

 

それにしてもイオンに助けられた。

レジの女性に、

「本当に、

 本当に、

 9時に開けてくれてることに 

 感謝します」

とマジにいうと、

「お役に立てて良かったです」

と言ってくれた。

あ〜イオンがそばにあってよかった。

 

 

 

 

*本日、使用したかったが時間の関係で省略したパワポの一枚。↓

 

 

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固まっちゃうのは、体も脳も。

【2018.08.01 Wednesday 08:54

襟のあるシャツを着ると

めちゃ肩が凝るようになって、

開襟の襟のシャツが好きなんだけど、

着られなくなってた。

 

ところが膝のリハビリに通い、

可動域が広くなり、

階段を下りるのも、

ペットシーツを変えるときも、

楽になってくるにつれて、

特に違和感なく着られるようになってきた。

 

膝が固まってて上手に動かないうちは、

他のいろいろなところが調整して、

日常生活を送れるように、

ちょっとずつ負担してくれたんだと思う。

 

その過程で理学療法士さんに

私の現状を教えてもらった。

右腿の表側と裏側の筋肉が弱っていることと、

股関節が硬くなっていること。

なんとなく弱ってるな、硬いよなとは

思っていたけど、

どこがどの程度のものなのか、

自分の体のことなのに、

よくはわかっていなかったことに驚いた。

 

そして、そんな私に処方箋!

運動やストレッチの方法を教えてくれて、

ちょっとずつやっているうちに、

膝はもとより、

開襟シャツが着られるようになってきたってわけ。

 

 

 

 

体も使わないと固まるし、

脳は脳で固まることもある。

 

 

 

 

脳科学の本を読むと、

脳は現状維持を好む・・・

のようなことが書いている。

 

今までの考え方、

行動の取り方など、

自然に、

流れのままにしていると、

それを繰り返しちゃうのが脳だと。

 

 

たとえば

友人からライブに誘われたけど、

そのアーチストが、自分としては

あんまり興味ないと思ったとしよう。

 

どうしようかと考える。

 

行動としては、

a「断る」というパターンと、

b  断ったら、今後の関係が不安だから

 「断らない」というパターン

が考えられる。

 

さてどっち選ぶか?

 

 

こういう時、

つまり

ライブの誘いだけではなく、

自治会の体育祭での大縄跳びへの参加の依頼や、

仕事先でシフトの急な変更のお願いや、

理不尽なアドバイスの押し付けや、

無用なラインのやり取りなどに対して、

「この先のことや、人間関係が

 不安だからもの言わない」、

まとめると、

「不安だから行動を起こさない」

というパターンを

何度も繰り返すと、

 

「不安を感じた時に、

行動をおこなさい」

という脳内のニューロンの回路は、

これが最適な処理なんだと自覚してしまい、

一層よく使われるようになり、

それで固まるってことらしい。

 

じゃ、どうするか?

 

逆らうしかない。

 

「不安だから行動しない」

のではなく

「不安だけど行動する」

という回路を脳の中に少しずつ作る。

作れば、

今度はそれで回路ができる。

回路が順調に働くようになると、

「不安」という感情を

持たなくなる可能性もある。

 

 

 

そして「行動」の中の大切な一つが

コミュニケーション。

 

「不安だけどがんばって言おう!」

と現状の回路に逆らおうにも

どう言ったらいいかわからないと、

「不安だから」のループに

引きずり戻される危険性がある。

 

だからこそ、

コミュニケーションの方法が

確立されてきたのだと思う。

 

アサーティブには、

「言いたいことの整理方法」

「伝え方」

「流れ」

「批判の受け方」

「怒りの感情の取り扱い方」

「聴き方・質問の仕方」

などなどのスキルと、

それを支える理論がある。

 

脳の回路を固まらせずに

どこをどうストレッチし、

どこをどう強化するか、

プログラムができている。

 

 

まずは

アサーティブトレーニング基礎編で、

しつこい不安ループに

別の回路を上書きしませんか?

 

基礎編で努力の方向性がわかったら、

あとは日常で繰り返しトライすること。

 

 

この夏の基礎編は、

アサーティブジャパン認定講師が4名体制で

みなさんの学びをサポート!

 

 

肩のコリが膝を治すことでほぐれたように、

コミュニケーションを改善することが、

あなたのしんどかった生活を

ちょっとだけ楽にするかも。

 

 

*アサーティブトレーニング基礎編

 本格的にアサーティブをスタートしたい方に。

 自分の伝えたいことをシンプルに言葉にするための

 考え方とスキルを身につけていただけます。

・8月25日(土)9時半〜16時半
   26日(日)9時半〜16時半
・ 静岡県教育会館 
・21800円(テキスト代込み)
 *なお、リピーターの方は10900円で受講いただけます。
 テキストはご持参ください。
 *紹介講座に参加された方は20800円で受講いただけます。
・ 講師:アサーティブジャパン認定講師

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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猫には毛づくろい。

【2018.07.30 Monday 10:41

7月30日の朝、

NHK BS

岩合さんの「世界ネコ歩き」の再放送を見ていて、

驚いた。

 

ネコが毛づくろいをする意味はいろいろあるが、

自分を落ち着かせるという意味もあるとのこと。

 

例えばオスどうしで喧嘩になりそうな、

ウーっとうなりあっている時、

急に毛づくろいをする時があって、

それは無関係な行動をすることによって

ストレスを発散させているとのことだ。

 

また、

苦手なネコに出会ってしまった時にも、

心を落ち着かせるためにし、

獲物を追いかけてる途中に、

時々毛づくろいするのは、

あまりに獲物に集中し、

我を忘れて命を落とすような危険なことに

巻き込まれないためにするんだそう。

 

すごいなあ、

生き物の防衛本能!

生理現象!

 

命を守るための行動が

脳の中に組み込まれていることが、

すごく興味深いし

めっちゃ頼もしい。

 

 

さて、

人間の生理現象について。

 

緊張したら

手のひらに汗かいたり、

ドキドキしたり、

 

苦手な人が近づいてくると

体が硬くなったり、

 

自分とは全く違う意見を聞いた時に

体にいろいろな反応が起こったりする。

例の「生産性がない」発言には、

頭髪の毛穴が全部開いたような感覚があって、

怒髪天を衝くってこういう感じか?

と思ったりした。

 

 

人間が厄介なのは、

こうした、

手に汗が出たり、

体が硬くなったり、

頭の毛穴が開いたような

そういう体の反応があった時に、

その前に持った感情を

否定する場合があることだ。

 

緊張なんかしてはダメだ・・・

苦手っておもっちゃダメ・・・

怒りは未熟な証拠・・・

などと考えて、

 

生理現象を否定すると、

 

生理現象 VS 思考

ってことになるわけで、

 

生理現象の目的は

何しろ、「命を守る」ことだから、

とにかく「わからせないと!」と、

あらゆる手段を使う。

 

「手のひらの汗」を封じ込めようとすれば、

それでも緊張はしているのだから、

命はなんとかそれを自分に伝えようと、

次は、「あちこちから汗」

なんて形で知らせようとする。

それでも

「平気平気!」と抑えようとすると、

「ドキドキが激しくなる」

「手が震える」

「お腹が痛くなる」

などなど。

 

 

ネコは、

「こういう状況の時は毛づくろい」

という回路があり、

シンプルにその通りに体が反応するけれど、

 

人間は

複雑で、

ほんと厄介で、

面倒くさくて、

愛おしい。

 

だから、

ストレスマネージメントについて

学びあったり、

トレーニングしたりするんだと思う。

 

 

 

夏休み前にある中学校(二校合同)の

学校保健委員会で講師を務めた。

「心の健康」について

事前に生徒の皆さんに書いてもらった

「心のつぶやき川柳」を元に構成するプログラムだ。

 

今回の学校の養護教諭の先生方は

すごいアイディアを出してくれた。

 

授業後の感想に

「心のつぶやき川柳・その2」を書くというもの。

 

むし暑い体育館の中で、

床を机に、

生徒の皆さんが書いてくれた

「つぶやき・その2」。

(両校とも、報告の保健だよりを作成され、

 その中に紹介されているものの中から

 以下を紹介

 ー以下は 谷澤の合いの手)

 

 

「いらいらも 悲しくなっても 心健康」

ーそうだ、その通りだ!

 

「凹んだら 超大声で めちゃ叫ぶ」

ー叫べ叫べ、周りは見のがしてやってくれえ。

 

「話長い 腰が痛いの 短めに」

ーあ〜ゴメン。長かったね。痛かったよね。

 ほんとごめんなさい。

 

「誰でもいい 自分の悩み 聞いてくれ」

ー聞いてくれる人がいるといいね。

 あなたが話せる誰かを見つけられるといいね。

 

「これからは やる気を待たず まずはやる」

ーあっ、これ、刺さる。

 私も勉強しないとやばいし。

 

 

 

ストレスマネージメントとは、

 

何か出来事があった時、

自分に起こった反応の中で

自分のためや、

他者のために、

工夫ができることはしよう

ということ。

 

そして

その前に、自分に起こった反応を

まずはモニタリングできるようになろう。

 

モニタリングして、

(否定しないで)受け入れて、

工夫する。

 

大人は、

子どもの

この過程を、

見守り、

サポートできるといいと思う。

 

 

 

 

これから

ネコの毛づくろいを見たら、

単なる体を清潔にしているのか、

それとも落ち着かせようとしているのか、

きっと観察しちゃうんじゃないか?私。

 

 

 

 

 

*先週水曜、急な土砂降りに軒先きを借りた。

 そのお宅の方が、なんと、傘を貸してくださった。

 世の中、いろいろあるけど、こういうことがある。

 優しい人がいる。がんばろ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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物語にできる

【2018.07.04 Wednesday 17:56

サッカー日本代表が負けてしまった後の

昌子選手が拳で芝生を叩く姿が

まだまだ頭から離れない。

 

どれほど悔しくて情けなかったんだろう。

湧き出るその感情は、

地面に叩きつけなくては

どうしようもできないほどの

エネルギーだったんだろうと思う。

 

そして彼の物語は、

この日を境に、

また新しい章に進んだんだと思う。

 

長友選手が、4年前、

インタビューの席をはずれて、

サポートに来たスタッフに

すがりつくように泣きじゃくってた日から、

彼の物語が一段と濃いものに

なったように。

 

 

 

朝の連ドラ「半分、青い」の中で、

漫画家をめざしていた

主人公すずめに、

恩師秋風先生は、

言った。

 

すずめが失恋をした時だ。

 

「楡野(すずめのこと)、描け。

 泣いてないで、いや、

 泣いてもいいから描け。

 マンガにしてみろ。

 物語にしてみろ。

 楽になる。

 救われるぞ。

 創作は、物語を作ることは、

 自分を救うんだ。

 私はそう信じている。

 物語には人を癒やす力があるんだ」

 

すずめは、今朝の回で

漫画家でいることを

諦めた。

明日からは、

すずめの物語は新しい章に入ると思う。

 

 

 

臨床心理学者の河合隼雄さんは、

小川洋子さんとの対談を本にした

「生きるとは、自分の物語をつくること」

の中で

「私は、『物語』ということを

 とても大事にしています。

 来られた人が自分の物語をを発見し、

 自分の物語を生きていけるような『場』を

 提供している、

 という気持ちがものすごく強いのです」

と言っている。

 

私はものすごく共感する。

 

小川洋子さんが、その話の少し前に

「臨床心理のお仕事は、

 自分なりの物語を作れない人を、

 作れるようにすることだ

 というふうに私は思っています」

と言っていて、

 

それが臨床心理の仕事だとすると、

私はそれとはちょっと違ってるな

って思った。

 

私は目の前の方が物語を作れない人と

考えたことがなくって、

 

というよりは、

 

物語を生きているんだけど、

 

現状の問題は自分の物語の中で、

 どういう章の中の一コマなのかとか、

自分の物語にとって今の苦しさは

 どういう位置付けなのかとか、

 

そういうことが

見えにくくなっているような気はする。

 

見えにくくなっているとは

どういう状態かというと、

スマホやPCで、

⇧このキュルキュルしたやつが

止まらないような、

そんな状態なのではないか。

 

それをあるところ(ある考え)に

たどりつかせること。

 

それを

一緒にやっているような気がする。

 

私が無理に引っ張って、

強引にたどりつかせてしまうと、

目の前の方は、

なんとなく落ち着かないんだと思う。

 

一緒に考え、

そろそろと、

物語を掴み取る。

 

 

 

理不尽な出来事も、

突然の激しい感情も、

努力したことが報われない時も、

 

人生を物語として考えた時、

それはどういう意味があると考えられるのか、

一緒に言葉にしていってることが

私の仕事なんだよな。

 

 

 

どんな出来事であっても、

「これが

 自分が主人公の物語にとっては、

 なくてはならない出来事だった」

と考えることができた時、

 

秋風先生がいうように

「楽になる」

のではないか。

 

 

 

サッカー日本代表物語も、

各選手の物語も、

まだまだ続く。

 

そして、

もう彼らの試合が見られないことが

心が空っぽになるくらい寂しい私の物語も、

まだまだ途中。

 

 

私たちは、

自分の毎日を物語の1ページにできるのだ、

 

 

 

今晩はこれから

高校生にコミュニケーションの授業に行く。

彼らの物語の、せめて1行になるぐらいの

授業をしたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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初MRI

【2018.06.09 Saturday 20:58

2か月くらい前から右ひざが痛く、

だましだまし生活していたけど、

友達が薦めてくれたゼラチンを飲んだら

おさまった。

 

で、また朝のランニングを再開。

もう少し様子を見て、

しっかりとゼラチンで癒せばよかったのに、

いきなり9キロ走ったりした。

それがダメだったんだと思う。

階段を下りる時に右ひざを曲げることが

できなくなった。

 

とにかく大人しくしておこうと、

約一か月は走らず、

日常生活を送っていたが、

どうにもこうにも痛い。

 

何をするにも、

いつもの1,5倍はかかる感じ。

 

ついに今週の月曜に受診すると、

「変形性ひざ関節症」で、

水が溜まっているとのこと。

先生が抜いてくれた水を見せてくれた。

注射器の中に12ccくらい。

「いっぱい入ってたね。

 これじゃ、痛かったでしょ。

 よく頑張ってたね」

に泣きそうになる。そうなんですよ・・・!

ヒアルロン酸を注射してもらい、

マッサージと電気をかけてもらった。

 

そしてレントゲンだけでなく

詳しく調べるためにMRIを勧められた。

 

それが今日!

 

 

 

なんだけど、

私は若干閉所恐怖症気味。

エレベーターよりエスカレーターを選ぶし、

閉じ込められ感にはめちゃ弱い。

叫びだしたくなる。

一昨日くらいから、

時折、

何となくゾワゾワっときてた。

でも

みんながやってることだし、

なんてことはないよ!という考えで、

抑えてた。

 

予約の時間に行き、

検査技師の方の指示に従い、

着替え、

機械に横たわる。

 

検査技師の方は

何かをする前に必ず声かけしてくれる。

「足を持ち上げますね」

「下にタオル敷きます」

「足を固定します」

など、次に何をされるのかわかり、

安心する。

 

なんだけど、

だんだん、

暗い機械の中に20〜30分入るなんて

私にできるのだろうかと怖さが募ってきた。

 

 

ネガティブな妄想が浮かぶ。

怖くって思いっきり

暴れちゃったらどうしよう。

機械を壊して弁償なんて困る。

失禁あるかも。大便の方だったらどうしよう。

大きい声出して叫ぶかもしれないし。

 

 

検査技師さんが、

「では機械の中に入っていきます」

と言い、

ついに動いた。

 

機械の中に少し入って止まる。

また少し入って止まる。

怖い。

頭の中では、

「検査技師さんに、

 閉所恐怖症がちょっとあることを

 言ってなかった。

 本当は怖いってこと、

 一言も言ってない。

 そんなことできるかどうかはわからないけど、

 言ってあれば多少の配慮みたいなこと

 あったかもしれないのに・・・」

と考える。

また少し入って、ついに

首のあたりまで入った時に

「マジ、無理」と思って、

私は、

緊急用のブザーを

思いっきり押した。

 

検査技師さん

「どうしましたか?」

「無理です。

 狭いとこが怖くて。

 無理です」

検査技師さん

「わかりましいた。

 では終わりましょう。

 大丈夫ですからね」

 

 

あ〜恥ずかしい。やってまった。

でも助かった。

でも、情けない。

でも、

もうあの中に入らなくていい。

 

 

検査技師さん

「苦手な方もいらして、

 途中でやめる方もいらっしゃいますよ。

 大丈夫ですからね」

といいながら、

足を解き、体を自由にしてくれた。

 

その途端だ。

めちゃ冷静になって疑問が湧いてきた。

 

あれ?

右ひざなのに、頭まで全部入るのかな?

頭が入らなければ、

大丈夫な気がするぞ。

 

質問をしてみると、

私が「マジ無理」と思ったあたりから

奥に進むことはないそう。

つまり頭は外に出ているということだ。

 

エッ?そうなんだ。

それはやれるかも。

 

「すみません。

 一旦、やめるって言っておいて、

 本当、マジ言いにくいんですが、

 もう一回チャレンジしてもいいですか?

 頭が出ているならできそうな気がします」

 

この時、検査技師さんが

面倒くさそうな態度や

呆れたような声のトーンだったら、

きっと私は

「やっぱやめときます」

と言ったと思う。

 

彼女は

「ではやってみましょう。

 でもまた無理だと思ったら、

 いつでもブザーを押してくれて

 構いませんからね」

と優しく言ってくれた。

 

それならトライできる!と思った。

 

 

で、仕切り直し。

 

検査を受けている間25分くらいだったのかな?

 

私はいろいろなことを考えた。

以下、考えたこと。

 

 

まず、

ちゃんと怖いって認めよう。

私は狭くて暗くて動きを制限されることが

ほんと、怖いんだよ。

今まさにそれだもんね。

よくやってるよ、私。

 

これだけの恐怖を

今経験することに、

意味を与えることができるかな。

 

不安や恐怖の時の

心の動きや体の反応を

ちゃんと

細かく

丁寧に知るって

意味があるかも。

 

 

ロゴ的に言うと、

過剰に自己観察するよりも、

この経験を

何かのために、誰かのために

役立てることが大事だよな。

 

そのことを集中して考えよう。

 

そうだ、そのことそのものは

今思いつかないけれど、

一通出したいメールの返事を

今ここで考えよう。

 

 

〜〜〜なんて

メールの文句を考えてると、

その最中に

検査技師さんの声

「はい、終わりました。

 お疲れ様でした」

 

「へっ?もう?」

 

という訳で

私のMRI初体験は終わった。

 

終わった瞬間に、

「へっ?もう?」だったが

体は正直で

緊張してたんだろう、

固まってる感じ。

お借りした検査着は汗で湿ってる。

 

 

いやあ、久々の

超超超苦手なこと体験は・・・

 

もしも、

私が関わる子どもが

苦手な何かに挑戦する時、

「いいよ、途中でやめても。

 全く問題ないよ」

「何度試してもいいんだよ。

 試したからって

 最後まで絶対やんなきゃとか

 ないからね」

的な感じでいようと

決めさせてくれたぞ。

 

 

 

 

 

何を想うか?クラ。

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor