SC | 今のところではありますが…
社会化と個人化

【2017.05.09 Tuesday 19:28

GW前に、真新しい制服を着た、

中一の男の子が、

うちの前の家の犬に

「モモ〜、癒してええええ〜」と叫んでた。

 

中学校に進学して、

中学生活に合わせていくのが、

大変なんだなあ。

 

彼がGW、ゆっくり休めたらいいなあ!と思った。

 

 

人は社会化を果たしながら自分というものを

作っていく。成長させていく。

 

犬に癒して!と言いたくなるくらい、

社会の中で、

社会の中に合わせていくことは、

しんどいことであるけれど、

でも、

そうやって社会の中に馴染んでいくプロセスは、

同時に

個人が自分自身の力をつけていくプロセスにもなる。

 

 

今日はある小学校で、

小一の男子に

「先生、なんでおしゃれメガネをかけてるの?」と

質問された。

「へっ?これおしゃれメガネ?」

「うん、だって、大きいし、緑だし」

「確かに縁が緑だよね。

 おしゃれって言ってくれて嬉しいけど、

 実は老眼鏡なんだよ」

「老眼鏡って何?」

「年をとると、小さい文字とか見えにくくなったり

 するわけ。そういときにかけるやつ」

「年とるって、何歳から?」

「それは人それぞれ。私の場合は今56歳なんだけど、

 50歳くらいからかけたと思う」

「ふーん。56歳。○○先生より一歳下か。

 もう行っていい?」

 

彼は校内探検の最中で、

ちょっと話しかけたつもりが、

意外に長くかかったんで、

途中で、面倒になったと思う。

話に合わせないとならない自分と、

飽きてきた自分。

 

「もう行っていい?」って言えるって素晴らしい。

社会化の中で、

個人化も進むんだよなあ。

 

 

で、夕方、カルと散歩してると、

公園で、

日曜にあった女子二人がブランコに乗っていて、

カルを見つけて駆け寄ってきてくれる。

しばらくカルと遊んでくれていたら、

一人が

「犬はいいよね。

 面倒な友達付き合いがなくて」

とつぶやいた。

私が

「人間同士はいいこともあるけど、

 面倒なこともあるよね。

 何年生?」

と聞くと、

「5年。

 身長は3年くらいだけど」

と一人が言う。

「5年かあ。

 いろいろあるんだね」

と応えると、

「男子はガキだし、

 女子は面倒なんですよ」

「そうか、大変だね。

 でも、こうして遊べる子がいていいね」

「まあ」

 

一回りして、

帰りに寄ると、

まだ二人はいて、

そのうち一人が走ってきて、

「すみません。

 犬の種類がどうしても覚えられなくって、

 略して言うと何ですか?」

って質問してくれる。

「プチ・バセット・グリフォン・バンデーンが

 正式名称で、略すと

 プチバセだよ」

と言うと、

「ありがとうございます。

 この公園であった犬の

 犬カード作ってるんで」

「へえ、宿題?」

「違います。

 ただやってます」

「そうか、

 見たくなちゃうよ」

なんて、話した。

 

友達関係がなかなか面倒な中でも、

そうやって自分の好きなことに関して、

やろうとすること、

なんか、

人間ってすごい!と思ってしまう。

 

組織の中で生きながら、

個人を育てている。

 

 

先週の土曜日は「アサーティブカフェ」を開催。

10年選手から、

昨年始めた方まで集まって、

日頃のコミュニケーションを振り返る。

 

義理の母親との関係が変わった方、

技術系から事務系の仕事に移り、

新たなコミュニケーションの課題を見つけた方、

春の異動で出会った先輩に

言いにくいことを言う必要のある方・・・。

みんな社会の中で、

自分を社会に合わせながらも、

自分の中から湧き出てくる言いたいことや、

言わなくてはならないことをもっていた。

 

挑戦していくこと。

それは、自分を育てていくことになる。

 

自分の思ったまま、

思ったようにやっていけたら楽だけど、

そんなことはないし、

万が一そんなことあったとしても、

それでは「昨日のままの自分」でよくなってしまう。

 

制限の中でこそ、

人は、

苦しいけど、

自分ってものを

引き出していけるんだ。

 

 

 

 

社会の中で活動していると、

無言だけど結構きつい同調圧力や、

必要以上に空気を読むことを期待されることや、

自分で自分に役割を果たすことを強要してしまうこともある。

心をすり減らす出来事だって多い。

 

そのなかで、

それでも自分をないがしろにしないで

ちゃんと自分を守って育てていくには、

ある程度安心できる組織を作ることと、

(これは、学校の場合は、

 大人の責任だ!)

時々自分をメンテナンスできる空間や

支えてくれる人(または犬)が必要なんだと思う。

 

「モモ、癒してえええええ〜」

って言いながら、

また、

彼も学校に行く。

 

そういうエネルギーがある時は、

そうする。

 

でも、

今はそのエネルギーがたまってなくって、

今はまだ社会の中に入って行かれない人は、

まずは今いられる場所で、

できることをやることだ。

まずは、

今いる場所で、

自分を守ったり、育むことを、

してほしいよなあ。

そしてエネルギーがたまるといい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| SC | comments(2) |

駄目な子だったです、その2。

【2016.12.03 Saturday 18:14

 

来週伺う中学校では、

新しいプログラムで講演するため、

アンケートを実施した。

 

,笋蕕覆い肇瀬瓩世箸錣っているのに

 なかなかやれないことはありますか?

 やめた方がいいとわかっているのに、

 やめられないことはありますか?

 何ですか?

↓,紡个靴董△△覆燭覆蠅旅夫をしている

 ことはありますか?あったら教えてください。

 

詳細は書けないが、

これがもう本当に

せつないし、

時々おもしろいし、

感心する。

 

勉強をやらなきゃいけないとわかっているけど、

ついついゲームに手がのびてしまう・・・

だから、携帯やタブレットを遠〜くに置くとか、

親が見ているところで勉強するとか、

彼らは頑張っていた。

 

挨拶や掃除、片付けや、

時々ぼ〜っとしてしまうこと、

ちゃんと自覚していて、

しかも、

この学校の子どもたちは

本当に素直に正直に書いてくれている。

 

ほとんどの子が、

ゲームを長時間やるのをやめたいと思っていて、

だから例えば

ポケモンGOをやりにくくするために、

なるべくボールを0にしておくなどの工夫をしている。

立派だと思う。

 

なんだけどその中に一人、

もっとゲームをやりたいのだけど、

眠くて寝てしまうのが悔しい的なことを

書いている子がいて、

その子は、

眠さを抑えるために、

ゲームの音楽をイヤホンで聞きながら

自分を煽る工夫など、

3つの工夫を書いているのだ。

 

それを読みながら、

一瞬、

えっ?まじ?読み間違い?と思った。

 

しかし、うん、

ちゃんとそう書いてある。

 

面白いなあ!!!

 

私は考えた。

 

もしこれを、この中学生が、

アンケート制作者である私に対し、

ふざけた態度で挑んできたとしたら、

それでも3つもの工夫を考えついたことが

すごい!と思う。

 

もしこの中学生が本当にまじに

このことで悔しい思いをしていて、

なんとかしなくちゃ!と工夫をしているとしたら、

それもそれで、素晴らしいことだと思う。

 

だって、どっちにしても、

自分の問題解決のために

考えて、

選択肢を3つもあげることができて、

そこからなんとか行動しようとしているんだもの。

 

 

今日、久しぶりに、

自分のブログの過去に書いたもの

「駄目な子だったです。」

を読んだ。

そこには、

大学3〜4年から25歳くらいまでの、

しょうもない私のことを書いてる。

 

あの頃の私には、

この中学生のように、

自分の中の葛藤への解決のために、

考えて、

選択肢を幾つか考えられる

そんなパワーはなかった。

 

 

話は変わって、

(ご安心を!また戻ってきます)

今日は富士市で

保護者と教職員の方対象の講演会で

講師を務めたが、

ここでリフレーミングを紹介した。

 

思春期の子どもを持つ親のための講座の中では、

リフレーミングの練習をよくする。

 

リフレーミングとは、

一つの事象に違う意味づけをし、

思考を転換することだ。

 

事実はひとつ、

たとえば

「よく話をする」という子がいるとする。

これをネガティブな意味づけをすると、

「おしゃべり」。

ポジティブな意味づけをすると、

「自己主張ができる」

となる。

 

とくに我が子には、

なんとか健やかに成長してほしいと思うから、

ネガティブな意味づけをして

改善していってほしいと願うのが

親だと思う。

ただ、リフレーミングってことも

知っておくといい。

 

たとえば、

「自分から進んで動かない」は

ネガティブな意味づけをすると、

「自主性がない」とか「消極的」。

ポジティブな意味づけをすると

「慎重」「物事をよく考えてから行動する」

 

「お金をよく使う」は

ネガティブな意味づけをすると

「金使いがあらい」「無計画」。

ポジティブな意味づけしてみると、

たとえば

「景気に貢献してる」みたいな。

 

「やりたいことはやる、

 やりたくないことはしない」

はネガティブな意味づけでは

「わがまま」。

ポジティブな意味づけでは

「力の抜き方を知っている」。

 

事実はひとつだけど、

それに対して

ポジティブな視点も持つことができると、

子どもとのコミュニケーションに、

余裕をもたらせてくれる可能性がある。

 

 

 

で、私のダメダメ時代の話に戻る。

 

あの私のダメダメ時代は、

幼い頃を取り戻そうとしてたのではないか?

 

これまでの私の人生を省みた時に、

もしかしたら、

ある程度力の抜き方を知っていて、

やりたいことはやるけど、

やりたくないことはほどほど・・・

ってことを、幼い頃にやってたら、

ちょっと違ったのではないか?

と思うから。

 

幼い頃、

親や家や商売関係者の期待に応えたい!

どうすれば、褒めてもらえるか?

そのことでいっぱいだった私。

緊張もしてただろう。

いい子ちゃん着ぐるみは

時々重かっただろう。

それでも、それをやり続けるしかなかったから、

頑張ってやっていた私に、

今思うと、

人生からのプレゼントみたいな

隙間の時間が、

あのダメダメ時代だったのではないか?

 

ダメダメだったけど、

ダメダメを十分にやらせてもらえたことが、

なんとか今、多少のことでは挑んでいける私で

いられてるんじゃないか。

 

もちろん今はもう、

私の人生に

なんの文句も愚痴もない。

幼い頃の健気な自分も含めて、

今までの全部が結構愛おしいし、

登場してくれた方々の影響あっての今って、

ちゃんとわかってる。

 

 

でもこうして書いておくのは、

「ゲームばっかりやっている子」や、

「やりたいことしかやらない子」も、

だからって、

今だけで判断しなくっていいって、

思うから。

 

 

 

 

 

さて中学生へのアンケートを

自分に問いかけてみる。

 

,笋蕕覆い肇瀬瓩世箸錣っているのに

 なかなかやれないことはありますか?

 やめた方がいいとわかっているのに、

 やめられないことはありますか?

 何ですか?

↓,紡个靴董△△覆燭覆蠅旅夫をしている

 ことはありますか?あったら教えてください。

 

 1・喪中欠礼はがきの準備をしなくてはならないのに

   してない。

 2・近所の野菜ハウスに義父の好きだったイチゴが並んだ。

   お供えしようと思いながら、何日か過ぎた。

 

 1・ホワイトボードにチェックボックス付きの

   やるべきことリストを久しぶりに書く。

   そして、チェックつけるために、やった。

 2・勢いだ!と考え、

   カルの散歩を終えた瞬間、

   面倒だの何だの、何も考えずに、

   野菜ハウスに直行。買ってお供え。

   しばらく義父の位牌と話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| SC | comments(0) |

心のリアル、そのままで。

【2016.08.25 Thursday 16:06

昨年の8月25日、

鎌倉市の図書館が

 

「もうすぐ二学期。

 学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、

 学校を休んで図書館へいらっしゃい。

 マンガもライトノベルもあるよ。

 一日いても誰も何も言わないよ。

 9月から学校へ行くくらいなら

 死んじゃおうと思ったら、

 逃げ場所に図書館も思い出してね」

 

というツイートをして話題になった。

何かできることはないかと考え、

その上で、

「何とかしないと!」一心の勇気あるツイート

だと思った。

 

で、

また、その季節だ。

 

 

私の活動する学校は、

1校が昨日から始まり、

今日、明日と月曜は、

なんと、テスト。

もう1校は明日から始まり、

いきなり2時間授業がある。

(私自身の活動スタートは、

 月曜から)

 

授業時間数その他、

そうしなくてはならない理由が

あってのことと思うけど、

子どもたちも、

それを指導する先生も、

また見守る親も、

なんともしんどいスケジュールだと思う。

 

 

 

そんな中、

今日、

昔の自分の日記をいろいろ調べていて、

8年前の8月29日に書いたものを読んで、

びっくりした。

 

変わってない。

っていうか、進歩なしの自分。

ま、ここは「ぶれてない」ってことにする。

 

 

その頃、

学校から依頼を受けた2件の研修のテーマが

「子どもにコミュ能力をつけさせるために」

というものだったことから、

それに対しての考えを書いているのだ。

 

 

 

 

「子どもたちにコミュニケーション力を

 つけさせたいと考えている先生方は多い。
 それは本当に理解できる。
 そして、私は、それが人間関係を

 うまく築けるようになるために・・・という、
 表面的なところからのみで、

 考えられているものでないことを願う。
 もちろん人間関係を作れるようになるのは

 大切なことだが、
 私は、もっと大切なことがあるように思う。

 

 二日くらい前の毎日新聞の夕刊の特集ワイドは
 『川口の中3少女・父親刺殺事件

  今、中学生の生きる世界は』というもので、

 子どもたちの息苦しさと、忙しさを、
 大人たちはどんな目で見て、

 何をしてあげることが必要かが描かれていた。

 取材を通して出会った中学生へのインタビューと、
 東京都の教育相談員の方の話、
 精神科医の話、そして市立の学校の校長先生の

 話がでている。

 

 私は校長先生の言葉が頭から離れない。
 『生まれてから親、教師、仲間など、

  他人の期待に応じる生き方しかしていない。

  悩みや苦しみを外に出したら関係が切れると思っている。

  小学校卒業までに

 【私が私であろうとしたら、この社会で存在できない】

  と学び取っている。

  身近な親にさえ自分を出すことができないのは、

  受け止められた経験が希薄だからだ』

 

 【私が私であろうとしたら、この社会で存在できない】

 と感じている子どもたちに、
 そんなことはないよ!と伝え、
 子どもが心底そう感じてもらえたら、

 どんなにいいだろうかと思う。

 

 つまり、

 コミュニケーション力をつけてほしい1番の理由は、
 他人と上手に関係を築くことの前に、
 自分のことを自分で認めていいんだというところに

 立ってもらうため!私はそう思う。』

 

 

 

 

 

いやあ、変わってない。

違うところがあるとすると、

「自分のことを自分で認めていいんだというところに

 立ってもらうため」

とは、今の私は言わないと思う。

それは言い過ぎてたと思う。

 

「自分で自分のことを認める」って

すっごく難しいことだもの。

その考えをを子どもたちに差し出すのは、

今の私には難しい。

 

今の私なら、

「他人との関係をよりよく築くのも、

 とっても大事。

 ただ、

 あらゆる人間関係の中で

 まず大事にしたい関係は、

 自分との関係なんだよ。

 だから、最初に、

 自分が何を考え、何を感じてるか、

 そのことをわかるところから

 スタートしよう」

くらいの感じかな。

 

 

つまり

子どもたちには、

「あなたがどんな汚い考えや

 どんなネガティブな感情があったとしても、

 それは悪いことではないよ。

 その心のリアルなところを

 キャッチできることが、

 自分との関係を大切にしてることに

 繋がるよ」

と伝えたいな。

 

そして、そのことを

もし、大人の前で口にできた時、

その時は大人の出番だ。

大人たちは、

評価も、判断も、アドバイスも、先回りもしないで

まずは受け止めてあげたい。

そうしてほしい。

 

この校長先生が言ってるように、

大人の役目は、

子どもの話を受け止めることだ。

子どもは

受け取ってもらえるという安心感のあるところでは

口に出してくれる可能性がある。

 

 

400メートル個人メドレーで

金メダルを取った萩野選手は、

予選を終えて、夜の決勝までの間、

仮眠を取ろうと宿舎に戻ったんだそうだ。

そして横になったが、

まったく眠れなかったそうだ。

「体を休めなくては」と思いながらも、

頭の中をレースのことが

ぐるぐるしていたそうだ。

 

そして決勝の会場で

指導者の平井先生に会って、

「眠れなかった」ことを

話したと言っていた。

 

この「話した」ってとこが、

すごくすごく重要だと思う。

「眠れなかった、どうしよう」という

焦りや不安をそのまま持っていても、

どこにもいかない。

 

先生に言えたことで、

大分軽くなったのではないか。

 

弱音が吐けたってことだもの。

 

「弱音を吐いて

 怒られた。

 馬鹿にされた」

という経験を積んでたら、

彼は言えなかったと思う。

 

平井先生は、

その話をそうかと聞き、

それを責めるのではなく、

「このオリンピックで

 人生をかけるレースをする

 って言ってたぞ」

と目標を思い出させたということ

だった。

 

 

 

 

 

学校が始まる。

 

学校に行くことが

心底辛い子が、

近くの大人に、

その気持ちを言えるといいな。

 

それを言ってもらえる

大人でいたいな。

そして、

うろたえながらも、

受け止める大人が

いっぱいいるといいな。

 

そのあと、

一緒に悩み考える大人がいいな。

 

 

それにはまずは、

大人が自分との関係を

良好にしておくことだと思う。

その努力、めちゃ大切だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| SC | comments(2) |

大切にする仕方。

【2016.08.02 Tuesday 18:21

6月に行った小学校での学校保健委員会の

感想が届いた。

 

1〜3年と

4〜6年で分けて行ったのだが、

1年生の感想の中に、

 

「こころのなかで

 きもちがいえるようになるといいこと、

 せかいじゅうのこどもに

 おしえてあげてほしいです」

 

というものがあって、

その文字の拙さと、

大きな依頼のギャップに

なんだか

ジーンとした。

 

 

 

 

1〜3年の授業では

「こころ」ってどこにあると思う?

という問から始めた。

 

胸にもあるね。

ドキドキするもんね。

お腹にもありそう。

心配でお腹痛くなったりする時あるし。

私は今、手のひらにもあるって思ってる。

だって、汗かいてるもん。

ガンバんないと!って思ってるんだと思うよ。

 

3年生に

「心」という漢字を黒板に書いてもらった。

 

「土」とか「山」とか

なんかどっしりしてるけど、

「心」は

形を作るの、バランスとるの、

結構難しいんだよね。

そして柔らかそう。

 

「心」大切にしようね。

 

今日は、

どうやったら「心」を大事にできるかを学びます。

 

 

〜なんて感じでスタートしたと思う。

 

 

参観に来てくれた保護者の方の感想の中に、

「今日の体験を通して、

 (心の中の)もやもやを言葉に当てはめて、

 それを伝える一連の流れができる

 ようになったら、娘も楽だろうし、

 私も娘の気持ちに共感し、楽しさを増し、

 辛さを減らせるとしたら、

 どんなに子育てが楽しめるだろうかと思いました。

 そういう関係を作れるよう努力していきます」

とあった。

 

家の中で、

「そりゃ心配だったね」

「面倒くさいこと、あるよね」

「緊張したんだね」

なんて話す時間が増えたら、

ホントいいと思う。

 

 

 

 

 

4〜6年生への授業では、

めんどくさいコミュニケーションのゲームを

体験してもらい、

それを通して学ぶプログラムだった。

 

ゲームでうまくいかなくて、

泣くのをこらえながら

「紙をぐちゃぐちゃにしたいほど悔しい」と

発言してくれた子がいた。

 

その子のそのつぶやきに注目して、

「この子たちの素直さを大切にしたいという

気持ちを改めて強く感じました」

と感想を書いてくれた先生がいた。

 

 

本当に、感想に、

励まされる。

頑張ろうと思う。

 

 

 

これからも、

表現方法は年代によって工夫したとしても、

「心を大切にする仕方」

を伝え続けたい。

 

 

 

心を大事にするとは、

自分の中で渦巻いている考え(自動思考)や感情を

自分で認識することだ。

 

外に出して言えないことでも、

自分の中に湧いてきた考えや感情を、

自分でキャッチすること。

 

せめて、

自分ぐらいは、

自分の中で起こっていることを

理解しておくこと。

 

 

 

自分の中で起こってることを

ないがしろにしていて、

自分を大切にしているとは言えない。

 

そういう日々を重ねていて、

他者(や他者の考えや感情)を

大切にできるだろうか。

 

もしできたとしたら、

相当な犠牲の上だ。

 

相当な犠牲は、

悲しみや無力感や怒りに

繋がっていくだろう。

だって抑え続けているのだもの。

自分の中で起こっていることを、

まるで起こってないことのように

扱っているのだもの。

 

 

自分に対してさえ

抑え続けた考えや感情は、

それでもそこにあるのだから、

対処されることを求める。

 

出口を探す。

 

そういうことが重ねると、

常に沸点ギリギリでいるような

状態になってしまうだろう。

 

苦しいだろうな。

怖いだろうな。

 

自分の頭の中で言語化することは、

慣れてないと難しいだろうから、

安心できる場で、

誰かに手伝ってもらうといい。

 

 

 

 

心を大切にする仕方とは、

自分の中に湧いた考えや感情を、

頭の中で言語化して承認すること。

 

評価も判断もしないで、

承認することだ。

 

 

 

一人一人が、

自分に対してそれをする。

 

一人でやるのが

難しかったら手伝ってもらう。

 

もし、自分でできるのならば、

今、隣にいる人の

それも助ける。

 

 

そんな小さな流動的な単位が

あちこちに現れること。

 

それを想像すると、

ポッと希望で心が温かくなる。

 

 

 

 

 

その先に起こることは、

もう、

自分の考えや感情を特別に観察しなくても、

自然に承認でき、

だからこそ、

自分のためだけではなく

誰かのために、

何かのために、

行動を選択できる

ってことなんだろうなあ。

 

 

と、

受け取った感想を読みながら、

壮大な思いにふける夜。

 

 

「せかいじゅうに」と

思いを巡らせた

一年生のおかげだな。

 

 

 

 

 

 

 

ランチのお供の本。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| SC | comments(0) |

本当のところ。

【2016.07.22 Friday 09:22

先週行ったある中学校での学校保健委員では、

生徒たちに事前アンケートで、

日常の中のつぶやきを五七五で書いてもらい

それを元に「感情との付き合い方」

について話した。

 

保健室の先生と、

いろいろやりとりしながら

プログラムを作って行ったのだが、

その過程で

「先生方にも書いてもらおう」ってことになった。

お忙しい先生方への依頼は気がひけたが、

保健室の先生が、夕方の職員室で仕事する

先生方に声をかけてくれ、

なんと21の先生のつぶやきが集まったのだ。

(公開することを

 保健室の先生に了解いただきました)

 

その中には

「生徒指導 毎日同じ 繰り返し」

などという、

あ〜先生もお疲れだよなあ、

本当は叱りたくなんかないんだよなあ

と思うものもあれば、

 

「落ち込むな 昔の俺より ずっといい」

という、

なにがなんでも励ましたいというものもあれば、

 

「『おはよう』の 素直なあいさつ やる気でる」

とか

「夏休み 取り戻せるぞ 3年分」

とか

「これぞ!先生」的なつぶやきもあった。

 

その中で、

「素敵だよ 一人でいられる ことだって」

とか

「やる気でない そんな日もある 深呼吸」

とか

「隣の子 うらやましくなる 日もあるよ」

というつぶやきには、心が和んだ。

「ぼっち」は恥ずかしいと思ったり、

やる気ないとダメと思い込んでたり、

スクールカーストの中で惨めさを感じている子、

つまり、

同調圧力の中でもがいている子どもたちは、

どんなにホッとしたかと思う。

 

これらを読みながら。

思い出したことがある。

 

それはかなり前になるが、

ある中学校で

全校道徳の講師を務めた時のことだ。

「どんな感情が湧いてしまっても仕方ない。

 でも行動はコントロールする責任があること

 自覚していこう」的な話をした後、

帰ろうとする私を

車のところで待ってくださっていた保護者の方が、

「小中学生には

 当たり前のこと、

 建前を教えたい。

 いろいろ思いながら

 頑張っている子供たちには、

 今日の講演は

 余計なことだったと思う」

というようなフィードバックを

くださった方がいたのだ。

 

多分、

「どんな感情が湧いてしまっても仕方ない」

という部分を批判されたんだと思う。

 

その時のことを思い出したのだ。

 

 

私はあの時、

待ってくださっていたことへの感謝と、

そういう意見があることも知っていることと、

それでも私は違う意見を持っていることを告げた。

 

彼女は、

「そういうようなことを

おっしゃると思ってました」

的なことを話され、

すぐに保護者会へと行かれた。

 

 

言いっ放しのようにされたその方に対して、

私は腹が立ち、

批判されたこと自体にもカチンときた。

 

しかし、家まで運転する車の中で、

その怒りでもやもやする中身を

あれやこれや探ってみると、

2つの悔しさ、

 屬修ΔいΠ娶を持つ方にも

  そこそこ納得してもらえる講演が

  できなかった自分」

◆峪劼匹發燭舛

  感情のことを話すことの必要性を、

  明確に言葉にしてこなかった自分」

があることに気がつき、

特に2つ目の悔しさについては、

自分の努力不足を自覚することになり、

それに気づけたのは彼女のおかげだと

家に着く頃には、感謝になっていたものだった。

 

そして、私なりに、努力を続けた。

 

 

あれからずいぶん時間がたって、

今回の先生方のつぶやきを読んで、

学校現場はすでに、

「建前」や「すべての人に必要な昔からの教え」的な

ものだけでは、

生徒の心をとらえることができないし、

多様な生徒個人個人の成長へのサポートにはならないことが

浸透しているんだと思った。

 

もちろん

「建前」のようなものも、必要だと思う。

 

助け合おう

努力しよう

失敗しても立ち上がろう

我慢もしよう

仲良くしよう

 

それを言わないんじゃない。

それも大事。

 

でも、

それがいいことだって100も承知で

それでもできない時に、

そんな当たり前を示されても

「知ってるし」で終わってしまうことを、

学校現場は知っている。

もちろん前から知っていたと思うが、

以前はそれは個人との面談の中や

クラスでの話の中であって、

全校という超公の場では

「建前」がほとんどだったと思う。

(私の知ってる限りですが)

 

そのようなことを

先週の中学校での学校保健委員会では

しみじみと考えたのである。

 

 

 

そして昨日の小学校での学校保健員会。

5〜6年生が対象だった。

 

私は話した。

「人間ってね、

 イライラやクヨクヨや、

 悲しい気持ち、辛い気持ちが

 たまってくると、

 なんだか意地悪したくなって

 しまうものなんだよ」

 

それを話しながら幼い時のことを頭に浮かべてた。

 

私は幼い頃、

妹みたいな柔らかい髪じゃなく

硬くてツンツんしてる自分の髪が悲しくて、

母親じゃなく父親に似てる自分が嫌で、

大人には褒められるけど、

同じ年の子からは好かれてないような気がして、

そんなことが辛いなか、

それでも普通に過ごしていて、

ある日、

お風呂で、まだ結構あったリンスを

全部を使ってしまい、

妹に使わせないという意地悪をして、

母に叱られた。

 

「嫌な方の気持ちだって、

 湧いて悪い気持ちなんて

 いっこもないんだよ。

 だからね、嫌な方の気持ちが

 湧いた時だって、

 誰かに言っていいんだよ。

 言えない時もあるって、わかるよ。

 でも、安心できる場で、

 言ってもいいってことは、

 知っておいてほしいんだ」

 

これは「建前」ではなく、

本当のことだと思う。

 

 

 

 

子どもにとっても

ストレスフルな社会の中を、

感情とどう付き合っていくのかという

本当のことを知らないで生きて行くのは、

あまりにも無防備だと私は思うし、

学校もそう考えているように思う。

 

それで、そういう要望が多いし、

それを校外の人に依頼するだけでは

もう足りないんだと思うんだ。

 

 

 

とはいえ、これも今のところの考え。

いろいろ変わっていく中で

その時その時考え続けていくしか

ないよなあ。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

私はこの文を書きながら、

「あれ?

 もしかして、私は、

 あの時の彼女に、

 自分の正当性を

 認めさせようとしてるのかな?」

と考えた。

正直、ちらっとそれ、あったかもしれない。

(うググ、せせせこい)

 

でもそれよりも、

あの時の彼女と

いろいろ議論してみたい思いの

方が強い。(うん、これ ほんと)

また新しい課題を、

彼女は与えてくれるんじゃないかと思う。

 

ダメだな、それは甘えだな。

自分で「問い」は作らねば!

 

 

 

さ、夏休みだ。

先生方と研修を共にする機会が多い。

その中から、問いを見つけて、

精進していくぞ。

 

 

 

 

静岡県立美術館で

ミッフィー、始まってる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| SC | comments(0) |

承認と共感

【2016.06.29 Wednesday 21:39

いつ何があるかわからないって思ってる。

いつでもどんな時でも、

絶対に落ち着いて、

ぶれずに、

冷静でいられる

とは思ってない。

私は、

そこまで自分のことを過信してない。

 

ただ、もしも、

ぶれて、

迷って、

自他の感情に巻き込まれたり、

いろんな事情に振り回されたりしたとしても、

戻るところが

確固としてあることは幸せだ。

 

私の場合は、

CL~建設的な生き方

アサーティブ

ロゴセラピー。

 

 

 

「信頼ベースの学級ファシリテーション」

も、

多くの先生方にとって、

「戻るところ」なんだと思う。

先週2日間の講座に参加して、

その思いを強くした。

先生方に、「戻るところ」があってよかった。

そこに仲間がいてよかった!とすごく思う。

 

自分のキャラや、

成功体験や、

先輩や管理職からの助言や、

その時々に見つけた情報、

頼るものがそれだけでは

心もとないと思う。

「信頼ベースの学級ファシリテーション」には、

教育に対しての哲学があり、

理論が背景となった、

方法論が具体的にある。

 

問題の予防にも

問題解決にも、

より良いクラス運営にも

役に立つ。

 

 

 

 

 

二日目に

「ふりかえりジャーナル」

というツールについて学んだ。

子どもたちが、

その日の出来事を振り返って書く日記形式のものだ。

 

ゴリが始めたもので、

クラスの一人ひとりとつながるためのものとして

開発したとのことだった。

 

帰りの会などで、10分くらいかけて書く。

それを読むと、

先生は、それぞれの

その日の出来事や気持ちなどを知ることができ、

たとえ言葉をかわすことができなかった日でも、

その子の「今」を知ることができるってわけ。

先生は、翌日朝、みんなに返す。

 

子どものその日1日の

よかったことや、達成したこと、

失敗や、もめごとや、

自分への苛立ちを綴ったものなどを読むと、

先生としては

いろいろコメントを書きたくなるもの。

 

ただし、ゴリやせいこさんがすすめる方法は、

コメントは「承認と共感」。

「うんうん」

「なるほど」的な本当に短いコメントやサイン。

 

「評価や判断も指示」もしないし、

ましては

反省を促したり、

アドバイスもしないし、

問題の解決もしない。

 

私はこの「承認と共感」ってのが、

子どもの心を育てる!と思った。

 

 

だって、

人は、「評価と判断と指示」に

まみれて生きているんだもの。

 

ほぼ、そればっかな

日常を送ってるんだもの。

 

 

 

それが良い評価だとしても、

バランスをくずすと、

何かをする時の目的が

「良い評価」になってしまったりする。

 

判断を浴びると、

自分で判断するのが怖くなるし、

他者の判断を待つようになる。

 

指示されてばかりいることは、

自主性を阻む。

 

 

 

「承認と共感」というのは、

「こういう事実があったんだね」

「こういう気持ちだったんだね」

ってことを示すことだ。

 

つまり、

「先生は、

 あなたに今日、

 こういうことがあったこと、

 わかったよ」

「あなたが、〜〜って気持ちに

 なったって、理解したよ」

ってお知らせすること。

 

 

それが、

いい時も、

悪い時も、

成功した時も、

失敗した時も、

良いことした時も、

悪いことしてしまった時も、

変わらずに、

「そういうこと、あったんだね」

「そういう気持ちになったんだね」

と、

感情的にならないで、

「今日、今、その時」を

淡々と受け止める。

そういう先生のコメントは、

安心感につながるのではないだろうか。

 

もちろん、他の場面では、

アドバイスしたり、

褒めたり、

相談に乗ったり・・・とする。

でも、ふりかえりの場だからこそ、

子どもが自分と誠実に向き合う環境を作る。

 

 

子どもが、

他の誰からも、

評価も判断もされないという安心感の中で、

しかしながら黙って見守ってくれている人はいる中で、

「自分を振り返る機会」を持てることは

素晴らしい。

 

「自分を振り返る機会」

 =

「自己観察すること」

 =

「自分を外から見る体験」

 =

「自分の言動に自覚的になる」

 

つまり

メタ認知のトレーニングを

積み重ねることになるのだ。

 

 

人は体験から学ぶのではなく、

体験を振り返ることから学ぶ。

 

「経験の開放性が高いと

 運が強くなる」と

脳科学者が言っていた。

 

 

・・・と

幾重にも好循環な

「ふりかえりジャーナル」

 

 

講座に参加されていた

ほとんどの先生たちは

実践されていた。

 

目を通しながら、

微笑んだり、

泣けてきたり、

大声で笑ったり、

はてな?ってなったり、

腹たったり、

先生たちの感情は

いろいろ動くんだろうな。

 

忙しい中、

その時、

先生は、

一人ひとりとつながるんだな。

 

 

 

 

「信頼ベースの学級ファシリテーション」

という「戻るところ」に出会えた先生方は、

ラッキーだと思う。

 

 

私としては、

これを学年や学校の中に広めていく時に、

アサーティブを使って欲しいな!

なんて思ってる。

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| SC | comments(0) |

ブッククラブ

【2016.06.26 Sunday 22:42

ちょんせいこさん

岩瀬直樹さん(ゴリ)

のお二人がファシリテートされた、

信頼ベースの学級ファシリテーション2日間講座」

に参加してきた。

 

小学校の先生方と一緒に、

子どもの「心の体力」を温めながら、

エンパワーするための教師としての

あり方と、方法論。

私は、

日常、学校で接する先生方の

より良い伴走者になりたくって、

そのためのヒントを得ようと参加したが、

結局は純粋に楽しみ、

そして、いっぱいの刺激を浴びた。

 

 

今回の学びを

振り返っておこうと思うが、

何回かに分ける。(少なくとも2回)

 

 

 

今回は、

「ブッククラブ」について。

 

子どもたちに本を読むことを体験してもらい、

さらに、その本に関して他者と対話することで、

より理解を深めていく方法を

体験した。

 

講座参加に関して宿題が出ていた。

「時をさまようタック」という児童図書、

全25章のうち、

22章まで読んでくること。

私は行きの新幹線と中央線の中で

なんとか20まで読み、参加。

 

この物語は、

「はじめに」から3章くらいまで、

何がなんだか分からないくらい

ややこしい。

「作者は本を放り出させようとしてるのか?」

と思うくらい、

言い回しは混み入っていて、

情報は複雑に入り組んでいる。

 

まずは、

とにかく手強い「はじめに」を

ゴリが読み聞かせてくれる。

問いかけや対話を織り交ぜた読み聞かせは、

文章を自分自身に置き換えて考えさせてくれ、

物語に入りやすくしてくれた。

また、せいこさんの

ホワイトボードに絵にしていく技は、

いやあ、びっくり、

物語が、なるほど、そういうことね!と

すとんすとんと入ってくる。

この方法なら、

読むのが苦手な子どもでも、

本を読む楽しみを体験できるだろうなと思った。

 

その後私たちは8人のグループになった。

そこでより物語を深める対話を試みる。

しかしその前に、あらすじを思いだすために、

あらすじリレーをした。

右端に座っている方から順番に、あらすじを

話していくのだ。(パスもあり)

 

私たちの班に、

宿題をやってこれなかったAさんがいた。

(その方にブログに書くことを

 お話ししてあります)

 

宿題をやって来ないと、

その場に居づらかったり、

他の人も、その方とどう絡めばいいか

分からなくって、

ちょっと硬い空気が流れる可能性がある。

 

なんだけど、

そんなことが全くない心地よさ。

 

そういうことも見越して、

さらに、

あらすじを忘れてしまった人もいることを

予想してのあらすじリレー。

 

一人ずつ順を追って

あらすじを話し始める。

 

すると、リレーの間、

Aさんの反応がめちゃ素敵だった。

「ふむふむ」

「そうなんですか」

「ちょっと待ってください。

 ってことは、〜〜〜ってこと?」

「それで、それで?」

「え〜、そんな風になるんですか」

 

 

私は子どもの頃、

宿題をやってなかったら、

学校に行けないタイプの子だった。

あるいは、

今回のように

やってなくっても表面的には

分からないタイプの宿題だったとしたら、

やってあるフリをしてごまかしたと思う。

もしかしたら

どうせやってないからと、

ふてくされる態度を取る人だって

いるかもしれないし、

とりあえず、小さくなって

目立たないように

固まってるってやり方もある。

つまり、

そのことで頭がいっぱいで、

本来の目的である

「本を読む楽しさ」

「対話を通して本への

 理解を深める」

「本について語り合うことで

 お互いについて知る」

ってところには全然行けなかった

だろう。

 

でもAさんは、

確かに忘れちゃったのは残念だったけど、

「今、その時」にできる精一杯で

ブッククラブに参加された。

Aさんご自身に

態度の力

(その時その時、どういう態度をとるか)

を感じたし、

「ブッククラブ」の仕組みが

その土台にあったと思う。

 

 

私たち班は、

Aさんの

聴き上手、

うなづき&あいづち上手の

おかげもあって、

あらすじリレーだけでも、

十分におもしろかった。

 

 

 

ましてやその後の、

話し合い!!!

23章から「終わりに」までは、

「結」の部分。

そこを各自で読んで、

疑問点や話し合いたい点を場に出して、

対話していく。

 

自分の予想と違っていたかどうだったか?

終わり方は納得できるかどうか?

結局、この物語は

読者に何を伝えたかったのか?

 

自分だけの考えを超えて、

深まるし、

広がる。

話し合うって、すごいことだ。

 

 

今回体験した「ブッククラブ」は、

誰のことも置いてきぼりにしない、

そこにいる人全員が、

今、

その時、

その人なりの建設的な体験を

積み重ねらるような工夫が

散りばめられていた。

 

 

 

今回の2日間の講座は、

どのテーマも

「対話しながら」が基本。

 

対話をしていくと、

・自分の中でより自分の考えがまとまっていく

・他者の意見が理解できていく

・他者との共通点がわかる

・他者との違いも明確になっていく

・違いがあることも怖くなくなっていく

ってことを経験する。

 

それが子どもたちにも可能なんだってこと。

そのためには、工夫が必要。

その工夫を

順序立てて丁寧に体験させてくれた2日間。

 

楽しかった。

刺激的だった。

 

次は、

「承認のわな」について書こうと思う。

 

 

 

 

 

*それにしても

「児童文学」あなどれぬ。

 私にとって「時をさまようタック」は、

 四六時中祖母や母親から指示干渉され、

 そのことに不満を持っていた少女が、

 「生死」に対して深く考える体験を経て、

 自分で(誰かのせいになどしないで)

 考えて、他者のために、自分のために、

 行動を選択をする物語。

 

 課題図書じゃなかったら

 手にとらなかった・・・と思うと、

 ありがたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| SC | comments(0) |

オープン

【2016.06.22 Wednesday 19:22

少し前、

夕方のカル(犬)の散歩の時に、

向こうから

小1か小2くらいの女の子が歩いてきた。

 

その歩道は狭く、

大人二人が横に歩くといっぱいになってしまう感じ。

 

彼女は、

歩道の左端に思い切り寄ってくれた。

 

その寄り方が、

ものすごく左端で、

犬が嫌いなのかな?と

私はリードを短くして

一層しっかり握った。

 

すれ違う時、

彼女は、

腕を胸の前で交差するようにしていて、

私と目があうと、

「さっき、犬に大きな声で

 吠えられて

 怖くて

 まだドキドキしてる」

と言った。

 

「あ〜そうだったんだ。

 それは怖かったね」

と私は答えて、

 

その時、

 

あ〜いいなあ

こんな風に、全く知らない子と、

「怖い」みたいな

心の中のことを話せるなんて・・・

と思った。

 

その時のその瞬間、

彼女は

その時の自身を

私にオープンにしてくれた。

そのことが嬉しかった。

 

 

 

 

今日、

ランチをとったカフェで

私の後のテーブルの3人の女性は、

ずっと「あること」について話していた。

その方々はバイトで、

その職場の上司の人についてだった。

 

あのやり方では効率が悪い。

指示する時の声が小さくて聞き取れない。

社員の人もみんな文句を言っている。

 

「でもま、いいけどね。

 言われたことを、やるだけだし」

と一人が言って、

他の二人が、

「そうだよね。

 言われたこと、

 やるしかないよね」

「声小さいのも、

 慣れてきたしね」

 

そして話は、

まったく別の話になって言った。

 

ここで3人で

不満や不平をぼやいて、

そうしてまた、

家に帰って家事をするんだなあ、

そして明日もまた、

一生懸命に働くんだよなあ。

 

私は心の中で、

ガンバ!と言いながら、

この3人の女性に、

こういう安心して

気持ちをオープンにできる場が

あってよかったなと考えた。

 

 

「愚痴ってても仕方ない

 それより問題解決に動こうよ」

ってな考えもあることは分かってるし、

それに越したことはない。

 

でもさ、

たまには、そういう時間も必要だよ。

 

ぼやきタイムをもったとしても、

人間は精神の力を使って、

そういう時間の先に、

建設的な行動を選べる可能性がある。

 

 

 

 

 

今日は

小学校で学校保健委員会の講師を

務めた。

1〜3年に「こころの力」

4〜6年に「心の健康」というタイトル。

 

心を表す気持ちの言葉について学び合って

いたのだが、

悲しかったことを思い出して泣き出す子がいたり、

ある子のジョーダンがめちゃ面白くて笑ったり、

勝負途中の中断が悔しくて、

 「紙をくちゃくちゃにしたいほど

  悔しい」とつぶやいてくれる子もいて、

とてもとても充実した時間になった。

 

 

もちろん、

自分の心の中のことを話さなくていい権利が

人にはあるし、

私はそれを意識してたし、

だから強要したわけではなく、

なんか自然に、

そんなことになって、

考えていたより

ちょっとだけ、

オープンな場になった。

 

 

 

 

オープンになるには

安心できるってことが大切だ。

 

ここでだったら、

評価も判断もされず、

本音がつぶやけるって思ったら、

どんなに楽に話せるだろう。

 

 

私はAって思うんだよ。

そうか、Aって思うんだね。

自分はBって考えなんだよね。

ええっ、Bなんだ。ふーん。

Bのいいとこどこ?

 

自分の本音のところを話し、

相手の本音のところを聞く。

 

それができやすいよなあ、

安心した場では。

 

 

●●さんはどう思っているのかな?

と顔色うかがったり、

とにかく一つにまとまらないと!と

無理やりうなづくのでもない。

 

どのあたりが、

どれくらい違うのか?

が明確になって、

だからこそ、

その違いを、

どうするかの話ができる。

違いがありながら、

どうやっていくか、

話し合える。

 

いいなあ、そういうの。

 

 

 

今日の4〜6年の授業の中では、

グループワークをした。

結構難しい課題を出したので、

途中で

「もうできな〜い」とつぶやいたりしながら、

各班話し合っていた。

 

その集中っぷり、夢中っぷりがすごくて、

こんな風に、

協力し合いたいんだなと思った。

話し合いで解決していくことの

気持ち良さを、

この子たちは、

味わっているんだなと思った。

 

安心の場を

日常の中で

先生方が作ってらしたんだなあ。

 

 

 

 

オープンになれる場が、

いろいろな人にあるといい。

瞬間だとしても、

オープンになれる時があるといい。

それがいろいろな人に

あるといい。

 

もちろん、

自分にプレッシャーかけるような

追い込むような、そんなことも必要だ。

でも、

それ以上に、

安心してつぶやける場が

ひとには大切だ。

 

 

ここのところの出来事を

思いだして、

そんなことを考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| SC | comments(0) |

もしも今、

【2016.03.09 Wednesday 17:24
もし、タイムマシンがあって、
昔に戻れたら、
幼い自分にかけたい声って何?

私は、
良い子でいた自分を
思いっきりねぎらいたいと思う。
そのねぎらう言葉は
「良い子だね」
じゃなくって、
宿題を前にしてる幼い自分に
「めんどくさいって思っていいよ」だし、
テストで思ったような点がとれなかった時に、
「次はがんばるとか言わなくってもいいよ。
 ほんと、悔しいよね」だし、
友達にだるがらみされながらニコニコしてる時に
「はらいのけるって方法もあるよ」
みたいな言葉だ。


そんなことを、

「もしも今
 タイムマシンがあったなら
 幼いわたしを
 助けに行くのに」

という短歌を目にして考えた。
(2月3日付毎日新聞
 山形市 岡崎敏子氏作)

同じ短歌を見ても、人によって
思うことはいろいろだろう。

忘れ物が多かったり、集中が長続きしなくって
しょっちゅう「だらしないね」って
怒られていた人は、
「なんとかなるもんだよ」
って声をかけたいかもしれないし、

友達づくりが上手じゃなくって、
「自分から声をかけないと!」と
自分にはっぱかけつつ悩んでた人は、
「その時に友達がいなくてもまったく
 問題ない」かも。

お稽古事が長続きしないで、
「そんなんじゃ、先行き心配だね」
って小言を言われていた人は、
「いざってなると、
 なんとか続くもんだよ。
 その頃のものはみんな、
 あってなかったんだよ」
かもしれない。


ま、とにかく私は、
幼い私に
「良い子であるとかないとかじゃなく、
 あなたはちゃんと愛されてたよ」
という意味のことを言いたいと思う。


そして私はそのことが背景にあることと、
仕事の上で出会う「良い子をやってきた子」
のことがあるから、
「良い子」という言葉に敏感だ。

「良い子」という言葉というより、
「良い子を求めること」や
「良い子を望まれること」や
「良い子を自分自身に課すこと」などに
過剰に反応するかもしれない。

かもしれない、じゃない。
そこに関しては、譲れない思いがある。


だから、
湯川さん(歌詞)つんくさん(作曲)が
作ってクミコさんが歌ってる
「うまれてきてくれてありがとう」
という子守唄は、
全体を通して冷静に聴けば、
多分すごくいい歌なんだろうけど、
出だしの
「きみはいい子です
 きみはいい子です」
を聴いた段階で、
そんなふうに言われて
良い子を続けないとならない子の
苦しみを思ってしまって、
とっても聴けない。



泣きたい時、
ダダこねたい時、
いらいらをぶつけたい時、
大人から愛されるために、
認めてもらうために、
そういうマイナスの気持ちを
なかったことにして、
麻痺させて、
押し込めて、
否定して、

その上で、
にこにこしたり、
元気なふりや、
普通でいたりして、

そのことで
手がかからない「良い子」とほめらるうちに、
それが当たり前になる。
そうせざるを得なくなる。
それしかできなくなる。

常にそうしてきた子が、
ある日、
どうにもこうにもならなくって出す
SOS。

「これ以上無理」っていう、
命からのメッセージ。

学校の中で、
そういう子といっぱい出会ってきたが、
SOSでメッセージを出せた子は、
ある意味幸せだと思う。

命のどこかで、
この家の中では、
今だったら、
出しても大丈夫って
出せたんだと思う。

周りがそのことに気付けば、
修正できて、
育み直すことができる。


「もしも今
 タイムマシンがあったなら
 幼い私を
 助けに行くのに」
の作者の方に、
私は訊いてみたいなあ。

どれほど辛かったか、
どんなに苦しかったか、
SOSを出せずにいたのか、
どのようにがんばって大人になってきたのか、
その幼い自分を
どんなふうに助けてあげたいのか?



小中学校、高校の活動も、
あと一週間で今年度が終わる。

私はSOSを出してもらえる存在だったか?
出してくれたとして、
その背景のメッセージをちゃんと受け取ったか?
もっと他にやれることはなかったか?

軌道修正に寄与できたか?
育ち直しに貢献的だったか?

あ〜足りない足りない足りないよお。
私なりに精一杯だったけど、
まだまだ足りない気がするぞお。​

気がするじゃだめだから
ちゃんとフィードバックする
まとめの時期に入る。






・・・と言いつつ、
カルには良い子を、ついつい求めちゃう私。
















 
author : tanizawa-k
| SC | comments(0) |

いろいろでいい。

【2015.12.24 Thursday 13:23

全校道徳の講師として伺った学校から
全校生徒分の感想が届いた。
このときのテーマは
「自分とのコミュニケーション」。

このテーマでの授業は
プログラムが完成してからは
2校でしかやったことがない。

その2校の感想に共通点がある。
①感想が多様
 ほんとに見事に、子どもによって
 ひっかかった箇所が違う。
 そのことにめちゃびっくり。
 一校目の時は、授業時に出張で
 参加できなかった先生が
 担任しているクラスの子たちの
 感想を読んだ際、
 どんな内容だったのかが
 感想があまりにも多様で分からず、
 使ったパワポの資料を見せてほしい
 と連絡がきたほどだ。

②自分の経験を書いてくれる子が多い
 部活でうまくいっていない内容、
 友達と意見があわず自分が変なのかと
 心配していたこと、
 親のことが急にうざく思えてきたけど
 反抗しちゃった後で後悔する気持ちもあること。
 多くの子どもたちが、話をきいて
 思い出したことを、
 あれやこれや、書いてくれてる。 
 「自分とのコニュニケーションって
  具体的にはどうすることだろう?と
  考えながらききました。
  ひとつ思い出したことは、
  何かあったとき、
  自分は自分に『大丈夫』とか
  『次がんばろう』とか言いきかせてます。
  それもそうなのかなと思いついて
  嬉しかったです」
 「ある子と、ある日を境に
  ばったり口をきかなくなりました。
  いつも私はその子にべったりで、
  2人で一つだねと言われたくらいでした。
  今日の話をききながら、
  私は自分のことだけ考えていたと
  思いました。
  相手のことを考えない発言や態度が
  あったと思い出しました。
  そのことをすぐにあやまりたいです」
 「僕は、中学に入って、部活や生徒会や
  クラス、勉強と悩むことが多くて、
  周りと比べていらいらします。
  なんで自分は生きてるんだろうとか
  思ったりもします。
  でも大丈夫だと思いました。
  周りに頼れる人がいることを
  思い出せました」
 私は、読みながら、中学生のしんどさや、
 複雑な心のうちを感じて、
 本当に心から「ゆっくりでいいよお」と言いたくなる。

③自分の改善点を書きながら、
 最終的に自分を認める方向で
 まとめているものが目立

 「私のクラスに、一人で行動できなくて、
  リーダー的な人に逆らえない、
  下っぱみたいな人がいます。私はそれをみて
  敵にまわすのは怖いかもしれないけど、
  もっと勇気をもった方がいいと思っていました。
  少し自分より下にみていました。
  今回の講座では、そうやって差別する
  自分に気がついてしまい苦しかったですが、
  それに気付けたのはすごいことだと思いました」
 「自分は他人に嫌われないように
  一生懸命に自分を偽るときがあります。
  でも完璧ではないので、素が出る時もあります。
  出てしまった素も、受け入れていきたいと思いました」
 「今日の話を聞いて、ぼくには、
  みてみぬふりをする自分や、
  わるいことを考える自分、
  さぼってしまう自分がいることが
  わかりました。でも、最後まで
  たにざわ先生の話を聞いて、
  その自分もうけいれればいいと
  思いました」

④私への改善点を率直に書いてくれてるものがある
 「あと、今日の講座の内容はよかったのですが、
  スクリーンがまったく見えませんでした。
  もうちょっと見やすいと、もっと伝わりやすい
  と思いました」
 「ずっと座っているのもあれなので、
  子ども同士になんかやらせてもいいと
  思いますよ」

他にも、

「正直5時間目だし『ねむくなってしまうかな』と
思ってました。でも話がおもしろくて寝ることが
できませんでした」←これ、めちゃ嬉しい。

「ぼくは今まで谷澤さんがいうように、
自分は自分の物語の主人公だと思って
ましたが、主人公である自分の存在を
あまりにも大きく作りすぎてきたと
思いました。『地球は自分のために
まわっている』タイプだったです。
でも話をきいて、少し他人も大切に
思うようにしてみようと思いました」
←いやあ、「少し他人も大切に」の
 「少し」ってところが正直な感じ
 がして、なんか嬉しいなあ。

「先生の話は、
自分という生き物がどういう生き物
なのか考えさえてくれました」
←そんな時間になってよかったよ

「『怒ってしまう』ということは
『相手を考えられていない』とも
『自分をしっかり主張してる』とも
言える。自分は他とは違う。だからこそ
間違いはないのではないか。親から
与えられた自分の物語を最高にするだけだ」
←リフレーミングのことなど、一言も
 言ってないのに、
 「同じ出来事でも、人によって捉え方は
 違う」という話から、この感想。
 すごい。

「自分で自分のことがわからなきゃ、
 誰もわかってくれない」
←これは、いっぱい書いてくれた感想の
 最後に「 」で書いてくれてあって、
 宣言するみたいで、なんか応援したく
 なる。

「自分には自分なりの考えがあって、
 人には分かってもらえないことも
 あるかのしれないけど、
 意見をもつことができるだけでも
 すごいことだと思いました」
←ほんと、ほんと、ほんと、そう。
 私もそうだと思う。

「誰がなんといおうと、
 自分は自分だと思いました」
←そうだ!その通りだ!彼は
 この後に、細かい文字で
 いろいろ自分のことを書いてくれてる。
 ありがたい。

「自分の感情の変化に興味を持ちました。
『友達と違っていい』とふだん、よく
 言われますが、頭でそう思っても、
 実際違うとやっぱり気にします。
 でも今日改めて、『自分』は『自分」
 と思えて、すっきりしました」
←中学生のときって、違っていいって
 思いにくいよね。でも頭のすみに
 今日のこと、ちょっとだけでも
 置いといてくれるといいな。



このプログラムが私はめちゅ好きだれど、
条件があって、
①1年の間に2回伺うことができる
②1回目は「心の健康とは』か
 「自分も友達も大切にした
   コミュニケーション」を行い、
 その感想を全校生徒分読ませてもらって、
 二回目がこれ



自分は自分だし、
他者と違っていい
なんて、
話の中で言葉で言わないんだけど、
そういう印象が残ってくれていること、
すっごくすっごく嬉しい。


中学生の
「周りと同じでありたい」という想いの
強さは、
いつの時代でもあるし、
それはきっとこれからも
すごく薄くなることはないかもしれない。

ただ、違いを感じた時に、
それを表に出せなくても、
せめて心の中では
「違っていい」ってことを
認めてくれるといいと思う。
せめて自分では、
「他者と違う自分」を責めなくていいって
分かっててほしい。

そんな願いがある。
来年はいっぱいやれるといいなあ。


 
author : tanizawa-k
| SC | comments(0) |


谷澤 久美子
counselor