今のところではありますが…
メモる。

【2018.02.09 Friday 09:03

今年になって始めたことがある。

手書きの手帳に、

その日に体験した新しかったことや、

感動したことや、

疑問に思ったこと、

違和感感じたことなど、

1日1個メモるってこと。

 

今日、1月に書いたものを読んでいたら、

もう、

すっかりと、

そんなことあったかいな?位の勢いで

忘れていることがあってびっくり。

 

例えば、

「ドライブレコーダーが

 運転の癖を教えてくれて

 安全運転に!」というメモ。

なんじゃそれ?

としばらく脳の中を探すと、

 

そういえば、

「車に搭載するドライブレコーダーの役割」

についてのニュースを見て、

事故の証拠以外に、

そんな使い方があるんだ!と驚いたのだった。

 

確かニュースの中では

ある運送会社が、

各運転手とのフィードバックに使っている様子を

報じていた。

それぞれの運転を

ドライブレコーダーに

録画したものを一緒に見ながら、

なぜ事故が多かったか

これからどこを気をつければいいかを検討。

ある方は物損事故が多く、

マイナス評価を与えられていたが、

そのフィードバックを経て改善し、

社内の安全運転賞的なもので

表彰されていた。

 

そのニュースを見ながら、

日常の自分の振る舞い方を変えていくためには、

まず癖を知ることが大切なんだと、

それは運転技術も、

コミュニケーション技術も同じだと、

結びつけて考えたんだっけ。

 

 

また

講座開催の際、

仲間たちがめちゃくちゃ協力してくれたこと

がメモってある。

私のpcはデスクトップ。

会場にはpcがなく、

でもスライドを上映しながら講座を進めたい私。

「助けて〜!」と投げかけたメールに

みんなが応えてくれて、

その中からお借りできたpcで

なんとか講座を進められたこと。

貸してくれた方はもちろんだけど、

探してくれた方、

心配してくれた方、

いろんな方が一生懸命になってくれた。

あんなにお世話になったのに、

過去のことになってしまっていて、

こりゃダメだな、私。

 

 

つい最近メモったのは

ドラマ「anone」の中のセリフ。

大好きな坂元さん脚本のドラマは、

今回もすごい。

「生きるのは難しいです。

 思い残すこととか欲しいですよね

 思い残すことがあるって

 それが生きる意味なのかなって」という人に、

「生きなくたっていいじゃない

 暮らしましょうよ」

 

この

「生きなくたっていいじゃない

 暮らしましょうよ」

「生きる意味」とか

「なんのために生きるのか」

と考えがちな時に、

「ま、とにかく

 歯を磨くか」

と日常に戻してくれそうだと思ってメモった。

 

 

結構失敗もしたんだな。

会議で嫌味な言い方したことや、

「決めつけ」はあれほど嫌いなのに

 なぜかしてしまった日。

「調子に持ったんだ」と思う。

その日はめちゃ凹んでいるぞ。

 

幼い頃には色濃かった「調子にのる」を

多分抑えながらやってきたけど、

ここへきてのコレは、

ちょっと緩みがあるんだな。

 

ま、今となってみると、

たまには緩む日もね!

 

 

 

 

総合してみると、

「自分を大切にすること」と

「相手を大切にすること」の

バランスについて

めちゃ考えていた私の2018年1月。

フリースペースに書いている様々な記録から

葛藤の跡が見て取れる。

 

特に自分を観察しすぎないための方法を

言語化。今のところの考えだけど、

なかなか良いのではないか。

これは今までモヤモヤっと頭の中に

あったものが明確になったので、

これから

講座などを通じて

参加者の方々にお伝えできると思う。

 


それにしても

手書き!!!

小さい文字を書く筋肉を

使ってなかったと思い知らされる。

 

使ってない力は

衰えるものだし、

使い始めると復活する兆しがある。

 

鈍ってきた感受性みたいものを、

も一度鍛えてみよう。

 

ついでにとっくに諦めた記憶力、

この回復は見込めそうにないので、

補うためにも、メモだよな。

 

 

 

 

 

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録画2本で自分を支えてみる。

【2018.01.31 Wednesday 18:21

講座を行ったり、

講演会講師の仕事で出かける前に、

ちょっとでも時間がある時は

録画してある「ひよっこ」を見る。

 

人の力を一層信じられて、

支えあうことが可能だと希望がわき、

コツコツやっていれば絶対うまくいくわけではないけど

でもコツコツやることの大切さを意識できる。

完璧な人なんかいないし、いなくていいし、

でも、弱音吐きながら 励ましあいながら

認め合いながら生きていくことができる・・・

そう信じるエネルギーを「ひよっこ」で注入。

 

その時間を持つことができて

今日は幸せだった。

 

今日は、

お父さんが奥茨城に帰ったあたりを見た。

田植えをしに支度をしている時、

お父さんはおじいさん(自分の親)に

「実っていい名前ですね」という

泣けるシーン。

 

そして

テレビ局に出前を届けに行った帰り

ヒデがみねこに

「まわりのためばかりでなく、

 自分がどうしたいか

 口に出してもいいのではないか」的な

アドバイスをするシーン。

 

 

録画を見てほのぼのした後

訪ねたのは、大学生への授業。

アサーティブトレーニングだから、

「自分がどうしたいか口に出す」

とはまさにビンゴ!なシーンだったなあ。

 

 

しかも、その

大学生たちが素晴らしかった。

 

適当にリラックスしてるし、

自分たちでペアになったり、

ペアを替えたりしてくれる。

 

彼らの理解は早く、

ワークもめちゃ楽しんでいた。

 

「手伝ってもらえるよう頼む」練習をし、

理論で整理したあと、

次は

「頼まれたことを断る」練習をした。

断る練習だから、その相手役は頼むわけだ。

すると、

最初にやった頼むためのスキルを、

すでに生かして実践していて、

「頼む役」をめっちゃ上手にやっている。

 

素晴らしい。

 

教育改革とか、

いろいろ叫ばれている今、

確かにAIの時代を生きていくためには

それも必要かもしれないが、

彼らの学び方を見ていたら、

今のままで十分だ!と思った。

 

今日会った大学生たちは

小中高と、

ちゃんと学び方を学んできてる!と思った。

 

黒板の前にたつ私を見てくれる

みんなのまなざしが

「より良くなりたい」

「知りたい」

「ちゃんと教えて」

って訴えている感じ。

 

蓮に構えてる子も、

ちら見してくるその目に、

ちゃんと聞いてる感がある。

 

これから彼らには

いろんなことが起こると思うけど、

その時どうしていったらいいか、

彼らは考え、

もちろん考えるための情報収集もし、

考えた中から選択し、行動を起こす!

と思ったよ、私は。

 

私は自分のやさぐれていた大学時代を思うと、

ただただ頭が下がったし、

小中高の先生方や、

彼らの学びの環境を守った家族など大人たちに、

お礼が言いたい気持ちになった。

 

 

 

 

 

帰宅後、

録画してある

NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」を見た。

もう何度めか。

 

2年前自閉症の東田直樹さんのドキュメンタリーを担当した

ディレクターが

再び彼の元を訪れる。

そして取材をする様子を中心に描かれている番組。

 

再び訪れたのは理由があり、

それはディレクター自身、

最初のドキュメンタリー制作後

ガンを発病。

ガンという病や命とどう向き合うか、

東田さんへの取材を通して考えようとしているのだ。

 

考えさせられる出来事や言葉はたくさんあるが、

見るたびに「今日はここ!」的な場面が違う。

今日の私には2つの出来事。

 

一つめは認知症を患っている祖母に会いに行って

質問した場面だ。

ホットケーキの素を混ぜるときに

卵を入れたかどうか忘れてしまったり、

やかんを火にかけたそばから

ガスの元栓を閉めてしまったり、

引き出しを開けて探し物をしてるのに、

そのうち何を探しているかわからなくなったり、

いろいろ心許なくなった祖母を見て、

一度めは混乱した東田さん。

二度めに訪ねた時には質問を用意していた。

 

「迷子になった子供を見かけたら

 どう声をかけますか?」という質問。

 

祖母は

「お母さんを一緒に探してあげるね」と答える。

 

我が意を得たりの東田さん。

できないことがいろいろ増えたけど、

おばあちゃんの優しさはそのままだ。

おばあちゃんは今でも、

誰かに座布団を進めたり、

お茶を入れてあげたり、

優しいのだ。

 

この、

おばあちゃんの優しさをはっきりさせるための

「迷子になった子供を見かけたら

 どう声をかけますか?」という質問を

用意していたのが見事で、

そこを引き出したいと考えた東田さんの

温かい心にジーンとなる。

 

 

もう一つは、

定番のぐっとくる場面。

 

ディレクターが番組の最後に質問する

「僕が前を向いて人生を生きるために

 大切なことを教えてほしい」

 

するとしばらく考えた東田さんは

文字盤を示しながら声に出して言う。

 

「どんな困難を抱えていても、

 人は幸せを見つけることができる

 おわり」

 

 

うんうん、私もそ思う。

それでも人生にイエス!なんだよな。

 

 

 

昨年年末から

仕事が立て込んだ。

年始は4日休んだが、

そこから連続仕事だった。

今日の仕事は2時間だけで、

久しぶりにリラックスする時間を持てた。

 

忙しく仕事するのも私は嫌いじゃない。

でもリラックスできるのもなかなかいいな。

 

 

さ、明日から2月。

2月もなかなかハードではある。

 

 

そんな私を気遣ってか

家人が買ってきた

興津のたい焼き!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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じれったさと共に。

【2018.01.06 Saturday 09:38

人の

表情や言動や態度や

とにかく

その人がその時

表していることは、

何らかの背景がある。

 

私としてはなかなか良い提案をしたつもりが、

その途端の曇った表情の裏には、

もしかするとその方は、

過去にそれに近いことをして

失敗したのかもしれないし、

ひどく傷ついたのかもしれない。

それが、すごく辛い体験になっているのかも

しれないんだ。

 

会議の席で

急に早口になり、

急にトーンが強くなったのは、

どうしてもそれを通したい

複雑で避けられない何かが

あの方にはあったのかもしれない。

 

力になりたくて

何かできることはないかと訊いた時、

それでも下を向いておし黙る姿には、

「まだあなたには言えない」のか、

「あなたを信用していない」のか、

「助けてといいたくない」のか、

「何を言ったらいいのかわからない」のか、

その方の頭の中でぐるぐるしている思いは、

すごく大切なものだ。

 

昨日仕事先で、

インスタントではなく、

わざわざドリップコーヒーを

いれてもらった。

3人でひと仕事終えて、

振り返っている時間だった。

大したことはできなかったが、

そんな私を労ってくれてる気持ちが

そのコーヒーをいれてくれている姿、

差し出してくれた動きから、

しっとりと伝わってきて、

帰宅途中の車の中で

泣けてきた。

 

みんなと一緒の場所で

ひとり静かに仕事をしている人もいれば、

ひとりだけの場所を見つけて、

SNSでいろんな人と関わりながら仕事している人もいる。

たぶん、

それを選ぶ理由がある。背景がある。

 

 

うちのカルの、

棚の下に座って、

じっと私と目があうのを待つ理由は

「おやつくれ」で、

テレビの横のカゴの中を鼻でつついて

こっちをチラチラ見る理由は

「私と遊べ」

言葉で言えない彼女の思いを

推し量ろうとする私。

 

言葉を使う人の

言葉を使いながらも

表せない思いを

掴み取ろうとせよ、私。

 

 

毎年箱根駅伝のサッポロのCMは楽しみだが、

今年の

「僕には止まれない理由がある」もぐっときた。

怪我をし、走れない仲間が給水係をやってくれている。

彼の分もと思うと止まれない。

幼い時から叱咤激励してくれた父親。

夏の暑さの中で指導をしてくれたコーチ。

彼らの自分にかけてくれた言葉や時間や思いを考えると

止まるわけにはいかない・・・というCM。

今年は駒大の駅伝キャップテンの選手が

相当苦しそうになってから10キロ以上走った。

彼は止まらなかった。

國學院大学は2〜3秒の差でたすきを繋げなかったが、

それでも、そこであきらめない。

それには、CMのような、

CM以上の、

様々な背景があるんだろう。

 

 

 

若い頃、東京で暮らしていて、

帰省する時は

古い服を着て帰った。

今考えると、本当に情けない娘だったが、

親に、

「新しい服を買ってもらいたい」

と要求しないで、

それでも買ってもらうための

行為だった。

親はそんな作戦に気づきながら、

乗ってくれた。

 

コミュニケーションをテーマとした文章の中に、

「昨年12月は2回大阪出張があって」

と書きながら

あれ?この文は直接必要ないのに

なぜ書いているのだろう?と

自分に問いかけると、

「忙しさアピール」があった。

ついさっきのことだ。

削除した。

 

時々SNSにあげる読んだ本の写真も、

忘備録のつもりだけど、

どこかで「読書してるぞアピール」が

あったかもしれないなあ。

でへへへ。小っ恥ずかしいなあ。

 

 

私の行為、行動、態度、表情、言葉に、

無意識で、

時々意識して、

そこに込めるメッセージがあるように、

人があらわしてることには理由がある

と考えよう。

 

自分にとって不都合なこと、

納得できないことの時こそ、

相手には相手の思い、感情、考え、経験があり、

そういう背景の上だと

自覚をしよう。

 

そして、それはどんなに考えても、

正確にはわからない、

だからこそじれったいもので、

でも、推し量ることは

大切なことだと理解していよう。

 

さらに

それと同時に、

深読みは危険ということも知っておこう。

 

推し量った方がいいことと、

深読みしない方がいいこと、

そのジャッジをしながら、

バランスとっていこう。

 

そんなふうにやっていこう。

 

 

さて、2018年がスタートしました。

今年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分を見くびってました。

【2017.12.19 Tuesday 10:10

週に2〜3回、朝走っている。

5〜6年になると思う。

その間、一回10kmまで走る時期もあったが、

ここのところは7kmくらいで落ち着いている。

2年くらい前に、走りながら

「これからどんどんダメになっていくんだろうな」

と体力などの衰えを急激に感じた時があった。

それから

だらだらとした長い坂は時々歩いたりして、

しのぎながらランしてきた。

現状維持できたら儲けもの、

それが無理でも、

落ち方を緩やかにさせよう!

くらいの感じでそれでも続けてきた。

 

10月くらいだったか、

アサーティブの仲間が

スクワットに挑戦しているのをSNSを通じて知った。

「30daychallenge」というアプリを使っていた。

どうやら初日は50回。少しずつ回数を増やしていって

30日後には250回に挑戦するというもの。

彼女たちに遅れること10日くらい。

私も始めてみた。

 

最初は、

終えるとよろよろした。

30日後に250回できるなんて、

とてもじゃないけど思えなかった。

 

そんな時に出てくる私の考え方の癖。

「なんで始めちゃったんだろう」・・・。

分析して物事を複雑にしてしまいそうになる、

この癖とはもう長いから、

付き合い方はわかってる。

そう考える自分をそのまま認めて、

とにかく、それでも行動することだ!

 

〜な感じでゆっくりスタートしたのだが、

5日目くらいから、変化が起こった。

朝のランの「坂」が

ちょっとだけ楽になってきたのだ。

 

嬉しかった。

 

実は、

私は、

もう二度と、

成長している自分っていうか、

昨日より良くなっている自分を

感じることなんかないんだろうな、

と勝手に判断してしまっていた。

体力だけでなく、

仕事も体力に重ねてそう判断してたかも。

でも、少なくとも体力は

そんなことはなかった。

このままゆっくりと下っていくんだろうな

と思っていたが、

それは自分を見くびっていたんだと思った。

 

 

このアプリが私にあっていたのは、

時々休みがあること。

休みがなくても、

勝手に休んでいたと思うが、

それだとちょっとした挫折感がある。

でも今日のところに「REST」とあると、

「ちっ、やろうと思ってたのに・・・」

なんてつぶやけたりして

堂々と休める。

 

で、結局30日後、私は250回、

スクワットができたのだ。

もちろん連続はきつく、

50回やってひと息を5回だったが、

でも、okでしょ。

 

そしてそれはランにも良い影響を与えてくれて、

タイムが縮み、

何よりも、

自分の体の軽さが実感できて嬉しいのだ。

(⇩記念にとっておいた!)

 

 

 

では仕事ではどうか?

これは自分では分からない。

ただ、

振り返ってみれば、

新しいプログラムにチャレンジし、

その質は、昨年のスタート時よりは

上がったと思う。

そして来年は新しい資格にチャレンジするために、

研修会に参加する予定を入れた。

 

自分のことを簡単に

諦めたらダメだよな。

見くびってたら、

自分の中の

もう一人の自分に

「おいおい、私をなめたらいかんよ」

とアドバイスしてもらわないとな。

 

 

 

 

 

以前私は、

自分の限界を感じて、

「成長することだけが良いことではない」

と考えることにしていた。

 

今も、その時とは別の意味でそう考える。

 

どうにもならない状況を

ただただしのぐことも立派なことだし、

どんどん悪くなる状況に流れを任せなければ

繋げていけない時もあり、

それをやりすごすことだって、

すごいことだ。

 

で今は、そのもう一方にある、

「自分の中の知識、考えの中でやっていて

 うまくいかなかったら、

 外のアイディアを試してみよう。

 解決の糸口があるかも。

 それは成長に結びついちゃうかも」

という考え方の比重をあげたいと思うんだ。

 

 

 

さらに

やっぱり

「継続」ってのが

大事なんだと思う。

 

いくら自分の外のアイディアを取り入れても、

2〜3日で結論を出してしまっては、

新しい力にはならないんだよな。

無意識は「現状維持」を望んでいると

昔、誰かの本で読んだ。

今までの考え方、

今までの体力、

今までの表現方法など、

慣れ親しんだものを変えるには、

ある程度の期間が必要だ。

 

 

これを読んでいる方の中に、

今もし

あまりにもうまくいっていなくて、

どうしても愚痴がついて出てくるなんて方がいたら、

愚痴も言うけど、

良かったことも書き留めることを

30日続けてみたりしたらどうかな。

 

片付けてない箇所が気になりながら、

とりあえずほっておいてある方がいたら、

面倒だなと思いながらも、

「1日1個、いらない書類を処分する」を

30日続けてみたりしていたらいかがか。

 

そんなことにチャレンジすることで

変わる何かはあるかも。

 

 

 

そして私の次のチャレンジはプランク。

今のところ30日後の

「5分」なんて絶対無理に決まってると思いながら

やっている。

(⇩ 1分、なんとか)

 

 

 


 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

さて、

ここのところ出張も多く、

移動で本が結構読めました。

その中での超おすすめは

「さよなら、田中さん」

中学2年生の鈴木るりかさんが

書いた小説です。

 

主人公の母親が言うんです。

 

 死にたくなったら

 とりあえず

 飯を食え

 そしてその一食分だけ生きてみろ

 そうして一食一食と

 命をつないでみろ

 

 そしてその食べ物をくれる人に

 感謝しなくちゃいけない

 作ってくれた人とか、食材を買う

 お金を稼いでくれた人とかだ

 

 

あああ、思い出しても泣けるう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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前始末

【2017.11.28 Tuesday 08:44

突然のトラブルに対処するために

日常努力しておきたいことのひとつが、

コミュニケーションだ。

 

 

 

 

 

トラブルの対処というのは、

エネルギーがいる。

大抵突発的に起こるものだから、

当然、何かを進めている最中ってことになる。

すると、今やっていたことを中断して、

トラブルに対処するということになる。

 

進めていた仕事を棚上げして対処するが、

何しろトラブルだから、

一筋縄でいかないことも多い。

心も頭も体も使って、

やっとの思いで一応決着させ、

もともと取り組んでいた仕事に戻る。

もともと取り組んでいた仕事も

ギリギリでやっていたりするとなると、

もういっぱいいっぱいだ。

 

ま、仕事をするってのは、

こういうことの連続ではある。

 

仕方ないとも言えるし、

それが楽しい時もあるし、

対処や

その後のスピードアップが

自分の能力を上げてくれたりもする。

 

 

 

とはいえ、なるべくならトラブルない方が

落ち着いて仕事ができるわけだから、

トラブルを未然に防げることは

とっても大事だ。

 

予想がつくようなトラブルを回避できるよう

準備することを

「前始末」というと教えてくれたのは、

講演でうかがった先の学校の校長先生だった。

 

あとで調べてみると、

どちらかというと経済界の言葉らしい。

 

 

 

通常の仕事を普通にしていくことだけでも

結構大変な中、

「前始末」は

優先順位でいくと後ろの方にしてしまったりするが、

「やっといた方がいいよなあ」と思いながら

しないでいるうちに

大きなことになったりした痛い経験があると、

「やったほうがいいこと」ではなく

「やるべきこと」になったりすると思う。

 

 

そんな中で、手軽なのが、

そしてコミュニケーションの量を増やすこと。

それは

「前始末」のひとつだと思う。

 

 

 

上司からの指摘が、

誤解に基づいているものだと気がついたけど、

「まあ、そのうち分かるだろう」と、

いいわいいわにしているうちに、

上司がお客様に対して間違ったことを言ってしまった。

いつか上司とお客様が会うことは分かってた

ことなのに・・・。

 

 

部下が、いつも報告をしてくれない。

〜〜の件に関しても、

どうやらスケジュールが遅れているようだけど、

何も言ってこない。

「何とかするだろう」と自分に思いこませて

そのままにしておくと、

ある日、

「課長、実は、〜〜の件で

 納品が3日遅れそうなんですが・・・」

(えええ!なんとかしなかったのか・・・)

 

 

夫は仕事に忙しい。

子どもの受験先についてそろそろ報告しないと、

たぶんまだ公立を受験すると思ってると思う。

でも、色々聞いてこないのはあっちだし、

聞いてくるまで置いとこう。

・・・という間に、三者面談は明日だ。

私立の単願にすることを子どもが伝えると、

「聞いてないぞ。

 俺は印押さないぞ」と。

あちゃー、長い夜になるなあ。

 

 

 

 

無駄話してない間柄で、

急に大事な話だけするのって、

すっごくすっごく難しい。

のべつまくなし喋りあうことはないが、

ある程度のコミュニケーションをとっておくことは、

人間関係上に起こるトラブルの、

前始末になる。

 

さらに、

仕事上のトラブルについても

早めに助けを求めたり、

ことが小さいうちに相談できるのも、

コミュニケーションあってだ。

 

 

 

 

学校の中で、

児童生徒や保護者と面談をしていて、

私が、

その児童生徒の担任や学年主任の先生に

した方がいいことや、

続けない方がいいことが

浮かぶことはたくさんある。

それをしないと、

子どもや保護者が

孤独になってしまったり、

辛くなってしまう可能性があることとか、

それをし続けると、

子どもや保護者が

追い詰められてしまう可能性があることなど。

 

過去にそれを言わないでいた・・・

という苦い経験がある私は、

もちろん今は「伝える」のだが、

 

「伝える」の前始末があると、

つくづくと思うのだ。

 

 

日常の中で、

気軽に挨拶したり、

世間話をしていたりすると、

すっと話に入ることができる。

そういう関係が作れていない時は、

立場で伝える訳だけど、

それは結構厳しいものだ。

 

 

寒いね。

調子どう?

〜〜の件、進んでる?

実は嬉しいことがあってね。聞いてくれる?

今〜〜にはまってるんだ。

風邪、治ったみたいだね。大事にしてよ。

○○のプレゼン、すごく素敵だったよ。

書類作成、手伝ってくれてありがとね。助かった。

 

そういう交流あっての、

「実は大事な話があるんだけど」なんだよなあ。

 

 

ってわけで、

日常、挨拶や世間話など、

ちょっとしたコミュニケーションをとる努力すること、

 

また、

小さいうちに

報告したり相談したり、

依頼したり断ったり、

ダメだししたり話し合ったり、

そういうことができるようになる

コミュニケーションの技術を持つこと、

 

つまり

コミュニケーションについて

学び、練習することは、

大炎上にさせないための、

前始末になるんだと思う。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

静岡で「アサーティブ・コミュニケーション」を

学べます!!!

アサーティブトレーニング基礎編

 2018年3月24日(土)9:30〜16:30

      3月25日(日)9:30〜16:30

 静岡県教育会館

 定員:20名  

 受講料:21800円(リピーターは10900円)

 講師:谷澤久美子(アサーティブジャパン認定講師)他

 主催:谷澤相談室

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

10月22日、ついに包丁がダメになった。

結婚してすぐ夫と京都を旅行した時に購入した

包丁だ。約28年間使ってきたもの。

あまりにも手入れが悪すぎた。

 

修理していただき、丁寧に研いでいただき

戻ってくるまで(11月17日)までの間、

使い慣れない包丁だった。手入れを怠った結果なんだよな。

↑プロの仕事に惚れ惚れ!!!

 

 

 

 

 

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ぐさりっ。

【2017.11.21 Tuesday 19:03

糸井重里氏おすすめの本を

2冊読んだ。

「君たちはどう生きるか」

「SHOE DOG」

 

「成り上がり」以来、

「おいしい生活」を経て、

とにかく大好きで、

「ほぼ日」や彼のSNSを追いかけてきて

本当に良かった。

そういう人が勧めてくれてなければ、

2冊とも手に取らなかった本だ。

 

 

「君たちはどう生きるか」は、

中学生のコペル君と

コペル君の「叔父さん(母親の弟)」が

コペル君の

発見や

つまづきや

悩みや

起こしてしまった問題(卑怯な振る舞い)

に対して、

そのことを通して、

「どう生きるのか?」を問いかけ続ける内容。

 

コペル君からの問いに、

コペル君の想像をはるかに超えた視点から

ヒントを出し、

考え方のプロセスを示す「叔父さん」。

 

私は少しずつ読み進めながら、

私だったらどう答えるだろう、

私だったらどうナビゲートするだろうか

と「叔父さん」の立場で考えた。

だって、そういう年だもの。

 

で、

やばい。

浅すぎるぞ、私・・・と思う。

 

人が「問題を抱える」ってことは、

今はまだそれを解決する力がないから、

それを問題と捉えた

ってことを意味してる。

ってことは、

問題を解決しようと考えたり、試したり、

人に尋ねたり、行動したりすることは、

それまでの自分よりも、

成長、成熟しようとしている時となる訳だ。

 

「叔父さん」は、

そんなコペル君に

本当のこと、

つまり、

時に厳しい言葉を伝え続ける。

 

 

「肝心なことは、

 世間の目よりも何よりも、

 君自身がまず、

 人間の立派さがどこにあるのか、

 それを本当に君の魂で知ることだ」

 

「こうして悲しいことや、つらいことや、

 苦しいことと出会うおかげで、

 僕たちは、本来人間がどういうものであるか、

 ということを知るんだ」

 

「僕たちが、

 悔恨の思いに打たれるというのは、

 自分はそうでなく行動することも

 できたのにー、と考えるからだ。

 それだけの能力が自分にあったのにー、

 と考えるからだ」

 

「自分の過ちを認めるのはつらい。

 しかし過ちをつらく感じるという

 ことの中に、人間の立派さも

 あるんだ」

 

「僕たちは、

 自分で自分を決定する力を

 もっている。

 だから誤りを犯すこともある。

 しかしー

 僕たちは、自分で自分を

 決定する力も持っている。

 だから、誤りから立ち直ることも

 できるのだ」

 

どう生きるかという命題に対し、

直球な

「君たちはどう生きるか」

に対して

「SHOE DOG」

は全く違う形態をとる。

NIKEの創業者が自ら記した

回想記。

 

そして、そこには

共通のテーマがあった。

それは、

「葛藤や失敗こそ生きてるってこと」

「次の瞬間にどう行動するかは

 自分で選択できること」

「選択の結果の責任を負う

 権利があること」

「そういうことを繋げていくことは、

 どう生きるかという問いに

 答え続けていくということ」

 

 

「SHOE DOG」で、

本当にびっくりしたのは、

「あの」NIKEが、

創業から株式公開するまでの17年間、

どうしようもなく

失敗の連続だったということだ。

最初の方に、

「オニツカ」との契約のために日本に来た彼は、

自分のこれまでの考え方ではダメだ

と気づく場面がある。

「禅では一直線の考え方は幻想に過ぎず、

 (中略)

 現実は一直線ではないと禅は教える」

という文章があるが、

まさにそれを体現していて、

山あり谷あり、

曲がり角ばかりの中を抜け道探して

自転車操業がず〜っと続く。

かっこいい起業のスピリットや、

戦略や戦術などなく、

成り行き任せに思える決断もある。

「もうダメだ」「今度こそダメだ」

という瞬間の連続。

でも、548ページのこの物語が

終盤に差し掛かると、

私は、著者つまりNIKE創業者ナイトの虜となり、

もっともっと彼の人生を知りたくなった。
そして、最後の数ページ、

惜しみながらめくって、

何があっても、

めちゃカッコ悪くても

諦めないで、

何とか凌ぎ続けて

ここまでにした彼の日々が、

愛おしくてたまらくなり、

ラン周りのものは、

これからは全部NIKEにしようと決めた。

 

ラインを引いた文章

「会社がダメになるかもしれないと、

 失敗を恐れることはない。

 失敗しないとうぬぼれているわけではない。

 むしろ失敗するのではないかと思っている。

 だが失敗したら失敗したで、

 さっさとそこから学んで、

 それをプラスに変えればいいというのが

 私たちの思いだ」

 

「ルールを守ったことではなく

 ルールを破ったことが

 人々の記憶に残る」

 

「寝てはいけない夜がある。

 自分の最も望むものがその時

 やってくる」

 (眠れない夜もあって良し)

 

「野心に免じて目をつぶりましょう」

「みんな数字ばかりに

 気を取られ過ぎです」

(NIKEにとってなくてはならない存在

 日商岩井の担当者の言葉)

 

「自分の知識を補強する最善の方法は

 それを分け合うことだと、

 経験から学んだのだ」

 

「私たちはリコールを出し、

 世間からの批判に備えたが、

 クレームは出なかった。

 それどころか、聞こえてくるのは

 ねぎらいの声ばかりだ。

 他の会社はどこも

 新しいことを試そうとしない。

 ナイキの努力が成功しようと

 しまいと、その意気込みは立派だと

 見なしてくれたのだ。すべての革新が

 進歩的で前向きだと評価された。

 失敗しても私たちはくじけなかったし

 顧客の信頼も失われることは

 なかったようだ」

 

「私たちにとってビジネスとは、

 金を稼ぐことではない。

 人体には血液が必要だが、

 血液を作ることが

 人間の使命ではないのと同じだ。

 (中略)

 人体の営みは、より高い次元の

 目標達成に向けた基本的なプロセスだが、

 それ自体は私たち人間が

 果たすべき使命ではない。

 その基本プロセスを超えようと

 常に奮闘するのが人生だ。

 (中略)

 私たちは全ての偉大なビジネスと同様に、

 創造し、貢献したいと考え、

 あえてそれを声高に宣言した。

 何かを作り改善し、何か伝え、

 新しいものやサービスを、

 人々の生活に届けたい。

 人々により良い幸福、健康、

 安全、改善をもたらしたい。

 (中略)

 単に生きるだけではなく、

 他人がより充実した人生を送る

 手助けをするのだ」

 

ナイト氏は、↑のように

この物語を締めくくる。

混乱続きの人生の中で

彼やNIKEが見出した意味。

 

 

 

「君たちはどう生きるか」の中で、

「叔父さん」はコペル君に

「君は、

 毎日の生活に必要な品物

 ということから考えると、

 たしかに消費ばかりしていて、

 なに一つ生産していない。

 しかし、自分では気がつかないうちに、

 ほかの点で、ある大きなものを、

 日々生み出しているのだ。

 それは、一体、なんだろう」

と問う。

そして叔父さんは答えを言わず、

「自分で一つその答えを

 見つけてみたまえ。

 別に急ぐ必要はない。

 この質問を忘れずにいて、

 いつか、その答えを見つければいいんだ。

 決して、ひとに聞いてはいけないよ」

と続ける。

 

この問いへのナイト氏の答えは、

「靴に全てをかけることで、

 他人がより充実した人生を送る

 手助け」

なんだったんだと思う。

 

 

私はまず「君たちは〜〜〜」を読み、

そのあとで「SHOE DOG」を読んだ。

でも、

「SHOE DOG」を読みながらも

「叔父さん」の言葉を確かめたくなって

「君たちは〜〜〜」を開いたり、

コペル君とナイト氏が重なって思えたりした。

2冊を行ったり来たりするような

幸せな読書の時間を持てた。

 

 

「叔父さん」の問いかけに

57歳の私が答えるとしたら、

私が日々生み出しているものは、

「あなたはあなたのままでいい。

 そのあなたが今できることを

 やっていこう〜

 と思ってもらえるような働きかけに

 ついて、

 考え、悩み、トライしながら、

 苦闘していること」だ。

時々上手くできることもある。

でも、全く役に立てないこともある。

 

それでもまた

次の瞬間の行動は選べる。

 

 

私の毎日をどうするかを

決定できるのは、私だけだもんね。

 

 

 

この2冊には、

ところどころで、

ぐさりとつかれた。

しかしその痛さも

清々しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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「ネガティブ・ケイパビリティ」

【2017.11.04 Saturday 15:40

「ネガティブ・ケイパビリティ」とは

「どうにも答えの出ない、

 どうにも対処しようのない事態に耐える能力」

ということ。

 

この概念がどこに由来し、

どう再発見され、

社会の中でどう実践されてきたかの事例や、

現代社会の中で

いかに実践していったら良いのかなど、

丁寧に描かれている本。

 

 

原発の廃炉問題しかり、

少子高齢化の年金問題しかり、

東京と地方の格差問題しかり、

貧困の問題しかり、

ジェンダーギャップ114位問題しかり、

 

北朝鮮への対応方法しかり、

ロヒンギャの問題しかり、

台頭してる「〜ファースト」問題しかり、

 

簡単には解決できない問題が

私たちの周りには、あまりにも多い。

 

その中で

この概念は心強い。

 

 

 

 

なんとか耐え続けていくのも、

力なんだ!

と示してくれるのは、

ありがたい考え方だと思う。

 

実際、

私の活動場所、

学校の中でも、

簡単には答が出せないことは多い。

 

学校に登校することが厳しい子、

いじめの問題、

勉強の苦手さや

集団の中で行動することが難しい子、

親子の間の、教師との葛藤など、

 

表に現れてる出来事は似ていても、

一人一人全く違う背景がある子どもたちに、

「こうすれば絶対にうまくいく」

などという絶対正解などなく、

 

だからこそ、

悩み、考え、話し合い・・・

どうにもならない事態に、

立ちすくみながらも、

ただただ困難の中にいることも多い。

 

見立て、

対応方法を示すのが

私の仕事なんだけど、

簡単にわかったようなことは

言えないことが多いのだ。

 

そして、

その子の問題がすっきりと解決しなくても、

その問題が、

後から考えると、

その子や、その家族にとって

意味あることだったと思えることも多く、

だから、

困難の中で、

その子や家族や先生や支援さんたちと一緒に

ただただそこにいることも、

ネガティブ・ケイパビリティなんだと思いたい。

 

 

 

 

世間一般で、

お手軽な解決方法が好まれるのは

仕方ないことだ。

デジタルな機器が身近になってからは、

加速度的にそうなっている。

私もそうだ。

 

CMの間が待てないで

何か刺激的な情報が入ってこないか

チャンネルを変えるし、

履くだけで痩せる下着や、

塗るだでけでシミが消える化粧品に

興味津々だ。

 

言葉を思い出せないと

すぐに幾つかのワードを入れて検索する。

仮説を立てるのに、

ネット上にあるデータを探す。

 

「早く!早く!」と

誰かに言われているわけでもないのに、

気持ちが急いて、

すぐにすっきりしたくなる。

 

・・・ってこれ、

脳の仕業なんだとこの本で知った。

「私たちの脳は、

 ともかく何でも分かろうとします。

 分からないものが目の前にあると、

 不安で仕方ないのです」

 

つまり人が分かりたがる、解決したがるのは、

本能の働きということだ。

 

でも、

本能ばかりに委ねたくない。

 

「それにしても、

 と改めて考えざるを得なかった。

 謎や問いには、

 簡単に答えが与えられぬほうが

 よいのではないかと。

 不明のまま抱いていた謎は、

 それを抱く人の体温によって

 成長、成熟し、

 更に豊かな謎へと育っていくのでは

 あるまいか。

 そして場合によっては、

 一段と深みを増した謎は、

 そこの浅い答えよりも

 遥かに貴重なものを

 内に宿しているような

 気がしてならない」

 (黒井千次氏)

 

 

 

 

先日、再放送していた

「英雄たちの選択」の「直虎編」で、

MCの磯田氏は以下のように

番組を締めた。

 

「ぼく、やっぱりね、

 直虎は、

 理不尽な時の過ごし方の

 名手だと思うんですよ」

 

「人生も、組織体も、

   いつも自分が勝てる要素を

 持っている時ばかりではなくて

 むしろ弱かったり、ダメなときって、

 多いですよね。

 その時、どう過ごすかっていうことが、

 本当、一番重要だと思うんです」

 

「直虎は、

 こんな今川の状態は続くはずがないと、

 考えた。

 夜明けの前が一番暗い。

 もうちょっとしたら、

    確実に夜明けが来るってことを

 ひたすら信じて処していった、

 凌いでいった。

 戦う力という

 武士にとって一番重要なものを、

   男を殺されつくして失っていたところで、

 どのように凌ぐか。

 先を、大局を読んで、

 これから何を身に着けていったらいいのか、

   考えた」

 

「そしてやがて

 家柄、戦闘力、外交情報力、

 三拍子揃った井伊家になって

 日本最大の譜代大名、

 35万石、

 井伊家になっていくわけです。

 だから、今、つらいと思っている皆さん、

 大河ドラマを見ながら、

 つらい時の凌ぎ方、学びましょう」

 

今大河ドラマでは、

直虎のいい感じのネガティブ・ケイパビリティと

万千代の積極的な挑戦が、

ちょうど対比されているところだ。

 

 

 

そして、この本の締めくくりは

「寛容」と「共感」だった。

 

「どうにも解決できない問題を、

 宙ぶらりんのまま、

 なんとか耐え続けていく力が、

 寛容の火を絶やさずに

 守っているのです」

 

「共感が成熟していく過程に、

 常に寄り添っている伴奏者こそが

 ネガティブ・ケイパビリティなのです。

 ネガティブ・ケイパビリティがない

 ところに、

 共感は育たないと言い換えても

 いいでしょう」

 

 

すごく理解できる。

 

誰も悪者にせず、

どこにも責任を求めず、

何に対しても事を押し付けない、

今の状況を引き受けて、

その中で、

できうることをしながら、

待つ。

 

それができるのは、

自分のことを理解し、

相手や周りのことも理解でき、

受け入れる心を持っているからこそだし、

そうやって耐えている間こそ、

多様な人の思いを理解できる力を

醸成する。

 

私に

ちょっとはその力があるとすると、

苦しかった事のおかげだ。

 

 

 

 

 

・・・とはいえ、

各地で理不尽な災害にあった方々が、

そのネガティブ・ケイパビリティで

今をなんとか凌いでくれている間に、

希望を見出してくれるような

政策が必要だ。

 

横田めぐみさんはじめ拉致被害に

あった方々や、

その家族の方々の

ネガティブ・ケイパビリティが

発揮されているうちに、

なんとか解決を!と

願わずにいられない。

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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救い

【2017.10.23 Monday 10:02

日産の無資格検査の件が、

表に出てからも継続していたケースは、

複雑な背景があったと思うが、

その一つには

コミュニケーションの問題もあったようだ。

 

現場の声と管理職の認識のズレは、

コミュニケーションの量が

圧倒的に足りてないことを

示しているように思う。

 

 

 

瞬時に伝えることができるデジタルツールを

誰もが持っているのに、

大切なことが伝わらないのはなぜなんだろうか?

 

 

 

「Aという方法でやってください」

という指示が与えられてとしても、

Aという方法が、

現場にとっては無駄のように感じられたり、

現場ではより効率的な方法で行われていて、

それに慣れていて、

それが長年の当たり前であったり。

しかも、指示をした方が、

現場の人より若かったり、

経験が浅かったりしたら・・・

なんてこと考えると、

現場としては、

「上はあ〜は言ってるけど、

 まあ、いいんじゃない」

なんてこともあるかもしれないなあ。

 

その時に、

「その方法では、効率悪すぎます」とか

「今までこれでやってきて何も問題がないのに、

 なぜそうするんですか?」

など、

現場の中に湧いた声を

管理職に伝えることができたら、

何らかの手は打てたかもしれないな。

 

 

逆に、

現場の雰囲気を考えると、

とても改善点を伝えられないと

いう管理職もいるかもしれない。

 

強権的と思われたくない、

これまでの(表面上は)いい感じの関係を

壊したくない、

気持ち良く働いてもらいたい、

面倒な管理職と思われたくない・・・

いろいろな考え、感情を背景に、

「とりあえず言わないで様子みてみよう」という判断。

 

 

あるいは、

伝え方の問題もあったかも。

「自分はこのままでいいと思ってるんだけど、

 上が言えってことなんで、

 一応言っときますけど、

 これからはできたらAって方法で

 よろしくお願いします」的な。

 

そうした方がいいのか、

そうしなくてもいいのか、

よくわからない伝え方。

 

 

 

とはいえ、

言わなかった現場が悪いとか、

拾い上げられなかった管理職が悪いとか、

言える雰囲気作ってない現場が悪いとか、

適切に指導できない管理職が悪いとか、

何か一つに責任があるというほど、

単純ではないと思う。

 

そして、こういうことは、

いろいろな場で起きていることなんだろうな。

 

 

 

 

 

私自身も、

私自身の望みとは関係なく、

強い立場になってしまっている時と

弱い立場の時がある。

 

 

例えば雇用されている時や、

経験が浅い場の時があり、

そんな時には、

「反論したら、やっかいな人と思われるかも」とか、

「違う意見があったとしても、

 もう少し慣れてから」とか、

そんな考えが頭の中に浮かぶこともある。

発言するのに勇気がいる場合も多い。

 

立場や役割に違いがあったとしても

人としては対等だと理解していても、

評価される怖さや、

いい人でいたいという自分に課してるものがじゃまして、

「声に出すには勇気がいること」は多いものだ。

 

 

それに反して、

例えばこちらが依頼してる時や、

その場に集まった仲間の中では

一番キャリアが長いなんて時。

あるいは、

専門性を持って活動してる場

(カウンセラーとして、講師として)

というような場でも、

意に反してだし、それはまずいことなんだけど、

強い立場になってしまうことがある。

年齢も57歳となってくると、

そういうことも多くなったりする。

 

またそういう役割を担っている上で、

相手にとっては耳の痛いこと、

厳しい改善点や建設的な批判、

「次にはこうして欲しい」など

言わなくてはならないこともある。

 

 

これがキツイし、試される。

 

 

そういう時に、

問われるのは、

相手から

別の意見を言ってもらえるかどうか?

質問してもらえるかどうか?

なんだろうなあ。

 

これが難しいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

本当に難しいものだけど、

私の場合は、

2つの点で助かっている。

 

一つは

アサーティブ・ロゴセラピー・建設的な生き方など、

戻るところがあることだ。

感情の整理の仕方、

目標の立て方、

コミュニケーションの方法など、

帰る理論やスキルがあることが、

本当に本当に救い。

 

難しい場面には、

素手で太刀打ちできないもの。

 

 

それともう一つ、

私自身の「自信のなさ」が、

救い。

私は時々思い込むし、時々失敗する。

相手を誤解してることもあるし、

間違うこともある。

これって、情けないことなんだけど、

でも、

自分を過信してないことは、

私のコミュニケーション力の

大切な救いだと思う。

 

自分が間違っているかも・・・

自分の何かが足りてないかも・・・

あの素晴らしい人が、こういう言動をするのは、

深い背景があるのかも・・・

自分を過信してないことが、

時々、私をそこに立たせてくれるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| 日常 | - |

「人それぞれ。以上!」にしない時も作る。

【2017.10.14 Saturday 16:20

学校保健委員会で中学生に

アサーティブを紹介した。

 

3年の男子が拙い文字で書いてくれた感想

「自分はいつも友達に好かれたいから

 人それぞれ、

 その人にあったような感じでいたけど

 それでは相手には自分のことを何も

 知ってもらえないので、

 自分を相手にわかってもらうためにも

 しっかりと『自分』を出さないと

 と思いました」

というようなものがあった。

 

ある3年女子は

「自分は自分のことを攻撃的なパターンだと

 思ってたけど、仲の良い友達からは

 受身的なパターンだと言われて、

 驚きました。

 他人から見た私と、

 私から見た私はやっぱり見方が

 違ってるのだと思い、

 興味深かったです」

とあるが、

学校保健員会の後で、内容のことで

友達と話し合ったってことだ。

ありがたくって、そして、

大切なことに気がついたんだなあと思う。

 

 

 

小学校とか中学校で

コミュニケーションの授業をする時に、

頭に置いておくエピソードがある。

「7つの習慣」のコヴィー博士の

電車の中での有名な話だ。

 

静かな電車の中に

父親と子ども3人が入ってくる。

子ども二人はハイテンションで騒いでいるが、

父親はちっとも注意をしないで目を閉じている。

電車の中の人々は、だんだんイライラして、

いやな雰囲気になってくる。

それでも、周囲に迷惑をかけている子どもを

叱ろうとしない父親。

乗客の一人(コヴィー博士)が父親に

「お子さんが迷惑をかけていますよ。

 なんとかなりませんか?」

と声をかけると、

その父親は目を開け、

初めて子供たちや周囲の乗客の様子に気がついたようで、

「 本当ですね。 大人しくさせないと、、、 

 実は、たった今、病院から出てきたところなんです。

 少し前に妻が、あの子たちの母親が

 亡くなったものですから・・・・。

 いったいどうすればよいのか。

 あの子たちも、ひどく混乱して取り乱しているようで、、、」

その瞬間に、

それまでの電車内の険悪な雰囲気は消え、

電車内の人々は親子をいたわりの眼差しで

見守り始めた。

 

・・・というエピソード。

 

こういう状況の時に、

イライラする自分を落ち着けるために、

「自分自身の思考や感情などの反応を確かめ、

 自分自身の理解に役立てる機会にしよう」と

考えるのも一つ。

 

また、

「『公共の場で子どもが迷惑行為を

 していても注意しなくてもいい』

 という考えの人もいる。

 『考えは人それぞれだ。以上』

 と折り合いをつける」のも一つだ。

 

また、

人は誰でも最善を尽くして生きている。

 それでも、理解不能なことをする人が

 いるとしたら、

 この方がそういう行動をとるには、

 絶対に背景があるはずだと考えてみる。

ってのも、一つの考え方だ。

 

上記3つの考えは、

自分の中で収める方法。

 

 

コヴィー博士の場合は、

思い切って声をかけたその一言で、

親子の状況を理解でき、

周囲の方々のその後の時間をより良く変えた。

 

疑問に思ったことを率直に口に出したり、

ちょっとのズレを話し合うことで、

周囲への影響までは、常にはなくても、

少なくとも、

自分と相手との間の関係は変える。

 

もちろん、勇気だした一言が、

いつも良い結果を招くわけではないけど、

バッターボックスに立たないと、

アウトはないけど、ホームランも打てない。

 

 

そんなことを頭において、

授業の前に

「コミュニケーションの力」も

時々使ってもいいんだよ・・・

ってことを認識しとく。

 

 

 

子ども達への話のなかで、

 

「得意、苦手のちがい、
 性、血液型、星座のちがい、
 環境のちがい
 意見、考え方のちがい、
 趣味のちがい、

 いいと思うもの、
 感動するところ、
 笑いのツボなどのちがい・・・

 

 人と人、ちがいはある。

 でもちがいは単なるちがいで、

 間違いじゃない」

 

という部分に引っかかってくれた子もいる。

 

ちがいについて話し合えると、

面白いことも起こるよって伝えられたら本望だ。

 

 

以前小学校での授業では

世界地図を使ってみた。

 

私「みんな、日本ってどこにある?」

子「真ん中」

私「私がアメリカ人だとしたら、

  えええっ違うよって言うよ」

 

私「で、

  誰も質問してくれなかったら、

  チャンチャン、終了。

  なんか、一声くれたら広がるんだけど、どう?」

子「なんで?」

私「訊いてくれて、ありがと。

 これがアメリカの世界地図だから」

私「日本がどこにあるか、わかる人?」

子・・・出てきて探す。

 

 

 

 

大人も同じだ。

仕事のケースで考えてみる。

 

 

この書類の締め切りは3日後。

でも心配で後輩に

「あの書類、どう?」と質問すると、

「まだ見てません」と。

正直、唖然。

自分は依頼された仕事は、

一応すぐに目を通し、

早めに疑問は解決して進めてきた。

そうやって仕事はするものだと教えられてきた。

心の中で、

(締め切り日になって

 わかんないとこでてきても、

 教えてあげられないかもしれないからね。

 もう、いっつも間際に

 あたふたするんだから!!!)

と思いながらも、

「ま、人ぞれぞれ、考え方、方法違うし」。

 

そこで収めちゃうのもいいけど、

「あっそうなんだ。

 今日なら、質問に答えられる時間があるから

 聞いてみたんだけどね。

 明日だと、ゆっくり教えてあげられないから、

 できたら、今日一度目を通してほしいんだ。

 どう?」

なんて、話せると、

もしかしたら、

「違う仕事の締め切りが今日で、

 優先順位を決めて、やっている・・」

などという状況が聞ける可能性がある。

 

そのことが、

「締め切りギリギリで、

 こちらの都合も考えないで

 質問してくる子」

と、

「自分のやり方を押し付ける先輩」

という関係を変えていくかもしれない。

 

それって、

ちょっといい感じのことじゃないだろうか?

 

 

「人それぞれ、

 考えや方法が違う。以上!」の時があってもいい。

でも、分かりあおうとする努力をしてみるものいい。

自分の考えを深め、

もしかしたら誤りを正すことができるかも。

そして、相手との関係を変え、

周りに良い影響を与える可能性もある。

 

 

10月11月は

大人対象の研修が多い時だ。

考えで収める方法もいいし、

コミュニケーションの力を使ってみるのもいい。

コミュニケーションの力を使ってみたい時に、

使えるようにしておくために、

役に立つプログラムを提供するのだ!

 

 

 

・・・・・・・・・・・

 

さて、11月11日には、

「アサーティブカフェ」を開催します。

 

いつでも使えるように、

せっかく手にしたアサーティブという道具を

一緒に磨いていきましょう。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| アサーティブトレーニング | - |

また始まる。

【2017.09.23 Saturday 06:06

5年ぶりに友人に会った。
彼女は昨年まで学校の先生をされていた。
確か7年前くらいか?

私がスクールカウンセラーとして活動する中学校に

彼女が赴任。

 

(なお、彼女の同意の上のアップです)


ある時、ある保護者との面談を終えて、
学年主任の彼女に報告、
「お父さんが相談にきてくださって、

 とっても熱心に相談していってくださった。

 教頭先生(男性)に入ってもらって、
 男性同士で話し合ってもらってもいいかもね」
 と言うと、
彼女は
「谷澤さん、大切な時には男性って思うんだ」
と言った。

自分の説明不足を恥じながら、
ジェンダーの問題にはとりわけ敏感な私は、

同時に、そこにひっかかってくれたことがうれしかった。
「『大切な場面は女性より男性』という意味で

 言ったのではないよ。

 でもそう受け取られるような話し方をした

 私がいけなかった。

 父親同士という立場で話しをしてもらうってのも、

 問題解決の助けになりそうという意味だよ」

というと、

「そうかあ」といってくれた。

そういう指摘をちゃんとしてくれた

彼女の姿勢が素敵で、

そういう幾つかのことから、

出会ってすぐに友達になったと思う。


そんな中、

「ソーシャルスキルを学年を通してトレーニングしたい」

という話になり、

一緒に企画し、

聴き方、

アサーティブな話し方、

ストレスマネージメント

と学年全体で、

あるいはクラスに入ってと、

年に3回授業を担当させてもらったこともある。

すごくいい経験だった。

 

発達障がいをを持つある男子生徒と

定期的に面談とSSTの時間を設けてくれて、

1年後には衝動的な行動がだいぶ少なくなり〜

なんてこともあった。
 
プライベートでも

一度ランチをし、

一度はイタリアンをいただきながら

ワインをいっぱい飲んだこともある。
 
もってるもの、

たとえば文房具だったり、

車だったりの趣味が似ていて、

選ぶ服や

考え方や価値観もかなりに近かったと思う。
 
彼女と、

ある時を境に連絡しあわなくなってしまった。

私はそのことがずっと心にひっかかっていた。

 
その彼女から「カフェレストランを開いた」

と連絡があったのが7月終わり。
「将来カフェをやりたい」と話してくれていた、

その夢をかなえたんだ!と嬉しくなった。
 


その彼女の店に、今日やっと伺うことができた。

コクのあるビーフストロガノフと、

まろやかな人参とくだもののラペをいただきながら、
近況を聞きあった後で、私は思い切っていった。
 
実はずっと謝りたかった。
あなたが子どもさんの怪我のことで、

私にメールをしてきてくれた時、
私は、あなたがどんなに子どもさんを愛していて、

大切に思っていて、

その子の怪我だから、

それも大きな怪我だったから、

どんなに不安で心配でたまらなかったかわかっていたのに、

多分、その時私自身も何かで忙しかったのか、
不安をちゃんと受け止めずに、

「しっかりしようよ」的なメールを返したと思う。
私は後で、

なんてひどいことをしたのかと心苦しくて、

謝りたかったけど、

なんとなくメールしないでいるうちに、

こんなに時間が経ってしまった。
 
すると、彼女は、

「そんなことあった?」と言ってくれ、
「私がメールをしなかったのは、
 何かでメールをした時に、

『今日は返事ができないけど、

 明日ならできるけど、それでいい?』

 という返事が返ってきて、

『これ以上谷澤さんに甘えたらダメだ』って思って、
『もう大丈夫だからいいよ』という返事をして、

 それから連絡しなくなってた・・・と思ってたよ。

 忙しい谷澤さんに迷惑かけたらダメだと思って」

 

え〜そうだったんだ・・・

お互い、びっくりした。

 

私たちの記憶をまとめてみると、

多分、私が彼女に

『今日は返事ができないけど、

 明日ならできるけど、それでいい?』

とメールしたのが、

お子さんの怪我の時だったのかもしれないな。

だとしたら、その方がもっとひどいな、谷澤。

それで、

『もう大丈夫だからいいよ』

という返事を彼女からもらって、

そのあと、

 「しっかりしようよ」的なメールを返したのかもしれない。


 

お互い、思い合っていたんだ。
合わない間、メールしない間、

お互い、心のどこかで思い合っていたんだな。

なんか、ありがたいなあと思った。

 

 

 
彼女の開いた店は、本当に居心地がよく、

結局2時間半も長居してしまった。
 


私はその後、定時制の高校で授業をした。
6月にも呼ばれて授業をしたが、

その時は、生徒さんたちの心に残る授業ができなかったと思う。

ずっと喋っている3人の生徒がいて、

私は「私の授業が面白くないから喋ってるんだ」

と落ち込みながら、

よし!と気合を入れれば入れるほどの空回り・・・

という情けない授業だった。
 
で、今回だ!


成功した・・・と思う。


みんなよく聞いてくれていたし、

(例の子たちも聞いてくれていた)

少しは爪痕残せたのでは?と手応えがあった。

もちろん準備も入念にしたが、
何よりも、

あの店で、

彼女と話し、

彼女が作ったお料理をいただき、

入れてくれたコーヒーを飲んで、

そして長年の胸のつかえが取れて、

体中が柔らかいもので

包まれていることが大きいと思った。
 
私は定時制で学ぶ子どもたちに、

生きてるっていいよ!って叫びたいような気持ちだった。

心がすれ違うこと、

誤解しちゃうこともある。

うまくいかないことや

間違ってしまうこともある。

それが人間ってものだよ。
でもね、

でも人はまた分かり合うこともできるよ。

間違いを認めるチャンスをつかまえることもできるんだ。

やり直せることもある。

また始めることもできる。

生きてると、そういう日もあるんだ。

生きてるって、悪いことばっかじゃない。

それには、とにかく、今を生きて、

それを繋いでいくことなんだよ。
 
そういう私の想いみたいなものが、

なんとなく伝わったのかもしれないな。

なんてたって、

そういう実感の中ににいたもの。
 
あの中学で、彼女と出会えてよかった。 

 

その友人が、いてくれてよかった。

 

なんと私たちは、同じ車種に乗っていた。

ふふふっ。

 

 


 
カフェレストランのオープン、本当に嬉しい。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor