今のところではありますが…
引きずらないコツ。

【2017.02.16 Thursday 19:49

*記事の最後に

 講座のお知らせがあります。

 

 

会議の席で

あることについて意見を求められながら、

頭の中がまとまっていなくて、

何も言えない場面があった。

 

そのあと考えて、ほぼほぼまとまって、

関係者の一人に考えを言うと、

すかさず

「えっ、まいったな。

 確かに意見には賛成するけど、

 それ、あの時言ってよお」と。

 

そりゃそうだよな。

会議で言わないで、

個人的に言うってのは、

責任ある態度とは言えない。

 

「そうだよね。

 今言われても困っちゃうよね。

 ただ

 あの時まとまってなくってさ。

 次回の会議で文書つくって出すよ」

なんて答えながら、

私はめっちゃ反省した。

これくらいのこと、

その場で

パパパって考えられなきゃやばいでしょ、私!

 

そう反省しながらも、

実は、もう一つの考えで頭の中は

興奮してた。

 

その方の

私への対応が、

アサーティブだったからだ。

 

その方は、

アサーティブトレーニングに

参加されてるわけではない。

でも、応用編でトライする

「批判への対処」を

私に対してしてくださった。

 

 

アサーティブトレーニング応用編の

テーマの一つ、

「批判への対処」で扱うのは、

例えば

「もっとやる気出してください」とか

「まともな受け答えできないの?」とか

「ほんと口ばっかりだよね」など

そのまんま批判の言葉はもちろん、

「誤字あったよ」などの指摘、

「痩せた方がいいんじゃない」などの

アドバイスや、

それを言われるとは思わなかった・・・

というような、

思いがけない言葉などを扱う。

 

受け答えに困るような、

ズバっと飛んでくる、

そんな言葉。

 

それらにどう対処するのかを学び

練習するんだけど、

その方が

見事にそれをやってのけてくれたんだ。

 

その方にとっては、

ありえないタイミングでの

私の意見表明、

つまり、

思いがけない発言だったと思う。

それに、

「えっ、まいったな。

 確かに意見には賛成するけど、

 それ、あの時言ってよお」

 

これの、

どこがどうアサーティブな対処なのか、

詳細は控えるが、

「えっ、まいったな」

という入り方は、

後々まで引きずらないコツの一つだ。

(「今このタイミングで言う?」という

 考えや困惑を押し込めてしまうと、

 引きずる可能性もある)

 

その方の自然なこの言動に

理論のバックがついた時に、

それは「使える道具」になる。

 

 

「あなたがごまかしたんじゃないの?」

いわれのない非難、

 

「信用できないので、

 担当を変わってもらう」

突然のネガティブな評価、

 

「計算間違い、またあったよ」

当たってるだけにささる批判、

 

「会議の進行、

 グダグダだったね」

きっつい指摘、

 

などなど、

生きていると

避けては通れない

「飛んでくるイタイ言葉」たち。

 

ケンカを買うのでもなく、

歯を食いしばって耐え、

恨みを募らせるのもなく、

逆に自分を責めるのでもない、

 

アサーティブな対処を

より良く生きていくための

道具の一つとして

多くの方に持っていてほしいな。

 

 

 

アサーティブトレーニング基礎編を

終了した方に受講いただける、

引きずらないコツを学べる2つの講座。

 

ひとつ目は、

<アサーティブトレーニング応用編>

批判の対処、

怒りという感情の取り扱い方、

複雑な問題を対話で解決していく方法などを

テーマとして取り上げます。

静岡では

2月25日(土)26日(日)に開催。

詳細は コチラ→

 

ふたつ目は

<アサーティブカフェin静岡>

今回のテーマは「自己信頼」。

ごっちゃになりがちな言葉、

「自己理解」「自己受容」「自己信頼」

を整理したり、

日常の自分をゆっくり振り返る時間を

持ちます。

3月11日(土)開催。

お申し込み方法などは コチラ→

 

 

 

 

ところで、

亡くなった義父が愛用していた英語の辞書には、

「assert」にラインマーカーが。↓

直訳すると

「断言する 言い張る はっきり述べる」

でも

アサーティブトレーニングで学び練習いただくのは、

相手も尊重しつつ自分の意見や感情を伝える方法ですぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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意図

【2017.01.30 Monday 08:38

山の方の学校を車で訪問する機会があり、

仕事を終え、帰ろうとする時、

見送って下さった先生が、

「帰り道、気をつけてくださいね。

 凍ってる場所がある可能性がありますし」

と言ってくれた。

 

私は、

「ご心配ありがとうございます。

 でも今朝くる時は、凍った所はなかったんですよ。

 今日は少し気温も高いようでしたね」

というと、

 

先生は

「そうですか。

 ただ、気温が高くなると、

 今度は落石があるんですよ。

 霜柱に持ちあげられた小石が

 霜柱が溶けて、コロコロ落ちてきたりするんです。

 タイヤで踏んでしまうと大変ですから、

 気をつけてくださいね」

と言ってくれた。

 

なんか、このやりとりの時の

先生の表情がすっきりしていない感じが気になって、

頭の中をもやもやとさせながら

エンジンかけた。

 

ハッと気づく。

は〜やっちまったな、私・・・と思う。

 

凍ってる、凍ってないとか、

今日の気温がどうだとか、

落石があるないだとか、

そういうことではなくって、

 

先生は、

ただただ、

私に

気をつけて帰って欲しい

ってことを伝えたかったのだと思う。

 

だから、

「ご心配ありがとうございます。

 気をつけて帰ります」

でよかったのに、

私の中に時々出てくる、

「私はそのあたりしっかりやるから大丈夫。

 心配ご無用!虫」が、

お相手の意図をちゃんと捉えないんだよなあ。

 

 

 

意図に気づかされ、

刺さる感じになる時もある。

 

 

ある時、ある方と何かを話さないとならない場面があった。

しかし、その話に入る前に、

なんの脈略もないこと

(その日の午前中に見た写真展について

 そこで感じたこと)

私はとうとうと喋った。

 

するとその方は、

「あなたは、いろいろ積極的にインプットして、

 そこから学ぶ感性があって、

 本当素敵だね」

と言ってくれた。

 

その瞬間私は、

この話をここでしたのは、

この方に、

こういう評価をして欲しいからだったか、自分・・・と

下心という名の意図に気がついた。

あ〜自分でも無意識に、

評価されたい意図が動いたか・・・。

そしてそれは、私のどこかからか

知らず知らずに

にじみ出てしまったのだろう。

 

ああ、刺さる。

 

とはいえ、しなくてはならない話は

ちゃんとした。うん、それはした。

 

 

 

そんな風に、意図ってものを

考える機会が時々あった。

 

そんな中、

昨日はアサーティブジャパンの会員研修で、

「意図」について学んだ。

 

複雑な問題、

棚上げしといた問題を解決したいと

話し合おうとする時、

自分の側に、

相手をコントロールしたいという意図があると、

それは、

どんなにしっかりとスキルを使って

例えば伝える内容を整理し、

そして伝え方を工夫しても、

伝わってしまうのは

「あなたを私の思い通りにしたい」という「意図」で、

しかも、それが伝わってしまった場合、

だいたい相手は防衛的になる・・・

ということ。

 

あ〜そうだなあ。

本当にそうだなあ。

 

言葉の隅っこの方に、

「私は正しい、あなたが間違ってる」は

出ちゃうんだよなあ。

声の大きさや、ほんのちょっとの間に

「なんでわかってくれないの?

 わからないあなたが悪い」は

現れてしまう。

 

ただ、救いだったのは、

そういう「意図」を

どうしたら対等なところに持っていけるかの

考え方のプロセスがあり、

それを示してもらえたのが、

もう、

本当に、

滝に打たれたようだった。

すっきりした。

 

 

私はまた、

私の中に

今まで気がつかないようにしていた

「考え方の傾向」を知り、

「採用しがちな意図」が明確になり、

それは苦しいけど、

少しホッともした。

 

また道の先が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ランドセルの色、私は何色にしただろう?

【2017.01.20 Friday 10:23

大学生に授業をする機会を

いただくようになって、

4年くらい経つ。

 

どの学校の学生さんたちも、

本当に真面目な方ばかりで、

私語もなく、メモを取り、

話し合う時間は

ちゃんと議題に沿った事を話してくれる。

感想用紙には、

学んだことや考えたこと、気づいたことなど、

たくさん書いてくれてあり、

一人一人の中に、

表現したいことが

たくさんあることがわかる。

 

授業を真摯に受けてくれることが

ありがたいし、

もし彼らが

日常の中で、

自分のことを否定したくなってしまうような

出来事にあった時、

ちらっとでも思い出してくれたらいいな

と思う。

 

 

そんな中、

一つ気になることがある。

それは

授業スタート時の

反応が薄いこと。

 

ま、初対面で一回きりの授業者の私が

どんな奴だかわからないんだもの、

仕方ないといえば、仕方ない。

 

ホワイトボードの前に

立った時の私の雰囲気が、

緊張感があるのかもしれないから、

それが原因かも・・・とも思う。

確かに緊張はしてるし。

時々緊張は伝染するし。

 

 

とにかく

夏には

「暑いね」からはじめて、

「ポケモンGOやってる?」と聞いてみたけど、

膠着したように目も首も微動だにしない彼ら。

私が

「やってみたんだけど、

 この施設の周りはすごいね」というと、

安心したように、

笑顔になった。

 

評価、

つまり授業者である私がポケモンGOに対して

どういう評価をしているかわからないから、

表現できなかったのかもなあ

と反省し、

冬には、

そういう評価が気になるものではない題材、

「寒い?」的なことのみにしてみたって訳だけど、

どうしたらいいか戸惑っている感じだった。

きっと、

「ここは反応すべきところかどうか」

「みんなはどう反応するか」

「みんながしない中、一人だけ反応してしまったら、

 何か起こるかもしれないし」

的な、

いろいろな考えが動いたんだろうな、

なんて考えてみた。

 

そして、

いつもの癖で、

突っ込んで考える私・・・。

 

きっと、中学高校と

同調圧力の中、

頑張って生きてきて、

今もまだその中で

息してるじゃないかなあ。

 

どの授業でも、

時間が経つうちに、

リラックスした雰囲気にはなっていったけれど、

それでも

彼らの

「相手からどう思われるか」

を重要視するばかりに、

自己表現することに壁がある感じは、

彼らの生きづらさにつながっているように

思え、気になる。

 

 

彼らは小学校入学時、

まだランドセルは女子は赤、男子は黒の世代で

自分の好みの色を選択できる時代ではなかったらしいが、

衣替え時期は、

私たち世代のように「6月と10月」と決まってはおらず、

自分のタイミングだったようだ。

 

私たちが小学校中学校で受けてきた

先生によって一方的に教えてもらってた時代よりは、

「話し合う」なども取り入れた授業を

受けてきていると思う。

私たちの時のように

体操服は半袖半ズボンではなく、

自分の体調に丈を合わせて可だったと思う。

体験的な学習も増え、

例えば小学校の修学旅行では、

旅行先で故郷の説明をしたりする経験をしたり、

中学時代には

キャリア教育の一環で

職場体験なども経験していると思う。

 

昭和とは明らかに違う時代を

生きてきた彼ら。

 

もちろん「集団」の中で生きていくのだが、

同時に

「個」が大事にされ、

「個」を生かすということを意識した

学校生活は送ってきている。

 

それでも、

どう思われるか?

ここでの正解は何か?

それらに軸を置いたコミュニケーションが

身に染み付いているような彼ら。

 

他者と違うということを恐れ、

周りを伺いながら、

口元でちらっとつぶやくことさえも、

抵抗を感じているように見える彼ら。

 

「自分をどこまで出していいか分からない」

「どこまで合わせたらいいかわからない」

 

そんな彼らの心の中の声が、

聞こえるようだった。

 

なぜ、

そういうことになってしまっているんだろう?

 

 

 

 

 

ランドセルを例にとって考えてみよう。

 

今の子どもたちは、

イオンだったら24色の中から選べる。

それも「紫」だったら、

「スミレ」もあるし「パールラベンダー」もある。

「黒」だって

「ブラック」「メタリックブラック」

「ファイアースーパーブラック」

「オーシャンブラック」と4色もある。

そんな中から

「好きな色を選んでいいよ」と言われるのだ。

 

「なんで、女だからって、赤じゃないといけないの!」

と文句言ってた私とは、

めっちゃ違う。

 

私が今、

イオンで選んでよければ、

(小さな頃から紺とか緑とか黄色が好きだった)

「ダークバイオレット」を選んだと思う。

「いいじゃん。大事に使いなよ」と

親がすぐに言ってくれたら、すごく嬉しい。

反対に

「本当にその色でいいの。

 男子が選びそうな色だよ。

 5年生になっても6年生になっても

 使うんだよ」

なんて言われたら、

広告に出てる女子がしょってる色が

正解なんだと思ったと思う。

 

「子どもでもあっても人格がある」

「子どもにも失敗する権利がある」

ってことに

慣れてない大人もいっぱいいるから

仕方ない。

仕方ないけど、

切ないなあ。

 

 

 

 

私は

「あなたは長女だから

 家を継ぐ。他の選択肢などなし」

と育ててもらったからこそ、

「自分で選びたい」とか

「考えたことを言いたい」という

意欲が育ったのか。

昭和って

「幸せってこう」

「これが普通」的なものがあって、

めちゃ窮屈だったけど、

だからこその「パワー」が

育まれたかもしれない。

 

もちろん、決して

押し付けがいいとは思わない。

昭和に戻りたいとも

思わない。

 

ただ、

「個」を大事にしていいと

個人の選択や考える力を求めるなら、

それを受け止める側、

つまり、大人、養育者の

「受け止め方」こそ、

学んでいかないとならないこと

なんじゃないか。

 

 

もしかして

平成の

「自分の意見をを持とう、

 コミュニケーション能力を高めよう」

と育てられた人の中には、

「自分の意思で決めていいよ」と

保証されたのにもかかわらず、

考えや気持ちを口に出したら、

反対されたり、

叱られたり、

他の考えを勧められたりして、

「もの言えば、唇さみし」的経験をした人も

いるのかもしれないな。

 

 

「あなたの考えを言いなさい」

ただし、

「周りとも上手くやっていける程度の」

というダブルバインド。

 

個を大事にしよう。

しかも

空気も読みながら。

というダブルバインド。

 

 

その中で、

彼らは頑張って生きてきたのかもしれない。

と勝手に背景を考えて、

 

そして勝手に

愛しくて愛しくて

たまらなくなる私。

 

 

 

彼らが

安心して

考えや気持ちを口に出せる環境を作りたいなあ。

 

いやあ、それは大きな夢ですわ。

 

でもさ、

コミュニケーションをとっていくことは、

違いが明らかになってしまうことでもあるけど、

同時に、

繋がれる部分の発見や、

問題を解決していく方向性や、

第3の道を見つける可能性を引き出すことなんだって、

実感してもらえる瞬間を

なんとか、提供できないものだろうか。

 

 

関係は、

伝え合い、聴き合いの中で

育んでいくものだ。

 

そういう経験、

いっぱいしてほしいなあ。

させてあげたいなあ。不遜ですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ちゃんと言う」の、「ちゃんと」の具体、あります。

【2017.01.10 Tuesday 09:45

ロングセラー「置かれた場所で咲きなさい」の著者

渡辺和子氏のことが

1月8日付毎日新聞の「余禄」に書かれていた

 

そこで初めて

渡辺氏の背景を知った。

9歳の冬に、

陸軍教育総監だった父を2・26事件で亡くし、

父を撃った兵士を許せるまでに50年かかった

ということが書かれていた。

 

その彼女の言葉が胸に沁みる。

「人間の間に争いはなくならない。

 敵ではなく自分と戦うことなしに

 平和はもたらされないと思います」

〜本当にそうだ。

自分は悪くない。相手が間違っていると、

他者の責任にしている限り、

争いは続いてしまう。

 

「相手の言い分はちゃんと聞く。

 こちらの言い分はちゃんと言う。

 何が正しいかを語り合う」

〜聞いて、話す。そして問題解決に

 一緒に向かう。

 そうできたら、どんなにいいかと思う。

 

 

 

ちゃんと聞き、ちゃんと言う。

誰もが、それが可能ならなあ!と

考えていると思う。

 

日常の中で

言えないことが多く、

無理なことを引き受けて後悔ばかりしている人は、

「よし、次こそはちゃんと言おう」

と考えること、あると思うし、

逆に

つい大きな声で

キツめに言っちゃうことが多い人は、

「言い過ぎたよなあ。

 でもどうすりゃいいんだ!」

って考えること、あると思う。

 

「ちゃんとやろう!」って

いっくら自分に言い聞かせても、

方法を知らないと、

それはちょっと根性論的だ。

 

私がアサーティブをお勧めするのは、

そこに「具体」があるから。

 

どう考えることが「ちゃんと」なのか?

言うことを整理するとは

何をどうすることなのか?

整理したものを、

どんな言い方で伝えたらいいのか?

 

昨年12月に行った基礎講座での

参加者の感想も、めちゃ具体的だった。

(シェアしてokのものを掲載します)

 

「相手と対等になることの

 大切さや、

 的の絞り方がわかった」m

 

「4つのキーワードを何度も

 確かめたいです。

 的を絞ること、

 相手を理解する方法が

 もっとも心に残りました」りな

 

「自己表現の権利が心に残ってます」  

           k

「4つのキーワードを得たことが

 良かった。

 全てをすぐに実践できなくても、

 まずは4つの中の最初の誠実を

 (どうすることなのかわかったので)

 日常の中で取り入れたい」h

 

「納得できるまでロールプレイでき、

 自分のものになったと思います」a

 

「ロールプレイで

 方法を具体的にしていくことで、

 相手の表情が変わり、

 その場の空気感が変わっていく

 ことを実感できた。

 大きな気づきを得て、

 今日までずっと胸の中にあった

 もやもやの素が

 見つかった気がしました」

      たまちゃん

 

 

今年も静岡では

8月と12月に基礎講座を開催する予定。

お楽しみに!

 

 

また2月には静岡で年に一度の「応用講座」を開催。

相手は何気ないつもりでも、

結構きつい批判の言葉への対処の仕方や、

怒りの感情についての取り扱い方を知り、

複雑な問題を話し合いで解決していく方法を学ぶ。

 

さらに3月には

「アサーティブカフェ」開催。

今回は、1日かけてアサーティブを深め、

そして練習する。

午前中は「自己信頼について深める」

*自己理解と自己受容と自己信頼に

 ついて学び合う

午後は「自分の問題に取り組む」

*ロールプレイをしてもいいし、

 話を聞いてもらうだけもあり。

 話を聞いていたい!のみも可。

 

 

 

さて、渡辺和子氏のことについて

調べていたら、

The Huffington Post の記事に出会った。

 

父親に43発の銃弾を撃ち、

死に至らしめた兵士たちへの思い、

「恨みはない」と思っていた彼女は、

ある時、

反乱軍側の方と同席する機会があって、

その時に

「私がどれほど頭でお赦ししていると言っても、

 私の血が騒ぐ」経験したそうだ。

その彼女が、

心の底から彼らを赦したのは、

父親のお墓参りの時に、

反乱軍と言われた方の弟さんたちと会った後。

「お参りしてお線香とお花を供え、

 立ち上がってお墓から階段を降りて

 参りましたときに、男の方が2人、

 涙を流しておられた。

 そのお2人が、

 私の父の寝所まで入ってこられた、

 高橋少尉と安田少尉の弟さんだった。

 『これで私たちの2・26が終わりました』

 『私たちがまず、

  お父様のお墓参りをすべきだったのに、

  あなたが先に参ってくださった。

  このことは忘れません。

  ついてはお父様の墓所を教えて下さい』

  と言われ、お教えして、その日は終わりました」
 

 

「ちゃんと聞く」の「ちゃんと」は

いくら具体的に知ってたとしても、

怒りの感情が激しくあるうちは、

難しいのかもしれない。

まずはそのことを

話したり、

考えたり、

自分の中で

そのことを十分に大事にできた時が、

「ちゃんと」の準備が

整った時なのかもしれない。

 

 

50年経って、

彼女は

「自分だけが被害者のような気持ちを

 持っておりましたけれど、

 反乱軍という名前をつけられた方々の

 ご家族の50年、

 どんなに辛い思いをなさったか、

 私は一度も考えていなかった」

というところに

想いが至ったのだ。

 

 

あ〜、

すごいな。

そういうことが可能なんだな。

 

それは希望だ。

 

 

私には

アサーティブという道具がある。

希望に向かって

ちょっとずつ参りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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八方塞がりでも大丈夫!

【2017.01.08 Sunday 22:29

選択について学び合う勉強会

全3回の3回目を終えた。

 

過去、

なんとか乗り越えてきた出来事を

選択肢をテーマに振り返ったり、

これから起こりそうな出来事に対する

選択肢を考えたりした。

 

介護のことや

人間関係上の問題、

いろいろな責任を果たした後の

自分の生き方、

やりたいことと

やる必要があることの間の葛藤などなど、

参加してくださった方々が

自分に起こりそうなことの

問題解決を考えた。

 

問題解決に向かって

選択肢を立てることができた経験は、

多分、皆さんの自信になったのではないか。

また自分が立てがちな選択肢がわかり、

見逃しがちな選択肢も見つかったのではないか。

それは、やるかやらないかで行き詰まった時に、

自身を助けるのではないか。

 

この3回のプログラムは、

私の完全オリジナル。

信じて参加してくださった皆さんに感謝。

そして、学び「合う」ってことの

豊かさを、

めちゃくちゃ感じることができる

プログラムになったと思う。

 

 

オープンOKの感想をシェアします。

 

「いろんな人の話を聴くことで、

 掘り起こされる気づきがあって、

 脳みそがパカーンと開いていく

 ような感覚を味わいました。

 今日は同じ目的を持って集まった 

 仲間だから、安心して話せるし、

 共感してもらえて嬉しかったです。

 多分、日常生活で、

 うまくかみ合わないと感じている人とも、

 これぐらいじっくり話し合ったり、

 相手の背景を知る機会があったら

 『な〜んだ、そうだったのか!』と

 思えるのかもしれません。

 分かり合えないと感じている人に対しても、

 余白のある見方ができそうな

 気がしてきました。

 自分で選ぶということは、

 自己信頼を築いていく一歩だと

 思えました。

 『選ばない』と決めること、

 『放っておく』と決める

 選択肢もあると思うと、

 とても気が楽になりました」 S

 

「選択肢を考えるって

 苦しいことだけでなく、

 問題解決の可能性を広げる

 わくわく楽しいこと。

 一人で考えてもいいし、

 誰かに話して語りながら

 (選択肢を)増やすことができる。

 その相手との化学反応も

 リソースにしたい。

 今年どんな気分でいたいかなど、

 自分に問いかけることで、

 自分を知って、さらに選択肢を

 探しやすくできる。

 休みながら、

 自分で選ぶことを繰り返す、

 『わたしの人生』を

 歩んでいきたい」 K

 

「無いものねだりになる自分なので

 おそらくどんな選択をしても

 きっと後悔すると思う。

 でもそれは、裏を返せば、

 どんな選択をしても

 得るものがあるとも言える。

 選択肢があるということは、

 自分が大切にしてきたもの、

 したいものが、

 その分あるということだと思う。

 『人生』や『選択肢』の意味づけは

 人それぞれだと思ったけど、 

 それは、人には人の数だけ

 事情や背景があるんだと思う。

 それが分かって、

 優しくなれる気がする」四季

 

「自分の中には

 新しい一歩を踏み出したいという

 大切な思いがある。

 でも踏み出すことも不安もある。

 何かのきっかけがつかめたら・・・

 と思い参加しました。

 講師の話、ペアや全体での交流の中で、

 目立って響いてきたのは、

 『タイミング』と言う言葉です。

 選択は、伸ばしてもいい、やり直してもいい、

 今がその時というタイミングが来る、

 その時を待ってもいい。

 私は自分に今できることを考えながら

 実行しながら、その時を待とうと

 思いました。

 焦らず一歩一歩、時に『しない』という

 選択肢も織り交ぜながら

 歩いていこうと思います」 G

 

「自分の思っていること、考えていることを

 ワークの中でシェアすると

 その度に、新たな視点が見つかり、

 世界が広がっていく気がしました。

 自分一人で考えていると、

 どうしても枠から出られなくなるから、

 『学ぶ』ことは自分を自由にすることかな。

 この一年『選択すること』に思いを馳せ、

 今までより丁寧に暮らせた気がします。

 自分の残りの時間を(平均寿命から算出して)

 具体的に考えてみると、結構長いなと・・・。

 この先もう一踏ん張り何をしようかななんて

 気にも慣れました。

 またみんなからフィードバックをもらい、

 自分の考え方、言ったことなどが

 はからずも誰かの役に立っていたと知り、

 嬉しかったです」   もも

 

「毎日の中で、選択しない日というのは、

 1日たりともないんだなって

 思いました。

 大小の選択の積み重ねでできていて、

 決まっていることも正解もなく、

 『引き返す』も『一回休み』もありの、

 地図のようなスゴロクのような感じです。

 スゴロクはバクチ感があるので、

 やっぱり地図かな。

 今日まで生きてきた中で、

 特に後半は悩みと選択の連続

 でしたが、過ぎてみると、

 『大切なもの』も見つけてきました。

 ある日、娘が聞きました。

 娘『おかん、自分の大事な時間を

   割いてでも会いたい人、

   どれくらいいる?」

 私『うーん、○ちゃん(地元の親友)、

   ○○さん(パート先の仲良しさん)、

   あと、くみ(←谷澤のことです)関係

   の勉強会などでできた友達。。。』

 娘『ふう〜ん、意外にいるね。

   私、そんなにいない』

 夫『オレは全然いない』

 私『そいう人は、どのタイミングで

  やってくるかわからないよね〜』

 私はなかなか、幸せものだと思いました」

               C

 

参加くださった皆さん。

時々、

「おいとく」「逃げる」「決めない」

も使おうね。

自分にとって大切なことは

「『あきらめる』を選ばない」って

決めておこうね。

 

八方ふさがってたら、

穴ほりゃいいよ。

道具やエレルギーがなかったら、

今は「待つ」時なんだよ。

 

そして、もう面倒なことは、

選んでおいてしまうのも手だよ。

例えば、これは私の場合だけど、

「電話の営業は、どんな内容でも、

 なるべく早く切らせていただく」

とか。

 

そして、日々の中で、

時々、

「自分をめっちゃ大切にする」を

選択をしてください!

 

 

 

 

さて、ワークのひとつで、

平均寿命まであと何日か

計算することをしてみた。

で、

私の人生上、

月曜は

あと

1488回なのだ。

 

ちょっと愛しい。

 

 

⇧生まれた年からの100年カレンダーを買ってみた。

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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インスピレーション

【2017.01.04 Wednesday 10:04

幼い時に箱根駅伝を見て感動し、

陸上の選手になりたいと思う子もいれば、

アナウンサーになりたいと思う子もいるんだなあ。

先導する白バイを運転したい、

カメラマンになりたい、

陸連の、あの、復路のスタートの、

1秒2秒と数えて「ハイ、スタート」と

背中押す人になりたい、

いろいろいるだろうな。

大学の陸上部のマネージャーになりたい、

とくかく応援し続けたい・・・、

「〜〜になりたい」だけじゃなく、

いろいろな人に

いろいろな種類のインスピレーションを、

今年ももたらしたと思う。

 

箱根駅伝、最高!!!

 

私が今年最もインスピレーションを受けたのは、

往路の解説、

青学を卒業した神野さんの言葉だった。

瀬古さんが神野さんに

「(5区では)どこ見て走るの?」

と質問した時の答。

「10メートルくらい前を見て走ります。

 先を見ちゃうとずっと上りが続いてるので

 いやになっちゃうので」

 

「山の神」って言われた神野さんでも、

ずっと上りが続くことを、

いやって思うんだってことと、

それを言ってくれたことが

嬉しかった。

 

そして、

そのことを「いや」って思う自分を知っていることが

彼の強さを支えたんだと思う。

 

「どんな坂でも大丈夫」なんて

多分、過信だもん。

 

ボルト選手でも

追いかけられる夢みるって言ってたもん。

 

 

それと、今年は元早稲田の監督の

渡辺さんの解説がすごくいいと思った。

進化してる。

丁寧な下調べがあって、

各選手のコンディションをすぐに見極める。

山下りの6区の小野田選手の走りを

「それにしてもゆっくりすぎる」と評した方もいたが、

彼は、

「ゆっくり走っているように見えるけど、

 それは彼の下りの走り方で、

 スピードは出てる」

のような記録的には正解の解説してたし、

8区の下田選手が走り始めてすぐに、

「彼は調子が悪い時は顎を出して

 走るんですが、今日はそれがない。

 調子がいいと思いますよ」

と解説し、

結果的に彼は

区間記録にあと少しという走りを見せた。

解説者としてプロなんだから

当たり前かもしれないけど、

期待されたことができるように

取材、整理という準備して、

そして

期待を超える仕事をするカッコよさに

インスピレーションを受けちゃた。

 

 

で、今日の「スッキリ!」で

原監督が選んだ「MVP」にも

「そうきたか!」のインスピレーション。

それは一色選手だった。

3区で1位を安定させた秋山選手でもなく、

神野選手の後継のプレッシャーの中

走った貞永選手でもなく、

脱水症状がありながら

タスキをつないだ田村選手でもなく、

2区の一色選手。

「速さだけでなく、

 強さがある。

 そして、

 我々のターゲットを抑えたから」

と評価してた。

エースで、

すごい期待の中、

本人自身、多分、そこまで満足いく走りが

できてはいなかったと思う今回の一色選手。

彼は、

出雲駅伝優勝の際、

インタビューで涙を流したが、

その時どれほどの責任を自分に課して

走ってきたかがわかった。

その上の、箱根。

3連覇や3冠のプレッシャーの中、

青学を引っ張ってきた4年生の中で、

実力を発揮できた秋山選手や

最終ランナーで脚光を浴びた安藤選手ではなく、

一色選手をMVPに選んだ原監督。

多分、それは、今日からスタートする

新しいチームへのメッセージが

含まれているんだろうな。

結果は大事だけど、

結果は過程なくしてないってこと、

「監督は全部見てる」というメッセージは、

3年生にしっかり伝わったんじゃないだろうか。

これも、原監督のマネージメントの中の一つ。

なんか、腑に落ちたし、

スカっとしたし、

影響受けた。

 

その原監督の記事、

東洋経済の

青学・原監督「管理職の仕事は管理じゃない」

すっごくいい。

 

とはいえね、

来年の今日は、「スッキリ!」で

東洋大が見たいものだなあ。

なんか、ファンなんだよなあ。

 

 

さて、昨夜は、友達と食事した。

彼女たちと、駅伝の最中に流れた

サッポロのコマーシャル、

大人エレベーターの所さんがいい!

って話で盛り上がった。

 

箱根駅伝は、

毎年コマーシャルからも

インスピレーションを受ける。

 

「もう一度やり直すとしても、

 多分同じことを選ぶ」

「答えが見つからない時に

 『運命』って使うね」

というようなことを言ってた所さん。

 

そこにいた女性たちは、私を含め、

それぞれいろいろなことがあり、

それぞれ今も奮闘中で、

その私たちだからこそかな?

全員共感してた。

 

 

お正月に

いっぱいインスピレーションを受けて、

そして、

ま、

今年も、

一歩ずつ行こうって思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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畏れながら。

【2017.01.01 Sunday 13:04

 

2017年となりました。

おめでたい方にもそうでない方にも、

とにかく新しい年が、ひとまず明けました。

そして良いお天気でした

 

今年は喪中の我が家。

花も控えめに白の八重のチューリップ。

八重のチューリップは

開いてからが素敵。

もちろん

ピンと上を向く蕾もいいけれど、

花首がちょっとだけ垂れてきた、

ここからいよいよ

いいんですよねえ。

 

 

 

 

 

さて、私の仕事について。

 

昨年も、

年間通して

「コミュニケーション」について

講座を持ち、原稿を書き、講演をしました。

 

言葉がうまく通じない他者に

何かを伝えなくてはならない時、

私たちのコミュニケーション筋は

鍛えられます。

 

それはたとえば、

パートナーに今まで頼んでなかった家事を頼みたいとか、

我が子のスマホの使い方を、

何としても話し合いたいとか、

職場の後輩の自立のために

アドバイスしたいことがあったり、

昨年まで上司で退職後再雇用で同僚になった方に

仕事のやり方を合わせてもらうよう

伝えなくてはならなかったり、

友人が誘ってくれた旅行、

一旦はOKしたけれど直前になって断りたかったり、

シャンシャンで終わってきてた

PTAの会議で意見を言いたかったり・・・、

 

いろいろな場で、

いろいろな「伝えたいこと」があり、

多くの方が悩みながら、

筋力アップに励まれ、

そのサポートができたと思います。

 

それぞれの「伝えたいこと」には、

背景がありました。

 

愛しているからこそ、

照れくさかったり、

 

明日からもいい関係でいたいからこそ、

怖かったり、

 

大事だからこそ、

熱くなったり、

 

認めてほしいからこそ、

不安があったり、

 

信じているからこそ、

言わなくてもわかってほしい・・・、

 

単純ではないから口ごもったり、

時々は

理論的すぎたり、

大きな声すぎたり、

あるいは

ひとり会議の結果

胸の中にしまいこんでた

「伝えたいこと」たち。

 

 

講座や講演会に参加してくださった方々の

「伝えたいこと」

ひとつひとつ、愛しかったです。

 

自分がいて、

他者がいて、

その間にある「伝えたいこと」。

 

他者を思い通りに操ることはできないから、

自分から近づいていく。埋めていく。

工夫しながら、確認しながら、

努力していく。

 

そのサポート、

2017年もやっていきたいと思います。

 

 

 

 

もうひとつの仕事「相談」。

主宰している相談室と、

学校の中で、いろいろな方のお話を伺いました。

 

目の前にいる方が、

何とか少しでも楽になるよう、

そして、

ご自分で自身を楽にできるよう、

話を聴くのが私の仕事。

 

複雑に絡み合った出来事の中から、

その方が見えなくなっている価値を見出したり、

状況に関してどういう感情を抱いているかの言語化を

手伝ったり、

苦しい中でも何とか生活してきた力を確認したり、

問題解決に向かっていくその方を応援したり、

そうして、

今回の出来事を研ぎ石にして、

これからの人生を豊かなものにしていくこと。

 

今年もやっていく覚悟。

 

 

 

今年もやっていくんだけど、

やはり今年も、

私はきっと

不安になったり、心配になったり、

怖くなったり、

畏れ多くて身の置き所が無いような

そんな気持ちになることもあると思います。

 

 

そういう気持ちを

簡単に片付けないでいきたいな。

ネガティブな感情を、

すぐに落ちつかせたり、

早々に手放さないでいきたいと思う。

そういう気持ちを手荒く扱わないで、

時々は、じっくりゆっくり味わって、

それで、

たまにはすごく落ち込んだり、

めちゃくちゃ暗くなったりもいいと思う。

 

そういうのが私なんですよね。

 

 

 

2017年が始まりましたね。

良い年にしましょうね。

 

 

今年もよろしくお願いいたします。

 

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複雑さを噛みしめる。

【2016.12.17 Saturday 08:53

プーチン氏が遅刻したことを家人と話す。

「3時間も会議を遅らせるとは!

 どうしてそういうことができるか理解できない」と私。

「外交はそういうもの。

 成果をあげるためには

 いろいろなことをするものだ」と家人。

納得いかない私。

 

私は、

最近は

あまり遅刻はしない方だと思う。

会場に誰よりも早く到着することを常としてた

父親からの薄〜い影響があるのかも。

とはいえ、20分くらいまでの遅刻は理解できる。

 

ただ3時間とは!!!

 

家人は

「こうなると、

 誰が彼を待たせるか?だな」

という。ふむふむ、それは面白い。

待たされた時、

彼がどんな反応をするか楽しみだ。

 

 

なんて言いながら、

彼の遅刻の背景を想像してみた。

 

・落とし所をロシアで幹部と話し合っていた。

・1日押せ押せだった。

(何しろ夕方のスタートだから、

 朝からプーチン氏方式で遅れ遅れてきた

 ことが積み重なって)

・アメリカとの関係改善が予想される中、

 領土問題もある日本は、そこまで重要視

 してない感を出したかったから。

・安倍さんの地元での会議という

 日本側のアドバンテージを

 平らする方法を採用。

 

考え出すと面白くなってきたぞ。

 

 

とはいえ

遅刻常習者のプーチン氏のことを

理解することは難しく、

ま、そんなことを私がする必要もなく、

そして

私が今日言いたいことは

そこではなく、

他者を理解しようとすることの

難しさだ。

 

 

人って本当に複雑だ。

 

 

TED タヴィ・ジェヴィンソン: 10代はまだまだ模索中

が面白い。

12歳の時にファッションブログを始め、

15歳でオンラインマガジンをスタートした彼女。

今は20歳だが、

このスピーチは17歳の時らしい。

 

彼女がオンラインマガジンを始めたのは、

「”どちらかしかなれない”ものを

 どうにかできないか」と考えていたからという。

女の子は、

「賢くて可愛いの両方なんて高望み、

 周り、特に男性からどう思われるか、

 どう思われたいかで服は選ぶべき」

という社会からのメッセージを、

彼女なりにどう受け止めたらいいか考え続け、

その模索や混乱を、

まずはブログで発信したんだという。

そして「女性のある一面だけを強調するもの

でない10代の女子向けのサイト」を

作ったんだそう。

彼女はフェミニストだと自認していて、

女子達の中にある「フェミニスト」への

誤解も解きたいと思っているという。

「フェミニストになるには、

 自らの信念を貫徹しないといけない、

 不安になっても疑念を抱いてもダメ、

 全てに答えを持っていないといけない、

 などと思われているかもしれないけど、

 それは違う。

 実際フェミニズムを知ることで

 私は自らの矛盾に折合いが

 つけやすくなりました。

 フェミニズムは規制ではなく、

 話し合い、対話、プロセスなんです」

 

これを「フェミニスト」に限ってしまって

考えるのはもったいない。

全ての「こうあるべき」に対する

もう一方の、

バランス感覚のある考え方で、

彼女は10代の女子は模索中と言って

いるが、

模索中なのは、

10代の女子だけではなく、

人間ってそうなんだと思う。

 

10代の女の子たちがそうなように、

模索し続けてる、

「常に今のところ」の人間たち。

 

模索しながらなんとか

自分の答を見つけながら生きる。

それを他者が理解しきるのは、

ほとんど無理なのではないか?

 

 

今年読んだ本の中で、

良かった何冊かの中の一冊

「言葉が鍛えられる場所」。

 

著者がこれまで書いてきた

ビジネス、経済、介護などに

テーマを置くエッセーではなく、

「言葉」について書き、

しかも、

「言葉が表しているもの」についてではなく

「言葉が隠蔽しようとしているものが

 何であるのか」

について書いている。

 

この本の中では、繰り返し、

言葉の向こうには

表されなかったもの、

表しにくかったもの、

表したくなかったもの、

があることを丁寧に書いている。

 

「見えるものがあるのは、

 見えないものがあるからであり、

 形のあるものが確かだと思えるのは、

 形のない不確かなものが存在している

 からであり、

 輪郭のはっきりした外側があるのは、

 輪郭を持たない内側があるからだということを、

 しばしば忘れてしまうのです。

 鍛えられた言葉は、

 いつも、見えるもの、存在、充足、正確さ 

 と言うものの背後に、

 不在、欠落、遅れを導き入れるのです」

 

 

この本の中に取り上げられている

石原吉郎という

戦後のシベリア帰還者である

詩人が書いた、

 

「わかったな それが

 納得したということだ

 旗のようなもので

 あるかもしれぬ

 おしつめた息のようで

 あるかもしれぬ

 旗のようなものであるとき

 商人は風と

 峻別されるだろう

 おしつめた

 息のようなものであるときは

 ききとりうるかぎりの

 小さな声を持てばいいのだ」 

(「サンチョ・パンサの帰郷」より

    「納得」の部分)

という詩。

 

これには、

敗戦、

シベリアでの過酷な労働、

期間後の危険人物扱い

(シベリア帰りは「赤」だという風評が

 あったとのこと)、

という人間性を踏みにじられるような

経験をしてきた者でしか書ききれない

納得の形がある。

「おしつめた息」という言葉に、

「物言えば唇寂し」という経験でさえ

する機会を与えられなかった、

あるいは絶望のあまり自らしなかった・・・

そういう背景を考えてしまう。

 

 

 

外交は複雑だ。

駆け引きをしあう人間が複雑だ。

 

10代の女子は複雑だ。

簡単にわかってほしくないし、

しかしわかろうとしてほしい、

人間が複雑だ。

 

言葉は複雑だ。

その言葉だけでは

表しきれない、

表さないことに意味を込める

人間が複雑だ。

 

 

簡単に判断したらダメだ。

レッテル貼ってはダメ。

 

理解したと思えた瞬間、

「今のところの理解」くらいに

意識しよう。

 

 

サッカーのゴールを外して泣いていた

小5の男子がいた。

「悔しかったんだね」

と声をかけると、

ヒックヒックと泣きじゃくりながら、

「悔しいんじゃない。

 もう6年生とサッカーやれなくなるから

 悲しかったんだ」

と言った。

 

 

ある学校のPTAの役員決め。

会議には母親、つまり女性たちが集まった。

くじを引く前に、

今年度の会長(男性)が言ったそうだ。

「くじで当たった方は、

 ご主人を説得してください」

参加していた

私の大好きな知人は、

その言葉にカチン。

男性がやるものと決めつけてる、

その態度に、

聞いた私も腹たつ〜!

・・・だからといって

その方を男性至上主義者と決めるのは、

早い。

もしかすると

今まで 、当たり前の、

「毎年の会長のくじ前の言葉」

だったのかもしれないし、

母親のしんどさをわかっての

説明だったのかもしれない。

リーダーという立場が得意な女性に

これまで会ったことがなかったかもしれないし、

ひとり親で子育てしてる人がいるかも

という想像を持てなかったのかもしれない。

「差別」に、(多分)無意識に加担してるけど、

ものすごい悪気があったわけではないんだろうな。

 

 

 

「つまりは〜〜〜なんでしょ」

「要するに〜〜〜ってことだよね」

ってわかった気になって

まとめるのではなく、

せめて

「〜〜って理解でいい?」

でいきたいなあ。

 

 

で、

どこまでいってもわかりきらないのは、

他者もそうだし、

自分もそうだ。

 

人間が複雑。

その中に自分も入れておこう。

だからブレる。

時々、迷う。

自己嫌悪も、

自己卑下もある。

それでいこう。

 

それを自分にも許そう。

 

そして、

複雑な

私とあなたでやっていくしかないのだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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歯からのメッセージ

【2016.12.10 Saturday 09:16

容量を超えて頑張っていて、

超えてることを気がつかない時、

あるいは、ちょっと「あれ?」って

思ったとしても、

大したことないとごまかしている時、

 

「ちょっと待った!」

と突っ込み入れてくれるのは、

 

私の場合、「歯」だ。

 

歯が浮いたような気持ち悪い感じになったり、

歯茎が腫れたり、

歯が痛くなったりする。

 

人によっては胃腸にきたり、

目に来たり、

耳が聞こえにくくなったり、

めまいがあったり、

皮膚や息苦しさなど、

体の、

自分の中の弱目なところに

表れる場合は多いと思う。

 

そんな時には

そのしんどさの元から

離れる時間をもてたり、

ゆっくり休める時間をもちたいものだ。

 

そういうことは、

ストレスフルな時代を生きている

今の人にとっては

常識だと思う。

 

そうした方がいいことは

多くの人がわかってる。

 

それがいいんだけど、

わかっているけど、

 

ほんと、

そうなんだけど、

 

体(私の場合は歯)が教えてくれた

自分のしんどさを、

ちゃんと手当する時間が持てないほどの

時もある。

 

私の場合は、

11月初めからそういう日々だった。

 

歯が浮いてることに気がつきながら

気がつかないようにしていた11月中頃を過ぎ、

11月終わり頃、

「歯が浮いている」と、

とうとう私は自分で認めた。

 

「あ〜、私は今、

 歯が浮くほど、

 仕事のこと、

 いろいろ考えて 

 大変なんだな」

 

すると、

それだけでちょっとだけ浮き方が軽くなり、

さらに、

安心できる仲間に打ち明けた直後、

その日の朝まで恐る恐る使っていた右奥歯を

ランチ時にはガンガン使ってた。

 

 

 

心と体は繋がっていて、

影響しあっている。

そして、体も心も、

今の状態を、

それほどまでに、

ちゃんと受け止められたいんだと思う。

 

 

大丈夫じゃない時に、

元気なふりしてしまったり、

 

落ち込んでる時に

やる気見せちゃったり、

 

そうやって

繕うことができるのも、

すごく大事なことだから、

 

社会に対して、たとえそうしていたとしても、

 

せめて自分は自分自身の、

痛さや

嫌さや

気持ち悪さや

苦しさ、大変さを

わかっていたいと思う。

 

それがささやかなうちにわかれば、

私の「歯」だって、

浮くまで行かずに

済んだかもしれないな。

 

そして、浮いたまま、

それでも

「平気平気!」と突っ走っていたら、

 

体は

「こんだけのことが起こってるのに、

 まだ気がつかないか! 

 冗談じゃない!

 どこまでサイン出せば

 気がつくか、

 こうなりゃ勝負だ!」

的に、

あっちこっちに不調が出てくる場合も

あったかもしれないな。

 

 

自分の体と心とは

勝負するんじゃなく、

理解しあいたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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駄目な子だったです、その2。

【2016.12.03 Saturday 18:14

 

来週伺う中学校では、

新しいプログラムで講演するため、

アンケートを実施した。

 

,笋蕕覆い肇瀬瓩世箸錣っているのに

 なかなかやれないことはありますか?

 やめた方がいいとわかっているのに、

 やめられないことはありますか?

 何ですか?

↓,紡个靴董△△覆燭覆蠅旅夫をしている

 ことはありますか?あったら教えてください。

 

詳細は書けないが、

これがもう本当に

せつないし、

時々おもしろいし、

感心する。

 

勉強をやらなきゃいけないとわかっているけど、

ついついゲームに手がのびてしまう・・・

だから、携帯やタブレットを遠〜くに置くとか、

親が見ているところで勉強するとか、

彼らは頑張っていた。

 

挨拶や掃除、片付けや、

時々ぼ〜っとしてしまうこと、

ちゃんと自覚していて、

しかも、

この学校の子どもたちは

本当に素直に正直に書いてくれている。

 

ほとんどの子が、

ゲームを長時間やるのをやめたいと思っていて、

だから例えば

ポケモンGOをやりにくくするために、

なるべくボールを0にしておくなどの工夫をしている。

立派だと思う。

 

なんだけどその中に一人、

もっとゲームをやりたいのだけど、

眠くて寝てしまうのが悔しい的なことを

書いている子がいて、

その子は、

眠さを抑えるために、

ゲームの音楽をイヤホンで聞きながら

自分を煽る工夫など、

3つの工夫を書いているのだ。

 

それを読みながら、

一瞬、

えっ?まじ?読み間違い?と思った。

 

しかし、うん、

ちゃんとそう書いてある。

 

面白いなあ!!!

 

私は考えた。

 

もしこれを、この中学生が、

アンケート制作者である私に対し、

ふざけた態度で挑んできたとしたら、

それでも3つもの工夫を考えついたことが

すごい!と思う。

 

もしこの中学生が本当にまじに

このことで悔しい思いをしていて、

なんとかしなくちゃ!と工夫をしているとしたら、

それもそれで、素晴らしいことだと思う。

 

だって、どっちにしても、

自分の問題解決のために

考えて、

選択肢を3つもあげることができて、

そこからなんとか行動しようとしているんだもの。

 

 

今日、久しぶりに、

自分のブログの過去に書いたもの

「駄目な子だったです。」

を読んだ。

そこには、

大学3〜4年から25歳くらいまでの、

しょうもない私のことを書いてる。

 

あの頃の私には、

この中学生のように、

自分の中の葛藤への解決のために、

考えて、

選択肢を幾つか考えられる

そんなパワーはなかった。

 

 

話は変わって、

(ご安心を!また戻ってきます)

今日は富士市で

保護者と教職員の方対象の講演会で

講師を務めたが、

ここでリフレーミングを紹介した。

 

思春期の子どもを持つ親のための講座の中では、

リフレーミングの練習をよくする。

 

リフレーミングとは、

一つの事象に違う意味づけをし、

思考を転換することだ。

 

事実はひとつ、

たとえば

「よく話をする」という子がいるとする。

これをネガティブな意味づけをすると、

「おしゃべり」。

ポジティブな意味づけをすると、

「自己主張ができる」

となる。

 

とくに我が子には、

なんとか健やかに成長してほしいと思うから、

ネガティブな意味づけをして

改善していってほしいと願うのが

親だと思う。

ただ、リフレーミングってことも

知っておくといい。

 

たとえば、

「自分から進んで動かない」は

ネガティブな意味づけをすると、

「自主性がない」とか「消極的」。

ポジティブな意味づけをすると

「慎重」「物事をよく考えてから行動する」

 

「お金をよく使う」は

ネガティブな意味づけをすると

「金使いがあらい」「無計画」。

ポジティブな意味づけしてみると、

たとえば

「景気に貢献してる」みたいな。

 

「やりたいことはやる、

 やりたくないことはしない」

はネガティブな意味づけでは

「わがまま」。

ポジティブな意味づけでは

「力の抜き方を知っている」。

 

事実はひとつだけど、

それに対して

ポジティブな視点も持つことができると、

子どもとのコミュニケーションに、

余裕をもたらせてくれる可能性がある。

 

 

 

で、私のダメダメ時代の話に戻る。

 

あの私のダメダメ時代は、

幼い頃を取り戻そうとしてたのではないか?

 

これまでの私の人生を省みた時に、

もしかしたら、

ある程度力の抜き方を知っていて、

やりたいことはやるけど、

やりたくないことはほどほど・・・

ってことを、幼い頃にやってたら、

ちょっと違ったのではないか?

と思うから。

 

幼い頃、

親や家や商売関係者の期待に応えたい!

どうすれば、褒めてもらえるか?

そのことでいっぱいだった私。

緊張もしてただろう。

いい子ちゃん着ぐるみは

時々重かっただろう。

それでも、それをやり続けるしかなかったから、

頑張ってやっていた私に、

今思うと、

人生からのプレゼントみたいな

隙間の時間が、

あのダメダメ時代だったのではないか?

 

ダメダメだったけど、

ダメダメを十分にやらせてもらえたことが、

なんとか今、多少のことでは挑んでいける私で

いられてるんじゃないか。

 

もちろん今はもう、

私の人生に

なんの文句も愚痴もない。

幼い頃の健気な自分も含めて、

今までの全部が結構愛おしいし、

登場してくれた方々の影響あっての今って、

ちゃんとわかってる。

 

 

でもこうして書いておくのは、

「ゲームばっかりやっている子」や、

「やりたいことしかやらない子」も、

だからって、

今だけで判断しなくっていいって、

思うから。

 

 

 

 

 

さて中学生へのアンケートを

自分に問いかけてみる。

 

,笋蕕覆い肇瀬瓩世箸錣っているのに

 なかなかやれないことはありますか?

 やめた方がいいとわかっているのに、

 やめられないことはありますか?

 何ですか?

↓,紡个靴董△△覆燭覆蠅旅夫をしている

 ことはありますか?あったら教えてください。

 

 1・喪中欠礼はがきの準備をしなくてはならないのに

   してない。

 2・近所の野菜ハウスに義父の好きだったイチゴが並んだ。

   お供えしようと思いながら、何日か過ぎた。

 

 1・ホワイトボードにチェックボックス付きの

   やるべきことリストを久しぶりに書く。

   そして、チェックつけるために、やった。

 2・勢いだ!と考え、

   カルの散歩を終えた瞬間、

   面倒だの何だの、何も考えずに、

   野菜ハウスに直行。買ってお供え。

   しばらく義父の位牌と話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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谷澤 久美子
counselor