今のところではありますが…
どれだけ言い聞かせても。

【2017.04.19 Wednesday 15:36

新年度スタートと共に、

これから、

コミュニケーション研修を

いろいろ担当する。

 

講師として「伝える力」の能力を

あげるためのプログラムを提供しているし、

多くの方が欲しているコミュニケーション能力も、

どちらかというと、

「聴く力」より、「伝える力」のように思う。

 

「伝える力」をつける時に、

「アサーティブ・トレーニング」はとても有効で、

なんといっても、

考え方とスキルがすっきりと整理されているのが

手前味噌だが、

本当、良いプログラムだと思う。

 

根性論、例えば

「勇気を出して言葉にしてみよう」とか、

道徳的、例えば

「思いやりを持とう」

などでは

実践しにくいところを、

具体的にしてるところが良いと思う。

 

 

なんだけど、

上手に伝えないと、

参加者が「言う」ことだけに意識的に

なってしまうのが、

ジレンマなのだ。

 

 

私自身が、実際に、

日常の中で

どなたかとコミュニケーションをするとき、

気をつけている点がある。

 

それは、

自分の伝えたいことは、

アサーティブのスキル「整理方法」を

使ってまとめる。

でも、これはまだ言葉に出す前のことだ。

つまり準備。頭の中にメモる。

(時々は、書く)

 

そして、

話しあいを始め、

相手が話しているときは、

相手の言葉、相手の感情、

相手の様子、相手の動き、

そのことに焦点を当てて受け取る。

 

「何を伝えてくれようとしてるのか」

それを理解しようと意識して

「聴く」。

 

もちろん、それを受けて話すときは、

再び、

自分が本当に伝えたいことに

意識的になる。

 

で、相手がそれを受けてくれて

話してくれているときは、

相手中心だ。

 


自分の内側を探って、

本当に伝えたいことは何なのか、

考えまとめることは大事だけれど、

それだけではダメで、

相手中心に受け取る姿勢もないと

相手に安心して話してもらえない。

安心のないところでは、

肝心な話ができないことの方が多い。

 

 

なんだけど、

「伝え方」を学ぶと、

陷りがちな罠がある。

それは、

「伝えたい」ことのみに

集中してしまうことだ。

 

自分の言いたいことを

言い切ろうとしてみたり、

相手の言葉を、

ろくに聞いてないか、

聞いたとしても、

付け入る隙を見つけるために聞いたり。

 

これは注意しないとダメなんだな。

 

 

 

 

ただ、

自分と相手、

どちらも大切にするってことが

本当の意味でできるようになるには、

私にも時間が必要だったと思う。

 

私は昔、

「言えない」と思い込んでいたり、

輪を乱さないためには心にしまっとこうとしたり、

態度で表して悟らせようとしたり、

つまり長い間、

「言わない」ことを選んでいた。

だから

「伝え方」を知ったら嬉しくって、

ついつい「言う」方ばかりに

軸足を置いたと思うんだ。

 

それで、今でも、

ここ一番の自分にとって大切なことや、

余裕がない時などは、

気がつくと

自分の内側ばかり

頭の中でぐるぐると探ってしまっていることもある。

だから

何度でも言い聞かすのだ、

「相手は何を伝えようとしうてくれているのか、

 意識しろ、自分」。

 

 

 

自分の内側を探るのも大事。

相手の背景や意図を汲み取るために、

ちゃんと聴くのも大事。

 

どれだけ言い聞かせても

足りないな。

 

 

 

そんな私なんだけど、

教育雑誌と会報で

対談の依頼を受け、

掲載されたものが、

リリースされた。

 

 

ひとつは、

「静岡県司法書士会 会報

 HO2 (ホーツー)」

で、

「未来を切り開く

 コミュニケーションのチカラ」

と云う特集。

司法書士の方、弁護士の方、私、

そして

コーディネーターの方で

コミュニケーションをテーマに

話している。

 

 

 

もうひとつは

「ファミリス 4月号」の中で

「あなたは大丈夫?

 親同士のコミュニケーション」

という特集。

 

読者からの質問、

例えば

「PTAの会合で反対意見を

 言ったら気まずくなりました。

 上手に反対意見を言う方法はありますか?」

とか、

「子どもの友達の親が

 高額なプレゼントをくれる。

 断りたいんだけど、

 どう言ったかいいですか?」

などに

保護者代表3名の方と共に、

対談方式で一緒に考え、

最後に

「保護者同士の上手な

 コミュニケーションのコツ」

について、

私の言葉をまとめてくれている。

 

 

前者の中で、

弁護士の大澤さんが

「常に省察しながら

 次の行動のあり方を手探りで模索し、

 修正を繰り返していきたい」

と言っている。

心から同意する。

 

失敗しながらでよくって、

それを振りかえりながら

次に生かしていくことが、

コミュニケーションのチカラを

磨いていくことだ。

 

そして振り返る時のポイントを

言語化できていると、

改善点が明確になるので、

何か一つコミュニケーションの方法を

学んでおくといいと思う。

 

 

後者では、

3名の保護者の方々は、

みんなコミュケーション上手だった。

彼らの何気なくやっていることが、

アサーティブなこと、

いっぱいあって、

ステキだなあと思った。

 

自然にできちゃってる人はいいし、

私みたいに、

それこそ泣きながら習得してきた人も、

それはそれでいい歴史のように思う。

ま、ある時、

始めた自分に、拍手だな。

 

 

 

どこかで見かけたら、

どうぞ、

読んでやってくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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| コミュニケーション | comments(0) |

変わり目上手。

【2017.04.12 Wednesday 09:32

朝、通勤の車の中から、

母親らしき方が、

自転車で出かける子どもさんを

いつまでも見送っている姿を見た。

初めての自転車通学の息子さんを

見届けたい親の気持ちが伝わってくる。

 

4月も中旬。

進級進学した方は、

始業式、入学式から一週間。

 

友達ってどうしたらできるのだろう。

出席番号近い子と話してみたけど、

ちょっとツボが違う感じ。

この先生がキレる境界って

どのあたりかな?

この制服、肩凝る。

仲良しとクラスが離れ離れだ、やばい。

高校広すぎ。

大学、わからないこと、だらけ。

 

子どもたちは慣れるプロセスを、

なんとかやっているんだと思う。

それを見守る親も、

落ち着かない日々かもしれない。


 

新入社員、職員の方々は、

研修真っ最中かな。

ハッパかけられたり、

時々ちょっと脅されたり、

そうして学んでいる最中だと思う。

 

 

春というのは、変化の季節。

 

 

子どもが大学で家を離れた、、、

などは、

親にとっては大きな環境の変化だ。

 

自分の異動もあれば、

チームに異動があった場合もあるから、

多くの方々に、

なんらかの変化ってのがある春。

 

 

 

新しい環境に

上手に適応していかれるといいなあと思う。

 

 

そのために

意識しておきたいことは、

変化の時は、

人によって程度の違いはあっても、

誰でも緊張してるってこと。

 

人だって、動物だもの、防衛本能がある。

それが働いて、

この場やこの人は、

自分にとって安全か、

感じとろうとする。

 

感覚を研ぎ澄ます。

 

その上で、

失敗したくない、

高評価を得たいって欲求が

あるからこそ湧く。

 

それが緊張。

 

で、

緊張して、気を張っている時は、

自分の体調や心の変化に

気がつきにくいってのを

知っておきたいものなんだ。

 

それは、

外に対しての感覚を敏感にしてることで、

自分の内側で起こっていることに対しては、

鈍感になるからじゃないかなと

私は考えてる。

 

 

 

さて、

この「変化」ってことに対して、

慣れるのが得意な人と、苦手な人がいる。

 

 

 

多分、私は慣れるのは得意だ。

得意なので、スタートダッシュしちゃうタイプ。

いつもより大きめの声で挨拶したり、

新しく配属された方の仕事を手伝ったり、

ニコニコ、元気120%で、

「ハイっ、頑張ります!」という感じ。

 

「もうちょっと肩の力ぬいていいよ」

とか、

「いいかげんは、いい加減だよ」と

アドバイスされたりすることも多かった。

見てられなかった人もいるんだろうなあ。

 

このタイプが陥りがちなのが、

過剰適応。

 

周囲に、

自分の意見や行動を無理に合わせる感じ。

面倒な人って思われないようにしよう、

ちゃんと受け入れてもらおう、

できれば身の丈以上に評価されたい・・・

他者からの評価を

唯一の基準にして

物事を思考し行動する。

 

私がここから抜け出ることができたのは、

アサーティブ・トレーニングのおかげなんだけど、

それは置いといて、

そんな方々が知っといた方がいいのは、

「ちゃんと休む」ってことだと思う。

 

土日、体を休めよう。

好きなことする時間を持とう。

 

緊張がちょっと溶けた後、

溜まった疲れが

ど〜っと出ないよう、

 

緊張しつつ、

適度にがんばりつつ、

同時に

力の抜き場所・時間を作っておこう。

 

(アサーティブ・トレーニングで

 抜け出ることはできたけど、

 もともと持ってるこの傾向は、

 朝のランニングでも、

 時々、坂で現れる。

 急な坂だとすごい力が出るんだけど、

 それは駆け上がっててっぺんまで。

 その後平坦になった途端、

 歩いちゃったりする私。

 ドッと出るんだなあ)

 

 

 

慣れるのに苦手な方もいる。

 

この方々は、

変化の時期、

新しい環境に身を置くだけでも

相当疲れているはずだ。

 

普通に、

そこに行き、生活、仕事、勉強、

活動をしているだけで、

結構な負担がある。

 

その上で、

「新しい自分になるチャンスだから、

 明るく振舞ってみよう」

と無理したり、

あるいは、

「苦手がばれないように」

と普段なら断る飲み会に参加したり、

そうして予定を目一杯入れてみたり・・・。

なんてのも、

「待て待て」と

自分にブレーキかけてあげてほしい。

 

「徐々に慣れていけばいい」

「ゆっくり流も素敵」

「伸びきったゴムより、

  ちょっと緩めで!」

なんでもいいから、

そんな言葉を自分にかけて、

急ぎ足になったら、

自分のペースに戻してほしいな。

 

 

 

 

発達のアンバランスで

「環境の変化」が苦手な方々は、

自身の情報が、

次の環境に

ちゃんと引継ぎされててほしいと思う。

(本人・保護者が了解のもとで)

 

小学校→中学校はもちろん、

中学校→高校も、

高校→大学も引き継がれることで、

受けられるサポートはたくさんある。

 

 

 

 

 

もちろん、がんばることは大切だよなあ。

我慢も、しなくてはならない時もある。

 

ただ、

「がんばる」「我慢」は、

エネルギーを大量消費するから、

24時間365日は無理なのだ。

 

頑張り時、我慢のし時に、

ちゃんとその力を使えるよう、

「適度」を使えるようになりたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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永遠の記録

【2017.04.08 Saturday 22:10

ここのところ、

過去のことを

あれやこれや思い出すことが多い。

 

いやあ、

56歳だもの、

あってもいいいよね、そんなことも。

 

 

 

 

先日、

神奈川県に住む友人と

甲府あたりで待ち合わせた。

 

2時間弱の道のりを、

私は車で出かけた。

 

興津から山梨に向かって走る道は、

家族との思い出がいっぱい詰まった道。

実家が営んでいた商売の関係で、

父の運転で、何度も何度も通った道。

 

途中、道の脇に停めた車を見ると、

あんな風に車を停めて、

蕗を摘んだことを思う。

灯油のストーブをしまう前に

お醤油とみりんで

母は「きゃらぶき」を煮て、

灯油を使い切っていた。

 

潰れてしまったドライブインは、

そのまま残っている。

 

春には枝垂れ桜を見に、

2月には節分で訪れた

身延山。

 

あの頃、まだ携帯電話などなかったから、

手書きの伝言看板が出てた。

「(車のナンバー)の

 〇〇さん、

 至急家に電話してください」

それを見ると、

私たちは、

「見逃さないといいね」と

話したものだ。

 

父の好きだった干し柿屋さんの前も通る。

そのあたりでは「ころ柿」って呼ばれてた。

 

母がトイレを借りたお寺は、

すっかり様変わり。

 

このあたり特有のモツ煮は

甘辛い味付けで、

みりん?でテカテカとしてた。

父が一人で配達した日は、

お土産で買ってきてくれたものだ。

 

思い出をたどりながら運転していると、

懐かしさと、

寂しさと、

ありがたさと

切なさで、

胸がいっぱいになって、

涙がこみ上げてきた。

 

もっともっとこの道を

父や母や妹と走りたかった・・・

なんて考える。

少し大人になって

友達と遊ぶ方が楽しくなって、

配達についていくのを

断った過去の自分を責めたくなる。

そんなこと考えても仕方ないのに。

 

 

 

 

4月から始まったNHKの連ドラ

「ひよっこ」を見ながら、

毎朝涙が出てしまう。

うちは農家ではなかったけど、

成長の過程で出会った大人がみんな、

健気で精一杯生きていて、

それが

「ひよっこ」の登場人物たちと重なって、

郷愁にかられるんだと思う。

 

忘れてしまっていた大切なこと、

例えば、

いただき物の包装紙の

セロテープを丁寧に剥がし、

綺麗にとっておいたことを思い出す。

お弁当の包み紙や、

本のカバーなどにしたのだ。

 

そういう暮らし方をした大人たちの中に

育ったこと。

それを大声で自慢したくなる。

 

 

 

甲府で待ちあわせた友人と出会ったのは

22年前。

彼女は、バーのカウンターで一人で

ジャックダニエルをロックで飲んでいて、

私が、

彼女の隣に座っていいかどうか

訊いたことが始まり。

確か私もバーボンを注文した。

私も彼女も呑んべえだった。

 

その頃、私は友達とパーティを

企画主催したりしていて、

そのバーは、スタッフの打ち上げというか、

二次会で行った。

そこに、一次会のクリスマスパーティで

見かけた彼女が一人で飲んでいたんだ。

 

実家が食品の製造をやっていること、

そこを手伝っていること、

でも一時期夢があって東京で、

ちょっとだけ派手な感じの仕事をしていたこと、

とにかく共通点が多く、

5歳下の彼女は

すぐに大切な友達になった。

 

私はその後、父を亡くし、家業を廃業し、

彼女の身にもいろいろな変化があり、

お互い、苦い涙も流したけど、

それらをほぼ全部知っていて、

見守りあっているような存在

だと思う。

ここのところ会えなくって、

1年ぶりのランチだった。

 

近況を話し合ったが、

何も話さなくってもよかった。

一緒にいる時間ってのが、

尊い。

 

 

 

 

今日は

静岡ロゴセラピー研究会だった。

いろいろ学んだ中で、

「時間」、

とりわけ「過去」についてと、

「責任」を

学べたことがタイムリーだった。

 

「すべては永遠の記録として

 書き込まれる。

 私たちの人生すべて

 創り出した作品、

 成し遂げた行為、

 出会いと経験、

 愛と苦悩。

 これらすべては永遠の記録に

 刻まれ、残されるのである」

「人生は、日々私たちに

 問いを投げかけてくる。

 それゆえ、この記録は

 ドラマチックである。

 私たちは、人生の方から

 問われているのであり、

 それに答えていかなければ

 ならない。

 言わば、

 『人生とは、生涯にわたる

  問いと答えの繰り返し』

 である。

 そして、答えに関しては、

 生涯をかけて答えていくこと

 だけが可能なのだ、

 と何度でも行っておこう。

 このようにして人生に

 『応えていく』ことこそ、

 自分の人生に対して 

 『責任を持つ」という

 ことなのである」

(「<生きる意味>を求めて」より)

 

 

 

 

ぎっしりと詰まった

記録があるからこそ!だ。

 

後悔も

不安も

恐れも

あるからこそ!だ。

 

忘れたいことも、

しまっておきたいことも

全部含めて、

大切な過去があるからこそ、

 

今の問い、

そして

これからやってくる問いに

 

意味ある答を見つけられるんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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問題がややこしくなる前に。

【2017.04.04 Tuesday 12:44

(途中に、講座のお知らせがあります)

 

言いたいことを言えないでいるうちに、

一層言いにくくなってしまった・・・

なんて経験のある方は多いだろう。

 

また、

言いたいことを、言いたいままに、

そのまま口に出して、

つい言い過ぎてしまった・・・

なんて経験のある方も

結構いるのでは?

 

それで懲りてしまって、

今度は包み隠すようになり、

問題はいつまでも解決しない・・・

なんてことはないだろうか?

 

 

 

 

たとえば

異動で配属されてきた方は、

使ったものを元の場所に戻してくれない。

今までの方々は、

みんな、きちんと整理整頓してくれた。

「なぜできないの?」と思いながらも、

「それはここですよ」とやわらく伝え、

様子を見る。

でも自分が使おうと急いでいる時に、

そこにあるはずの物がない。

さすがに腹が立ち

「もう、ちゃんと戻してって

 あれほど言ってるじゃないですか!」

すると、

「何?キレちゃってんですか」

なんて言い返されて、

腹が立つわ、情けないわ。

もうそんな言い方されるくらいなら、

黙ってよう・・・。

みたいなこと。

 

これが、「ハサミ」とか、「ある書類」とか、

そういうものであったとしても、

そういうことで日々作っていく関係は、

仕事そのものに影響したりする。

例えば、

「共有すべき進捗状況」を

報告してもらえないうちに

納期に問題が出そうとか、

「問題ある部下指導」を

そのまま見過ごしているうちに

部下のメンタルに支障が・・・とか。

 

 

プライベートでも、

長電話を切れないことが

続くうちに、

相手がだんだん「面倒な人」になっていき、

そのうち、

その人を避けるようになったり。

もともとは大切な友達だったのに!!!

なんて、ないだろうか。

 

 

 

問題が

ややこしく、

複雑になるまでの間に

なんとかできることの一つに

「コミュニケーションの改善」

ってのはあると思う。

 

 

 

こんなことくらい、まいいか、

・・・なうちに、

なんとかすること。

 

ちょっとした言い分の違いのうちに

なんとかすること。

 

 

なんとかするための

コミュニケーションの方法は、

色々あると思うけど、

私は今年度も「アサーティブ」をお勧めする。

 

アサーティブ・トレー二ングで

何かを言う前の準備の仕方や、

内容の詰めかたや、

言う順番や、

言う時に気をつけることを

言葉で確認しておくことは

めっちゃ大きいと思う。

 

そして、知ったら、

使ってみることが大事だ。

今までやってきたことと

違うことをやるのだから、

それにはやっぱり練習が必要なんだよなあ。

 

 

 

2017年度も、

静岡で

定期的に

「アサーティブ・カフェ」を開催。

 

練習はもちろん、

しくじり体験を聞いてもらったり、

他の参加者の工夫を聞いたり、

わいのわいの楽しい時間。

 

ずっと以前に基礎編受けたんだけど、

めっきりご無沙汰で・・・

という方も是非是非お会いしたいし、

 

近々に言わなくてはならない

大切なことがある・・・

なんて方も大歓迎。

 

復習したい、

ちょっとぼやきたい、

アドバイス欲しい、

どんな理由でもOK。

 

 

いざっていう時、

あなたの思いがしっかりばっちり伝わるように、

時々、

「アサーティブ」という道具を

手入れしよう!

 

・・・・・・・・・・・・・・

2017年度 アサーティブ・カフェ スケジュール

 

1回目:5月6日(土) 13時30分〜16時45分 
 ◆静岡県教育会館
 ◆3000円

 

2回目:7月22日(土)13時30分〜16時45分

 *当日10時〜12時に「アサーティブ紹介講座」を開催します。
 ◆静岡県教育会館
 ◆3000円(紹介講座から通しで参加しても3000円)

 

3回目:9月16日(土)13時30分〜16時45分

 ◆静岡県教育会館

 ◆3000円

 

4回目:11月11日13時30分〜16時45分

 ◆静岡県教育会館

 ◆3000円

 

5回目:2018年3月10日(土)13時30分〜16時45分

 ◆会場未定(静岡市内)

 ◆3000円

 


定員:20名(アサーティブジャパン主催又は谷澤相談室主催の
        アサーティブトレーニング基礎講座を終了した方対象/先着順)
講師:谷澤久美子 

<お申し込み方法>(2回目からはお名前だけで結構です)
faxかメールで以下を記入の上お申し込みください。受付後詳細をお送りします。
氏名 ⊇蚕蝓腹番号も) E渡暖峭罅
ぞ楮戮鬚送りする時のご希望の連絡方法(電話:携帯:fax:メール)
ゼ講された講座名
fax: 054-348-0435 メール:kumikotanizawa@gmail.com

詳細はこちらまで
 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

さてさて、

ある中学生。

彼女は

アサーティブを使って

人生の大切な場面で、

自分の考えを伝えることができた人。

(ここに書くことを了解頂いてます)

 

相談室に通ってきていた彼女は、

卒業式への参列を担任から勧められた。

「無理です」と断った。

何日か経って、

どんな感じなのか

体育館で行なわれた練習を見に行った。

すると担任は喜び、

再び声をかけてくれた。

「卒業式出ようよ。

 うちのクラス全員で

 卒業式をもって

 卒業しようよ」

彼女は考える。

考えただけで胸が苦しくなる。

「誘ってくれてありがとうございます。

 でも無理です」

なんとか答えた。

何日か経過、

相談室で3度目の誘い。

担任は「どうしても出てほしい」

と言ってくれた。

彼女は、これまでトライしてきた

コミュニケーションの心構えやスキルを

総動員して、

しっかり担任と向き合った。

「先生。誘ってくれてありがとうございます。

 先生が私もクラスの一員として考えてくれて、

 何度も誘ってくれる気持ちは嬉しい。

 でも、卒業式に出ることを考えると、

 それだけで胸が痛くなり、辛いです。

 私は校長室で卒業証書を受け取ります。

 卒業式には出ません」

 

コミュニケーションについて

学ぶ前の彼女だったら、

多分、

「担任を避ける」とか、

「学校を休む」などと

いう方法をとっていたと思う。

でも、ちゃんと向き合って、

相手の気持ちも受け止めながら断ることができた。

 

担任の先生は、

ちゃんと自分の意見を言えた彼女の、

その成長を喜ばれていた。

 

そして彼女は

「なんか、自信がついた」と言っていた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

さて、新年度、

もしあなたが、

自分の何かを変えたいと思っていたら、

あなたも

アサーティブにトライしてみませんか?

(スタートは基礎編から!)

 

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覚める前。

【2017.03.31 Friday 08:37

以前、

活動していた中学校の卒業式に参加することができ、

校長先生の式辞で、

私は初めて「休眠打破」という言葉を知った。

 

この言葉を知った瞬間に、

知ってよかった!って思った。

嬉しくなった。

 

桜は、温暖な気候だけでは咲かない。

厳しい冬の寒さがないと

開花しないんだ。

それを「休眠打破」という。

みんなの将来には、

暖かい出来事ばかりではないと思う。

でも、その時は、

この時期があるから自分の人生の花が開くと

考えて生きていってほしい。

 

〜のような話に、

私は素直に頑張ろうと思った。

 

 『休眠打破」とは「コトバンク」より

 桜は夏に翌春咲く花芽を形成する。

 いったん休眠に入った花芽が、

 冬季に一定期間低温にさらされ

 休眠から覚めること。

 その後の気温上昇と共に

 花芽は成長して開花に至る。

 冬暖かすぎると

 春先の気温が高くても

 開花が遅れることがある。

 

 

今年静岡の桜が遅れているのは、

一定期間の低温が足らなかったからかな?

 

 

 

さて、

年度の変わり目、

春の格差は厳しいと思う。

明るい未来に向かって希望を持って進んでる方と、

どうしようもない不安の中で

先が見えずに

うずくまっている方もいると思う。

 

テレビやSNSで

「スタート」とか「新」って言葉が

ヘビロテされればされるほど、

自分を情けなく感じ、

世間の明るさと比例するように

自分をダメだと思ってしまったりする辛さ。

 

 

 

私にもそういう春があった。

 

平成9年3月31日に

実父が突然亡くなって

その日から

家業の会社廃業の手続きを終えた夏まで

その年の春はきつかった。

 

突然の廃業で迷惑をかけた

働いてくださっていた方や、

取引のあった方々への

申し訳ない思いは今もそのままあるし、

心配し見守ってくれた家族や親戚には

感謝しかなく、

で、

なんといっても

父が亡くなってしまったのは悲しいし、寂しい。

そう考えると

もう二度とあんなことがあってはいけないんだけど、

 

それでも、

今思うと、

そう、

今だからそう考えられるんだけど、

あの時期は、

「一定期間低温にさらされた」

期間だったんだと思う。

 

ただ、その最中は、

そんなことは考えられず、

不安の中で、

ただ目の前のやらないとならないことをやり、

考えないとならないことを考え、

選択をし続けた。

 

桜はいいよなあ。

きっと、いろいろ数値化されていて、

一定期間とはどのくらいで、

低温とは何度で、

それがどのくらい続くと休眠から覚め、

どのくらいの暖かさで開花するのか、

データになってると思う。

 

「人」って、

「生きる」って、

そんなわけにはいかないものなあ。

 

あとこれくらい不安が続くと、

元気になれる・・・なんて、

誰も教えてくれないもの。

 

ゴールが読めれば

まだ頑張れるけど、

確証ないまま行く怖さ。

 

 

これを超えると、

絶対に明るい日が来るから

なんて、

たとえそう言ってもらえたとしても、

不安色のサングラスかけちゃってると、

不安しか目に入らない。

 

そういうの、

めちゃ分かる、

って言っていいと自分に許す。

断言する、「分かる」って。

 

 

それでもね、

あの春を

なんとかかんとか生きた私は、

やはり

あれこそ

「休眠打破」だったと思う。

 

あれがなかったら、

その後はなかった。

 

 

 

 

こんなの、

慰めにもならないと思うけど、

 

今、苦しい方々には、

とにかく、生き延びて!って言いたい。

 

布団に潜り込んでても、

1日パジャマでも、

とにかく、なんとか生きて!って。

 

おいしくなくても、何か食べて!って。

眠れない夜が続くこともあるよ!って。

 

 

 

気休めにもならないかもしれないけど、

 

これまで何か間違いをおかして

自分を責め続けている方には、

「仕方なかった」という言葉を、

 

自分の力が信じられず、

これから先のことが心配で仕方ない人には、

「どうにかなるよ」という言葉を、

 

つぶやく瞬間も持ってほしい。

 

 

 

 

そして、

できたら

誰かに、

「助けて!」って、

言ってくれるといいと思う。

 

 

そうして、

「あの年の春は休眠打破だった」

って言う日が来るといいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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すきま

【2017.03.29 Wednesday 08:06

我が家の近所のウグイス、

ホーホケキョが上手になった。

 

春になると、

namikiさん
 (静岡市国吉田5−7−24
  054−264−2765
  喫茶・豆販売 11:00〜19:00

  ランチ 11:00〜14:00)
  定休日 日月)

の無人販売に


 

つぼみ菜が並び、

 

それをからし酢みそ和えなどにするのがいい。

 

 

いただいたちくわを、

そろそろおでんではなく、

甘辛く煮てみたりする。

 

 

とはいえまだまだ寒い日もあるからね。

巻物は大事。

 

最近、はまってる入浴剤はこれ↓

あったまる。

これは

大好きなライター 一田憲子氏のサイト

http://ichidanoriko.com

で紹介されていた。

 

この入浴剤を使ってから一層、

睡眠効率が上がってる。

このアプリは

友人に教えてもらった。

[Sleep Meister]

これ使うまで、

私はあんまり眠れてないんじゃないかと、

実は心配だった。

以前は結構よくあった朝の家人との会話。

 私「なんか、昨日もよく眠れなかったんだよね」

 夫「えええっ?いびきかいてたよ!」

 私「絶対そんなことないもん」

が、

 私「眠れなかったと思ったけど、

   睡眠効率98%だわ」

 夫「そうだと思うよ」

に変わった。

そして、なんか、安心。

夫に言われると、

「爆睡のあなたにわかるわけないじゃん!」

だけど、

客観的な指摘は、

アプリであっても納得すんだろうな。

 

客観的に

「大丈夫」

って言ってもらえるのっていい。

 

 

そうそう、一田さんの作っている

「大人になったら着たい服」の最新号には

ハッパかけられた。

 

「ミナ ペルホネン」さんの

新店「call」のスタッフさん。

左から66歳、44歳、80歳、45歳とのこと。

 

しかも、募集は

「元気な方、100歳まで大歓迎!」

だったとのことで、

最年長は83歳って書いてある。

こうしちゃあいられない!のだ。

 

 

 

年度替わりのすきまの時間。

本読むぞ!

 

中学卒業した女子に勧められた辞書、

引くぞ。

 

奮発したノートに

アイディア、メモるぞ。

 

 

音楽も聞きながら、参るのじゃあ!

 

 

好きなもの、並べてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人は最善を尽くして生きているか?

【2017.03.26 Sunday 15:59

私の全く勝手な命題

(だから自己命題と名付けよう)に

コミュニケーションをする時に、

「相手を理解しようとする態度」は大事なので、

「相手を理解する」方法を、

「考え方編」と「方法論編」に分けて

明確にするってのがある。

 

その「考え方編」に

決定的な影響を与えてくれる言葉を

見つけちゃった。

 

ひとつは、

「ダイアローグ・スマート」(幻冬舎)

という本の中にあった。

 

それは、

他者を悪者にしている自分を意識したら

自問する言葉、

「分別のある常識的な人が

 こんなことをするのは

 なぜだろうか?」。

 

もうひとつは

「立て直す力」(講談社)

という本の中にあった

「人は皆、最善を尽くしてる」

という言葉。

 

著者のブネレー・ブラウン氏は

「わたしが一方的にマイナス評価を

 くだした人たちはおそらく

 『あなたはわたしを知らない。

  わたしのことなど何も知らない。

  だから一方的に決めつけないで』

 と言いたいに違いない」

と書いている。

 

この二つの言葉は、

半月くらいの間、

だから、ほぼ同時くらいに出会えて、

それから世界が明らかに変わってしまったと

思う。

 

私は、

「人は最善を尽くしていると思う?」

と、誰かから質問されたら、

「なんか、子どもじみてると思うかも

 しれないし、

 別に性善説を採用してるわけでもないけど、

 そう思う」

と答えると思う。

 

カウンセラーとして人の話を聴くと、

例えば、

世間的には受け入れられないようなことを

している方がいても、

その人にとっては、

それはそうせざるを得ない、

決して大げさではなく、

そうしないと命を守れないようなこと

だったりすることばかりだ。

 

摂食の問題も、

自傷行為などなども、

そうしないと今もたないから、、、

されていること。

 

子どもが昼夜逆転し、

夕方3時くらいに起きてきて、

一晩中ゲームをやっていても、

今は他に方法がない、

今は、

そうしないと生き延びることが

できなくってそうしている・・・

と思う。

 

いじめの問題があったら、

真っ先にケアするのは

被害者だ。

被害者の回復をサポートするのは、

優先順位の第一位。

ただ、加害者にも

ケアの必要があることが多いと思う。

行動そのものは間違いだったけど、

精神的に満たされていて、

毎日が充実している子は

誰かをいじめる言動はしないから、

その子たちのその行動をせねばならなかった

背景を理解しフォローしようとするサポートは

必要だ。

 

 

 

行動そのものは

問題もあるし、

時には犯罪だったり、

誰かをひどく傷つける言動だったり、

許されることではないこともある。

絶対にやってはダメなことはある。

 

ただ、その人の選択肢の中では、

それをする他なかったんだと思う。

 

 

 「立て直す力」の中に

 マヤ・アンジェロウ

(アメリカの活動家。

 キング牧師とともに公民権運動を

 戦った。詩人)の言葉が出てくる。

 「あの時は、

  自分が知っている方法でやった。

  いまはもっとたくさんの方法を

  知っているから、

  もっとうまくやれる」

 

 

 

だから、

人は、

自分の選択肢を

より良い方向に広げていくしか

ないのだ。

 

 

 

 

話を戻して、

私はこれらの言葉に出会って、

苦手な人の顔を思い出してみた。

 

これまでの人生上、

ひどく罵倒されたことが2回ある。

その2回のお相手の顔。

 

そして、

どうしても

距離をおきたくなってしまった方の顔、顔。

 

確かに苦手は苦手で、

再び何かのプロジェクトの仲間になる・・・のは

ご遠慮したいが(って向こうもそう思ってるかも)、

それでも、

その苦手な方々は、

やはりその時々、最善を尽くされていたんだ、

と改めて思う。

 

その中のお一人は、

仕事中に

個人的なことばかり話しかけてきたけれど、

それは、

あの方が、

その時のご自身を保つために、

あの時間が絶対的に必要だったんだ!

と思う。

 

そう思うと、その時は(ずっと昔ね!)

アサーティブも知らず、

話を聞き続け、

心の中で「しょうもない人」と悪者にしてたけど、

今の私なら、

その方自身と、

その方の「ムダ話ばかり」を切り離し、

「今は、他にする必要がある仕事があるから

 聞くことができない」と言えたと思う。

それはスキルで言えるのではなく、

「この、

 分別のある常識的な人が

 仕事中、こんなことをするのは

 何らかの意味があってのことに

 違いない」

という考えに基づいて、

全く責めずに言えると思う。

 

そして、その時の聞き続けた私も、

その時は

その方との関係を大事にすることしか考えられす、

また「要求の方法」を知らず、

そんな中では最善だったんだと思う。

 

 

 

私は、

いつも社会的に正しいことばかりを

してきたわけではないし、

人として思いやりある行為を

選択し続けてきたわけではないように、

そして怠けたり、ケチったり、

意地汚い考えに基づいた言動をしちゃうことも

あったように、

でも、

そのどんな時も、

そうするしかなくてしてきたように、

 

人って、そうなんだと思う。

 

 

 

何か、理不尽な出来事があって、

その出来事を起こした人を

悪者と決めつける自分を意識したら

「分別のある常識的な人が

 こんなことをするのは

 なぜだろうか?」

と自分に問いかけてみる。

 

「最善を尽くそうとして

 これをしているとしたら、

 どういう背景があるのか?

と自分に問いかけてみる。

 

この言葉が自分の中に入ってきて、

「考え方編」の土台が

固まってきたように思う。

 

ただ、疑り深いところもある私。

今のところはこれ!と考えて、

当分、これを採用してやってみる。

 

 

 

 

これをここに書くのは、

とっても勇気が必要だった。

だって、

誰かにひどいことをされて、

ダメージを受けてる方もいるだろうから。

その方は、その人が最善を尽くしていると

考えることなど、とってもできないだろうから。

その方を、二重に傷つけてしまうことにも

なりかねない。

 

 

 

 

それでもこれは、

対話で問題を解決していこうとする時には、

必要な

「相手を理解する」ための

大切な考え方のひとつかも・・・

って思う。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケリー・パターソン,ジョセフ・グレニ―,ロン・マクミラン,アル・スウィツラ―
幻冬舎ルネッサンス
---
(2010-09-25)

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ちゃんとしてないところも、ま、いいか。

【2017.03.23 Thursday 08:48

いやあ、あるなあ。

ちゃんとしてないところ。

 

いちばん自分でコマっちゃうのは

注意力不足な時だ。

わかってるのに、

やっちまうことが多い。

 

「できてないなら、

 わかってないのと同じことだよ」

そう親によく言われた。

本当に、その通りだ。

 

結婚してからは夫に度々注意される。

「お風呂を出るときは、

 床をお水で流してから出てって

 何度も言ってるよね」・・・

なぜか、忘れてしまう。

 

最近言われなくなったけど、

以前はしょっちゅう

「ドライヤーの持つとこ、

 またヌルヌルしてたよ」

って注意を受けてた。

 

誤字脱字は多く、

メールを送信する前に

確認するチェック項目を用意しても、

なんだろ、

それを忘れてしまったりする。

 

それはダメなことだし、

迷惑おかけすることもあるし、

だから、どう書いていいかわからないんだけど、

でも、

もう、

そういう「ちゃんとしてないところ」に

いつまでも執着しないでいられるようになった。

 

そこは直した方がいいけど、

だからって、自分がダメじゃないって

思えるようになったと思う。

 

それは年齢のなせるものかもしれないし、

自己理解→自己受容

を進めてきたおまけかもしれない。

 

 

 

少し前に「自己信頼」について

学びあう機会を持った。

 

自己信頼を育むには、

大切なステップがある。

 

自分のことを信頼するには、

わかってないとできないから、

自己理解がスタートになる。

 

自己理解:

 ,修了々に、自分がどう考え、どう感じ

   どういう反応があり、どう行動したか

   をわかること

 ⊆分ってものの考えかたや情動、

   コミュニケーションの方法などなど、

   自分自身を理解していること

 

さらに、

 

自己受容:

 理解した自分に対して、

   批判せず、

   そのまま受け取ること

   受容することと、好きになることは違うので、

   自分のことが、それほど好きでなくても、

   また自分を肯定できなくても

   自己受容はできる。 

 

 

 

自己理解→自己受容が必要なステップだけど、

これは

それほど簡単なことじゃない。

 

頑張らなかった時に、

「頑張らない私なんて

 誰にも認めてもらえない」

としないで、

「今、頑張らなかったなあ」と

批判も肯定もしないで受け取るなんて、

そんな訓練してないから、最初は難しいかも。

 

小さなことを気にしてしまう時、

「こんな小さいことをいつまでも

 気にしてるなんて、本当自分が嫌になる」

としないで、

「私は◯◯が気になっている」と

ただただ受け取るって、

慣れてない方のほうが多いと思う。

 

ただ、これをやっていくと、

おまけのようについてくるものが

「自己信頼」で、

つまり

「自分をちょっとだけ信じられて、

 少し当てにできるような気持ち」で、

その中に

「不完全な自分でも、ま、いいか・・・

 と思える感じ」

も入るんだと思う。

 

大層な言葉で言ってしまうと、

「自分の不完全さを許す」

みたいなこと。

 

幼い頃から

注意され続け、

批判にさらされ続け、

何かできたとしても、

もっと良いものを求められ、

完璧、パーフェクトしか目指す価値を

見出せなかった背景があったりすると、

「自分の不完全さを許す」は、

ほんと、ハードル高いと思う。

 

でも、それを手に入れたかったら、

まず自己理解→自己受容からスタートしたら

いいんじゃないか。

 

自己理解→自己受容が

なぜそういうおまけを連れてくるかは、

多分、

自分を

「丸ごと大きなひとくくり」にしなくなることが

大きい理由だと思う。

 

「今日の、たった今の、自分の行為」とか、

「◯◯に対する自分の考え」とか、

自らを分けて考えられるようになるからだと思う。

 

分けて考えられると、

白も黒もグレーもあるし、

できてないこともできることも、

失敗も成功も、

悲しいも楽しいも、

得意も苦手も、

好きも嫌いも、

寛容なところもケチなところも、

ポジティブもネガティブも、

いろいろある自分が分かる。

 

 

 

ドラマ「カルテット」の中の、

グループの名前は

「ドーナツホール」。

 

リーダー格の別府さんは言った。

「僕はこのグループを

 ドーナツホールという名前にします。

 穴がなければ、ドーナツじゃない。

 僕は、ちゃんとしてないところもある

 みなさんが好きです」

 

 

 

私もちゃんとしてないところもある私でいく。

みんなが、

まずは自分を、

そして他者を、

ちゃんとしてないところもあるのが人って

認めあえたら、

ほんと、いいのになあ。

 

 

 

自分が自分をどう扱うかを基本として、

他者のことを扱うから、

まずは

自分のちゃんとしてないとこも、

ま、いいか くらいになれたら、

ほんと、いい。

 

 

 

 

 

 

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泣きながら食べる。

【2017.03.21 Tuesday 08:17

ドラマが終わっていくう。

 

今回 はまったのは「カルテット」だった。

唐あげにレモンかけるか問題や

作ってくれた人を目の前にボルシチ食べながら 

 餃子の話するのはいかがか問題を始めとする、

食卓のシーンは、

めっちゃ私好みだった。

それに、

サスペンスも、コミカルも、ロマンスも、

いろんな要素が入っていて面白かった。

 

あ〜今日で終わってしまう。

 

中でもとりわけ好きなシーンは、

憎しみを抱く父親の最期に

立ちあうかどうするか迷う友達を

支えようと食事を共にする

とんかつ屋さんのシーンだ。

 

そういう時に

とんかつを選択した脚本家の坂元さんが、

やっぱ好きだ。

そして、そんな時に

年上の友達が語る

「泣きながらご飯食べたことがある人は、

 生きていけます」

というセリフにグッときたのは

私だけじゃないと思う。

 

母が亡くなり、父が亡くなり、

家業廃業のためシャッターを閉め、

ボランティア活動でこっぴどく批判され、

そのたびごとに

泣きながら食べてきたことを思い出す。

 

ボランティア活動でこっぴどく批判されたのは、

まさに夕飯中にかかってきた電話でのこと。

酔っ払って怒鳴りまくる相手の声を聞きながら、

悔しくって悔しくって涙がポロポロ出た。

なんとか電話を終えたあと、

心配そうにしていた夫と

再び、

ご飯に戻った。

泣きながら食べた。

 

一番の思い出は、

仕事で失敗したくさんのダメだしをもらった後、

最寄りの駅まで迎えに来てくれた夫と入ったラーメン屋さんで、

「あなたは大丈夫だよ」と言ってくれた夫の言葉に、

ラーメンのスープにポトポト溶けてった涙の思い出だ。

それでも完食した。

 

途方に暮れて泣き、

悲しくて泣き、

寂しくて泣き、

悔しくて泣き、

ありがたくて泣いて、

同時に

食べてきたんだなあ。

 

 

泣きながら

食べる

って、

どんなに様々な感情でいっぱいであっても

生きることを選ぶってことだ。

 

これって究極

「折り合いつけられる」ってことなんだと思う。

 

そう、

そうやって

いやな出来事や

苦手な相手や、

複雑な感情と、

折り合いつけて、

生きていくのだ。

 

 

 

 

日曜に終わってしまった

「A LIFE」も

リアルタイムで観た。

田中泯さんがステキだった。

 

「俺にしかできねえ?

 そんなこと言ってるから半人前なんだよ。

 相手が誰だってどんな時だって

 ただひたすら準備する。

 心をその一点だけに集中させるんだよ。

 一途一心だ。

 それが職人ってもんだろう」

 

なんのかんの言ってないで、

やることやるだけだわ。

 

結果は、

今コントロールできないけど、

自分が今どう行動するかは

コントロールできるんだもん。

準備するだけだ。

 

それに

「私が」

「私が」の

時々我が強い私には、

刺さったセリフなんだよなあ。

 

 

こんな風に、

まだまだドラマに刺激をうける自分が

可愛くもある

年度末。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ノーモア評価。

【2017.03.01 Wednesday 18:33

12月の終わりから、

結構amazonのお世話になり、

よく本を読んだ。

 

尊敬する方に勧められた本、

衝撃を受けた研修で出会った本、

中学生に勧められた辞書。(これは

 手に入れて以来、文章を書く時 

 よく引いている)

どれも、満足!

 

その中の一冊、

糸井重里氏の「抱きしめられたい」に挟まれていた

手書きのメッセージは、

自己肯定的。」。

 

「複数種のデタラメなメッセージ」の中から

「どのメッセージが印刷されているかは

 ランダムです」と説明にあるが、

この言葉が私の手元に来たのは、

嬉しい偶然。

 

自己肯定「感」は、

あった方がいいと思うけど、

持とうと思って持てるものではなく、

持つ持たないを自分でコントロールできない。

それに対して、

自己肯定「的」は、

「自己肯定的に振る舞うとすると・・・」とか

「自己肯定的に考えるとこうなるな」などというように、

行動や考え方をコントロールする時の指針になる。

なので「的」は、しっくりくるなあ。

 

さて、この「自己肯定的」や

「自己肯定感」とともに、

よく使われる

「自己理解」

「自己信頼」

「自己受容」などという言葉がある。

とくに学校では「自己理解」はよく使われる。

 

また

日本の子どもたちは世界の子どもたちと

比べて「自己肯定感」が低いことを

表す表も、少し前、よくネットなどで

見かけることがあった。

 

低いとか高いとか、

それがあるとかないと、

育むとか、醸成するとか、

とにかく、

それらの言葉を扱うためには

知っておいた方が良さそうだ。

 

アサーティブでは

「自己信頼」という言葉をよく使う。

それで

夏の合宿の時に考えあった。

 

参加された方から、

最近いただいたメールを紹介する。

(okいただきました!)

 

 

「夏合宿の「自己信頼」の勉強から

 心に響き折にふれて

 自分を自分で

 評価しないことに努めてきました。

 私は時々忘れてしまうけれど、

 効果は私より娘に早く出てきました。

 娘が人間関係で苦しんでいる時

 『あの子がいやなんだね、

  コーチの事怖いんだね、

  いやなこと断れないんだね』
 感情も考えも評価せず、

 寄り添って

 『あなたの中に、

  もう一人のあなたを想像してほしい。

  そしてそのあなたが、

  苦しいあなたに優しく言ってあげてほしい』

 と言い続けました。

 今月に入り変化が見られ
 『人の事があまり気にならなくなった。

  客観的に自分も人もみられるようなった。

  困ったことを相談できるようになった』
 と少し生きやすくなったようで、

 今やっているスポーツに

 集中できるようになってきたと言ってました。

 私も以前より感情の起伏が減り

 落ち着いていることが多いように思います。


 何より、信頼できる評価を持たない良き友が

 私の中にいるのですから」

 

このメールでは、

ちゃんと自分を理解をして、

その上で自分で自分を

評価も判断もしないで受容すると、

そのことが「自己信頼」につながっていく

ことを示してくれている。

 

この方が今、

自分の中に、

「信頼できる評価を持たない良き友」の存在を

確認していることが、魅力的だ。

それは、

出来事に対してどういう態度で向かうかの力

になる元だし、

たとえ凹むことがあったとしても、

そこから回復していくための礎になるものだ。

 

 

「自己信頼」とは、

自分を信頼する気持ち。

信頼という気持ちは、

残念ながら直接コントロールは

できないものだ。

 

自分の中に育みたいと考えたら、

「自分」を「信頼」するわけだから、

「自分」を知らないと話にならない。

知りつづける、つまり確認し続けながら、

その時々の自分を、

せめて自分では受け止める(受容する)こと。

 

それはインドに旅に出なくても、

滝に打たれなくても、

毎日の暮らしの中で、

働きながら、勉強しながら、

傷つけてしまったり、

傷つけられたり、

怠けたり、張り切ったり、

ケチケチしたり大判振る舞いしたり、

成功したり失敗したり、

ま、日々普通に生きていく中で

出会う出来事を通して、

十分にできることだ。

 

そのトライが

「自己信頼」感を

染み込ませていく。・

 

 

 

次回のアサーティブカフェ(3月11日)では、

これらのことを改めて取り上げて整理し、

その後、

アサーティブをロールプレイを使って練習する

というプログラムでいく。

楽しみだなあ。

 

アサーティブトレーニング基礎編を終了された方には

ご参加いただけます。

 

また夏のアサーティブトレーニング基礎編

の情報もアップしました。

ご興味ある方はお確かめあれ!

 

 

 

ところで、老眼と乱視が進み、

ベットではとても読書ができなくなった。

それとともに記憶力が弱まり、

何がどこに書かれていたか、

あとから調べるのに手間取るようにもなった。

そこで、ちゃんと椅子に座り、

机に向かって読むことが増え、

だからこそできること、

付箋を貼って読むのが最近の私流。

今回の本はどれも、付箋だらけなのであ〜る。

 

 

 

 



 

author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor