今のところではありますが…
人は最善を尽くして生きているか?

【2017.03.26 Sunday 15:59

私の全く勝手な命題

(だから自己命題と名付けよう)に

コミュニケーションをする時に、

「相手を理解しようとする態度」は大事なので、

「相手を理解する」方法を、

「考え方編」と「方法論編」に分けて

明確にするってのがある。

 

その「考え方編」に

決定的な影響を与えてくれる言葉を

見つけちゃった。

 

ひとつは、

「ダイアローグ・スマート」(幻冬舎)

という本の中にあった。

 

それは、

他者を悪者にしている自分を意識したら

自問する言葉、

「分別のある常識的な人が

 こんなことをするのは

 なぜだろうか?」。

 

もうひとつは

「立て直す力」(講談社)

という本の中にあった

「人は皆、最善を尽くしてる」

という言葉。

 

著者のブネレー・ブラウン氏は

「わたしが一方的にマイナス評価を

 くだした人たちはおそらく

 『あなたはわたしを知らない。

  わたしのことなど何も知らない。

  だから一方的に決めつけないで』

 と言いたいに違いない」

と書いている。

 

この二つの言葉は、

半月くらいの間、

だから、ほぼ同時くらいに出会えて、

それから世界が明らかに変わってしまったと

思う。

 

私は、

「人は最善を尽くしていると思う?」

と、誰かから質問されたら、

「なんか、子どもじみてると思うかも

 しれないし、

 別に性善説を採用してるわけでもないけど、

 そう思う」

と答えると思う。

 

カウンセラーとして人の話を聴くと、

例えば、

世間的には受け入れられないようなことを

している方がいても、

その人にとっては、

それはそうせざるを得ない、

決して大げさではなく、

そうしないと命を守れないようなこと

だったりすることばかりだ。

 

摂食の問題も、

自傷行為などなども、

そうしないと今もたないから、、、

されていること。

 

子どもが昼夜逆転し、

夕方3時くらいに起きてきて、

一晩中ゲームをやっていても、

今は他に方法がない、

今は、

そうしないと生き延びることが

できなくってそうしている・・・

と思う。

 

いじめの問題があったら、

真っ先にケアするのは

被害者だ。

被害者の回復をサポートするのは、

優先順位の第一位。

ただ、加害者にも

ケアの必要があることが多いと思う。

行動そのものは間違いだったけど、

精神的に満たされていて、

毎日が充実している子は

誰かをいじめる言動はしないから、

その子たちのその行動をせねばならなかった

背景を理解しフォローしようとするサポートは

必要だ。

 

 

 

行動そのものは

問題もあるし、

時には犯罪だったり、

誰かをひどく傷つける言動だったり、

許されることではないこともある。

絶対にやってはダメなことはある。

 

ただ、その人の選択肢の中では、

それをする他なかったんだと思う。

 

 

 「立て直す力」の中に

 マヤ・アンジェロウ

(アメリカの活動家。

 キング牧師とともに公民権運動を

 戦った。詩人)の言葉が出てくる。

 「あの時は、

  自分が知っている方法でやった。

  いまはもっとたくさんの方法を

  知っているから、

  もっとうまくやれる」

 

 

 

だから、

人は、

自分の選択肢を

より良い方向に広げていくしか

ないのだ。

 

 

 

 

話を戻して、

私はこれらの言葉に出会って、

苦手な人の顔を思い出してみた。

 

これまでの人生上、

ひどく罵倒されたことが2回ある。

その2回のお相手の顔。

 

そして、

どうしても

距離をおきたくなってしまった方の顔、顔。

 

確かに苦手は苦手で、

再び何かのプロジェクトの仲間になる・・・のは

ご遠慮したいが(って向こうもそう思ってるかも)、

それでも、

その苦手な方々は、

やはりその時々、最善を尽くされていたんだ、

と改めて思う。

 

その中のお一人は、

仕事中に

個人的なことばかり話しかけてきたけれど、

それは、

あの方が、

その時のご自身を保つために、

あの時間が絶対的に必要だったんだ!

と思う。

 

そう思うと、その時は(ずっと昔ね!)

アサーティブも知らず、

話を聞き続け、

心の中で「しょうもない人」と悪者にしてたけど、

今の私なら、

その方自身と、

その方の「ムダ話ばかり」を切り離し、

「今は、他にする必要がある仕事があるから

 聞くことができない」と言えたと思う。

それはスキルで言えるのではなく、

「この、

 分別のある常識的な人が

 仕事中、こんなことをするのは

 何らかの意味があってのことに

 違いない」

という考えに基づいて、

全く責めずに言えると思う。

 

そして、その時の聞き続けた私も、

その時は

その方との関係を大事にすることしか考えられす、

また「要求の方法」を知らず、

そんな中では最善だったんだと思う。

 

 

 

私は、

いつも社会的に正しいことばかりを

してきたわけではないし、

人として思いやりある行為を

選択し続けてきたわけではないように、

そして怠けたり、ケチったり、

意地汚い考えに基づいた言動をしちゃうことも

あったように、

でも、

そのどんな時も、

そうするしかなくてしてきたように、

 

人って、そうなんだと思う。

 

 

 

何か、理不尽な出来事があって、

その出来事を起こした人を

悪者と決めつける自分を意識したら

「分別のある常識的な人が

 こんなことをするのは

 なぜだろうか?」

と自分に問いかけてみる。

 

「最善を尽くそうとして

 これをしているとしたら、

 どういう背景があるのか?

と自分に問いかけてみる。

 

この言葉が自分の中に入ってきて、

「考え方編」の土台が

固まってきたように思う。

 

ただ、疑り深いところもある私。

今のところはこれ!と考えて、

当分、これを採用してやってみる。

 

 

 

 

これをここに書くのは、

とっても勇気が必要だった。

だって、

誰かにひどいことをされて、

ダメージを受けてる方もいるだろうから。

その方は、その人が最善を尽くしていると

考えることなど、とってもできないだろうから。

その方を、二重に傷つけてしまうことにも

なりかねない。

 

 

 

 

それでもこれは、

対話で問題を解決していこうとする時には、

必要な

「相手を理解する」ための

大切な考え方のひとつかも・・・

って思う。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケリー・パターソン,ジョセフ・グレニ―,ロン・マクミラン,アル・スウィツラ―
幻冬舎ルネッサンス
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(2010-09-25)

author : tanizawa-k
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ちゃんとしてないところも、ま、いいか。

【2017.03.23 Thursday 08:48

いやあ、あるなあ。

ちゃんとしてないところ。

 

いちばん自分でコマっちゃうのは

注意力不足な時だ。

わかってるのに、

やっちまうことが多い。

 

「できてないなら、

 わかってないのと同じことだよ」

そう親によく言われた。

本当に、その通りだ。

 

結婚してからは夫に度々注意される。

「お風呂を出るときは、

 床をお水で流してから出てって

 何度も言ってるよね」・・・

なぜか、忘れてしまう。

 

最近言われなくなったけど、

以前はしょっちゅう

「ドライヤーの持つとこ、

 またヌルヌルしてたよ」

って注意を受けてた。

 

誤字脱字は多く、

メールを送信する前に

確認するチェック項目を用意しても、

なんだろ、

それを忘れてしまったりする。

 

それはダメなことだし、

迷惑おかけすることもあるし、

だから、どう書いていいかわからないんだけど、

でも、

もう、

そういう「ちゃんとしてないところ」に

いつまでも執着しないでいられるようになった。

 

そこは直した方がいいけど、

だからって、自分がダメじゃないって

思えるようになったと思う。

 

それは年齢のなせるものかもしれないし、

自己理解→自己受容

を進めてきたおまけかもしれない。

 

 

 

少し前に「自己信頼」について

学びあう機会を持った。

 

自己信頼を育むには、

大切なステップがある。

 

自分のことを信頼するには、

わかってないとできないから、

自己理解がスタートになる。

 

自己理解:

 ,修了々に、自分がどう考え、どう感じ

   どういう反応があり、どう行動したか

   をわかること

 ⊆分ってものの考えかたや情動、

   コミュニケーションの方法などなど、

   自分自身を理解していること

 

さらに、

 

自己受容:

 理解した自分に対して、

   批判せず、

   そのまま受け取ること

   受容することと、好きになることは違うので、

   自分のことが、それほど好きでなくても、

   また自分を肯定できなくても

   自己受容はできる。 

 

 

 

自己理解→自己受容が必要なステップだけど、

これは

それほど簡単なことじゃない。

 

頑張らなかった時に、

「頑張らない私なんて

 誰にも認めてもらえない」

としないで、

「今、頑張らなかったなあ」と

批判も肯定もしないで受け取るなんて、

そんな訓練してないから、最初は難しいかも。

 

小さなことを気にしてしまう時、

「こんな小さいことをいつまでも

 気にしてるなんて、本当自分が嫌になる」

としないで、

「私は◯◯が気になっている」と

ただただ受け取るって、

慣れてない方のほうが多いと思う。

 

ただ、これをやっていくと、

おまけのようについてくるものが

「自己信頼」で、

つまり

「自分をちょっとだけ信じられて、

 少し当てにできるような気持ち」で、

その中に

「不完全な自分でも、ま、いいか・・・

 と思える感じ」

も入るんだと思う。

 

大層な言葉で言ってしまうと、

「自分の不完全さを許す」

みたいなこと。

 

幼い頃から

注意され続け、

批判にさらされ続け、

何かできたとしても、

もっと良いものを求められ、

完璧、パーフェクトしか目指す価値を

見出せなかった背景があったりすると、

「自分の不完全さを許す」は、

ほんと、ハードル高いと思う。

 

でも、それを手に入れたかったら、

まず自己理解→自己受容からスタートしたら

いいんじゃないか。

 

自己理解→自己受容が

なぜそういうおまけを連れてくるかは、

多分、

自分を

「丸ごと大きなひとくくり」にしなくなることが

大きい理由だと思う。

 

「今日の、たった今の、自分の行為」とか、

「◯◯に対する自分の考え」とか、

自らを分けて考えられるようになるからだと思う。

 

分けて考えられると、

白も黒もグレーもあるし、

できてないこともできることも、

失敗も成功も、

悲しいも楽しいも、

得意も苦手も、

好きも嫌いも、

寛容なところもケチなところも、

ポジティブもネガティブも、

いろいろある自分が分かる。

 

 

 

ドラマ「カルテット」の中の、

グループの名前は

「ドーナツホール」。

 

リーダー格の別府さんは言った。

「僕はこのグループを

 ドーナツホールという名前にします。

 穴がなければ、ドーナツじゃない。

 僕は、ちゃんとしてないところもある

 みなさんが好きです」

 

 

 

私もちゃんとしてないところもある私でいく。

みんなが、

まずは自分を、

そして他者を、

ちゃんとしてないところもあるのが人って

認めあえたら、

ほんと、いいのになあ。

 

 

 

自分が自分をどう扱うかを基本として、

他者のことを扱うから、

まずは

自分のちゃんとしてないとこも、

ま、いいか くらいになれたら、

ほんと、いい。

 

 

 

 

 

 

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泣きながら食べる。

【2017.03.21 Tuesday 08:17

ドラマが終わっていくう。

 

今回 はまったのは「カルテット」だった。

唐あげにレモンかけるか問題や

作ってくれた人を目の前にボルシチ食べながら 

 餃子の話するのはいかがか問題を始めとする、

食卓のシーンは、

めっちゃ私好みだった。

それに、

サスペンスも、コミカルも、ロマンスも、

いろんな要素が入っていて面白かった。

 

あ〜今日で終わってしまう。

 

中でもとりわけ好きなシーンは、

憎しみを抱く父親の最期に

立ちあうかどうするか迷う友達を

支えようと食事を共にする

とんかつ屋さんのシーンだ。

 

そういう時に

とんかつを選択した脚本家の坂元さんが、

やっぱ好きだ。

そして、そんな時に

年上の友達が語る

「泣きながらご飯食べたことがある人は、

 生きていけます」

というセリフにグッときたのは

私だけじゃないと思う。

 

母が亡くなり、父が亡くなり、

家業廃業のためシャッターを閉め、

ボランティア活動でこっぴどく批判され、

そのたびごとに

泣きながら食べてきたことを思い出す。

 

ボランティア活動でこっぴどく批判されたのは、

まさに夕飯中にかかってきた電話でのこと。

酔っ払って怒鳴りまくる相手の声を聞きながら、

悔しくって悔しくって涙がポロポロ出た。

なんとか電話を終えたあと、

心配そうにしていた夫と

再び、

ご飯に戻った。

泣きながら食べた。

 

一番の思い出は、

仕事で失敗したくさんのダメだしをもらった後、

最寄りの駅まで迎えに来てくれた夫と入ったラーメン屋さんで、

「あなたは大丈夫だよ」と言ってくれた夫の言葉に、

ラーメンのスープにポトポト溶けてった涙の思い出だ。

それでも完食した。

 

途方に暮れて泣き、

悲しくて泣き、

寂しくて泣き、

悔しくて泣き、

ありがたくて泣いて、

同時に

食べてきたんだなあ。

 

 

泣きながら

食べる

って、

どんなに様々な感情でいっぱいであっても

生きることを選ぶってことだ。

 

これって究極

「折り合いつけられる」ってことなんだと思う。

 

そう、

そうやって

いやな出来事や

苦手な相手や、

複雑な感情と、

折り合いつけて、

生きていくのだ。

 

 

 

 

日曜に終わってしまった

「A LIFE」も

リアルタイムで観た。

田中泯さんがステキだった。

 

「俺にしかできねえ?

 そんなこと言ってるから半人前なんだよ。

 相手が誰だってどんな時だって

 ただひたすら準備する。

 心をその一点だけに集中させるんだよ。

 一途一心だ。

 それが職人ってもんだろう」

 

なんのかんの言ってないで、

やることやるだけだわ。

 

結果は、

今コントロールできないけど、

自分が今どう行動するかは

コントロールできるんだもん。

準備するだけだ。

 

それに

「私が」

「私が」の

時々我が強い私には、

刺さったセリフなんだよなあ。

 

 

こんな風に、

まだまだドラマに刺激をうける自分が

可愛くもある

年度末。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ノーモア評価。

【2017.03.01 Wednesday 18:33

12月の終わりから、

結構amazonのお世話になり、

よく本を読んだ。

 

尊敬する方に勧められた本、

衝撃を受けた研修で出会った本、

中学生に勧められた辞書。(これは

 手に入れて以来、文章を書く時 

 よく引いている)

どれも、満足!

 

その中の一冊、

糸井重里氏の「抱きしめられたい」に挟まれていた

手書きのメッセージは、

自己肯定的。」。

 

「複数種のデタラメなメッセージ」の中から

「どのメッセージが印刷されているかは

 ランダムです」と説明にあるが、

この言葉が私の手元に来たのは、

嬉しい偶然。

 

自己肯定「感」は、

あった方がいいと思うけど、

持とうと思って持てるものではなく、

持つ持たないを自分でコントロールできない。

それに対して、

自己肯定「的」は、

「自己肯定的に振る舞うとすると・・・」とか

「自己肯定的に考えるとこうなるな」などというように、

行動や考え方をコントロールする時の指針になる。

なので「的」は、しっくりくるなあ。

 

さて、この「自己肯定的」や

「自己肯定感」とともに、

よく使われる

「自己理解」

「自己信頼」

「自己受容」などという言葉がある。

とくに学校では「自己理解」はよく使われる。

 

また

日本の子どもたちは世界の子どもたちと

比べて「自己肯定感」が低いことを

表す表も、少し前、よくネットなどで

見かけることがあった。

 

低いとか高いとか、

それがあるとかないと、

育むとか、醸成するとか、

とにかく、

それらの言葉を扱うためには

知っておいた方が良さそうだ。

 

アサーティブでは

「自己信頼」という言葉をよく使う。

それで

夏の合宿の時に考えあった。

 

参加された方から、

最近いただいたメールを紹介する。

(okいただきました!)

 

 

「夏合宿の「自己信頼」の勉強から

 心に響き折にふれて

 自分を自分で

 評価しないことに努めてきました。

 私は時々忘れてしまうけれど、

 効果は私より娘に早く出てきました。

 娘が人間関係で苦しんでいる時

 『あの子がいやなんだね、

  コーチの事怖いんだね、

  いやなこと断れないんだね』
 感情も考えも評価せず、

 寄り添って

 『あなたの中に、

  もう一人のあなたを想像してほしい。

  そしてそのあなたが、

  苦しいあなたに優しく言ってあげてほしい』

 と言い続けました。

 今月に入り変化が見られ
 『人の事があまり気にならなくなった。

  客観的に自分も人もみられるようなった。

  困ったことを相談できるようになった』
 と少し生きやすくなったようで、

 今やっているスポーツに

 集中できるようになってきたと言ってました。

 私も以前より感情の起伏が減り

 落ち着いていることが多いように思います。


 何より、信頼できる評価を持たない良き友が

 私の中にいるのですから」

 

このメールでは、

ちゃんと自分を理解をして、

その上で自分で自分を

評価も判断もしないで受容すると、

そのことが「自己信頼」につながっていく

ことを示してくれている。

 

この方が今、

自分の中に、

「信頼できる評価を持たない良き友」の存在を

確認していることが、魅力的だ。

それは、

出来事に対してどういう態度で向かうかの力

になる元だし、

たとえ凹むことがあったとしても、

そこから回復していくための礎になるものだ。

 

 

「自己信頼」とは、

自分を信頼する気持ち。

信頼という気持ちは、

残念ながら直接コントロールは

できないものだ。

 

自分の中に育みたいと考えたら、

「自分」を「信頼」するわけだから、

「自分」を知らないと話にならない。

知りつづける、つまり確認し続けながら、

その時々の自分を、

せめて自分では受け止める(受容する)こと。

 

それはインドに旅に出なくても、

滝に打たれなくても、

毎日の暮らしの中で、

働きながら、勉強しながら、

傷つけてしまったり、

傷つけられたり、

怠けたり、張り切ったり、

ケチケチしたり大判振る舞いしたり、

成功したり失敗したり、

ま、日々普通に生きていく中で

出会う出来事を通して、

十分にできることだ。

 

そのトライが

「自己信頼」感を

染み込ませていく。・

 

 

 

次回のアサーティブカフェ(3月11日)では、

これらのことを改めて取り上げて整理し、

その後、

アサーティブをロールプレイを使って練習する

というプログラムでいく。

楽しみだなあ。

 

アサーティブトレーニング基礎編を終了された方には

ご参加いただけます。

 

また夏のアサーティブトレーニング基礎編

の情報もアップしました。

ご興味ある方はお確かめあれ!

 

 

 

ところで、老眼と乱視が進み、

ベットではとても読書ができなくなった。

それとともに記憶力が弱まり、

何がどこに書かれていたか、

あとから調べるのに手間取るようにもなった。

そこで、ちゃんと椅子に座り、

机に向かって読むことが増え、

だからこそできること、

付箋を貼って読むのが最近の私流。

今回の本はどれも、付箋だらけなのであ〜る。

 

 

 

 



 

author : tanizawa-k
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引きずらないコツ。

【2017.02.16 Thursday 19:49

*記事の最後に

 講座のお知らせがあります。

 

 

会議の席で

あることについて意見を求められながら、

頭の中がまとまっていなくて、

何も言えない場面があった。

 

そのあと考えて、ほぼほぼまとまって、

関係者の一人に考えを言うと、

すかさず

「えっ、まいったな。

 確かに意見には賛成するけど、

 それ、あの時言ってよお」と。

 

そりゃそうだよな。

会議で言わないで、

個人的に言うってのは、

責任ある態度とは言えない。

 

「そうだよね。

 今言われても困っちゃうよね。

 ただ

 あの時まとまってなくってさ。

 次回の会議で文書つくって出すよ」

なんて答えながら、

私はめっちゃ反省した。

これくらいのこと、

その場で

パパパって考えられなきゃやばいでしょ、私!

 

そう反省しながらも、

実は、もう一つの考えで頭の中は

興奮してた。

 

その方の

私への対応が、

アサーティブだったからだ。

 

その方は、

アサーティブトレーニングに

参加されてるわけではない。

でも、応用編でトライする

「批判への対処」を

私に対してしてくださった。

 

 

アサーティブトレーニング応用編の

テーマの一つ、

「批判への対処」で扱うのは、

例えば

「もっとやる気出してください」とか

「まともな受け答えできないの?」とか

「ほんと口ばっかりだよね」など

そのまんま批判の言葉はもちろん、

「誤字あったよ」などの指摘、

「痩せた方がいいんじゃない」などの

アドバイスや、

それを言われるとは思わなかった・・・

というような、

思いがけない言葉などを扱う。

 

受け答えに困るような、

ズバっと飛んでくる、

そんな言葉。

 

それらにどう対処するのかを学び

練習するんだけど、

その方が

見事にそれをやってのけてくれたんだ。

 

その方にとっては、

ありえないタイミングでの

私の意見表明、

つまり、

思いがけない発言だったと思う。

それに、

「えっ、まいったな。

 確かに意見には賛成するけど、

 それ、あの時言ってよお」

 

これの、

どこがどうアサーティブな対処なのか、

詳細は控えるが、

「えっ、まいったな」

という入り方は、

後々まで引きずらないコツの一つだ。

(「今このタイミングで言う?」という

 考えや困惑を押し込めてしまうと、

 引きずる可能性もある)

 

その方の自然なこの言動に

理論のバックがついた時に、

それは「使える道具」になる。

 

 

「あなたがごまかしたんじゃないの?」

いわれのない非難、

 

「信用できないので、

 担当を変わってもらう」

突然のネガティブな評価、

 

「計算間違い、またあったよ」

当たってるだけにささる批判、

 

「会議の進行、

 グダグダだったね」

きっつい指摘、

 

などなど、

生きていると

避けては通れない

「飛んでくるイタイ言葉」たち。

 

ケンカを買うのでもなく、

歯を食いしばって耐え、

恨みを募らせるのもなく、

逆に自分を責めるのでもない、

 

アサーティブな対処を

より良く生きていくための

道具の一つとして

多くの方に持っていてほしいな。

 

 

 

アサーティブトレーニング基礎編を

終了した方に受講いただける、

引きずらないコツを学べる2つの講座。

 

ひとつ目は、

<アサーティブトレーニング応用編>

批判の対処、

怒りという感情の取り扱い方、

複雑な問題を対話で解決していく方法などを

テーマとして取り上げます。

静岡では

2月25日(土)26日(日)に開催。

詳細は コチラ→

 

ふたつ目は

<アサーティブカフェin静岡>

今回のテーマは「自己信頼」。

ごっちゃになりがちな言葉、

「自己理解」「自己受容」「自己信頼」

を整理したり、

日常の自分をゆっくり振り返る時間を

持ちます。

3月11日(土)開催。

お申し込み方法などは コチラ→

 

 

 

 

ところで、

亡くなった義父が愛用していた英語の辞書には、

「assert」にラインマーカーが。↓

直訳すると

「断言する 言い張る はっきり述べる」

でも

アサーティブトレーニングで学び練習いただくのは、

相手も尊重しつつ自分の意見や感情を伝える方法ですぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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意図

【2017.01.30 Monday 08:38

山の方の学校を車で訪問する機会があり、

仕事を終え、帰ろうとする時、

見送って下さった先生が、

「帰り道、気をつけてくださいね。

 凍ってる場所がある可能性がありますし」

と言ってくれた。

 

私は、

「ご心配ありがとうございます。

 でも今朝くる時は、凍った所はなかったんですよ。

 今日は少し気温も高いようでしたね」

というと、

 

先生は

「そうですか。

 ただ、気温が高くなると、

 今度は落石があるんですよ。

 霜柱に持ちあげられた小石が

 霜柱が溶けて、コロコロ落ちてきたりするんです。

 タイヤで踏んでしまうと大変ですから、

 気をつけてくださいね」

と言ってくれた。

 

なんか、このやりとりの時の

先生の表情がすっきりしていない感じが気になって、

頭の中をもやもやとさせながら

エンジンかけた。

 

ハッと気づく。

は〜やっちまったな、私・・・と思う。

 

凍ってる、凍ってないとか、

今日の気温がどうだとか、

落石があるないだとか、

そういうことではなくって、

 

先生は、

ただただ、

私に

気をつけて帰って欲しい

ってことを伝えたかったのだと思う。

 

だから、

「ご心配ありがとうございます。

 気をつけて帰ります」

でよかったのに、

私の中に時々出てくる、

「私はそのあたりしっかりやるから大丈夫。

 心配ご無用!虫」が、

お相手の意図をちゃんと捉えないんだよなあ。

 

 

 

意図に気づかされ、

刺さる感じになる時もある。

 

 

ある時、ある方と何かを話さないとならない場面があった。

しかし、その話に入る前に、

なんの脈略もないこと

(その日の午前中に見た写真展について

 そこで感じたこと)

私はとうとうと喋った。

 

するとその方は、

「あなたは、いろいろ積極的にインプットして、

 そこから学ぶ感性があって、

 本当素敵だね」

と言ってくれた。

 

その瞬間私は、

この話をここでしたのは、

この方に、

こういう評価をして欲しいからだったか、自分・・・と

下心という名の意図に気がついた。

あ〜自分でも無意識に、

評価されたい意図が動いたか・・・。

そしてそれは、私のどこかからか

知らず知らずに

にじみ出てしまったのだろう。

 

ああ、刺さる。

 

とはいえ、しなくてはならない話は

ちゃんとした。うん、それはした。

 

 

 

そんな風に、意図ってものを

考える機会が時々あった。

 

そんな中、

昨日はアサーティブジャパンの会員研修で、

「意図」について学んだ。

 

複雑な問題、

棚上げしといた問題を解決したいと

話し合おうとする時、

自分の側に、

相手をコントロールしたいという意図があると、

それは、

どんなにしっかりとスキルを使って

例えば伝える内容を整理し、

そして伝え方を工夫しても、

伝わってしまうのは

「あなたを私の思い通りにしたい」という「意図」で、

しかも、それが伝わってしまった場合、

だいたい相手は防衛的になる・・・

ということ。

 

あ〜そうだなあ。

本当にそうだなあ。

 

言葉の隅っこの方に、

「私は正しい、あなたが間違ってる」は

出ちゃうんだよなあ。

声の大きさや、ほんのちょっとの間に

「なんでわかってくれないの?

 わからないあなたが悪い」は

現れてしまう。

 

ただ、救いだったのは、

そういう「意図」を

どうしたら対等なところに持っていけるかの

考え方のプロセスがあり、

それを示してもらえたのが、

もう、

本当に、

滝に打たれたようだった。

すっきりした。

 

 

私はまた、

私の中に

今まで気がつかないようにしていた

「考え方の傾向」を知り、

「採用しがちな意図」が明確になり、

それは苦しいけど、

少しホッともした。

 

また道の先が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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ランドセルの色、私は何色にしただろう?

【2017.01.20 Friday 10:23

大学生に授業をする機会を

いただくようになって、

4年くらい経つ。

 

どの学校の学生さんたちも、

本当に真面目な方ばかりで、

私語もなく、メモを取り、

話し合う時間は

ちゃんと議題に沿った事を話してくれる。

感想用紙には、

学んだことや考えたこと、気づいたことなど、

たくさん書いてくれてあり、

一人一人の中に、

表現したいことが

たくさんあることがわかる。

 

授業を真摯に受けてくれることが

ありがたいし、

もし彼らが

日常の中で、

自分のことを否定したくなってしまうような

出来事にあった時、

ちらっとでも思い出してくれたらいいな

と思う。

 

 

そんな中、

一つ気になることがある。

それは

授業スタート時の

反応が薄いこと。

 

ま、初対面で一回きりの授業者の私が

どんな奴だかわからないんだもの、

仕方ないといえば、仕方ない。

 

ホワイトボードの前に

立った時の私の雰囲気が、

緊張感があるのかもしれないから、

それが原因かも・・・とも思う。

確かに緊張はしてるし。

時々緊張は伝染するし。

 

 

とにかく

夏には

「暑いね」からはじめて、

「ポケモンGOやってる?」と聞いてみたけど、

膠着したように目も首も微動だにしない彼ら。

私が

「やってみたんだけど、

 この施設の周りはすごいね」というと、

安心したように、

笑顔になった。

 

評価、

つまり授業者である私がポケモンGOに対して

どういう評価をしているかわからないから、

表現できなかったのかもなあ

と反省し、

冬には、

そういう評価が気になるものではない題材、

「寒い?」的なことのみにしてみたって訳だけど、

どうしたらいいか戸惑っている感じだった。

きっと、

「ここは反応すべきところかどうか」

「みんなはどう反応するか」

「みんながしない中、一人だけ反応してしまったら、

 何か起こるかもしれないし」

的な、

いろいろな考えが動いたんだろうな、

なんて考えてみた。

 

そして、

いつもの癖で、

突っ込んで考える私・・・。

 

きっと、中学高校と

同調圧力の中、

頑張って生きてきて、

今もまだその中で

息してるじゃないかなあ。

 

どの授業でも、

時間が経つうちに、

リラックスした雰囲気にはなっていったけれど、

それでも

彼らの

「相手からどう思われるか」

を重要視するばかりに、

自己表現することに壁がある感じは、

彼らの生きづらさにつながっているように

思え、気になる。

 

 

彼らは小学校入学時、

まだランドセルは女子は赤、男子は黒の世代で

自分の好みの色を選択できる時代ではなかったらしいが、

衣替え時期は、

私たち世代のように「6月と10月」と決まってはおらず、

自分のタイミングだったようだ。

 

私たちが小学校中学校で受けてきた

先生によって一方的に教えてもらってた時代よりは、

「話し合う」なども取り入れた授業を

受けてきていると思う。

私たちの時のように

体操服は半袖半ズボンではなく、

自分の体調に丈を合わせて可だったと思う。

体験的な学習も増え、

例えば小学校の修学旅行では、

旅行先で故郷の説明をしたりする経験をしたり、

中学時代には

キャリア教育の一環で

職場体験なども経験していると思う。

 

昭和とは明らかに違う時代を

生きてきた彼ら。

 

もちろん「集団」の中で生きていくのだが、

同時に

「個」が大事にされ、

「個」を生かすということを意識した

学校生活は送ってきている。

 

それでも、

どう思われるか?

ここでの正解は何か?

それらに軸を置いたコミュニケーションが

身に染み付いているような彼ら。

 

他者と違うということを恐れ、

周りを伺いながら、

口元でちらっとつぶやくことさえも、

抵抗を感じているように見える彼ら。

 

「自分をどこまで出していいか分からない」

「どこまで合わせたらいいかわからない」

 

そんな彼らの心の中の声が、

聞こえるようだった。

 

なぜ、

そういうことになってしまっているんだろう?

 

 

 

 

 

ランドセルを例にとって考えてみよう。

 

今の子どもたちは、

イオンだったら24色の中から選べる。

それも「紫」だったら、

「スミレ」もあるし「パールラベンダー」もある。

「黒」だって

「ブラック」「メタリックブラック」

「ファイアースーパーブラック」

「オーシャンブラック」と4色もある。

そんな中から

「好きな色を選んでいいよ」と言われるのだ。

 

「なんで、女だからって、赤じゃないといけないの!」

と文句言ってた私とは、

めっちゃ違う。

 

私が今、

イオンで選んでよければ、

(小さな頃から紺とか緑とか黄色が好きだった)

「ダークバイオレット」を選んだと思う。

「いいじゃん。大事に使いなよ」と

親がすぐに言ってくれたら、すごく嬉しい。

反対に

「本当にその色でいいの。

 男子が選びそうな色だよ。

 5年生になっても6年生になっても

 使うんだよ」

なんて言われたら、

広告に出てる女子がしょってる色が

正解なんだと思ったと思う。

 

「子どもでもあっても人格がある」

「子どもにも失敗する権利がある」

ってことに

慣れてない大人もいっぱいいるから

仕方ない。

仕方ないけど、

切ないなあ。

 

 

 

 

私は

「あなたは長女だから

 家を継ぐ。他の選択肢などなし」

と育ててもらったからこそ、

「自分で選びたい」とか

「考えたことを言いたい」という

意欲が育ったのか。

昭和って

「幸せってこう」

「これが普通」的なものがあって、

めちゃ窮屈だったけど、

だからこその「パワー」が

育まれたかもしれない。

 

もちろん、決して

押し付けがいいとは思わない。

昭和に戻りたいとも

思わない。

 

ただ、

「個」を大事にしていいと

個人の選択や考える力を求めるなら、

それを受け止める側、

つまり、大人、養育者の

「受け止め方」こそ、

学んでいかないとならないこと

なんじゃないか。

 

 

もしかして

平成の

「自分の意見をを持とう、

 コミュニケーション能力を高めよう」

と育てられた人の中には、

「自分の意思で決めていいよ」と

保証されたのにもかかわらず、

考えや気持ちを口に出したら、

反対されたり、

叱られたり、

他の考えを勧められたりして、

「もの言えば、唇さみし」的経験をした人も

いるのかもしれないな。

 

 

「あなたの考えを言いなさい」

ただし、

「周りとも上手くやっていける程度の」

というダブルバインド。

 

個を大事にしよう。

しかも

空気も読みながら。

というダブルバインド。

 

 

その中で、

彼らは頑張って生きてきたのかもしれない。

と勝手に背景を考えて、

 

そして勝手に

愛しくて愛しくて

たまらなくなる私。

 

 

 

彼らが

安心して

考えや気持ちを口に出せる環境を作りたいなあ。

 

いやあ、それは大きな夢ですわ。

 

でもさ、

コミュニケーションをとっていくことは、

違いが明らかになってしまうことでもあるけど、

同時に、

繋がれる部分の発見や、

問題を解決していく方向性や、

第3の道を見つける可能性を引き出すことなんだって、

実感してもらえる瞬間を

なんとか、提供できないものだろうか。

 

 

関係は、

伝え合い、聴き合いの中で

育んでいくものだ。

 

そういう経験、

いっぱいしてほしいなあ。

させてあげたいなあ。不遜ですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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「ちゃんと言う」の、「ちゃんと」の具体、あります。

【2017.01.10 Tuesday 09:45

ロングセラー「置かれた場所で咲きなさい」の著者

渡辺和子氏のことが

1月8日付毎日新聞の「余禄」に書かれていた

 

そこで初めて

渡辺氏の背景を知った。

9歳の冬に、

陸軍教育総監だった父を2・26事件で亡くし、

父を撃った兵士を許せるまでに50年かかった

ということが書かれていた。

 

その彼女の言葉が胸に沁みる。

「人間の間に争いはなくならない。

 敵ではなく自分と戦うことなしに

 平和はもたらされないと思います」

〜本当にそうだ。

自分は悪くない。相手が間違っていると、

他者の責任にしている限り、

争いは続いてしまう。

 

「相手の言い分はちゃんと聞く。

 こちらの言い分はちゃんと言う。

 何が正しいかを語り合う」

〜聞いて、話す。そして問題解決に

 一緒に向かう。

 そうできたら、どんなにいいかと思う。

 

 

 

ちゃんと聞き、ちゃんと言う。

誰もが、それが可能ならなあ!と

考えていると思う。

 

日常の中で

言えないことが多く、

無理なことを引き受けて後悔ばかりしている人は、

「よし、次こそはちゃんと言おう」

と考えること、あると思うし、

逆に

つい大きな声で

キツめに言っちゃうことが多い人は、

「言い過ぎたよなあ。

 でもどうすりゃいいんだ!」

って考えること、あると思う。

 

「ちゃんとやろう!」って

いっくら自分に言い聞かせても、

方法を知らないと、

それはちょっと根性論的だ。

 

私がアサーティブをお勧めするのは、

そこに「具体」があるから。

 

どう考えることが「ちゃんと」なのか?

言うことを整理するとは

何をどうすることなのか?

整理したものを、

どんな言い方で伝えたらいいのか?

 

昨年12月に行った基礎講座での

参加者の感想も、めちゃ具体的だった。

(シェアしてokのものを掲載します)

 

「相手と対等になることの

 大切さや、

 的の絞り方がわかった」m

 

「4つのキーワードを何度も

 確かめたいです。

 的を絞ること、

 相手を理解する方法が

 もっとも心に残りました」りな

 

「自己表現の権利が心に残ってます」  

           k

「4つのキーワードを得たことが

 良かった。

 全てをすぐに実践できなくても、

 まずは4つの中の最初の誠実を

 (どうすることなのかわかったので)

 日常の中で取り入れたい」h

 

「納得できるまでロールプレイでき、

 自分のものになったと思います」a

 

「ロールプレイで

 方法を具体的にしていくことで、

 相手の表情が変わり、

 その場の空気感が変わっていく

 ことを実感できた。

 大きな気づきを得て、

 今日までずっと胸の中にあった

 もやもやの素が

 見つかった気がしました」

      たまちゃん

 

 

今年も静岡では

8月と12月に基礎講座を開催する予定。

お楽しみに!

 

 

また2月には静岡で年に一度の「応用講座」を開催。

相手は何気ないつもりでも、

結構きつい批判の言葉への対処の仕方や、

怒りの感情についての取り扱い方を知り、

複雑な問題を話し合いで解決していく方法を学ぶ。

 

さらに3月には

「アサーティブカフェ」開催。

今回は、1日かけてアサーティブを深め、

そして練習する。

午前中は「自己信頼について深める」

*自己理解と自己受容と自己信頼に

 ついて学び合う

午後は「自分の問題に取り組む」

*ロールプレイをしてもいいし、

 話を聞いてもらうだけもあり。

 話を聞いていたい!のみも可。

 

 

 

さて、渡辺和子氏のことについて

調べていたら、

The Huffington Post の記事に出会った。

 

父親に43発の銃弾を撃ち、

死に至らしめた兵士たちへの思い、

「恨みはない」と思っていた彼女は、

ある時、

反乱軍側の方と同席する機会があって、

その時に

「私がどれほど頭でお赦ししていると言っても、

 私の血が騒ぐ」経験したそうだ。

その彼女が、

心の底から彼らを赦したのは、

父親のお墓参りの時に、

反乱軍と言われた方の弟さんたちと会った後。

「お参りしてお線香とお花を供え、

 立ち上がってお墓から階段を降りて

 参りましたときに、男の方が2人、

 涙を流しておられた。

 そのお2人が、

 私の父の寝所まで入ってこられた、

 高橋少尉と安田少尉の弟さんだった。

 『これで私たちの2・26が終わりました』

 『私たちがまず、

  お父様のお墓参りをすべきだったのに、

  あなたが先に参ってくださった。

  このことは忘れません。

  ついてはお父様の墓所を教えて下さい』

  と言われ、お教えして、その日は終わりました」
 

 

「ちゃんと聞く」の「ちゃんと」は

いくら具体的に知ってたとしても、

怒りの感情が激しくあるうちは、

難しいのかもしれない。

まずはそのことを

話したり、

考えたり、

自分の中で

そのことを十分に大事にできた時が、

「ちゃんと」の準備が

整った時なのかもしれない。

 

 

50年経って、

彼女は

「自分だけが被害者のような気持ちを

 持っておりましたけれど、

 反乱軍という名前をつけられた方々の

 ご家族の50年、

 どんなに辛い思いをなさったか、

 私は一度も考えていなかった」

というところに

想いが至ったのだ。

 

 

あ〜、

すごいな。

そういうことが可能なんだな。

 

それは希望だ。

 

 

私には

アサーティブという道具がある。

希望に向かって

ちょっとずつ参りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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八方塞がりでも大丈夫!

【2017.01.08 Sunday 22:29

選択について学び合う勉強会

全3回の3回目を終えた。

 

過去、

なんとか乗り越えてきた出来事を

選択肢をテーマに振り返ったり、

これから起こりそうな出来事に対する

選択肢を考えたりした。

 

介護のことや

人間関係上の問題、

いろいろな責任を果たした後の

自分の生き方、

やりたいことと

やる必要があることの間の葛藤などなど、

参加してくださった方々が

自分に起こりそうなことの

問題解決を考えた。

 

問題解決に向かって

選択肢を立てることができた経験は、

多分、皆さんの自信になったのではないか。

また自分が立てがちな選択肢がわかり、

見逃しがちな選択肢も見つかったのではないか。

それは、やるかやらないかで行き詰まった時に、

自身を助けるのではないか。

 

この3回のプログラムは、

私の完全オリジナル。

信じて参加してくださった皆さんに感謝。

そして、学び「合う」ってことの

豊かさを、

めちゃくちゃ感じることができる

プログラムになったと思う。

 

 

オープンOKの感想をシェアします。

 

「いろんな人の話を聴くことで、

 掘り起こされる気づきがあって、

 脳みそがパカーンと開いていく

 ような感覚を味わいました。

 今日は同じ目的を持って集まった 

 仲間だから、安心して話せるし、

 共感してもらえて嬉しかったです。

 多分、日常生活で、

 うまくかみ合わないと感じている人とも、

 これぐらいじっくり話し合ったり、

 相手の背景を知る機会があったら

 『な〜んだ、そうだったのか!』と

 思えるのかもしれません。

 分かり合えないと感じている人に対しても、

 余白のある見方ができそうな

 気がしてきました。

 自分で選ぶということは、

 自己信頼を築いていく一歩だと

 思えました。

 『選ばない』と決めること、

 『放っておく』と決める

 選択肢もあると思うと、

 とても気が楽になりました」 S

 

「選択肢を考えるって

 苦しいことだけでなく、

 問題解決の可能性を広げる

 わくわく楽しいこと。

 一人で考えてもいいし、

 誰かに話して語りながら

 (選択肢を)増やすことができる。

 その相手との化学反応も

 リソースにしたい。

 今年どんな気分でいたいかなど、

 自分に問いかけることで、

 自分を知って、さらに選択肢を

 探しやすくできる。

 休みながら、

 自分で選ぶことを繰り返す、

 『わたしの人生』を

 歩んでいきたい」 K

 

「無いものねだりになる自分なので

 おそらくどんな選択をしても

 きっと後悔すると思う。

 でもそれは、裏を返せば、

 どんな選択をしても

 得るものがあるとも言える。

 選択肢があるということは、

 自分が大切にしてきたもの、

 したいものが、

 その分あるということだと思う。

 『人生』や『選択肢』の意味づけは

 人それぞれだと思ったけど、 

 それは、人には人の数だけ

 事情や背景があるんだと思う。

 それが分かって、

 優しくなれる気がする」四季

 

「自分の中には

 新しい一歩を踏み出したいという

 大切な思いがある。

 でも踏み出すことも不安もある。

 何かのきっかけがつかめたら・・・

 と思い参加しました。

 講師の話、ペアや全体での交流の中で、

 目立って響いてきたのは、

 『タイミング』と言う言葉です。

 選択は、伸ばしてもいい、やり直してもいい、

 今がその時というタイミングが来る、

 その時を待ってもいい。

 私は自分に今できることを考えながら

 実行しながら、その時を待とうと

 思いました。

 焦らず一歩一歩、時に『しない』という

 選択肢も織り交ぜながら

 歩いていこうと思います」 G

 

「自分の思っていること、考えていることを

 ワークの中でシェアすると

 その度に、新たな視点が見つかり、

 世界が広がっていく気がしました。

 自分一人で考えていると、

 どうしても枠から出られなくなるから、

 『学ぶ』ことは自分を自由にすることかな。

 この一年『選択すること』に思いを馳せ、

 今までより丁寧に暮らせた気がします。

 自分の残りの時間を(平均寿命から算出して)

 具体的に考えてみると、結構長いなと・・・。

 この先もう一踏ん張り何をしようかななんて

 気にも慣れました。

 またみんなからフィードバックをもらい、

 自分の考え方、言ったことなどが

 はからずも誰かの役に立っていたと知り、

 嬉しかったです」   もも

 

「毎日の中で、選択しない日というのは、

 1日たりともないんだなって

 思いました。

 大小の選択の積み重ねでできていて、

 決まっていることも正解もなく、

 『引き返す』も『一回休み』もありの、

 地図のようなスゴロクのような感じです。

 スゴロクはバクチ感があるので、

 やっぱり地図かな。

 今日まで生きてきた中で、

 特に後半は悩みと選択の連続

 でしたが、過ぎてみると、

 『大切なもの』も見つけてきました。

 ある日、娘が聞きました。

 娘『おかん、自分の大事な時間を

   割いてでも会いたい人、

   どれくらいいる?」

 私『うーん、○ちゃん(地元の親友)、

   ○○さん(パート先の仲良しさん)、

   あと、くみ(←谷澤のことです)関係

   の勉強会などでできた友達。。。』

 娘『ふう〜ん、意外にいるね。

   私、そんなにいない』

 夫『オレは全然いない』

 私『そいう人は、どのタイミングで

  やってくるかわからないよね〜』

 私はなかなか、幸せものだと思いました」

               C

 

参加くださった皆さん。

時々、

「おいとく」「逃げる」「決めない」

も使おうね。

自分にとって大切なことは

「『あきらめる』を選ばない」って

決めておこうね。

 

八方ふさがってたら、

穴ほりゃいいよ。

道具やエレルギーがなかったら、

今は「待つ」時なんだよ。

 

そして、もう面倒なことは、

選んでおいてしまうのも手だよ。

例えば、これは私の場合だけど、

「電話の営業は、どんな内容でも、

 なるべく早く切らせていただく」

とか。

 

そして、日々の中で、

時々、

「自分をめっちゃ大切にする」を

選択をしてください!

 

 

 

 

さて、ワークのひとつで、

平均寿命まであと何日か

計算することをしてみた。

で、

私の人生上、

月曜は

あと

1488回なのだ。

 

ちょっと愛しい。

 

 

⇧生まれた年からの100年カレンダーを買ってみた。

 

 

 

 

 

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インスピレーション

【2017.01.04 Wednesday 10:04

幼い時に箱根駅伝を見て感動し、

陸上の選手になりたいと思う子もいれば、

アナウンサーになりたいと思う子もいるんだなあ。

先導する白バイを運転したい、

カメラマンになりたい、

陸連の、あの、復路のスタートの、

1秒2秒と数えて「ハイ、スタート」と

背中押す人になりたい、

いろいろいるだろうな。

大学の陸上部のマネージャーになりたい、

とくかく応援し続けたい・・・、

「〜〜になりたい」だけじゃなく、

いろいろな人に

いろいろな種類のインスピレーションを、

今年ももたらしたと思う。

 

箱根駅伝、最高!!!

 

私が今年最もインスピレーションを受けたのは、

往路の解説、

青学を卒業した神野さんの言葉だった。

瀬古さんが神野さんに

「(5区では)どこ見て走るの?」

と質問した時の答。

「10メートルくらい前を見て走ります。

 先を見ちゃうとずっと上りが続いてるので

 いやになっちゃうので」

 

「山の神」って言われた神野さんでも、

ずっと上りが続くことを、

いやって思うんだってことと、

それを言ってくれたことが

嬉しかった。

 

そして、

そのことを「いや」って思う自分を知っていることが

彼の強さを支えたんだと思う。

 

「どんな坂でも大丈夫」なんて

多分、過信だもん。

 

ボルト選手でも

追いかけられる夢みるって言ってたもん。

 

 

それと、今年は元早稲田の監督の

渡辺さんの解説がすごくいいと思った。

進化してる。

丁寧な下調べがあって、

各選手のコンディションをすぐに見極める。

山下りの6区の小野田選手の走りを

「それにしてもゆっくりすぎる」と評した方もいたが、

彼は、

「ゆっくり走っているように見えるけど、

 それは彼の下りの走り方で、

 スピードは出てる」

のような記録的には正解の解説してたし、

8区の下田選手が走り始めてすぐに、

「彼は調子が悪い時は顎を出して

 走るんですが、今日はそれがない。

 調子がいいと思いますよ」

と解説し、

結果的に彼は

区間記録にあと少しという走りを見せた。

解説者としてプロなんだから

当たり前かもしれないけど、

期待されたことができるように

取材、整理という準備して、

そして

期待を超える仕事をするカッコよさに

インスピレーションを受けちゃた。

 

 

で、今日の「スッキリ!」で

原監督が選んだ「MVP」にも

「そうきたか!」のインスピレーション。

それは一色選手だった。

3区で1位を安定させた秋山選手でもなく、

神野選手の後継のプレッシャーの中

走った貞永選手でもなく、

脱水症状がありながら

タスキをつないだ田村選手でもなく、

2区の一色選手。

「速さだけでなく、

 強さがある。

 そして、

 我々のターゲットを抑えたから」

と評価してた。

エースで、

すごい期待の中、

本人自身、多分、そこまで満足いく走りが

できてはいなかったと思う今回の一色選手。

彼は、

出雲駅伝優勝の際、

インタビューで涙を流したが、

その時どれほどの責任を自分に課して

走ってきたかがわかった。

その上の、箱根。

3連覇や3冠のプレッシャーの中、

青学を引っ張ってきた4年生の中で、

実力を発揮できた秋山選手や

最終ランナーで脚光を浴びた安藤選手ではなく、

一色選手をMVPに選んだ原監督。

多分、それは、今日からスタートする

新しいチームへのメッセージが

含まれているんだろうな。

結果は大事だけど、

結果は過程なくしてないってこと、

「監督は全部見てる」というメッセージは、

3年生にしっかり伝わったんじゃないだろうか。

これも、原監督のマネージメントの中の一つ。

なんか、腑に落ちたし、

スカっとしたし、

影響受けた。

 

その原監督の記事、

東洋経済の

青学・原監督「管理職の仕事は管理じゃない」

すっごくいい。

 

とはいえね、

来年の今日は、「スッキリ!」で

東洋大が見たいものだなあ。

なんか、ファンなんだよなあ。

 

 

さて、昨夜は、友達と食事した。

彼女たちと、駅伝の最中に流れた

サッポロのコマーシャル、

大人エレベーターの所さんがいい!

って話で盛り上がった。

 

箱根駅伝は、

毎年コマーシャルからも

インスピレーションを受ける。

 

「もう一度やり直すとしても、

 多分同じことを選ぶ」

「答えが見つからない時に

 『運命』って使うね」

というようなことを言ってた所さん。

 

そこにいた女性たちは、私を含め、

それぞれいろいろなことがあり、

それぞれ今も奮闘中で、

その私たちだからこそかな?

全員共感してた。

 

 

お正月に

いっぱいインスピレーションを受けて、

そして、

ま、

今年も、

一歩ずつ行こうって思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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谷澤 久美子
counselor