今のところではありますが…
子どものコミュ力向上には・・・

【2019.06.19 Wednesday 08:01

子どものコミュニケーション能力を

向上させてあげるには、

大きく分けて3つの方法があるだろう。

 

.灰潺絅縫院璽轡腑麒法を教えること

⊆りの人がモデルとなること

周りの人が聴き上手になること

 

このうち,

学校の中で、

いろいろなアプローチをされていると思う。

ただ、子どもによって

その時々に学んだ方がいいスキルは違うから、

クラス単位などの

集団の中でトレーニングを行うのは、

大変なこともあると思う。

 

誰かと話すことがあまりにも苦手な子は、

それがあるために学校が嫌な場所に

なってしまうことも十分考えられる。

 

そう考えると、

安全なものは△筬だ。

 

今回は、

ご自身にとって必要だからと

アサーティブ・トレーニングに

参加された小学校の先生が、

結果的には

にトライされたケースを紹介する。

 

 

というのは、

1年前に基礎編に参加され、

先日土日の応用編を学ばれた

小学校3年の担任の先生から、

以下のようなメールが届いたんだ。

(公開することに

 許可いただきました)

 

*この先生は、

 なんと、土日で学ばれ、

 すぐ月火でトライされた!!!

 

月曜と火曜の私は、

 今までと変えてみようと

 努力した2日間でした。
 子どもたちの些細なもめ事を

 事実、感情、要求に分析して、

 子どもたちに話させてみようと

 試みました。
 そうしたら、

 いつもは泣いたり怒鳴ったり

 大騒ぎになる子どもたちが、

 自分の気持ちや要望を見つけようと

 考えるようになりました。

 憶測で話していたことを

 事実だけを話すように

 聞いてみました。

 そうなると、

 感情的ではなく、

 子どもながらに

 落ち着いて話せるようになりました。

 ビックリです‼

 

 そして、

 私も感情的に怒らなくてすみました。

 

 たまたまかもしれませんが、

 何かとても幸せです☺

 

 

私はこのメールを読んで、

本当に嬉しくって、

そして、

この先生のことを心から尊敬した。

 

コミュニケーションはキャッチボールに

例えられるが、

アサーティブなコミュニケーションの

ボールを相手に届けようと考えたら、

そのボールの中に入れたいコンテンツは、

「事実、つまり何が起こっているか」と

「事実に関する自分の感情」と

「要求、つまり

 こうしたい、こうしてほしい

 という意思」。

 

その先生は

子どもの話を

「事実」

「感情」

「要求」

を意識して

聴くことをしたんだな。

 

あ〜素晴らしいと思う。

 

何があったのか?

そのことについて

 どう思っているのか?

どうしたいのか?

 どうしてほしいのか?

 

的な感じを頭において

聴いたんじゃないだろうか。

 

 

この3つの問いは、

もやもやとした思いを、

すっきり明確にさせていく

ヒントになる。

 

 

子どもは、

好きでキレているのでもないし、

良かれと思って泣いたり怒鳴ったり

 大騒ぎしているのではなく、

それしかできなくって、

そうしているわけだ。

 

何だかわからない

心の中に溜まったエネルギーを、

他のもっと良い方法で

外に出すことができれば

そうする。

 

他のもっと良い方法とは何か?

 

それは、人間だけができること。

 

言葉で伝えること!!!

 

 

 

この先生の

 

何があったの?

どう思った?

どうしたい?

 

という問いかけは、

 

いずれ、

何か問題が起こった時に、

彼らの頭の中で、

自分自身への問いかけの言葉に

なると思う。

 

 

 

コミュニケーションは

体験的に学んでいくもの。

育っていく中で、

環境から受け取るものをモデルにしたり、

反面教師にしたりして、

自分のパターンにしていくもの。

近くにいる大人が、

素敵なモデルだと、

子どもは

すっごくすっごくお得だと思う。

 

私はこれからも

少しずつ

アサーティブを

伝えていく。

 

それは

世の中を少しずつ良くしていくことに対して、

微力であっても無力じゃないよね。

 

 

 

参加してくれた先生の

このトライと、

メールのおかげで

元気でた。

 

「先生、

 私も

 何かとても幸せです」

 

 

 

 

 

 

*このウェブサイトは、
NPO法人アサーティブジャ パン認定講師である

谷澤久美子が個人で開いているホームページです。

このウェブサイトに関する全ての責任は

谷澤久美子にあります。

NPO法人アサーティブジャパンが

運営・管理しているウェブサイトではありませんので

予めご了承ください

 

 

 

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| アサーティブトレーニング | - |

感情、全開。

【2019.06.17 Monday 08:23

朝から

トヨタCEO豊田章男氏

米国バブソン大学卒業式スピーチ

「さあ、自分だけのドーナツを見つけよう」

を見る。

 

「幸せはなるものではなく、

 見つけるもの!」

苦しい時にドーナツという楽しみを見つけた

彼は言う。

 

「成功しても

 当たり前と思わないでください!

 正しいことをやりましょう!

 正しいことをしていれば

 お金はついてきます。

 年を取っても新しいことに

 チャレンジしてください。

 いくつになっても学んでください。

 生徒というのは最高の仕事です。

 あなたに影響を与える人を

 見つけてください。

 彼らからエネルギーをもらいましょう。

 そして、誰かに

 刺激を与える人になってください。

 立派なグルーバル市民になってください。

 かっこつけるのではなく

 温かい人になってください」

 

シンプルでストレートなメッセージに

心が熱くなる。

 

あー朝からめっちゃ泣ける。

涙が溢れてとまらない。

 

それには、

この言葉からのパワー以上の

背景がある。

 

 

週末、

静岡で

アサーティブトレーニング応用編の

講師を務めた。

講座の間は、

参加してくださる方々に

少しでも良い学びをと思うから

とにかく冷静に進行をしていた。

しかし、心の底の方で、

ものすごく感動していて、

感動に浸ってしまうと

進行が難しくなるので、

ためておいたようなものが、

今朝は一気に溢れているんだと思う。

 

みなさんのチャンレンジが

素晴らしかった。

 

 

応用編参加者の方の

シェアOKの感想から・・・

 

「アサーティブは
 相手を変えることではないのに、
 無意識に、
 相手に変わって欲しいと思ってた
 自分に気がつきました。
 ロールプレイに
 何度もチャレンジしたことから
 それに気づけました」

 

「繰り返しロールプレイで練習することで、

 自分の伝えたいことが明確になっていく

 ことが良かったです。

 批判をどのよう受け取ったらいいのか、

 自分なりに納得できました。

 大人だけでなく

 子どもとも対等にアサーティブな関係を

 作れるように努力したいです」

 

「批判の対処の仕方を学べたことが

 良かったです。

 その批判が正当なものか不当なものか

 判断し、受け入れなくてもいいものも

 あることを知ったことは大きいです。

 また、怒りの感情の裏にある気持ちに

 意識を向けることも知りました。

 怒りを悪い感情として扱わなくて

 いいということが、心に残りました」

 

「応用編2日間を通して、
『自己信頼』という言葉が
 何度も登場したことが心に
 残っています。
 何が自己信頼なのか、
 どうすれば信頼できるかを
 学ぶことができました」

 

 

 

私は5月6月、

アサーティブの講座の

講師を務める機会が多かった。

 

 

「基礎編」は、

アサーティブの基本と、

依頼する・注意するなどの事例や

「ノーと言う」事例を使って

スキルを練習する。

 

「応用編」は、

批判の言葉に対処する方法と

怒りの感情について学び、

複雑になってしまった問題を

話し合いで解決する方法を学び練習する。

 

「ステップアップ講座」では、

批判の言葉を、応用よりも

もう一歩踏み込んだ対処の仕方を学び、

相手の怒りにどう対応するかを学ぶ。

 

この3本の講師を4週間の間に勤めたが、

基礎、

応用、

ステップアップと深めていかれる

参加者の方の様子は、

アサーティブの心持ちが

しみていくプロセスのようにも感じられた。

 

コミュニケーションを改善していくことは、

自分に自信が持てるようになることに

つながっている。

それはつまり、

自分を尊重できるようになっていくことだ。

そうなるにつれ

相手の方も尊重できるように

なっていかれるということなんだなあ。

 

どっちか良いとか悪いとか、

どっちが正しくてどっちが間違てってるか・・・

というジャッジな考え方は、

相手だけにするものではなく、

自分にもしてる。

 

悪者を見つけるという考え方ではなく、

問題を解決するためにできることを

見つけようとする考え方に向かうプロセスを

丁寧に段階を踏むのが、

アサーティブの

基礎→応用→ステップアップ

なんだと思う。

 

 

そんな風に感慨深く

泣きながら考えをまとめている時に、

ほぼ日刊イトイ新聞の

糸井さんと矢沢永ちゃんの対談を読む。

 

矢沢永吉!

子どもの頃から好きだた彼が

もうすぐ70歳なんだなあ。

その彼が、

「スティル、現役!」

好きだからステージに立つ

と言っている。

「近所のたばこやへ

 キャデラックでいく」

と言っていた彼が、

そういう彼も好きだったけど、

「お金を稼いでわかった。

 金のためじゃない、

 やりたいからやる」

と言ってる。

オーストラリアで信用していた人に

35億持ち逃げされた経験を、

厄落としだったと言っている。

そういう経験を経て、

今、

「やりたいから」と。

あ〜感動するなあ。

シンプルで

いいなあ。

 

背中を押されるぞお。

 

 

 

感情、全開の今朝、

さらに、

一度しかお会いしたことのない方に

お願いしていたことの返事をいただけた。

 

もう嬉しくて、

ありがたくて、

涙が止まらない。

 

さて、

泣きながら午後の講演の準備だな。

 

私もやりたいから受けた仕事の準備を

やりたくて、するんだ。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・

静岡でのアサーティブトレーニング情報

 

✔アサーティブ紹介講座 8月3日(土)

 詳細は→

 

✔アサーティブカフェ 8月3日(土)

 詳細は→

 

✔アサーティブトレーニング基礎編 8月24日(土)25日(日)

 詳細は→

 

✔アサーティブトレーニング応用編 11月9日(土)10日(日)

 詳細は→

 

 

 

 

 

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酸っぱいレモンを、レモネードに!

【2019.06.07 Friday 08:47

我が家にアップルTV導入!!!

 

す、す、すごい。

TEDも

YOU TUBEも臨場感!

PCの中とは迫力が違う。

 

しかも見る番組の選択肢がすっごく増えちゃって、

今は

アメリカのドラマ「THIS IS US」がいい。

 

第一話の

ある妻が3つ子を出産している中、

本当に残念なことに、

ひとりを死産。

(ドラマの中とはいえ、

 10ケ月お腹の中で育んできた命を

 失うシーンは辛い)

落ち込んでいる夫に、

歳を重ねた医師が言う言葉の場面で、

完全に私は

このドラマにはまった。

 

 

 

医師は

隣に座っていいかい?と許可を取った後、

 

「できれば君も私のように

 いつか年老いた時に、
 自分の経験を若者に

 語ってくれるといいなと思う。

 
 人生が

 君という人間に与えた

 最も酸っぱいレモンで、

 何とかレモネードを作った経験を」

 

 

私はこのセリフに感動して、

すぐに止めてメモり、

後で、なぜ感動したのか考えると、

2つの点で

ロゴセラピー的な意味があったと

納得した。

 

 

1点目は

「どんな酸っぱいレモンも、

 レモネードの材料にすることができる」

という考え方だ。

 

これは

「自分の人生に起きた出来事を

 それがどんなにひどいものだったとしても、

 明日に活かしていくことができる」

ということのたとえ話だ。

 

 

医者は語る。

自分も最初の子をお産時に亡くし、

悲しみにくれた。

しかし

その出来事がきっかけで
産婦人科の医師になることを決意し、
それ以来50年間
たくさんの赤ちゃんを取り上げてきたと。

 

「こう考えたいんだ。

 あの子を亡くしたことで

 他の大勢を助ける道に

 私は導かれたんだと」

 

もちろん

我が子を亡くした苦しみは大きく、

そう言い聞かせたとしても

その悲しさや寂しさや苦しさは

消えるわけではない。

ましてや、いくら他の大勢の子どもを

取り上げたとしても、

我が子を失った事実は消えないし、

その子自身が生き返ってくれる訳でもない。

ただ、

その悲しみの中に留まることは選択せず、

誰かのために

何かのために、

エネルギーを向けた医師。

 

この考え方は、

ロゴセラピーの考え方だ。

 

ロゴセラピーの考え方を、

酸っぱいレモンと

レモネードという言葉で、

すぐにイメージできる、

わかりやすい例え話にしてくれている。

 

 

 

そしてそれ以上にすごいのが、

悲しみの真っ最中にいて、

くるしさに涙に暮れて、

顔を歪ませている「若い夫」に

「そういう人生を歩いて、

 それを誰かに伝えてくれ」と、

言ってることだ。

 

これが2点目だ。

 

 

打ちひしがれている人に対して、

共感的に理解しようと、

その方の話をただただ聴いたり、

ネガティブな感情を汲み取りながら

整理したりすることは、

案外いろいろなシーンでみる。

小説やドラマや映画の中にある。

 

 

でも、

この医師は

君も私のように

辛く苦しい経験を明日に活かし、

それを誰かが落ち込んでいる時に

話してあげてくれ

と言っているのだ。

 

つまり、

心のエネルギーのマイナスを

ゼロにするだけじゃなく、

誰かに分け与えるプラスにするよう

ハッパかけてる。

 

このことは

「若い夫」の目を

自分中心から

自分を外から俯瞰する目に変えただけではなく、

未来に向けたまなざしに成長させた。

 

 

この医師は、

もちろんハッパかけるだけじゃなくって、

「若い夫」が子どもを連れて検診に来た時、

「妻」の様子を気遣い、

「子どもを失ったことから

 立ち直るのには時間が必要。

 待ってあげてほしい」

と伝えた後、

「若い夫」にベッドを提供する。

子育てて寝てない彼に

十分な睡眠をとらせてあげたんだ。

睡眠を取れた彼は家に帰り、

妻に優しく接することができた。

 

 

 

そういう優しさと、

人の中に

とんでもない出来事をも

乗り越える力があると信じる強さ。

 

人は、

どんなに酸っぱいレモンでも、

それを美味しいレモネードにしようと、

そういう考え方を取り、

そのための行動を選択することもできる

と信じる強さ。

 

 

とにかく、この医師がかっこいい。

 

 

この医師の言葉だから、

このセリフは、

表面的なポジティブシンキングとは

格が違う。

 

私にはそう受け取れた。

 

 

 

 

酸っぱいレモンは、

いろいろな形で

私のこれまでの人生にも

登場した。

それらは、

ちゃんと酸っぱさは残した、

つまり甘さだけじゃなく、

爽やかさだけじゃない、

苦味もある

複雑な味の

レモネードになってきている・・・

と思いたいものだな。

 

そして、

若い人たちが

「何とかレモネードにしてきた経験」を

聴きたいと思ってくれる

自分でいたいものだと思うよ。

 

あ〜まだ5話。

しかもシーズン1。

「THIS IS US」、ずっと見ていたい。

 

 

 

 

 

 

 

先週土曜の初神田明神。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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| ロゴセラピー | - |

寄り添ってもらってるんですなあ。

【2019.05.27 Monday 17:05

土日と大阪で講座を務めました。

1日目のランチあと、

歯ブラシの忘れものがあったので、

スタッフの一人が

「忘れ物です」と書いて受付に

置いといてくれました。

しかし、持ち主が出てこないので、

2日目のランチの後の歯磨きの時に

困るだろうと思い、

ホワイトボードに

「歯ブラシの忘れものがあります。

 お心あたりがある方は、

 スタッフまでお声かけください」

と書きました。

 

そしたら、

なんと、

忘れたのは

私でした。

 

歯磨きしようと思ったらなかった。

 

恥ずかしかった。

 

恥ずかしかったけど、

みんなが大爆笑してくれました。

なんか、助かったのでした。

 

 

 

今日は自宅で「ロゴセラピーを学ぶ会」。

5名の方とともに学び合いました。

 

少人数ならではのしっとりとして、

素敵な時間。

私の体験の話を聞いていただき、

その際、若い時に

私の目の前に立ちはだかった壁の話をし、

今までは

その壁を自分が頑張って乗り越えてきたと

思っていたけれど、

ま確かにそれもあったかもしれないけど、

その時に、

ただただ何も言わず見守ってくれてた人々が

いたことに気がついた話をしました。

今さら?とも思うけれど、

「自分が頑張ったからという

 傲慢な考えをしていたこと」に

気がつけてよかった。

 

 

また今日のように

何人か集まっていただいて

学び合いができるのは、

我が家に長机や折りたたみ椅子があるからで、

それは義母が華道を自宅で教えていたからで、

彼女が残してくれたものを

そのまま使えるからです。

亡くなってからも、

私の活動にそっと

応援してくれているよう。

 

 

で、その「ロゴセラピーを学ぶ会」、

熱も入って、

ホワイトボードに

思いっきり書いたりしながら進めると、

何とマジック、

「油性」でした。

 

皆さんが帰られた後、

「自分のバカ!おっちょこちょい」

とつぶやきながら

青の油性の上を

ホワイトボード用のマジックで

なぞりました。

 

30分かかりました。

 

本当にやらかしてばかりですが

こんな自分にも

慣れてきました。

 

可愛くも思えてきています。

もう、何かやらかさないと、

気が抜けるくらいな感じかも。

 

やらかす自分を

自分が寄り添っているんだと

思うことにしました。

 

 

 

先週の金曜は

島田市でペアレントサポーターの

活動をされている方々への

「寄り添い方」の講座の2回目。

 

私のしくじり話満載で、

お役に立ったのかどうか。

ただ、

受講生の方がご自宅からバラと花瓶を持って

きてくださった。

 

 

なんかさ、思ったわけです。

いろいろな寄り添い方を

していただいてるんですなあ。

 

失敗を大笑いしてもらったり、

選択を黙って見守ってもらったり、

助けになるものを残してくれたり、

会場を華やかにしてくれたり、

いろいろ寄り添いの仕方を

してもらっての

今日なんですなあ。

 

 

 

先週5月21日に、

3月30日に開催したアサーティブカフェの

フィードバックシートが一枚、届きました。

 

2か月くらいたってしまったら、

人間、ま、出してないけどいいか・・・

とか考えるものじゃないですか。

そう考えて出さないという選択も、

全くある!と思う中、

出してくださった。

 

しかも、シェアOKで、ありがたい。

「初めてのカフェに参加して、

 気付けば2か月経ってしまいました。

 昨年12月に基礎編を受講し、

 アサーティブで

 前向きに自分を変えていこう!と、

 ひよっ子な私。

 今回カフェで出会った皆さんは、

 もう何年もアサーティブと

 関わってこられたベテランさんが

 多かったです。

 そこでとても衝撃を受けました。

 自然と漂う落ち着きと穏やかさ。

 言葉では言い表しにくいのですが、

 全然ガツガツした感じがなく、

 すーっと引き込まれてしまうような

 魅力をもつ方々の集まりでした。

 他人を受け入れる懐の広さ。

 自分の感情にしっかりと向き合える姿勢。

 アサーティブが勝手に

 毛穴から吹き出てくる〜!

 そんな風に私もなりたいなと思える、

 本当に素敵な時間、

 そして新たな学びの時間でした。

 この素敵な出会いと気づきに感謝しながら

 自分のペースで

 ステップアップしていけたらと思います」

 

お互いの出来事に、

お互いの苦労に、

お互いの頑張りに、

お互いのくじけそうな心に、

アサーティブカフェは

寄り添い合える場に、

育っていたんだなあ。

 

こういう場を作れたなんて、

なんてありがたいことなんでしょう。

 

 

やらかしちゃうことも多い私だけど、

誰かに寄り添い、

寄り添ってもらいながら、

これからもちょっとずつ進んでいくのです。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

<谷澤相談室>これからの講座など。

全て静岡市内。

 

●アサーティブトレーニング応用編

 6月15日・16日

 静岡市内

*一度受講された方で

 もう一度受けたいという方!

 受講料をお値引きいたします。

 連絡ください。

 

●ロゴセラピーを学ぶ会

 7月28日 午後

 

●アサーティブトレーニング紹介講座 

 8月3日 午前中

 

●アサーティブカフェ

 8月3日 午後

 

●アサーティブトレーニング基礎編

 8月25日26日 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| 日常 | - |

「本音」への態度

【2019.05.21 Tuesday 06:09

先輩に

「最近、アイディアにキレがないよね」

と言われたとしよう。

そんな時に、

「私のために言ってくれてるんだから、

 感謝しないと」

と思えたら素敵だ。

 

手一杯な状況の中、

上司から責任の重い仕事を任されたとしよう。

「厳しい状況だけど、

 これもチャンス!」

と捉えることができたら、

とてもいい。

 

前向きに考えるのは、

とってもとっても素敵なことだと思う。

 

ただ危惧もある。

 

本当に素直に、心からそう思えれば

それもいいと思うけど、

その出来事が起こった時から、

そう思えるまでの間に、

「本音」があったとしたら

その「本音」を自覚できるといいなあ。

 

 

「最近、全く企画をあげてない先輩に

 そんなこと言われる筋合いはない」

とか

「この状態で、それ?

 仕事量見てから指示してよ」

などという「本音」があるのに、

そのことに無自覚に

ポジティブな考えで上書きすると、

うまくいかないことも多いと思う。

 

ま、何回かはそれでやれるだろう。

 

でも、「本音」に無自覚が続き、

自覚しなかった「本音」がたまっていくと、

それは体や心に毒だ。

ためると、

よどんだり、

変質する。

ちょっとしたことにも

イライラしたり、

くよくよしたり

するようになったりするもの。

 

 

 

じゃ、どうしたらいいのか?

 

自分の「本音」を一旦は認めよう!

とおすすめしたい。

 

例えば、

「最近、全く企画をあげてない先輩に
 そんなこと言われる筋合いはない。

 悔しい」

とか、

「この状態で、それ?
 仕事量見てから指示してよ。

 めっちゃしんどい」

とか、

「本音」の中に湧いてる感情まで

しっかりと認識することだ。

 

この一手間を通りたいのだ。

その次だったら、

ポジティブシンキング、

すごくいいと思う。

 

「本音」を自覚した上に、

ポジティブに考えられたら、

幾つかの選択肢から、

自分の明日にとってプラスになることを

選んで行動できるんじゃないか。

 

 

ただ、

一般的には

「本音」は悪いものというイメージがある。

隠しといた方が無難だと、

なんとなく学習しながら成長するものだ。

 

(他者にわざわざ言うこともないけど、

 自分にまで隠してしまったら、

 そのままの自分を粗末に扱ってることに

 なってしまう)

 

そして

「本音」にどういう態度で接することが

心の健康に良いのかを

学ばないまま大人になる。

ピンチはチャンス!

とか

われ以外みな師

とか

言い聞かせて

毎日を暮らすのは、

ホント辛いよ。

 

 


大切なことは、

自分自身の「本音」に対して

誠実であること。

 

「本音」への態度を知り、

日々の出来事の中で

実践すること。

 

 

 

この重要性を伝える機会をいただいてる。

 

今週火曜は20代〜30代の男性の組織で

話した。

明日はボランティアで保護者を支援する方々に

お話する。

 

なんか、このことに関して、

私はめっちゃ力が入ってしまうんだなあ。

 

 

 

 

 

 

「居るのは辛いよ」、、、これまた良き本。

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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「愛と誠」反芻デイ

【2019.05.14 Tuesday 17:50

「愛と誠」という漫画に、

幼い時にハマった。

 

 

いくつかの印象的なシーンの中で、

今も時々想起するエピソードがある。

 

 

愛の父親はある事件で汚名を着せられたが、

その事件の真相を話そうと

会見の場を設定した。

しかし、

真実がバレることを恐れた人たちが、

不用意に行動していた

愛の母親を誘拐してしまった。

父親は彼らからの取引に応じて、

会見をとりやめた。

返された母親に対し、

父親は「浅はかな真似をしてくれたな」と

責める。

 

その次の瞬間の愛の言動が、

子どもだった私にとっては

衝撃だったんだ。

 

優しくって、周囲をいたわり、

天使みたいな心の愛が、

なんと、

母親を罵倒したんだ。

 

謝る母親に対して、

「謝ってすむことではない」

とか、

「自分の夫の面目を丸つぶれにした」

とか、

「なぜ誘拐された時、夫の名誉を守るために、

 舌を噛み切って死ななかったのか」

とか・・・。

結構な剣幕で、結構なことを言う。

 

すると、それまで責めていた愛の父親が、

「そこまで言わなくても」と

母親をかばうのだ。

 

愛は、

「やってられない」のようなことを

つぶやき

家を飛び出る。

 

 

私は、驚愕!

そう驚愕って言葉がぴったりくるような

気持ちを味わい、

愛は一体どうしてしまったのかと思った。

 

 

続いて

誠が愛の言動を解説する。

 

誰かが憎まれ役をやらないと、

父の恨みが母親に集中する。

もしかすると夫婦は

うまくいかなくなるかもしれない。

それを見越して愛が憎まれ役を熱演したと。

 

「自分は、

早乙女愛に対して、

ずっと悪役を演じ続けてきた

悲しい三文ピエロだから、

愛の気持ちがよくわかった」

と告白するんだ。

 

薄く見積もっても

40年以上前のことだから、

細かいところは勘弁してもらって、

大筋こんな感じで、

このシーンは、

初めて誠が愛に、

愛を告白するシーンでもあるんだけど、

私にとっては、

その前の、

「憎まれ役をやることで

 その場の弱い立場の人を守る」

という行為が、

なんというか、

神聖で、

尊くて、

美しくって、

高邁で、

演じるとしたら「いい子」しか

知らなかった自分に、

もう

本当、ズドンときた。

刺さった。

 

そのあと、

小説やドラマで

憎まれ役が登場するたびに、

「愛と誠」のこのシーンを

思い出してた。

 

そして、今日のNHK朝ドラの

「なつぞら」だ。

 

 

血が繋がっていない自分を

育ててくれた家族(北海道で)に

「東京に行きたい」という主人公。

 

草刈正雄演じる祖父は、

主人公を愛しく思うばかりに、

本当の家族になりたいし、

主人公の牛飼いという仕事に

期待していて、

だからこそ

「お前の顔は

 もう二度と見たくない」

と言い放す。

 

あ〜おじいちゃん。

なんてぶきっちょな

憎まれ役。

 

「申し訳なくていられない」

という主人公に

愛で溢れてる分かりやすい憎まれ役の

松島菜々子演じる母親は、

ビンタ!

 

「申し訳ないなんて

 言われるくらいなら

  憎まれたほうが、

 よっぽどましだわ。

  一人で苦しみたいなら、

  家族はいらないっしょ」

 

 

そんなわけで、

今日は

「愛と誠」反芻デイ。

 

 

人生の中で一度は、

誰かのために、

憎まれ役やれると

少しは大した人になれるとちゃうか?

なんて、今日は思う。

しかも誰にもばれずに。

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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人生からの問い。

【2019.05.12 Sunday 15:23

私は中学生・高校生の頃に、

よく考えた。

「なぜ私は跡取りなんだろう?」

「なぜ私ばっかり将来を

 決められているのか?」

 

菓子の製造卸販売を家業としている

家に生まれ、

二人姉妹の長女だった私は、

小さな頃から周囲の大人から

「跡継ぎ」とか

「後継者」と呼ばれていた。

 

今になってみると、

親もきっと葛藤しながらの強要だろうと

想像できるが、

その頃はとってもそんな風には

思えないから、

「なんで?」「なんで?」

ってばっかり思ってた。

 

とにかくイライラしてたし、

もやもやしていて、

高校生の時には家出を企てたり、

大学で自由になるために家族を騙したり、

しかも大学時代はめっちゃ自堕落な

生活を送ったり・・・

としていた。

 

 

ロゴセラピーを学んでわかった。

その問いの立て方では

うまくいかないのだ。

 

「なぜ私は跡取りなんだろう?」

と人生に答を求めるのではなく、

状況を、人生からの問いと

捉えてみるのだ。

 

「人生は、跡取りという立場を

 私にもたらせた。

 さあ、どう応える?」

 

もちろん、まだまだ幼かった私が、

ロゴセラピーを知っていたとしても、

そんな風に素直には

考えられなかったとは思う。

 

ただ、この視点を持って

こうして過去を振り返ってみることも、

悪くないなと思った。

 

昨日は、

谷澤相談室主催の

「ロゴセラピーを学ぶ会」

を開いた。

 

様々な人が

自己を内省し、

生きる意味を確認することを

援助していくロゴセラピー。

 

昨日は全4回のうちの1回目だったので、

「ロゴセラピーとは」を大まかに話し、

「私とロゴセラピーの出会い」を

聞いてもらい、

「ロゴセラピーのキーワード」から

少し深く知っていただく

2時間にした。

 

その準備のために

「私とロゴセラピーの出会い」を

まとめている時、

上記の

中高生の時のことを始め、

今までスルーしておいたこと

ロゴセラピーの視点で考え、

新しい発見もあったりした。

 

 

なお、
2回目から参加したいという方の
ために1回目の内容の講座を
5月27日(月)午後1時半〜3時半
で開催します。

限定5名(締め切りました)。

興味ある方は、

kumikotanizawa@gmail.com

まで。

 

 

 

 

1回目に参加してくださった方の

フィードバックシートから

オープンOKのものを紹介。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・私も、なぜ自分は生まれてきたのか

 ずっと問いかけてきました。

 感覚で、自分を、自分に起きた出来事を、

 客観的に見れるようになってきたところ

 でしたが、今日、本当に腑に落ちました。

 そうか!そういうことだったのか、と。

 目の前がさらに開けた気がします。

 そしてさらに「自己超越」があることを

 知って、感動しました。  シヲ

 

・過剰自己観察しがち。

 自己距離化の能力までは

 私は持っている。

 「なぜ?」と問うのではなく、

 人生から問われている、

 それにどう応えるか

 と考えると、

 ずいぶん気が楽になりました。

 体験談を通して分かりやすい話を

 聞くことができ、

 とても元気をもらえました。

 ありがとうございました。S

 

・人間は生きる意味を求める強い意志を

 持っている。

 環境が幸せに与える影響はわずか。

 また自ら動くことで幸せを感じる。

 ということは、おかれている状況を

 嘆いてもしょうがない。

 いつだって、自らの意志で幸せに

 向かっていけると思った。I

 

・講師の経験されたことが印象的でした。

 その渦の中にいるときは、

 きっとお辛かったと思うけど、

 そこから意味を見出された講師は 

 すごいなと思いました。

 私は、過剰自己観察をしてしまう

 ことがあります。でも最近は、

 「あ〜またやってる私」と

 少し自己距離化できるように

 なってきました。

 価値を見出すまで、

 意味を見出すまで、

 幸せをもっと感じられるように

 なるまで、

 これから少しずつ考えて

 いきたいです。     T

 

・「日々の平凡な暮らしの中に」

 という言葉に救われました。

 私のような人間には、意味を

 見つけにくいのではと

 思ったのですが、

 平凡な中にも意味があるという

 言葉で、私もこの先生きていける

 と思いました。    Y

 

・私がボールをどう投げるか?と

 いう言葉が印象に残っています。

 自分に選択する自由があることを

 忘れずに生きたいと思います。

 人生でいろいろな「お題」が

 自分にやってきますが、

 そのひとつひとつを意味あるものに

 していきたいです。

 自分以外のものは変えられない。

 自分の感情を味わいつくし、

 どんな自分も受け入れていきます。

             M

 

・過剰自己観察に陥りやすい自分が

 わかりました。

 時々、ノートに現状や心の中を

 書いていたのは、

 自己距離化していたんだと

 わかりました。

 この行動には意味があったのですね。

            まーみん

 

・心に残っていることは、

 良心=意味器官

 自己超越

 過剰自己観察消去

 「ロゴセラピー」という名前は

 知っていましたが、

 その内容には今日初めて触れて「?」

 のことがいっぱい出てきました。

 それをこれから解き明かして

 いくかと思うと、

 少しワクワクします。

             もも

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

今回はフィードバックシートに、

「理解が難しかったところは?」

という項目を作ってみたが

みなさん、

いろいろ書いてくれている。

 

次回に何をどう話したらいいかの

ヒントをいただいた感じ。

 

「難しかったこと」で

特に多くあがっていたのが、

「日常で生かせるかが難しそう」

ということ。

そのための仕組みを

次回紹介するつもり。

 

またそれ以外の質問にも、

お答えするよう準備していきますね。

 

お楽しみに!

 


 

 

 

 

↓南部町のなんと!

 無料のドッグランにて

 気前がいいね、南部町。

 ありがとう!!!

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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影響

【2019.05.11 Saturday 10:22

自己確認の方法を

まとめると

大きく二つになるんじゃないか

 

一つは

出来事が起こった時に、

自分の中に湧いた感情や

持った考えや

体の反応や

選択した行動を

知ろうとしていくこと

 

知ろうとするとは、

言語化を試みるってこと

 

 

もう一つは

「他」と出会うこと

 

「他」とは、

他者でもあり、

本や映画など芸術作品であり、

未体験の食べ物や服や道具であり、

新しい知識など、

つまり

「体験」がキーワードになりそうだ

 

「他」を鏡にして

共通の思いや

違いがはっきりし、

自分ってものが明確になっていく

 

〜〜〜

のような話を

今年度の初め、中学生に話した。

 

その時、

「他」と出会うのは、

わざわざどこかに行かなくてもいい

それは日常の中にもある

ってことの例として、

山田和花さんの話をした。

 

私は彼女を直接知らないが、

勝手にめちゃ尊敬してて、

このブログでも、

前にも書いた記憶がある。

 

当時学生だった彼女が書いたコラムに

こんな話が掲載されている。

 

「私には、小学校時代の授業を

 振り返ると真っ先に浮かぶ

 授業があった。

 それは小学校四年生の時の

 道徳の授業でのこと。

 担任の先生からこんな質問が

 クラス全員に投げかけられた。

 

 『とても仲良しな友達がいます。

 しかしその友達は遠方に

 引っ越すことが決まりました。

 二人は文通する約束をして別れます。

 間もなく、最初の手紙が届きました。

 その手紙は切手の料金が足りなかった。

 不足分は受け取ったあなたが支払いました。

 そのことについてあなたは

 少しがっかりして怒ります。

 さて、切手の料金が足りてなかったことを

 返信の手紙に書きますか?』

 

 クラス全員が何らかの形で書いて知らせる

 って答えたけど、その中でただ一人

 『書かない』って答えたのは

 担任の先生だけだった。

 先生は最後までなんで『書かない』派

 なのか理由を話してはくれなかった。

 

 モヤモヤした私は、

 いろんな人にどうするか聞いてみたい

 衝動にかられ母に授業と同じ質問をしてみた。
 母も『書かない』派だった。

 答えが聞けるような気になって理由を聞いてみた。

 

 『手紙は話すのと違って文字として

 残るものだよ。大人になった時、

 一緒に過ごした大好きな友達からの手紙として

 ずっと残しておきたいと思うかもしれない。

 その子が大人になった時、

 手紙を読み返して料金のことが書かれていたら、

 どんな気持ちになると思う?』

 

 返ってきた理由に、当時の私は、

 そんな先のことまで考えてたの?って。
 自分では思いもしなかった答えに

 とても驚いたのを覚えてる。

 

 それが初めて、先を想像して判断する

 ってことを意識した瞬間だった。

 それ以降、私の物事の判断基準の中に

 時間軸というものが加わった。
 そして私は、その時間軸の概念が

 今の政治には足りないんじゃないかな

 ってすごく感じてる。」

 

そして、彼女は思い切って

バイト先の仲間たちに

選挙に行こうと誘うと

決めたそうなのだ。

 

 

日常の、

例えば授業の中にも

「他」と出会う瞬間があるし、

今学校に行っていない子どもたちにだって、

ネットやゲームや

「うたいてさん」や「アニメ」の中に

「他」はいっぱいあるってことだ。

 

 

もちろん

出かけて出会う「他」もある。

 

 

私が初めて

多面的なものの見方を知った瞬間は、

小学校4年か5年の身延山のロープウエイの中だった。

祖父母に連れて行ってもらった身延山。

身延山は何度か訪れたことがあったが、

その日初めてロープウエイに乗ることになった。

 

なのに、なんてことだ、曇!

外の景色が全く見えない。

私は祖母に

「何にも見えないね」と言った。

 

すると一緒にゴンドラに乗ってた

年を重ねた女性の方が

「本当だね。残念だね。

 これはまたおいで!

 ってことだね」

と言ったのだ。

 

そんな考えがあるのか!と

私はびっくりした。

そして、なんだか嬉しくなった。

もう一回来れるなら

曇天もいいような気がしてきたのだ。

 

ものごとを一方的には見ない考え(他)を

知って、

自分はそうではなかったことに気づき、

新しい考え方を自分の考えに加えていく。

 

 

そういう自己確認を繰り返しながら、

いろいろな影響を受けて、

58歳を生きている。

 

 

 

ある時、

私は新しい知識を学ぶことで

わざわざ「他」と出会うことを始めた。

それまでの自分の方法では、

うまくいかないことがあったからだ。

 

まずは

「CL〜建設的な生き方」という人材育成法を

通して

感情と行動について学び、

 

次に

「アサーティブ」で

自他尊重のコミュニケーションの方法が

あることがわかり、

練習次第で、使えるようになることも

知った。

 

「認知行動療法」で

出来事による反応を区別することと、

自分の陥りがちな考え方のクセを知り、

それが出てきた時の対処を知った。

 

 

そして「ロゴセラピー」で、

生きる意味を人生に問うてもうまくいかない。

「人生が、その状況を通して、

 あなたにどうこたえる?と

 問うている」

という考え方を知る。

 

 

感情をマネジメントして、

自他尊重のコミュニケーションの

スキルを使って何かを伝えたとしても、

 

それが「自分本意」であると、

 

CL的でもないし、

アサーティブでもなく、

 

何となく落ち着かなかった意味が、

 

ロゴセラピーを学ぶことを通して、

ストンとわかった。

 

 

そんな私が、

初めて

その「ロゴセラピー」を

私の言葉で話すのが、今日。

 

さっき準備が終わったところだ。


 

 

 

さて、中学校の話に戻る。

 

私が話し終わり、

ある3年の男子が感想を発表してくれた。

彼が話すことは決まっていたようだが、

話す内容はその場で考えたことのようだ、

 

感想をいろいろ話してくれた最後に

彼は言った。

 

「先生の考えは

 僕の考えとは少し違うところもありました。

 それこそ、今日僕は『他』と出会ったんだと

 思います。

 その違いについて、

 しばらく考えてみたいです。

 ありがとうございました」

 

私はこの瞬間を思い出すたびに、

心の深いところで

自分が喜んでいることを感じる。

そういうことがやりたいんだ!と思う。

 

彼の感想という「他」を通して、

私は自分のやりたいことを知る。

 

 

 

今日の「ロゴセラピーを学ぶ会」が、

参加者の方々にとって、

いい意味の「他」になれるといい。

 

山田さんにとっての4年の時の授業や、

身延山での出来事や、

CLやアサーティブや認知行動療法や、

私に影響を与えた彼の感想みたいに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↓5月4日に5歳となった カル

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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自分のタイミング

【2019.04.23 Tuesday 19:52

私の住んでいる地区の

ビン缶など不燃ゴミの回収日は

朝6時から8時までの間に

決められた場所に持参する。

立会う人が通常2名で

それを見守る。

この見守り役は、

何年かごとに回ってくる。

 

今月はなぜか4名の方が

立ち会ってくれていた。

 

ペットボトルは

ラベルをはがし水洗いして踏み潰し、

缶はアルミとスチールを別に、

ビンは色ごとに分けてコンテナーに

入れる。

 

見守り役は

何年か前までは、

前の晩から出してあったものを

分別することで最初の30分くらいは

忙しかった。

 

その日、

私は6時になるとすぐに

出しに行ったが、

立会う人たちは、

すでにおしゃべりをしていて、

つまり時間を持て余している感じで、

それは4人いたからという訳ではなさそうで、

というのは

回収されているビン缶など、

量が圧倒的に少ないのだ。

 

最近は、

スーパーマーケットの

常時オープンしてる回収場所に

出す人が多いんだと思う。

 

私も、時々はそこに出す。

 

古新聞も同じで、

以前は、

自治会が回収して活動費にしていたので、

その日に出したり、

引き取りを仕事にしているNPO法人の

回収日に家の前に出したりしていたが、

最近は、

いろいろな場所にできた古紙ステーションに

出してしまうことが多い。

 

なぜそうするのか?

 

私の場合は、

「自分のタイミング」だ。

決められた日に合わせて出すのではなく、

出したい時に出したいんだ。

 

きっと多くの人が、

そうじゃないかと思うのだが、

どうなんだろう?

 

考えてみると、

いろいろなことで、

相手に合わせるのではなく、

自分のタイミングでできることが

多くなっている・

 

テレビの番組も、

とにかく録画をしておいて、

自分のタイミングで、

しかもCM飛ばしてみる。

 

 

今度初の

スクールカウンセラーなどが集まる

大人数の会議に参加した時も、

それぞれの机の上には水筒があり、

休み時間を待たずに

それぞれのタイミングで飲む。

 

会議の中で分からないことがあったが、

その言葉をメモっておいて、

休み時間に調べる・・・

ではなく、

机の下でスマホで検索。

私はそうした。

決して

会議や話している方を軽んじているわけではなく、

そこでつまづいているより、

そうした方が会議の内容は

私にとってはより意義深くなる。

 

 

我が家は、人間は二人しかいないし、

一緒のタイミングで食べる方が効率的なので、

(いや効率的だからというより、

 私が一緒に食べたいからなんだけど)

そうしているし、

なにしろ昭和だから、

家族全員一緒に食事が当たり前の中で

育ってきたけど、

今、塾があったり、部活があったり、

残業があったり、

働き方改革で逆に早かったりで、

家族全員一緒に食卓を囲まない家庭も

多いだろう。

一緒にとなれば、

みんながその時間にちょっとずつ努力して

合わせるのだけど、

そうではなく自分のタイミングを

大切にできているんだと思う。

 

電話もそうだ。

自分が自分のタイミングを大事にしているから、

相手に煩わしい思いをさせたくなく、

まずラインで

「電話したいけど、今日空いている時間ある?」

と聞いてからにしている人は多いと思う。

 

 

 

さて、

今年度も私は小学校中学校高校で

スクールカウンセラーとして活動してる。

スタートして約3週間。

慣れるスピードは人によって違うけど、

3週間経つと、慣れたとは言えなくなても、

だいたいどんな感じかは、

ちらっとはわかってきた頃だろう。

 

わけがわからない時は

緊張でいっぱいだったとしても、

ちょっとわかってきただけに、

「違い」や「合わない」など意識することもあり、

それがしんどさにつながっている子もいると思う。

 

その中で、

学校の、

学年の、

クラスの、

班の、

隣の子の

タイミングに合わせないとならないことは、

疲れるだろうな。

 

何しろ、自分のタイミングを優先できることが

いっぱいある中で生活をしてきていて、

折り合いをつけるトレーニングの機会は、

年々少なくなっているんだもんなあ。

 

 

そう考えると、

みんな、よくやっているんだよなあ。

 

 

なんとかかんとか頑張ってきて、

世間はあと3日でGW。

私はあと4日で。

 

 

社会のタイミングに合わせて

ガンバってきた人が、

少し緩めるといいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもここで会う、

おやつをくれる男性が、

今日はいなかった。

彼を待つカルクラ。

 

 

 

 

 

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「わかった」と思った瞬間

【2019.04.10 Wednesday 17:04

「なぜ人と人は支え合うのか」

という本は、

映画「こんな夜更けにバナナかよ」の

原作者の本。

 

帯には

「障害者について考えることは、

 実は健常者について考えることであり、

 同時に自分自身について

 考えることでもあります。(中略)

 そして、障害のある人たちが

 生きやすい社会を作っていくことは、

 結局のところ誰のトクになるのか、

 という素朴な視点で、福祉という

 発想を根本から問い直してみたい

 と思ってます」

とある。

 

著者の意図、とりわけ前半の

「障害者について考えることは、

 実は健常者について考えることであり、

 同時に自分自身について

 考えることでもあります」

この部分に、

私自身はハマった。まさにその通りに。

 

 

特に

「やまゆり園障害者殺傷事件」の犯人

植松被告の人物と考え方を

「高みから全否定するのではなく、

 その主張をわが身に照らして、

 じっくりと吟味してみる必要がある」

と試みている部分に、だ。

 

著者は植松被告を

・「もし自分だったら」という考え方や

  発想ができない人

という見方をしていると同時に、

世の中には

・「もし自分だったら」という言葉を用いて、

 いとも簡単に物事を判断し、結論を下して

 しまえる人もいる

と考え後者にも疑問を投げかけている。

 

私は、

後者の立場をとりかねない自分を

なんとなくわかってる。

それが私の浅さにつながっているとも

意識している。

意識しているから、

いろいろ本読んだり、

勉強したりして、

客観性や広い視野を保とうと努力してるし、

それでもなおそっち寄りになってることに

気がついた時は修正するんだけど、

それでも、先日も危ない時があった。

 

 

専門家Aと話している時、

あることの説明に

私は納得がいかなかった。

そこにいたもう一人の友人も、

納得がいってないようだった。

彼は反論したが、私はしなかった。

その時の私の思考は、

「Aさんは、きっと何か誤解して

 いるに違いない。

 目くじら立てることじゃない」

しかし、後日友人から連絡があり、

「Aさんが言ったこと、

 どう思う?間違っているよね」

と訊かれ、

「私もそう思うけど、

 Aさんほどの人が間違うはずないから、

 きっと誤解しているだけだよ」

と答えた。

しかしそう答えながら、

もう一度調べてみようと思い直し、

調べると、

間違っていたのは、なんと、

私と友人の方だったのだ。

びっくりした。

そして、わかって本当よかった。

 

その時の私の考えの流れは、

「自分だったら誤解もある。

 Aさんもそうだろう」で

片付けてしまっていたが、

友人がそのことに

こだわってくれたからこそ、

「あっやばい、

 自分だったらで考えを

 終わらせようとしている」

と気づき、

調べて正しいことを知ることができたのだ。

 

なんか、そういう時が

私にはあるんだな。

 

 

著者が紹介している

「もし自分だったら」と考えて思考停止する例は

「自分なら延命治療をしてまで生きていたくない」

などというもので、

私はそれとは少し違うけれど、

それでも、

自分にもその芽があることを

ちゃんと認識しておかねば!と、

自分に引きつけて読むことができて、

著者の意図に

引きずり込まれてよかったと思う。

 

 

 

帯に書かれている著者の言葉の後半部分、

「障害のある人たちが

 生きやすい社会を作っていくことは、

 結局のところ誰のトクになるのか、

 という素朴な視点で、福祉という

 発想を根本から問い直してみたい」

に関しては、

繰り返し述べている

「人はできることより、

 できないことの方が多い。

 できないことは助けてもらえばいい」

ってのが、私にはぴったりくる考え方だ。

 

これを丁寧に言葉にしてくれているのが

この本の中で紹介されている

「東京インクルーシブ教育プロジェクト」代表の

海老原さんの著作の中の言葉。

 

「人は『誰かの(何かの)役に立つ」ということを

 通して自分の存在価値を見出す生き物なんじゃないか、

 という気がします。でも、役に立てる対象(困って

 いる人)がいなければ、「誰かの役に立つ」こと

 自体ができないので、困っている人の存在という

 のも、社会には欠かせません。となると「困って

 いるよ」ということ自体が、「誰かの役に立って

 いる」ということになりますね。つまり、世の中

 には「困っている対象者」と「手を貸してあげら

 れる人」の両方が必要なんです。(略)

 一生困ったことがない人なんていないんだし、

 一生困ってる人を助けるだけの人だっていない。

 それが『平等』ということ。」

  (海老原宏美・海老原けえ子

    「まあ、空気でも吸って」より)

 

うんうん、そうだよなあ。

ほんと、そう思う。

 

って、ほら、わかった気になる私。

 

著者の渡辺一史氏はあとがきで

「『あの障害者に出会わなければ、

 今の私はなかった』ーそう思える体験を

 これからも発信し続けていくことが、

 植松被告の問いに対する一番の返答に

 なるはずですし、植松被告に同調する人たち

 への何よりの反論になるはずです。

 ゆめゆめ、人生について知ったかぶりをして、

 わかったようなことを言うべきではないと

 思わされるようなできごとが、

 この世界にはあふれているからです」

 

 

「わかった」と思った瞬間、

「本当に?」って問いかけ続けて

いくしかないよな。

それでだんだん断言できないように

なってるけど、それもありなんだよな。

 

だいたいブログのタイトルを

「今のところではありますが」に

したのは、

そういうことだったんだよなあ。

 

 

とはいえ、

「『こういう人が正解』という人がいて、

 『その条件を満たさない人は不正解』

 という考え方は間違いだ」

と思う自分の考え方に関しては、

堂々とこだわっていいと思ってる。

そのことは、

この本に描かれていることと共通している

と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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谷澤 久美子
counselor